第3話 呪詛
小鳩ちゃんがうちにきてしばらく日にちが経った。 影井さんの言うとおり、私は体が重苦しくなる日がなくなった。 小鳩ちゃんは驚いたように最初のうちは言っていた。 「椿様は本当に鬼を引寄せる何かをお持ちかもしれませんの。私も長年式鬼神をしてきましたが、こんなに鬼が魅力を感じる人間はあまり見たことがないですの」 「あんまり嬉しくないけどね……」 苦笑いを浮かべる私に小鳩ちゃんはガッツポーズを取って笑った。 「ご安心ください、椿様に寄ってくるうつけの鬼どもは私が全部退治しますのよ!」 「ふふ、ありがとね小鳩ちゃん」 「例え火の中水の中お風呂の中でもお守りしますの!」 「あ……お風呂はいい」 「どうしてですの!?」 「小鳩ちゃんは男の子だからね。お風呂の間だけは見ちゃダメよ」 小鳩ちゃんは不服そうに口を尖らせているが、小鳩ちゃんが意外と紳士なのは私も良く知っている。 「素敵な殿方は、女性のお風呂なんて覗かないものよね?」 人差し指でぷにぷにとほっぺを突くと、小鳩ちゃんは顔を真っ赤にした。 「あっ当たり前ですの! 小鳩は立派な紳士だから、椿様のお風呂は覗きませんの!」 「よろしい」 まぁ小鳩ちゃんが雌だったとしても、私は一緒にお風呂には入らなかったろうな。 影井さんに色々報告してるんだろうから、嫌なことの一つや二つある。 体調の面は小鳩ちゃんのお陰で改善されたけど、学校での私の扱いはあいも変わらずひどいものだった。 無邪気に星弥が私に絡んでくるから、嫌がらせは後を絶たない。 今朝は私の上履きの中に納豆が入っていた。 上履きに入ってるのが画鋲っていう定番を超えた瞬間だ。 画鋲ならお礼にマキビシでも撒いてやろうかと思ったけど、納豆の仕返しはさすがに思いつかない。 おくら……? とろろ? どうでもいいか…… ま、こんなこともあろうかといつも予備の上履きは持ってるっつーの。 とはいえ、納豆入りの上履きをそのままにもしておけず、いつものように校舎裏の水道で上履きを洗い始めた。 「ひどいですの! 本当に最近の方たちのすることは陰険極まりないですわ!」 「まぁまぁ小鳩ちゃん。いつものことじゃない」 私は怒る小鳩ちゃんをなだめながら上履きを洗った。 そんな時、私の携帯のコールが珍しく鳴った。 「はい、もしもし? あ、お母さん?」 『椿、久しぶり。学校前なのにごめんね。元気にしてる?』 「うん、お母さんは?」 『お父さん共々元気よ』 「そっかぁ、それはよかった」 『それでね、来月の頭に家に帰れそうなのよ』 「え!? ホント!」 『ええ、お土産買って行くから待っててね』 「うん!」 短い会話を終えたあと、私は上機嫌で上履きの水を切った。 「今のはお母様ですの?」 「そうだよ」 「そういえば椿様のご両親、見たことありませんの」 「それはそうだよ。大きな会社の重役やってて、色んな国を回ってるんだから。来月久々に帰ってくるんだって! 嬉しいなぁ」 「椿様、本当に嬉しそうですの」 「久しぶりに会えるからね。すごく楽しみだよ」 もうかれこれ両親に会うのは3ヶ月ぶりだ。 何か悪徳会社からの取引を強引に迫られてて、それを断るために二人は奔走しているらしい。 もしかしたら、何とかなりそうなのかな。 そんなことを考えていたときだった。 「……! あぐっ!!」 「椿様!?」 背中にものすごく熱い痛みが走った。 痛くて立っていられない……何なの!? 「これは……呪詛!? どうして突然……」 小鳩ちゃんは慌てて痛む背中をいつかのように触れてくれたけど、まったく効果がない。 むしろ痛みが増まして、身を切られるような全身の痛みに変わる。 「痛っ……いっ……」 「椿様! もうしばらくご辛抱を!」 とうとう蹲ってしまった私を見て、小鳩ちゃんはその名のとおり小さな鳩になってどこかへ飛び去っていった。 その間も痛みはどんどん増してく。 (だ……ダメ……痛い……痛いよ) 意識を失いそうになるくらいの痛みに耐えていると、突然誰かにお腹を触られ、肩から胸にかけて手を回しされて、きつく抱きしめられた。 な、何!? 「オンコロコロ、センダリ、マトウギ、ソワカ」 何だろう、甘い……コロンの匂いがする。 いい匂い……頭がぼーっとする…… 私は誰かに抱きしめられたまま、すっかり気を失ってしまった。 ********************************* 「う……うう……」 目が覚めると私は見覚のある、天井を見上げていた。 この部屋、私の部屋だ…… 「あ! 椿様!!」 「小鳩ちゃん……私……どうしたの?」 体を起こそうにも背中がまだ痛んでなかなか起き上がれない。 「無理をしてはいけませんの!」 小鳩ちゃんは私の背中を支えてくれた。 今はその気遣いがありがたい。 「まったく鬼の次は呪詛、一体どれだけの厄に憑かれとるのだお前は」 「え……かっ影井さん!? 何でうちにいるの!?」 「その反応は心外だのう。呪詛を解いてやったのが誰か、この状況なら言うまでもあるまいに」 「あ……」 影井さんがそばに来たとき、あの、後ろから抱きしめてくれた人と同じ甘いコロンの匂いが漂った。 ってことは…… なぜか、顔が熱くなってしまった。 だって、男の人に抱きしめられるなんて、お父さん以外は初めてだもの。 「なっ、あっ、あああありがとうございます」 「なんだ顔を赤くして。さては後ろから抱きしめられたと思っておるんか?」 「へ?」 影井さんは表情こそあんまり変わらないけど、呆れたように言った。 「あれは抱きしめたんではない。身固めじゃ。呪詛で魂が抜けそうになっとったからな。ああして抱き込むことでそれを防いどっただけだ」 「ああ……納得」 何かちょっと安心した。 っていうか、また影井さんに助けられたんだな……私。 「すみません影井さん。何度も何度も。しかも今、学校のはずなのに……私と同時に休んだりして大丈夫ですか?」 「なぁに俺の代わりがしっかり授業を受けとるから安心せい」 「へ?」 「雅音様は変化の得意な式神も持っておりますのよ。妖狐の変化は、同じ陰陽師でもそう見破れませんから、学校の方々ではお気づきになりませんの」 「そ、そうなんだ……」 なんていうか……なんでもござれなのね。 「しかし……呪詛となると色々話も変わってくるのう」 「え?」 「鬼はその辺にふらふらしてる下級のものが多かったから、お前の鬼を惹きつける何かに釣られて寄ってきておったと考えることが出来る。だが呪詛は人為的にやらねばかからんものだ」 「は、はぁ……」 よく、わかんないけど…… 人為的ってことは誰かに私が呪われてるってことかしら? 「しかしお前の場合、呪詛をかけそうなやつが多すぎて検討も付かんわ」 「ははは……敵が多いと苦労します」 「あまり、今回のことは笑い事ではないぞ」 「え?」 珍しい。鬼を小ばかにした態度ばかり取って、いつもはこういうときは余裕綽々なのに、今回の影井さんはひどく厳しい顔をしてる。 「お前にかかっていた呪詛は相当の手誰でなければかけられん代物だ。どこぞのうつけが遊び半分でかけたものとはわけが違う。小鳩が気が付かんくらいだからの」 「そんな……そこまで本気で何かしかけてくるとか……あ……」 私はそこまで考えて思わず言葉が止まってしまった。 人を疑うのはどうかと思うけど、あのお嬢様ならやりかねない。 だって、始業式の日に悪びれもなく私に"死ね"って言ってきたし…… 「思い当たる節があるようだの」 「ないことはないですけど……でもあんまり確証もないのに疑うことはしたくないです」 「どこまでも馬鹿正直なやつだ」 影井さんは心底呆れたように窓枠に腰掛けていた。 「お前が言わんでも俺のほうで検討がついてはおるがな……」 「え?」 「まぁ、色んなことが絡み合って一つの事象を起こすとすればなんら不思議ではないの」 何か、一人の世界に入っちゃった。 体をカーテンの内側に隠して、半端に開いたカーテンの向こうを見てるみたいだけど、なに……? 「ふむ……調べねばならんことも多いようじゃの」 「影井さん?」 「ん。何お前は心配せんでいい」 な、何か影井さんがそんな優しい言葉をかけてくると少し戸惑う…… 思わず私は、その妙な空気から逃げ出すために話題を逸らした。 「あの、私話をちゃんと聞いてなかったからあれなんですけど……影井さんって何でうちに転校してきたんです?」 「京都より両親の都合でこっちへ引っ越してきた。転勤の多い仕事をしているから、ここにも何ヶ月いるか、何年いるか分からないがよろしく、と言った感じの説明を教員はしておったな」 そう話していたけど、影井さんは鼻で笑って言った。 「が、教員の話なんぞ聞いていなくて正解だ」 「え?」 「全部嘘だからな」 「えええ!?」 一体この人、どんな理由で引っ越してきたんだよ…… あ、でも陰陽師ってくらいだから、そう言った仕事が関係してるのかな…… それにしても…… 私はずっと影井さんに抱いていた疑問を思わずぶつけてしまった。 「あの……影井さん?」 「なんだ」 「影井さんって、何歳?」 その質問に影井さんは目を見開いた。 うん、普通17歳ならそんな反応しないよね。やっぱり。 何かこの人、会ったときから同級生な気がしなかった。 精神年齢的なものなのかもとも思ったけど、絶対違う。 何で周りは気がつかないんだろ…… 「お前、なかなか鋭いのう。まさか、感づいておったから俺を"さん"付けしとるのか?」 「あー……無意識なんですけどね。何か影井さんって、年下の私とかに"くん"付けされたら、プライドが許さなくてぶっ飛ばしてきそうって言うか」 「くくく、お前なかなか勘の鋭い女だな」 影井さんは可笑しそうに笑うと、表情を戻して言った。 「お前の言うとおり、俺は今年で22だな」 「え……えええええ!? 5つも上なの!?」 「そこまで驚くこともなかろう……」 「いやいやいや、22歳が高校生のふりしちゃいけないでしょ!? 何でそんなことになってるのよ!?」 「うるさい奴じゃのう……実際は京都の大学に通っておるが、今は事情があってこうして高校に通っておるのだ。なに、教員たちには話は通っているから心配いらん」 「は、はぁ……」 何なんだ……影井さんのこと、知れば知るほど分からなくなってくる…… って言うか、そんなに年上だと逆に恐れいってしまう…… 大学4年生って就職活動とか卒論とか忙しくないのかな? あ、でも仕事は陰陽師っていうくらいだから、仕事には困らないのか…… 「何を難しい顔をしておるか。何だ、想像以上に年上でショックを受けたか?」 「あ、いえそんなことは……」 「くくく、心配するな。5つも年下の乳臭い女などに手は出さん」 「なっ……悪かったですね乳臭くて! 私だって5つも年上のおっさんなんか許容範囲外です!」 「なら、お互い安全牌ということだ」 影井さんはまた口元を吊り上げてそう言った。 安全牌って……どういうこと? 「何せお前が呪詛を受けるたびに身固めせねばならんからのう。身固めの度に顔を赤くされてはたまらん」 な…… な……… なあああああああああああああ!? 「ま、また私呪詛受けるんですか!?」 「その可能性は大きかろうな」 「何とかならないんですか……?」 「下手に結界を張ると陰陽師が傍にいると勘ぐられるからのう。辛いじゃろうが我慢せい」 「嫌ですよー……だってめっちゃあれ痛いんですよ?」 「わかっとるわ」 分かってて言ってるんですね、鬼め。 むしろ小鳩ちゃんなんかより、よっぽど影井さんのほうが鬼だ。 「でも、呪詛を解いちゃったら、やっぱり相手に気がつかれるんじゃないですか?」 「ああ、だからこそこの本を常にお前は携帯しておけ」 「え?」 "解説! 素人でも良く分かる陰陽術!!" ナニコレ…… 「覚えろと?」 「いや、持っておるだけでよい。素人が必死に頭を働かせて自分で呪詛をたまたま解いてしまったと思ってくれればそれでよいのだ」 「は、はぁ……」 何か、影井さんに会ってから私の学校生活はめくるめくものになってきてる気がする。 鬼に取り憑かれていたかと思えば、今度は鬼が守護について、安心したのもつかの間今度は呪詛だ。 何か、この先も災難は続きそうで、正直気持ちは滅入るばかりだった。 |