第2話 蘆屋家の事情
「冥牙は俺より2つ年上の蘆屋家の長男だ」 雅音さんは、青い顔をしてソファに座ったと思うとゆっくりと口を開いた。 私は、その雅音さんの様子を見て、ただ事じゃないことだけは判断できた。 「アッシーにお兄さん、いたんだ……あれ、でもそれならどうしてアッシーが29代目蘆屋道満なの? 普通は長男が継ぐものじゃない、そういうのって」 「陰陽師の家系は基本、生まれた順番で家柄を継ぐことはない。より、実力を持った者が本家の血筋を繋いでいく」 「じゃあ、その冥牙さんよりアッシーのほうが才能があったってこと?」 「いや……」 雅音さんは苦い表情で首を横に振った。 「そこまで大きな力の差があれば、きっと冥牙の奴も思いつめんかったかもしれんのう」 「え?」 「奴と陵牙では、実力はほとんど変わらんかった。どちらが蘆屋家を継いでもおかしくないほどにな」 「でも、結局当主はアッシーになったのよね?」 雅音さんは私の言葉に小さく頷いた。 「冥牙はある事件をきっかけに家を出て行ったからのう。争う相手がいなくなって、自然と陵牙が家を継ぐ形になったのだ」 「ある……事件?」 ある事件という言葉を口に出した瞬間、雅音さんは表情を歪めた。 雅音さんがこんな顔すること滅多にない。その事件は、よほどのことだったんだろう。 「冥牙が陵牙を首を絞めて殺そうとしたのだ」 「なっ……!?」 私はその、テレビの中のような出来事に上ずった声が出てしまった。 「しかも陵牙は一切抵抗しなかったらしい」 「なっ……なんで!?」 「あいつは冥牙兄としてを慕っておったのだ。いつでも俺に冥牙の自慢をしておったくらいだからのう」 「そんな……じゃあなんで冥牙さんはアッシーにそんなこと……」 疑問ばかりが浮かんでくる。 いくら跡継ぎ問題がかかってるからって、血を分けた弟を兄が殺すなんて……!! なんでそんなことになるのよ!? 「推測でものを言うのは嫌いだが……あの兄弟の中で冥牙だけ、陵牙や蒐牙と母親が違うのだ。そのせいで奴は色々抱えていたのかもしれん」 「え……?」 「陵牙や蒐牙の母親は才能ある陰陽師の娘で、周囲からも歓迎された。だが亡くなった冥牙の母親のほうは……一般の家の娘だったのだ。陵牙たちの父親……28代目蘆屋道満が心の底から惚れて、周囲の反対を押し切って結婚した結果、冥牙が生まれた」 驚いた。 確かにアッシーと冥牙さんは全然似てなかったけど、それは蒐牙くんにも言えてることだ。 まさかお母さんが違うなんて、予想もしなかった。 「しかしな、冥牙の母親は一般人だ。蘆屋家に陰陽師以外の血を入れることを嫌った奴らから常に命を狙われておった。それこそ、以前のお前のように呪詛と戦う毎日だ……」 私は、思い出しただけでテンションが下がってしまった。 あんな痛い思いや怖い思いを毎日していたら、流石に気が滅入る。 私も頻度は高かったけど、流石に毎日ではなかったし、なによりもうそれは終わったことだ。 「結局な、冥牙の母親は5年以上その苦痛に耐えて暮らしていたと聞く。しかし、そんな毎日に耐えかねて自らの命を絶ったらしい。冥牙の目の前でな」 「そんな……」 「それからの冥牙はあからさまに影を背負うようになったそうだ。無理もない、たった5つの子供が目の前で母親の血だらけの死体を見れば、な……」 私はその気持ちがほんの少しだけ分かる気がした。 この歳になったって、血だらけの両親の死体は心に大きな傷を残した。 それが、物心ついたばかりの子供だったら、どんなにショックだろうか。 しかも、自ら命を絶ったとなればなおのことだ。 「そして、28代目の後妻には才能のある陰陽師……陵牙や蒐牙の母親が入ってきた。生まれきた子供へかかる期待も大きかった。だがまぁ、生まれてきたのはあの陵牙だからのう……あいつは子供の頃からあのまんまの、人懐っこい、家柄なんぞには執着のない愛されるうつけ者だったのだ」 真剣な話をしてるはずなのに、思わず笑ってしまいそうになった。 アッシーは昔からアッシーだったんだなぁ……なんて、今はそんな場合じゃないんだよね。 「冥牙は、自分に懐きまくる陵牙を憎むに憎めんかったのだろう。よく、無茶をして俺に挑んで返り討ちにされて大泣きする陵牙の手を引いて家に帰るの見送ったもんじゃ」 「冥牙さんとアッシー……仲、よかったの?」 「悪くはなかったのう。まぁ陵牙が一方的に懐いておったのかもしれんが……冥牙に対する世間の印象は冷たくて捻くれた男だったが、本当の奴は気の優しい男での、母親が違ったとはいえどこまでも弟思いだったと俺は思っておる。あの頃の冥牙は少なくとも陵牙にとっても蒐牙にとっても優しく尊敬できる兄であったようだったしのう」 雅音さんは遠くを見るように、懐かしい昔を思い出すように言った。 「しかし4年前、陵牙が13の頃に28代目が当主交代を決意したそのときに事件は起きた。丁度そのとき冥牙は成人したからの。それを機に、29代目の座を奴に渡す気でいたらしい。幸い陰陽師としての才能は冥牙も陵牙に劣らない恵まれたものを持っておったしのう」 「でも、そうはならなかった……?」 「ああ、事実29代目蘆屋道満は陵牙だ」 「なんで……?」 雅音さんの表情、どんどん暗くなっていく。 嫌なことを思い出させてるのはわかっていても、聞かずにはいられない…… 「詳しい理由は俺も聞かされておらん。なにせ陵牙をなぜ殺そうとしたのかは、冥牙にしか分からんことだからのう。ただ、冥牙は当主交代の日が来るのを待たずに蘆屋家を去った。陵牙を殺し損ねて逃げた、とも言えるがのう」 「その人が……帰ってきたから雅音さんも蒐牙くんも慌てていたのね」 「ああ……あいつは確実に陵牙を狙っておるだろうからな」 何だか、すごく悲しい話だ。 お母さんが違うとはいえ、それでも兄弟であることに変わりはないのに…… 事実仲がよかったっていうし。一体どんな理由で冥牙さんは、アッシーを殺そうとしたんだろう。 「事件後、結局29代目の継承は既に決定事項になっていたからのう。冥牙の代わりに陵牙が当主継承式典に出席することになった。皮肉にも若干13歳の小僧が一つの家を背負う結果になってしまったのだ。あの日の陵牙の顔は、今でも思う出しとうないわ」 それはそうだろう。 慕っていたお兄さんに殺されかけて、しかもそのお兄さんの代わりとして、何の心構えもないままに29代目蘆屋道満にされてしまったのだから。 「今の冥牙は何を考えているかわからん。協会のほうにも今小鷺が連絡にはいっておるが……正直心配は尽きん。どちらにしても、蒐牙が早く陵牙をつれてくるのを待つしかないのう」 「……アッシー大丈夫かな」 〜〜〜♪ 二人でしばらくそんな話をしながら蒐牙くんの連絡を待っていると、ようやく雅音さんの携帯が勢いよくコールを鳴らした。 「もしもし? ああ、蒐牙か? 陵牙は……なに!?」 その後私と雅音さんは慌てて家を飛び出すことになる。 正直私は、これ以上何も起こらないことを祈ることしかできなかった。 ******************************** 「トンツートンツートントントンツーYo! Yo! Yo〜! Yo! チェケラッチョ〜!!」 道に迷いながらもやっと配達を終えて、人通りの少ない道を俺は快調にバイクを走らせていた。 仕事が終わったことで、気分が軽くて鼻歌なんぞ歌いながら走っていたら、目の前に人影が見えた。 道路の真ん中に立ってるもんだから、俺は勢いよくブレーキをかけた。 「何やってんねん!! 危ないやんか!!」 「久しいな、陵牙……」 名前を呼ばれて、俺は目を見開いた。暗がりで顔はよく見えない。 でも、聞き覚えがある声だ。 忘れたくても、忘れられない声。 「冥牙兄ちゃん……か?」 俺は恐る恐るライトでそこに立っている人影を照らす。 ひょろっこい体格、伸ばした髪を三つ編みにした黒髪。 何より特徴的な泣きボクロ。 間違いない……4年前に出て行った冥牙兄ちゃんだった。 「兄ちゃん! 帰ってきてくれたんやな!?」 俺はバイクを捨てて兄ちゃんに駆け寄ろうとした。 「陵牙様! おやめくだされ、その男、妙な気配を感じまする!」 「何いってんねんサイキチ! ああ、お前はまだ封印されてたから知らんのやな、あれは俺の兄ちゃんや」 サイキチは鬼道丸の真名を封印した姿だ。 縮んではいるけど、そこいらの雑魚鬼には負けん程度の力は持ってる。 「ほう……当主の証、鬼道丸か」 「!?」 いつの間にか、兄ちゃんは俺の目の前まで歩み寄っていた。 相変わらずひょろっこいのに身長は俺よりもでかい。 「ずいぶん奇抜な見た目になったものだな、陵牙」 「こ、これは……なんちゅーか……ナウいってやつや、かっこいいやろ?」 「そんなことで、当主が務まっているのか?」 兄ちゃんの言葉に、俺は首を横に振った。 「……俺に当主は向いてへん。周囲が言うようなただの馬鹿当主や……俺には務まれへん。当主には兄ちゃんがなるべきなんよ」 俺の言葉に兄ちゃんは心底冷え切った目で言った。 「俺はもう、蘆屋家の当主になる気はない」 「なっ……なんでやねん!?」 「俺が蘆屋家を潰しにきたからだ」 「!!!!!!!!!!!」 気がつくと、兄ちゃんの背後にでかい骸骨が立っていた。 吐き気がするほどの怨念をまとったその骸骨は、昔じいちゃんあたりが話をしてるのを聞いたことがある。 がしゃどくろ。 死者の怨念が寄り集まって生まれた妖怪……生あるものを襲い食らうと言われている危険極まりない存在。 確か茨木同様、協会から危険妖怪指定を受けてどっかに厳重に封印されてたはずだ。 それがなぜこんなところに…… 「陵牙、お前を殺せばことの運びは容易い。おとなしく死ぬがいい」 「に……兄ちゃん!? やめてくれ、俺は兄ちゃんとは戦いとうない!!」 でも、俺の言葉に兄ちゃんが攻撃の手を止めてくれることはなかった。 がしゃどくろは俺に手を伸ばしてくる。 「くっ! 鬼道丸!!」 俺は鬼道丸の真名を呼んで、がしゃどくろの攻撃を防いだ。 でも、俺は兄ちゃんと本心で戦いたいわけじゃない。その半端な思いが鬼道丸の剣を鈍らせた。 「ぬぅ!?」 「鬼道丸!?」 鬼道丸はがしゃどくろの手を押さえきれずに跳ね飛ばされてしまった。 「ふん、最初から抵抗など無意味だ。俺はこのがしゃどくろを使って蘆屋家を滅ぼす。よもや俺の邪魔などしないだろうな……陵牙?」 「兄ちゃん……俺を殺すならそれでも構わへん。それで兄ちゃんの気が済むなら俺はなんぼだって兄ちゃんにこの命くれたるわ! でも、蘆屋家を潰すんは……堪忍してくれへんかな?」 俺の言葉に兄ちゃんは、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。 「俺に命を差し出すというところまではいいが、蘆屋家を庇うところはいただけんな。当主としての判断ミスだ」 その瞬間、俺はがしゃどくろの腕に跳ね飛ばされて地面強く背中と頭を打ちつけた。 鈍い痛みがあちこちに走る。 「ぐっ……っく!」 「短い再会だったな陵牙」 がしゃどくろの手が俺の真上でこぶしを作った。 まずい、変な場所を打ったせいか体が動かん!? 「主!!!!!」 がしゃどくろの腕が落ちてくる直前、俺は鬼道丸に抱えられ間一髪その攻撃を避けることができた。 鬼道丸は、崖になった道路から飛び降りがしゃどくろから逃げ出した。 「鬼道丸……! は、放せ!」 「いいえ、主の命を守ることが我が役目。主を死なせるわけにはいきませぬ」 「でも……兄ちゃんが!」 「話せる相手ではないと、わかりませぬか!」 いつもは寡黙で従順すぎるほど俺の言うことに逆らわない鬼道丸が、珍しく俺に声を荒げた。 俺はその言葉に、久々に見た兄ちゃんの顔を思い出した。 あんな殺意に満ちた兄ちゃんの顔、見たくなかった。 まるで、4年前のあの瞬間から兄ちゃんの時間は止まってしまってるようにすら感じた。 兄ちゃんに何があったんだ…… 4年前、俺を殺そうとした背景に何かあったのは間違いない。 でも、俺にはそれを知る手立てがなかった。 「兄ちゃん……兄ちゃんは俺や蒐牙のこと、嫌いになってしもたんか……?」 俺は意識が遠のく中、小さく心に思った言葉を無意識につぶやいていた。 |