第22話 鶴の一声


     黒い人魂たちは、町中に降り注いできた。
     不気味な光の雨は、次々と現世に舞い降り、抵抗するすべを持たぬ人々に憑依していく。
     俺の演説を聞いた陰陽師たちが人魂を祓ってくれるよう、ただ願うしかなかった。

     しかし、現実とは得てして残酷なもの。

    「会長! 大変です、各地の陰陽師教会の支部長から連絡が入っております!」
    「……聞かせろ」

     協会の仕事の雑務を任せている男……新田は青い顔をして言った。

    「どの陰陽師たちもこの異常事態で、今は自分のことで手一杯だと……」
    「ふん……混乱に乗じて、若造への嫌がらせか。どこまでも……いや……むしろ俺の力不足だのう」

     確かに、あまり俺は陰陽師協会の会長として表に顔を出していない。
     仕事をしていないと思われても致し方ない話だ。

    「人々を守るより、自衛を選ぶということだな?」
    「……はい」

     俺はこんなところで自分の愚かさを知ることになる。
     普段からしっかり、陰陽師協会の会長としての威厳も発揮しておくべきだった。
     仕事を卒なくこなしておけば、認められているとのと勘違いしていた。
     人の心など、分からないものだ。

    「もうよい。放っておけ」
    「ですが!」
    「無理に説得をしている暇はない……今は協力してくれる者たちを信じるしかない。新田、お前も……無理をせんでよいのだぞ」

     新田はその瞬間、ぽかんと間の抜けた顔をした。
     しかし、首を左右に激しく振った。

    「い、いえ! 私は会長について参ります!」

     その言葉に、俺はほんの少しこの男が気の毒になってしまった。

    「お前は、土御門から派遣されたのであろう? 知らんわけではない」
    「!?」
    「知ってはおったが……お前は何だかんだ、こんな我儘でくせのある俺について、必死に働いてくれたからのう」
    「会長……」

     新田はぐっとこぶしを握ったまま俯いていたが、顔を上げて言った。

    「会長! 必ず私が何とかしてみせます! どうか信じてお待ちください!!」
    「おい! 新田!!」

     そのまま走り去る新田の背中を俺は見送ることしかできなかった。
     どうにかするといっても、どうするというのだ。
     全国の陰陽師の心を動かせるような手段は、簡単には転がっていない。

     傍らでは、賀茂と御木本が椿の元へ行く方法をああでもない、こうでもないと必死に探っている。

    「螢くん、この方法は?」
    「駄目、この方法だと確かに微妙にずれた次元にいける可能性もあるけど、まったく違う次元に飛んで戻れなくなるリスクのほうが高い」
    「くっ……」

     そうしている間にも、別次元にいる椿は土蜘蛛たちと刃を交え始めていた。しかし、大体が4対1だ……分が悪すぎる。
     だからこそ、俺も賀茂たちも焦っていた。

     まだ敵は面白がっているのか、本気を出していないようだった。
     それこそ、蝶が戯れられて逃げ惑っているようなものだ……
     むしろ、違和感を感じるほどに椿をもてあそんでいるようにも見受けられる。
     あれは……時間稼ぎ……? だとすれば何故土蜘蛛たちはそんなことを……?

     それにしても、この手詰まりの状況をどうにか打破しなくては……
     椿を一人で行かせてしまったのは俺の落ち度だ……
     くそ! くそ!!

     愛おしい女が、傷つけられるかもしれない、命を落とすかもしれないようなこの状況を、俺は指を咥えて見えいるしかできないというのか!!

     俺が強く拳を握ると同時に携帯が震えだした。

    「誰だ」
    『私です、新田です!』
    「……どうした」
    『やはり、あの方はあなたの親ですね』
    「どういう意味だ?」
    『私が説得するまでもなく、状況を読み、準備をされておりました。もうすぐ分かります』

     新田の言葉の直後だった。
     御木本のパソコンの画面が突然切り替わった。
     蘆屋家のテレビも、再びニュースから別の画面に切り替わる。
     そこに写っていたのは……

    「み、霙様!? どういうことですの?」

     賀茂も、陵牙たちも映し出された土御門当主の顔に驚いていた。
     手負いだというのにそれを感じさせないその姿は、流石というべきだ。

    『全国の陰陽師協会に所属する皆様、自己紹介の必要はないと思いますが、私は土御門家・現当主、土御門霙です。先ほど陰陽師協会の会長より説明があったように今、日本は未曾有の危機に立たされております』

     なんだ……一体どういうことだ?

    『我々土御門家・蘆屋家・賀茂家の陰陽師御三家は、陰陽師協会会長・影井雅音の指示のもと陰陽師の使命に従い、日本国民を守ることを表明いたします』
    「なっ!? 俺らそんな声明出してないで?」
    「影井様に協力してるんですから、霙様の言葉は間違ってませんわよ」
    「ま、まぁそらそうやけど……」

     俺は土御門当主がどうしてこんなことをしているのか、およそ理解が出来なかった。

    『もちろん、日本陰陽師協会に所属する全ての陰陽師の皆様が協力をしてくださることを私は強く望んでおります』

     ここで土御門当主の表情が急に変わった。
     ひゅっと目を細め、冷たく、そして厳しい、俺の良く知る"土御門当主"の顔に変わった。

    『強要はいたしません。ここからは皆様の意思にお任せします。けれど、もし陰陽師協会、そして御三家に逆らえば、二度と陰陽師として食べていくことは不可能と考えてください。我々に頼って信頼してくださる方々がいてこその陰陽師。それをないがしろにするような陰陽師は、日本に必要ありません』

     今までの土御門当主からは信じられない言葉だった。
     人など商品としか考えず、見下したような態度を取っていた土御門当主が、こんなことを言うのだから、驚くのは当然だ。

    『それでは、我ら御三家の意思は皆様に確かにお伝えしました。皆様のお心がどうぞ、我らと共にあることを祈っております』

     それを最後に、土御門当主の行ったメディアハックは終了した。

    「まっちゃん……」
    「ああ……御木本、全国の陰陽師協会支部長にメールで連絡を。動きを把握してくれ。出来れば分析も頼む」
    「はい!」

     ものの数分で、各支部から御木本にメールが届いた。
     御木本はプログラムを利用して、メールの届いていない支部がないかをチェックした。

    「雅音様、支部にお願いして、従うものと従うもので個別に記号を入力してもらってプログラムで識別したんですけど……」

     御木本は、パソコンの画面をこちらに向けて笑った。

    「全支部、陰陽師協会に従うとのことです」
    「……そうか」

     少し悔しい思いに駆られた。
     俺の言葉聞かなくても、やはり土御門当主の言葉は偉大……
     立った一声で日本を動かしてしまった。

     鶴の一声とはまさにこのことだ。

    「まぁ最後のあの言葉聞いちゃったら、誰でも従いたくなりますわ。あれ、半分脅迫ですわよ?」
    「意志に任せると言いながらも有無を言わせない、か。普段なら横暴に感じますが、今はこれほど心強いことはありませんね」
    「はは、都合のいい話やけどな」

     陵牙たちは、土御門当主の言葉に思い思いに言葉を発していた。

     ――ピリリリリッ!!

     俺の隣に立っていた天音の携帯が、突然けたたましく鳴り出した。
     天音はその電話の相手を確認すると、すぐに応答した。

    「はい、天音です。ええ、見ました。はい、はい……分かりました、お待ちください」

     天音は俺のほうを向くと携帯を差し出した。
     俺はディスプレイに「通話」と表示された携帯を見て首を傾げた。

    「はい……」
    『雅音さんですね?』
    「……ええ」
    『先ほどの会見の通りです。我々はあなたに従いましょう』
    「何故です?」

     今まで、俺の意見など一度も聞かなかった土御門当主の変わり様に戸惑い、疑っていた。

    『あなたが私を屈服させたのでしょう?』
    「……それは」
    『私は負けました。あなたの思いに、ね』
    「………」

     確かに、屈服させるつもりであの戦いに挑んだのは俺だ。
     だがここまであっさり従属されてしまうと、逆に拍子抜けする思いだった。

    『それに、私自身の判断ミスで、私は土蜘蛛たちの手の内で踊らされていた。情けない話です』
    「それは俺とて同じ話です……」
    『ふふ、親子そろって土蜘蛛に踊らされているとはね』

     土御門当主は失笑したように言った。
     しかし、少しだけ間を置くと続けた。

    『雅音さん。彼女を必ず……もう一度私のところへ連れてきてください』
    「彼女……?」
    『あなたの婚約者よ』
    「椿を?」
    『あなたが私を打ち倒すほどに愛している彼女と、きちんと話がしてみたい……いろいろ、お詫びもしなくてはいけませんしね』

     土御門当主の声は少しだけ柔らかくなった。

    『今までのことを許してくれとは言いません。けれど、私は……あなたの事も天音のことも大事に……いえ、大事にしすぎたのですね。いい加減子離れのときなのかもしれません』
    「………」
    『あなたには土御門当主になって苦労しないようにきちんとレールを敷いてやるつもりでした。そして、天音には構ってやれない分、出来るだけ自由な生活をと……ですが、なんでも極端にすればいいという話ではないということですね……』

     俺はその言葉に何もいえないまま黙っていた。

    『いつか、あなたにまた母と呼んでもらえる日が来るまで、私も努力しましょう……それでは』

     土御門当主はそのまま電話を切ろうとしていた。

    「お待ちください!」
    『……?』
    「このたびの件……ご助力感謝します……」
    『雅音さん……』
    「まだ、あなたを母と呼ぶことは俺にはできません。けれど……溝を埋めたいとは……思っています」
    『ありがとう……』

     俺は少しだけ胸のつかえが取れたような気がした。

    「霙殿……少しお知恵をお借りしたい」
    『……?』
    「安部晴明と並ぶ霊力と知識をお持ちのあなただ。鬼門へ行く方法もお分かりでは?」
    『……そうですね。あなたには彼女を救って欲しいと思います。でも、残念ながらあそこに行くには、人の力では難しいでしょう』
    「なっ!?」

     俺は携帯を強く握った。
     しかし、俺の声に、土御門当主はなだめるようにいった。

    『ですがあなたには力があるはずです』
    「力……」
    『思いの力、神の力……後はあなたたちがどれだけ彼女を強く思うかが鍵』
    「影井様!!」
    「!?」

     賀茂に呼ばれて俺は空を見上げた。

    「椿!!」

     見れば椿は血だらけになりながら土蜘蛛たちと必死に戦っていた。
     倒されても、倒されても、何度も立ち上がり、しかしとうとう追い詰められてしまったようだった。

    「早く、早く椿を助けなくては!!」
    「分かっておる!! だが……!!」

     俺たちは椿の様子をただ、見上げて焦ることしかできていなかった。
     土御門当主の言っている言葉の意味をもっと早く理解していれば、椿をあんなにも苦しめずにすんだものを……

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