第2話 転校生は陰陽師


     時計を見るともう昼休み終了10分前だった。
     私は大きくため息をつき、鞄を肩にかけ、立ち上がる。

    「なんだ、もう行くのか?」
    「そりゃ午前中の始業式やらホームルームが終われば、午後の1コマは普通に授業ですし……ここ、一応進学校ですよ?」
    「ふむ、お前よくこの状況でくそ真面目に授業に出る気になれるな」
    「へ?」

     影井さんは教科書を差し出して言った。

    「こんな読めもしない教科書を広げて、授業を受けても仕方なかろう」
    「あ……! それ私の!」
    「ゴミ箱に捨て損ねて床に落ちていたのを拾った」
    「ああ、なるほど」

     影井さん、私のクラスでの立場、これ見て気がつかなかったのかな……?
     それとも知ってて一緒に屋上でご飯食べてたの?

     そんなことを考えつつも、私は教科書を広げて、呆れたように言う。

    「別に、ノートだけ取れれば構いませんし。こんな程度の低い行動にいちいちしょげてられません」
    「ほう。だが、少しは気にしてるんだろう?」
    「してません」

     きっぱり言う私に、影井さんはほんのちょっとだけ驚いたような顔をしたけど、すぐに興味深げに口元を吊り上げた。
     この人、ホントあんまり表情変わんないな……
     クールというかなんと言うか……
     ここまでくると、ほとんど能面だ。

    「普通ならめげてもよさそうなものだがの」
    「めげたら悪いこともしてないのに、あいつらの言いがかりやら誤解を認めることになりますから」
    「どこまでも面白い奴だな」

     影井さんはそう言って立ち上がった。

    「あ、お弁当箱いいですよ。持って帰ります」
    「そうか? 悪いな」

     お弁当箱を受け取ろうとすると、ふとその蓋の上に白い花が置かれた。
     白い……椿の花?

    「弁当の礼だ。たいしたものではないし、今時花をもらって喜ぶ女がいるとは思えんが」
    「あ……いえ」

     私はお弁当箱と椿の花を受け取った。
     その椿の花はすごく大輪の綺麗な花を咲かせていた。
     何だか、見てると妙に心があったかくなって、嬉しくなった。

    「影井さん!」

     私に既に背を向けていた影井さんを私は呼び止めた。

    「ありがとうございます」

     影井さんは一瞬だけ振り向くと、再び背を向けて、軽く手を上げるとそのまま屋上を後にしていた。

     白い椿の花はとても綺麗だった。
     私の名前が椿だから……とかじゃないか。多分偶然かな。
     しかし、こんなの何処から出したんだろう……?
     つくづく不思議な人だなと私は思った。

    「よー椿! 昼の帰りか?」

     明朗な声に私は嫌な予感を隠せない。
     そこには幼馴染の星弥が立っていた。

    「そうよ。あんたは?」
    「ん、俺も昼の帰り。学食のAランチゲットだぜ! すごくね?」
    「競争率高いのによく食べられたわねー」
    「へっへ、聞いて驚け! 賀茂先輩がおごってくれたのだ」
    「あ、ああ……納得」

     私はその瞬間、嫌な視線を背に感じゆっくりと振り向いた。
     そこには般若のようなおっかない表情で立っている賀茂のお嬢様の姿があった。
     うわー……またあらぬ誤解をしていそうだ。

    「あー……星弥、悪いけど授業の準備があるから」
    「ん? そうか、じゃなー」

     無邪気に手なんか振っちゃって。
     何も知らないから、仕方ないけど……ね。

     私は大きくため息をつき、席に戻った。
     そこで私はまた嫌な文字を黒板で目にする。

    『東城出張につき本日自習 テキストP.230〜P.250までの練習問題を解いておくこと』

     うあ……このパターン……

    「清村さん」

     来たよ。この声はどう考えてもお嬢様だ。
     声のほうを向いた瞬間、私は椅子を蹴り飛ばされて後ろに倒れる。

     「あら、ごめんなさい? ちょっと足をひっかけてしまいましたの」

     茶色く染めた髪、ふわふわにかけたパーマ。
     見た目は出来のいい人形みたいなのに、性格は最悪だわね。

    「なぁに? じっと見ないでくださる? 腐ってしまいますわ」
    「見られたくないなら、近寄らなければいいじゃない」
    「私に口答えするの?」

     今度は転がった椅子を蹴りつけられる。
     ぶつかった場所がじんっと痛んだ。

    「まったく、私の気持ちを知っていながら藤原くんに近づくなんていい度胸してるわね」
    「星弥は幼馴染だって何度言ったら分かんのよ」
    「また藤原くんを呼び捨てにして! 分からないのかしら? 私ですら名前を呼べないのに、幼馴染ごときが名前を呼び捨てにするなんて許されることじゃないのよ!」

     どういう理屈だよ……世界はお前中心に回ってんのかっつーの。

    「あーはいはい。じゃあ、あんたは私が星弥を藤原くんって呼べば満足なの?」
    「死んで」
    「は?」
    「私を満足させたいなら、死んで頂戴」

     無茶苦茶言ってくれるわね……
     どんな教育受けたらこんな発言ができる人間が生まれるのよ。

    「残念だけど、あんたのために死んでやれるような安っぽい命は持ち合わせてないの」
    「あら、そうなの? じゃあ、自殺は諦めますわ」
    「は?」

     お嬢様が笑うと、クラスの男子の一人……完全にお嬢様に金で買われたような、中途半端なヤンキーかぶれの調子っくれが私の腹を蹴り飛ばした。
     さ……流石に男子の蹴りは……こたえる。

    「男が女蹴り飛ばすなんて……ホント腐ってるわね……」

     その言葉に激昂した男子は、私を更に上から踏みつけ、その後も酷い暴力が続いたけど、ふと男子の「いてっ!」という声でその攻撃が止んだ。

    「だ、誰だ俺に本投げつけやがったのは!」

     クラスの誰もがざわめいたが、本を投げた張本人は見つからなかった。
     みんな見てみぬふりをして目を背けていたからっていうわけ?
     普通こんだけ人がいたら、誰かしら投げた奴みてるでしょ……
     しかもこの本、クラス共有の辞書……本棚のやつじゃない。

    「こらー! うるさいぞ7組!」

     騒ぎを聞きつけた学年主任が面倒くさそうに教室に入ってきた。
     結局この時間は先生がいてくれたお陰でそれ以上暴力が続くことはなかったけど……徐々にエスカレートするなこの嫌がらせ……

     授業時間が終わると、私は転んだときに出来た擦り傷を洗うためにわざわざ学校の校舎裏まで移動した。
     学内で傷を洗っていればまたお嬢様に捕まるだろう。
     面倒なことこの上ない。

    「まったく、あそこまでされても言い返せる根性にはほとほと感心するわ」
    「え? か、影井さん?」

     そこには腕を組んで壁にもたれかかる影井さんの姿があった。

    「別に……本当のこと言っただけです」
    「真実を口にすることは嘘を吐くより勇気のいることだ」
    「はぁ……そんなもんですかねぇ」

     私が傷口をごしごし洗っていると、影井さんは興味深そうに笑っている。
     こっちは笑い事じゃないんだっつーの。

    「すまんすまん、そんな顔をするな」

     そう言うと影井さんは一枚のお札を取り出した。

    「小鳩。こいつの傷を治してやれ」
    「はいです!」

     え……?
     うええええええええええええ!?

     札から小さい女の子出てきたああああああああ!?

    「そう驚かずともよい。これは小鳩、俺の式鬼神だ」
    「式鬼神……? ってあの陰陽師がよく使うあれですか?」
    「ああ、それで間違いない」

     あー……いよいよ非現実的なものが見えるようになっちゃったよ……
     気にしないようにしてても、精神的に来てるのか、さっき殴られたときに頭でも打ったのかな。
     病院、行ったほうがいいのかしら。

    「失礼しますですよ」

     小鳩と呼ばれる小さい女の子は私のお腹や傷口に触れてくれる。
     触れてくれるたびに、その場所の痛みが和らいでいった。

    「酷いですわね。全力で蹴り飛ばしてますの! 殿方がこんなことをしてはいけませんわ!」

     小鳩ちゃんはプンプンと怒りながら私の傷口を治してくれた。
     影井さんみたいなおかっぱ頭の髪の中から、皮膚の盛り上がったようなものが見えた。
     これ、角……?

    「言っただろう、小鳩は式鬼神。鬼を封じて従属させたものだ」
    「お、鬼!? でも、姿が見えますよ……?」
    「わざわざお前に見えるように召喚しておるのだ」
    「は、はぁ」

     とりあえず、小鳩ちゃんは私の体の痛むところを全て治してくれた。
     不思議で、驚きで、非現実的だけど、でも感謝しなきゃいけないことだ。

    「小鳩ちゃん、ありがとう」
    「いえいえです! もう、痛む場所はありませんか?」
    「うん、おかげさまで」
    「よかったです」

     私は小鳩ちゃんの頭を撫でながら、その様子を見ていた影井さんを見た。
     相変わらず表情はあんまりないけど、口元がつりあがってるから笑ってるのかな?

    「影井さんも、ありがとう」
    「気にすることはない。小鳩を呼ぶのにたいした霊力は使わんからな」
    「っていうか影井さん。お札で鬼退治したり、式鬼神呼び出したり……もしかして、職業陰陽師って言わないですよね?」
    「いや? 俺は陰陽師で間違いないぞ」

     うはぁ……
     陰陽師なんて映画とかテレビでしか見たことないよ。
     しかもあんなお札飛ばしたり式神呼んだりしたのなんて実際、当たり前だけど目の当たりにしたことないし。

    「うむぅ……陰陽師と聞くと若干胡散臭い」
    「なんだ? お前は俺を胡散臭いと思わんと言っていたはずだが」
    「まさか鬼退治代とか傷の治療費を高額に請求する気じゃないでしょうね?」

     その言葉に、影井さんは思わずなんだろう。
     でも、珍しく表情を崩して噴出した。

    「お前、陰陽師としての力を胡散臭く感じるのではなくてそっちを疑っておったのか」
    「え? ええ……だって、実際小鳩ちゃんとか見えてますし……」
    「今まで俺の陰陽術を見た奴らはみんな手品だなんだ言って信じんかったのに、面白い奴よのう」

     影井さんが笑っているのを見て、小鳩ちゃんは笑顔で言った。

    「雅音様が笑っているのを久しぶりにみましたの。椿様は面白い方ですわね。先ほどお助けして正解でしたわ」
    「え?」
    「僭越ながら、私先ほど雅音様の命も受けずに貴女様をお助けしてしまいましたの。ちょっと大きなご本をあの殿方に投げつけてやりましたわ!」
    「あー……えーっと……もしかして、本を投げつけた奴の正体が分からなかったのは……」

     すっかりもとの能面表情に戻った影井さんは、呆れたように言った。

    「ああ。勝手にキレたこいつがやった」

     見れば小鳩ちゃんはふんっと鼻を鳴らして言う。

    「最近の殿方はどうかしています! 平気でご婦人方に手を上げる人が増えているそうじゃないですか! 小鳩はそういう人が一番嫌いなんです!」
    「まぁそう怒るな。時代の流れじゃ」
    「小鳩ちゃんはいつの時代の男の人の話をしてるのかしら……」
    「小鳩は平安時代に俺の先祖が封じた鬼だからな。あの時代はあの時代で、現代人には信じられんような風習があったろうが」
    「一夫多妻制って言うのは正式じゃないですけど、まぁ妾オッケーでしたしね」
    「で、でも! 女性に暴力はよくないです」

     困ったようにいう小鳩ちゃんはやけに可愛い。

    「それにしても小鳩って、可愛い名前ね。鬼じゃないみたい」
    「その名は偽りだ。真名を呼んでしまったら、大変なことになるからのう」
    「へ?」
    「言ったであろう。小鳩は強い鬼を封じて従属させた式鬼神。当然、封じるだけの原因があったのだ。だから必要なとき以外は、こうして偽りの名を呼んで力を制御しておる。この姿なら霊力も対して食わんが、真名を呼んだときの小鳩は……やばいぞ?」
    「ぜひ、呼ぶ機会がないことを祈ります」

     私が青い顔をしていると、小鳩ちゃんは私の足にぎゅっと抱きつき言った。

    「大丈夫ですわよ椿様。真名を呼ばれて小鳩がガオーッな大鬼になっても、椿様は食べないようにしますから」
    「あ、う、うん。そうしてもらえるとありがたい」
    「くくく、お前本当に鬼に良く好かれる体質のようじゃのう」
    「あんまり……嬉しくないけど……小鳩ちゃんみたいな可愛い鬼だったら大歓迎かな」

     私が小鳩ちゃんの頭をもう一度撫でると、影井さんは興味深そうに言った。

    「鬼と知っても恐れんのかお前は。まこと興味深いの」
    「人を珍獣みたいに言わないで下さい」
    「すまんすまん。そうだな、小鳩」
    「はいです?」
    「清村と仮契約をしてみるか?」
    「仮……契約?」
    「何簡単なことだ。お前の守護に小鳩をつけるのよ。朝のような雑魚鬼からお前を守ってくれるぞ」
    「え? いやそれはすごくありがたいけど、そしたら影井さんの式鬼神いなくなっちゃうじゃないですか」

     すると、影井さんは心外だったのか、不機嫌そうな顔になってしまった。

    「式鬼神を一匹しか連れられぬほど俺は低級の陰陽師ではないわ。なに、小鳩級の式神ならあと2匹はおる。それ以下のも腐るほどな」
    「それってすごいの?」
    「はいです。式神のバリエーションは陰陽師の実力みたいなものですから。特に鬼を式とするものを式鬼神というのですが、それを複数持てるというのは陰陽師の中でも相当な実力者のみですわ」
    「おー……何だか知らないけど、すごいのね」

     納得すると、影井さんは突然私の手を掴み……
     ちょ!? 親指の爪で躊躇なく私の指に傷をつけて出血させた。

    「いたっ……!」
    「我慢せい。仮契約には契約者の血が必要だ」

     私の人差し指からどくどく流れる血で、影井さんは一枚のお札に大きく"小鳩"と書いた。
     血文字って、想像以上に気持ち悪いわね……

    「面倒だな。呪文は省く」

     いいのかっ!? それで!!
     そんな私の心配をよそに、血文字のお札は桃色の光を放って私の手の中に戻ってきた。

    「仮契約完了だ。だが一つ言っておく。絶対その札を無くすなよ。破いたりしてもいかん。それはお前と小鳩を結ぶ唯一の証だ。それがなくなれば小鳩は俺のところに帰ってきてしまうからな」
    「は……はぁ……気をつけます」

     私はそのお札を大事に鞄にしまった。

    「では椿様、どうぞよろしくお願いしますの!」
    「ええ、よろしくね小鳩ちゃん」

     小鳩ちゃんは、お札と一緒に鞄の中にすっぽり入ってしまった。
     何か、無駄に可愛い。

    「それにしても、どうしてよくしてくれるんです? 私と二人で居るところなんか見られたら、影井さんも危ないですよ?」
    「なに、お前に興味があるだけよ」

     一瞬、どきっとしてしまった。
     そんな言葉言われたことがない。
     でも、その甘く聞こえたその言葉が誤解だとすぐに私は知ることになる。

    「鬼に好かれる体質の女がいるなら、研究のしがいがあるからの。小鳩にどれだけの鬼が寄ってきたか逐一報告してもらうことにしよう」
    「ああ……納得」

     私は苦笑いを浮かべて、でも、これから鬼に引っ付かれて体調が悪くなることが少ないならいいかとも思った。
     だから、素直に影井さんに頭を下げる。

    「影井さん、たびたびありがとうございます」
    「気にするな。だが、その代わり」

     影井さんは妙に真剣な眼差しで言った。

    「俺が陰陽師であることは誰にも口外するな。いいな?」
    「え? あ、は、はい……別に話す人もいないし……」
    「これは約束だ。もし破れば……小鳩にお前を食わせる」

     なっ……
     なっ………
     なあああああああ!?

     親切かと思えば陰陽師だってことバラしたら殺すって!?
     どんだけ物騒なのよこの男!!

    「まぁ、誰にも言わなければ小鳩は無害なものだ。お前にしか見えんしの」
    「そ、そうですか……」

     影井さんは「くくくっ……」と可笑しそうに笑って私に背を向けた。

    「清村、お前は俺を楽しませてくれる要素を随分豊富に持っておるようだ。期待を裏切ってくれるなよ」
    「は、はぁ……」

     勝手に期待して、勝手に絶望しないでくれるよう祈るしかない。
     去ろうとする影井さんは、最後にとんでもない言葉を言い残していった。

    「ああ、ちなみに見た目に騙されているようだが、小鳩は雄だぞ」
    「へ……? うぇえええええええええええええええええ!?」

     こうして、私と影井さんと小鳩ちゃんの、奇妙が学校生活が幕を開けるのだった。
    前へ TOP 創作物 目次 次へ


    拍手をいただけると、管理人が有頂天になって頑張る確率がアップします。

    ↑ランキングに参加しています。作品を少しでも気に入っていただけた、先が気になるときはクリックお願いいたします!

目次

inserted by FC2 system