第1話 曇天の下の出会い
曇天の空、もちろん灰色の厚い雲、生暖かい風…… 私の気分と同調するような全く気分の良くない新学期。 やっと1学期が終わったというのに、夏休みが終わってしまったことで私にとっては再び地獄がやってきた気分だった。 何だか今日は酷く身体がだるい。 「おっはよーう! 椿」 「ああ、星弥。おはよう」 「あんだよ、朝から暗いな」 「別に?」 「つれねぇなー」 あんたとつれると色々私も不都合があんのよ。 人の気も知らないで…… 無邪気に私の横に並んだのは一つ年下の藤原星弥。 家が隣で、小さいころから姉弟みたいにして育った間柄。 だからこうして同じ高校に通うようになった今、こうして一緒に登校していたとしてもなんら不思議もない。 でも、私にはこの現状が大いに不都合だった。 「そういや、昨日賀茂先輩にあったぜ。相変わらずいっぱい取り巻き連れてんなー」 「そうね、きっと今日もさぞたくさん腰巾着を連れていらっしゃるでしょうよ」 「何だよ、お前賀茂先輩と仲悪いの?」 仲が悪いわけじゃない。 一方的に嫌われてるんですよ、あんたのせいで。 賀茂深散。何でも相当なお金持ちのお嬢様らしくって、彼女に媚を売る子は後を絶たない。 学校も、彼女の親に何かされるのが怖くて何も言えないらしいので、彼女は少女マンガとかに出てくる典型的嫌なお嬢様だ。 しかも彼女はこの、今まさに私の横にいる藤原星弥が好きと来たもんだ。 まぁ世間一般的に見れば星弥は見た目もいいし、頭も結構回るからね。モテても納得はいくけど、私にとっては弟程度にしか見れないんだよなぁ。 なのに、何を勘違いして妬いてるんだかあのお嬢様は…… それだもん、こんな風に並んで登校なんてしようものなら…… ああ、考えたくない。 昨日だってたまたま街でばったり会って、嫌味たらったら。 ああ、また考えたら胃が…… そんな嫌なことを考えていたからだろうか。 私は体調が悪いのも手伝って、少しぼんやりしていた。 「あっ! 椿! 前前!!」 「え?」 ドン。 私は正面を歩いていたのであろう人にぶつかって尻餅をついてしまった。 「お、おい!? 椿大丈夫か?」 「ったたた……あの、ごめんなさいぼーっとしてて……」 立っていたのはちょっと不思議な雰囲気の人だった。 おかっぱ頭の綺麗な子……女の子かとも思ったけど、うちの学校の男子の制服に、2年のネクタイ付けてる。 けど、同級生にこんな人いたっけ? それにしても綺麗な人だなぁ…… 「………」 「あの……怪我とかは」 「ついてるぞ」 「え?」 「お前、憑いてるぞ」 そう言って綺麗な顔の2年生は私のデコに指をくっつけた。 何か、そこの部分だけやけにあったかいのは人の指が触れてるからかな? 「臨…………」 ん? 何かぶつぶつ言って…… ってむああああああああああああああああ!? 何々!? 私の身体からなんか抜け出てる!? 魂抜かれる!? 殺される!? 「ご、ごごごごごごごごめんなさい! あの! ぶつかったことは謝ります!! だから殺さないでええええええええ!!」 「少し黙らんか!」 いてっ……!! 頭ひっぱたかれた…… な、何なのよこいつ! いきなり人の頭ひっぱたくことないじゃない!! 私がそうイライラしてると、目の前の変な2年生は私の中から抜け出たそのモヤっとしたものに向かってなんか紙切れを投げた。 「滅べ雑魚が」 そう言った瞬間、私の身体が急に軽くなった。 さっきまで具合が悪かったのが嘘みたいに…… 「あ、あれ?」 「ふん、珍しい奴もいたものだ」 「は?」 「朝もはよから鬼を背中に3匹も背負った女は初めて見たわ」 なに……言ってんの? 「信じられぬといった顔だな。まぁ無理もなかろう。どうせお前たちにとっては鬼は妖怪はただの浮世話にすぎぬのだろうからな」 言ってる意味が全然わかんない。 何こいつ。 でも、身体が軽くなったのは、さっきのモヤみたいのを抜いてくれたお陰? なら、少なくとも悪い人ではないのかな……? 「あ、あの!」 私は立ち去ろうとした2年生を呼び止めた。 2年生は不思議な顔をして振り返った。 「ありがとうございました!」 「………」 2年生は意外そうな顔をしていたが一瞬だけ、ほんの一瞬だけ笑ったような気がした。 「おい、椿……お前大丈夫か? さっきあいつに小突かれてたろ」 「うん、平気」 私は星弥に手を借りて立ち上がった。 でも、結局体調は回復したものの、星弥と一緒に登校したことによって私は久々の勉強机と最悪の対面をすることになってしまった。 教室に入った途端、私は正直帰ろうかと思った。 机の上が荒れすぎていて、片付けるのが面倒そうだったからだ。 確実に牛乳拭いたまま洗わず夏休み中熟成された恐ろしい匂いのしそうな雑巾をご丁寧に中途半端にぬらしたものやら、朝っぱらから買い食いした残りかすやら残飯、何かとにかくおどろおどろしいものが私の机の上に堂々と陳列されている。 ああ、もう……最悪だわ。 私はため息一つ付くと、掃除用具入れからゴミ袋を取り出して、机の上のゴミを片付け始めた。 何で朝からこんなことしなきゃなんないのよ…… 「あらやだ、ゴミがゴミを片付けてるわ」 「くすくす、いやねぇ。朝から臭うと思ったらゴミが登校してたからなのねぇ」 あー……もう聞き飽きた。 賀茂親衛隊の女子たちがこっちを見ながらわざと大きい声で言う。 周囲の子たちは困った顔をしながら見てみぬふり。 まぁ当然よね、この学校で賀茂深散に反発しようものなら私と同じ目にあうわけだし。 「あーら、清村さん。朝から腐敗臭の香水がお似合いだこと」 「……それはご丁寧にどうも」 「まったく、こんな腐った臭いの女と、どうして藤原くんは一緒に登校なんかするんでしょうね」 家が隣だからでしょ。 下手な嫉妬はみっともないのに、わかんないのかしらねこのお嬢様。 やっとゴミが片付いて、机を綺麗に拭き終わった頃には、もうホームルーム1分前だった。 チャイムと共に担任の光野先生が入ってくる。 私にとってはこの人すら敵でなくとも味方には感じない。 全部知ってて放任してるわけだしね。まぁ、いいけど。 「はい、それでは皆さん今日は転校生が来ています。どうぞ仲良くしてあげてくださいね」 教室内が一気にざわつく。 へぇ、転校生ね。高校って漫画とかみたいに転校生が来る印象ないんだけど、珍しいこともあるもんだなぁ。 「影井くん、どうぞ入って」 入ってきた転校生を見て、私は驚いてしまった。 それは今朝ぶつかった綺麗な2年生だった。 そうか、転校生だから顔を知らなかったんだ…… 「影井雅音です。どうぞよろしく」 ふぅん、影井さんか。 なんかくん付けで呼ぶ雰囲気の人ではないな。何でだろ? まぁどうでもいいか。 朝お礼は言ったし、今後は別に話しかける必要もない。このクラスで私に話しかけられるって結構迷惑な話だろうし。 私はそれ以降先生の話す影井さんの話を全く聞かずに曇天の空を見上げていた。 別に空が好きなわけじゃない。 ただ、窓際の一番後ろの席だから空が見やすいだけ。 ふと、後ろの席でがたっという音がした。 変だな、後ろは確か空席…… ああ、そうか空席だから影井さんの席になったわけか。 私は一人納得してそのまま振り返ることもせずに授業を受けた。 とはいえ、教科書はないに等しい。 まったくベタすぎる嫌がらせだ。テレビや漫画の見すぎなんじゃないかって思うほどに私の教科書には酷い落書きが施されている。 死ね。ゴミ。消えろ。ブス。などなど、ベタすぎて突っ込みようもないような言葉の数々が並んでいてとてもじゃないけど教科書に書かれてる文字なんか読めたもんじゃない。 ま、家に新品の予備テキスト買ってあるし、そっちで勉強はしてるからなんてことない。 先生の話をノートにまとめてれば、最悪の成績は免れることもできるから、さしてダメージが大きいわけじゃないけど、ムカつくと言えばムカつく。 こうして、転校生がいようがいまいが私には関係のない一日がすぎていく。 昼休み、賀茂のお嬢様に捕まらないようにそそくさと教室を抜け出して私は屋上に行く。 まぁ昼休みは賀茂のお嬢様も私を捕まえて嫌味を言っている暇はないらしい。何せ星弥を追っかけることに頭がいっぱいだろうし。 高校にいる間の唯一の癒しの時間。 「はぁ……」 でも、せっかく今朝体調が良くなったのに、またあのお嬢様の顔を見たら具合が悪くなってしまった。 正直食欲もない。 せっかく作ったお弁当を鞄に戻して私は雨の振りそうな空を見上げていた。 「ん、先客がいたか」 ふとドアが開く気配がした。 ここ、基本立ち入り禁止だから誰も入ってこないはずなんだけどな。 まぁ私はちょっと人には言えない方法で鍵開けて入ってきてるわけだけど。 「あれ、影井さん?」 「お前は確か今朝の……む?」 影井さんはふと私の顔を見た途端、また紙切れを私に向けて投げてきた。 それは私の顔面に張り付いたかと思うと、まるで火がついたように燃えて消えてしまった。でも、私自身はなんてことなく熱くない。 「ふん、印を切るまでもないな。それにしてもお前、本当に鬼に好かれる体質だな」 「へ?」 「また憑いてたぞ」 ああ、どうりで急にまた体調がよくなったわけだ。 ってことはまた影井さんに助けられたのね。 「何度もお手数をおかけしてごめんなさい。でも、ありがとうございます」 「構わん。手間にもならん小鬼だ。それよりも邪魔でなければ場所を借りるぞ」 「別にいいですけど、何でまたここへ?」 「やかましいのは好きではない」 少し変わった人だな、と私は思った。 変なお札投げて鬼は退治するし、何か口調も若干おっさんくさい。 ふと影井さんのほうを見ると、影井さんはコンビニかなんかで買った菓子パンを一個取り出していた。 私は思わず顔をしかめてしまった。 「何だ、パンは嫌いか」 「あ、いえ……どっちかって言うとコンビニのパンが嫌いです」 「ほう、何故?」 影井さんは少し興味深そうに言う。 「後ろの成分表示にショートニングとか、そういったものありません?」 「ある」 「それ、あんま食べ過ぎないほうがいいですよ。若いうちはいいですけどじいさんになったときに健康の害になることありますから」 「ほう……なら俺は真っ先にやばいかもしれんな。何せ朝昼はほとんどコンビニのパンを食ってるからな。そうでなければ食わんし」 「ダメですよそんな食生活してたら!」 思わず私は影井さんに詰め寄ってしまった。 いかんいかん……なまじ、大好きだったじいちゃんが偏食家すぎて身体壊して亡くなったトラウマを他人様に向けるとはいい迷惑だ。 でも、まぁ2度も助けてもらった恩もあるしなぁ。 「はい」 「ん?」 私は自分用のお弁当を影井さんに差し出した。 「あげます。今日2回も鬼やっつけてもらったお礼。お箸は割り箸なんで、遠慮なくどうぞ」 影井さんはお弁当と私を交互に見て、不思議そうな顔をした。 「お前、鬼を信じるのか? 俺を胡散臭いとか思わんのか」 「見えないから信じる信じないとかは分かりません。いないって証拠もなければいるって証拠もないじゃないですか。でも、影井さんが胡散臭いとは思いませんよ。助けてもらったときどっちも、体調よくなってますから」 「ほう……」 影井さんが私の言葉に、ほんのちょっとまた今朝みたいに笑った。 「面白い奴だなお前。そう言えば名を聞いていなかった」 「清村です。清村椿」 「清村か、覚えておこう」 影井さんはそう言ってお弁当の蓋を開けた。 その後お弁当を頬張る影井さんと私は会話することはなかった。 影井さんは転校生だから私がどういう立場にいるのか知らない。 知ればきっと離れていく。 分かってるから、これ以上影井さんを知ろうとも思わなかった。 でも、この影井さんとの出会いが、私の今度の人生すらも大きく変えてしまうなんて、私には想像もつかなかった。 |