第5話 深散の憂鬱
星弥くんはずいぶん元気をなくしていた。 それもそうだろう、一般人にとっているかいないかも証明できない、伝説レベルの非科学的な存在に取り憑かれたと言われれば無理も無い。 昨日だけで星弥くんはずいぶん怖い思いをした。 そしてこれからどれほどの頻度で続くかも分からない。 「星弥くん、ご飯ですって。いきましょう?」 「すんません……ちょっと食欲ないっす……」 「星弥くん……」 膝を抱えて部屋の隅でうずくまる星弥くんが妙に小さく見えた。 私は星弥くんの隣に座って、そっと彼の肩に触れる。 「そんなことでは、倒れてしまいますわよ。一口でもいいから食べましょう? 椿が作ってくれたご飯ですもの、不味いはずありませんわ」 「……はい」 意外と素直に私の言葉を聞いてくれたことには安堵した。 でも、やっぱり元気が無いことに変わりは無くて、私は星弥くんの背中をやるせない気持ちで眺めていた。 「おはよう、星弥。よく眠れた?」 「え? あ、ああ……おかげさまで」 社交辞令だろう、星弥くんは目の下にくまを作った状態の作り笑いで言った。 エプロン姿の椿は、キッチンからてきぱき料理を運んできた。 影井様はパソコン前でトーストをかじりながらキーボードを叩き続けていた。 あまりパソコンを使わない私からしたら、影井様のタイピングの早さは目を見張るものがある。 陰陽師といっても現代の技術が使えなくては駄目ということなのかもしれない。 「雅音さんは作業しながら食べるって言うから、気にしないで食べて」 「ありがとう椿。私も手伝えばよかったんですけれど」 「いいのいいの。深散は星弥のそばにいてあげて」 そう笑顔でいう椿が作る料理はすごく美味しかった。 私はあまり料理が得意じゃないからすごく羨ましい。 ううん、得意不得意以前の問題かもしれない。 自分で今まで作る機会がなかったから、全くといっていいほど料理は作れない。 今の生活になって泣く泣く作っているような料理のせいか、あまり美味しいと感じることはなかった。 「ん……なんでっすかね。この味なんか懐かしい気がする」 「え?」 星弥くんは、椿が作ったスクランブルエッグを食べながら驚いたように言った。 そうか、星弥くんは椿と幼馴染。 一度や二度じゃないくらい椿の料理は食べてるんだろう。 「何でだろう。お袋の飯と全然違うのに、懐かしい味がする」 星弥くんはそう言いながらどんどんご飯をほお張った。 そして食べながらほろほろと涙を流していた。 「ちょ、ちょっと星弥!?」 「す……すんません……涙止まんなくて……うっ……うう」 「そんな、なくほどのご飯じゃないでしょ? ほら、涙拭きなさい」 時々、今でも妬けてくることがある。 星弥くんの心の中にはまだ椿がいる。 それは、幼馴染だからしょうがないことではあっても、私は心のどこかで寂しさを感じていた。 星弥くんの記憶がもし戻ることがあれば、私を選んでくれるのだろうか。努力はしているつもりだけれど、あれだけ椿のことが好きだった星弥くんは私を見てなんかくれないんじゃないかって、不安ばっかりが積もっていく。 「椿。少し出かけるぞ」 「え? い、今!?」 「そうだ、急ぎだ。行くぞ」 「は、はい!」 影井様は星弥くんの涙に何かを感じたのか、作業の途中だというのに席を立ってしまった。 「賀茂、スペアキーはキッチンのカウンターの上においてある。出かけたければ出かけて構わんが、もうすぐ陵牙が来るから必ず一緒にいくことだ」 「分かりましたわ」 私は二人の背中を見送りながら、ほんの少しだけ影井様の行動の意味が分かってしまった気がした。 多分だけれど、あの方も私と同じ。 きっとやきもちを妬いていらっしゃるのね。 出かけなくてはいけないのは間違いないと思うけれど、今すぐに行かなくてはいけないようなことには私には思えなかった。 影井様の中でも、私と同じような不安があるのかしら……? 星弥くんの記憶が戻ってしまったら、椿が取られてしまうのではないか、とか。 あれほど影井様を愛している椿に限ってないとは思っても、それに100%の保障はない。 人間というのは不便な生き物ですわね……満たされていても不安が次から次へと湧いて出てくるのですから。 あの方のふとした行動から少しずつあの方がどんな方なのか分かってきた気がした。 相当のやきもち妬きで、独占欲が強くて、ヘタレ。 とはいえ、ヘタレなのは男として椿に接する影井様であって、陰陽師としての影井様は正直恐ろしいほどに才能にあふれている。 なぜ改めてそう思ったのかは、パソコンのワープロソフトにずらりと並んだ文字を読んだからだ。 読んでは悪いかとも思ったけれど、ここに広げたまま行ってしまったのだから文句は言えないだろう。 それに、読んでから、見てはいけない内容ではないということがすぐに分かった。 "賀茂、これに目を通しておけ" ワープロソフトの最後に私が見ることを想定したような文字が並んでいた。私は星弥くんに断りを入れて、影井様がまとめた清姫についてのレポートに目を通した。 「すごい……」 私は思わず口から言葉が出てしまった。 影井様は、どこから仕入れた情報なのか、大々的な清姫の伝説から、ローカルな清姫の目撃情報まで、分かりやすくまとめていた。 「清姫……その後は白拍子となりて鐘に呪いをかける……これは有名な娘道成寺の話ですわね……」 興味深い内容が多々ある中、私はあるわらべ歌に目を引かれた。 「道成寺のわらべ歌には失われた三番がある。なぜ失われたかは不明。ただ、悲しい偶然としか言いようが無い……失われた三番?」 でも、その先どんなに三番の歌詞を探しても、影井様のレポートには道成寺のわらべ歌の三番は出てこなかった。 失われたということは、もう三番を見つけることは不可能ということだろうか。 そんなことを考えていたら、家のインターホンが鳴った。 さすが、影井様の家のインターホンにはカメラがついていて、相手が誰かすぐに確認できた。 相手はアッシーと蒐くんだった。 一応警戒して、相手が物の怪が化けたものではないか霊力の流れを調べてみたけれど、それは間違いなくアッシー兄弟だった。 「いらっしゃい。今影井様と椿は留守ですわよ」 「えー! 椿ちゃんに会えるん楽しみにしてたんに……」 「出迎えたのが私で悪かったわね。早くおあがりになったら?」 アッシーは私の言葉に口を尖らせて部屋に上がった。 正直、椿は驚くほどにモテる。 アッシーが椿を特別な感情で見てるのは間違いない。 それくらいは私にも分かっていた。 ま、アッシーのことだから、椿が幸せなら自分は見ているだけでいい、そんな考えなんだろう。 なんか、聖人みたいね、信じられない。 でも、それがアッシーなのだから仕方ない。 「よーせいやん、元気かー?」 「あ、りょーさん、こんちゃーっす」 またアッシーの人と馴染む速度の速さには感嘆するしかない。 蘆屋家の当主は本当にすごいですわね。 それに引き換え私は…… 「深散先輩、清姫の件、母上からも喜んで協力するとの返事を受けましたよ」 「十六夜様が!?」 「ええ。ぜひ彼の状況が見たいとのことです」 「心強いですわ。じゃあ、雅音様が戻ったら向かいましょう」 「そうですね。それまでは待機しましょう」 蒐くんとそんな話をしている間、星弥くんはアッシーと楽しそうに話していた。 私は、もしかしたらアッシー以下なのかもしれませんわね。 この状況の中で、星弥くんを笑顔にすることすらできてない…… 暗い気持ちになっていたら、突然私のポケットの携帯が震えだした。 ディスプレイを見れば、それはお父様からだった。 「はい、深散です」 『おお繋がってよかった。影井殿から話は聞いている。清姫に今関わっているのだな?』 「え、ええ……」 『いいか深散。清姫は今のお前では到底適う相手ではない。困ったらすぐに本家に顔を出しなさい』 「お父様……本家に帰ってもよろしいんですの?」 『和葉はぶーたれておるが、気にすることはない。お前は賀茂家の大事な娘だ。胸を張って帰ってくればいい。何かあったら母さんに言いなさい』 「ありがとう、お父様」 私は小さくため息をついた。 やはりお兄様は私が帰ってくるのを嫌がっているのね。 お兄様に気を使って、単身赴任のお父様に無理矢理ついていったけれど、あんな事件を起こしてしまって、ますますお兄様の神経を逆なでしてしまった。 あまり、実家には帰りたくない…… 私は痛くないはずの体のいたる場所が突然痛く感じた。 「深散先輩? どうしたんすか、顔色悪いっすよ?」 「え? あ、いえなんでもありませんわ」 私は思わず遠い過去を思い出してしまった。 アッシーの家の兄弟仲を見てしまうと、どうして私の家がこんな風になってしまったのか考えずにはいられない。 もしかしたら、私が何でも人のせいにするようになったのも、お兄様との関係が起因しているんじゃないだろうかと思えてくる。 これすら、原因をお兄様のせいにしているような気がして気が引ける。 けれど、理由の一つになっているのは間違いない気がした。 もし、私が家族との関係を今とは違うものに出来たなら、星弥くんにもっと違う接し方ができるだろうか。 自分に自信が持てないまま、私は星弥くんとの距離までますます離れてしまいそうで怖かった。 |