第16話 残酷な真実
星弥に蘆屋くんのことを聞いた日から、私は正直気が気じゃなかった。 いつか蘆屋くんが大怪我をするんじゃないだろうかとか、もしかしたら命を落としてしまうんじゃないかとか…… でも、妙な疎外感を感じてから、私は自分の気持ちすらみんなに話さないようになっていた。 気がつくと、星弥が危ないことをしでかさないようにって祈っていたり、ぼんやりしていたり。 だから、話しかけられていても上の空になることが多かった。 「……ん、椿ちゃん!!」 「え!? あ、はいはい」 「なんや、自分さっきから卵焼きばっかり見つめて……最近ちょっとおかしいで? ぼーっとしてること多いし」 蘆屋くんによると私は、お弁当のお箸を持ったままずーっとおかずの卵焼きを見つめていたらしい。 「俺なら大丈夫やて。何度も言ってるやん?」 「う、うん……」 きっと私の心配事を、蘆屋くんは分かっていて言ったんだと思う。 その時の蘆屋くんの表情が若干呆れていたような気がした。 でも、そんなことはほとんど思考に入ってこない。考えるのは星弥が一体なぜああなってしまったか。 だから蘆屋くんの声も全然聞こえていなかったし、表情を気に留めることも私はさほどしなかった。 「また幼馴染のこと、考えてたんですか? 最近ぼんやりしがちですよ」 「ごめん……ただ、やっぱり心配で」 蒐牙くんの言葉に、変に取り繕うことすらできない。 影井さんに余計なことは考えるなって言われたけど、でもやっぱり関わってるのは私の幼馴染だ。 しかも、私のことで蘆屋くんに攻撃を仕掛けてるなんて冗談じゃない。 蘆屋くんの生傷は今もちょっとずつ増えてる。 そのうち全身手当てのあとになっちゃうんじゃないかって不安になる。 「………」 いつもなら、余計なことを考えるなって毎度のように言ってくれる影井さんも、とうとう呆れたのか何も言ってくれなかった。 これじゃあ、影井さんへの恋心がどうとか言ってもいられない。 結局好きでも気持ちを伝えられないんだから、同じことなのかもしれないけれど…… 「ごめん、ちょっと私先に降りる」 「椿ちゃん……」 私はそそくさとお弁当箱をしまって、影井さんに言った。 「お弁当箱、持って帰っていいですから」 影井さんは答えなかった。 影井さんがいつものように何か言ってくれたら、少しは気持ちが安らぐのに、どうして今日は無言なんだろう…… こんなに早く教室に戻ったことはない。えらく早い時間に戻ってしまったせいか、まだみんなお弁当を食べてるところだった。 でも、今日は影井さんの式神はどこにもいなかった。 珍しい、いつもなら呼び出して自分に化けさせているのに。 「……清村さん。随分早いお戻りね」 「賀茂さん……」 あの修学旅行の日以外私と口を利いていないお嬢様が、珍しく私に話しかけてきた。 顔色がすごく悪い。 本当に大丈夫なのか、心配になるほどに生気が感じられない青白い顔のせいか、お嬢様はいつもにも増して人形みたいになっていた。 「ねぇ……どうして藤原くんの告白を断るの?」 「え?」 「それで……ゲホッ……どれだけ藤原くんが傷ついているか……追い詰められているか分かっているの?」 どうしてそんなことを言うんだろう。 まるで私に星弥の告白を受け入れろって言ってるみたいな言い方。 「自分の気持ちに嘘はつけないわ。前から言ってると思うけど、私と星弥は幼馴染以上の関係にはなれない。私がそれ以上になりたいと思ってない」 「……何故あれだけ愛されていて……嬉しくないの?」 「好きだと思われることは嬉しいわ。でも、それでも無理なものは無理なの。ねぇ賀茂さん、あなたまるで私に星弥の告白を受け入れろって言ってるみたいだけど、賀茂さんも星弥が好きなんでしょう? どうしてそんなこと言うの?」 お嬢様は何度か咳き込んだ後に、寂しそうな表情で言った。 「愛する人が……幸せなら私はそれで……ゲホッゲホッ……あなただって、好きな人が苦しむのは嫌でしょう……? 追い詰められるのは見たくはないでしょう?」 「賀茂さん……」 「私は藤原くんがあなたをいじめて傷つくのを知った……だからもう、あなたに何かをすることはしませんわ……みんなにもそう伝えたから……安心してくださいまし」 ああ、お嬢様は本当に星弥のことが好きなんだ。 星弥のことを考えて大嫌いな私への嫌がらせをやめるって言うのであれば、この人の星弥への愛情は本物だ。 「ありがとう……っていうのも変かな? でもごめん……私はどうしても星弥の気持ちを受け入れられないの……ごめんなさい」 「上手くいきませんのね……あなた、このままじゃ大切な人たちを全て失うことになりますわよ」 「え……?」 お嬢様はそれだけ言うと、私の疑問の声を無視するように自分の席へ戻ってしまった。 最近では腰巾着たちも、何も話そうとしないお嬢様から距離を置いていた。 自分たちへの利益がないと分かればこれだ、薄情なことこの上ない。 お嬢様は一人、ご飯も食べずに机をぼんやりと眺めているばかりだった。 そんな私に、聞きなれた声の人物がお嬢様と入れ違いに話しかけてきた。 「清村さん、ちょっと」 「え……か、影井さん?」 珍しい。 影井さんが教室で私に話しかけることなんか滅多にないのに。 っていうか、すごく表情が厳しい。 「なに……?」 私が首を傾げると、私は教室中だというのに作ったお弁当を差し出された。 中身、全然手をつけてない。 「やめてくれるかな、こういうこと」 「え……?」 「迷惑なんだよね。頼んだわけでもないのに、弁当とか作ってこられても」 「は……? なに……言って……」 今まで何も言わずに食べてたじゃない…… 何でそんなこと言うの? 「それに、屋上は僕や友だちが楽しく食事するためにいる場所なのに、ズケズケはいってこられて正直空気がぶち壊しなんだ。もう、来ないでくれる?」 確かに、あの場所で明らかに一人陰陽師じゃないのは私だけ。 でも、なんでそんなこと突然…… 「一緒にいても仏頂面して、みんな正直もう君には付き合いきれないと思ってるんだよ」 なに……この状況…… 「君の作った弁当なんて、正直吐き気がしてたんだ」 影井さんは私の前にお弁当箱を落とした。 そしてそれを踏みつけた。 ぶちまけられたお弁当が、ぐしゃぐしゃになっていく。 「影井さん……」 「ちょっと優しくしたくらいで、友だち面しないでほしい。するならするで構わないけど、不快な気持ちさせられるのはごめんだよ」 そう言って影井さんは私に背を向けていった。 教室の中のみんなの視線は私に集まっていたけど、そんなのはもうどうでもよかった。 影井さん、何か考えがあるんだよね……? だから、こんなことしたんだよね? 私は目の前のつぶれてしまったお弁当箱を片付け始めた。 きっと、影井さんは何か考えがあったんだ。 そうだ、そうに違いない。 そうじゃなきゃ、こんなこと…… 「うそ……清村さん泣いてるわよ!」 「ありえない、どんな嫌がらせされても涙なんか見せなかったのに」 クラスは違う意味でざわついているみたいだった。 でも、もう涙なんかこらえられるわけない。 私はお弁当を片付け終えると、影井さんを探した。 でも、影井さんは見つからなかった。 代わりに、6組の前で友だちと話していた蘆屋くんをつかまえる。 「蘆屋くん!」 「……なんや?」 いつもの笑顔が蘆屋くんにはない。 怖いくらいに迷惑そうな顔。 「ねぇ、何で影井さん……もう、屋上に来るなって……どうして!?」 「お前がずーっと仏頂面してるからまっちゃんも呆れたんやろ。俺かて嫌やわ、あんなブすくれた面と飯食うなんて」 「嘘……何か考えがあるんでしょ!?」 「あるわけないやん。つーか、正直お前、俺らが安心せいって何度言っても全然信用してへんかったやろ?」 「え……?」 蘆屋くんは怒ったように言った。 「俺らのこと信用してるんなら、少しは安心して笑ってられたはずや。それをずーっと考え込んだような面しおってからに。正直、ダチやと思っとったんに、がっかりやわ」 「そんな……私だって幼馴染が何か危ないことに関わってたら心配の一つもするわよ!」 「なら、勝手に心配すればいいやん」 「え……」 「もう、俺らは面倒見切れへんねん。茨木奪還に集中したいし、お前やその幼馴染からは手ぇ引くことに三人で決めたんよ」 何で突然…… そんなの、唐突過ぎて理解できない…… 「唐突すぎるよ……信じられない……」 「唐突も何も、俺らはずっとそれとなく言ってきたんに気がつかなかったのはお前やん。もうええよ、そんなに心配なら幼馴染と付き合えばいいんちゃうん? そうすれば俺も鬼に襲われんで済むしな」 まるで胸をナイフで傷つけられたような感覚。 蘆屋くんから、そんな言葉を聞くなんて思わなかった。 蘆屋くんは影井さんへの私の気持ちを知ってる。 なのに、そんなことを言うなんておかしい。 「何で……? どうして?」 「……壁作ったのはそっちやろ。俺らは最初から壁なんか作ってへんかったはずや。自分でよう考えてみぃ」 蘆屋くんはそう言って教室へ戻っていってしまった。 冷たく突き放されて、私はどうしても納得いかなかった。 きっと、影井さんなら全部知ってる。 帰りに捕まえてどうしても話をきかなきゃ納得行かなかった。 「影井さん!!」 帰り道、そそくさと帰ろうとする影井さんを捕まえて、腕を引っ張って私は屋上へ走った。 影井さんは無言でついてきてくれた。 話くらいはしてくれるつもりなんだろう。 「なんだ」 「さっきの、なんだったんですか?」 「言葉のままの意味じゃ。陵牙にも話を聞いたそうだな。なら理解しなかったか?」 「理解できません。何で突然……」 「突然ではない」 影井さんは呆れた表情でため息をついた。 「お前、ここ最近ぼんやりしがちだったからのう。気がつかなかったのか?」 「なにが……ですか?」 「お前がぼんやり考え込むたびに俺たちは心配するなと言ってきたはずだ。だがそれを信用もせんで杞憂な考えをめぐらせていたのはお前だろう。そのたびに俺たちがどれだけ不愉快になったか、気がつかんかったのか?」 確かに私は一人で考え込んで心配していた。 でも、それってこんな風にみんなに突き放されるような理由になる? 「納得いきません」 「強情な女よのう」 影井さんは不快そうに眉を潜める。 「何でですか。いきなりこんな風になるなんて変です! 影井さんや蘆屋くんの言う理由だって、取ってつけたようなものばっかり! 納得いく説明してください!!」 自分でも怖いほどに声を荒げてる。 それはそうだ。 私は影井さんが好きなんだから。 好きな人に突き放されて、簡単に「はい、そうですか」って納得して引き下がれるわけがない。 「ならば教えてやろう」 影井さんは私に詰め寄ってくる。 大好きな影井さんのコロンの匂いも、今日は穏やかな気持ちでかぐことができない。 私は影井さんに制服のリボンをつかまれてぐっと顔を引き寄せられた。 「茨木を盗んだのは、お前の幼馴染だ」 私は目を見開いてしまった。 星弥が……茨木を盗んだ……? まさか……じゃあ、私や蘆屋くんを襲ったのは…… 星弥だっていうの? よく考えてみれば、茨木の腕は私を襲ったりはしなかった。 蘆屋くんを執拗に狙っていた…… そして、蘆屋くんがターゲットだっていう言葉……あれは、星弥が茨木を操って蘆屋くんを殺そうとしてたってことなの!? 「陵牙が想像以上に頑張ってくれてのう。度重なる襲撃を逆手に取って犯人を割り出してくれた」 嫌だ、どんどん話が繋がっていく…… 分かってくれば分ってくるほどに、私は自分の状況を理解していなかったことを後悔する。 「再三お前に余計なことを考えるなと言った理由はそこにある。幼馴染が犯人と勘ぐられて、お前に下手に動かれては迷惑だからのう」 迷惑。 その言葉は、頭を金槌で殴ったような衝撃を走らせた。 胸が、ビリビリ痺れて唇が震える。 「ここいらできっぱり距離を取るのが賢明という判断が三人の中で出た」 「嘘よ……だって、影井さんキスしてくれたじゃない……」 影井さんはすーっとさめた表情をして、私のリボンを放す。 そして、私の目から涙を流させるのに充分すぎる言葉を言い放った。 「あんなもの、ただの気まぐれの遊びだ」 もう、止まらなかった。 涙ばかり溢れて、言葉なんかでない。 「俺にとって最も重要なのは茨木の奪還。お前を守ることなど二の次だ。茨木を盗んだ奴がお前を狙っていたということは、お前は獲物を釣るいい餌だった。だから利用したのだ」 影井さんは嫌な笑みを口に蓄えて続けた。 「餌を喜ばせて機嫌をとるのには苦労するかと思ったが、まさか友だちごっことあの程度の口付けで済むとはのう。安いもんだったわ」 もう、やめて…… 聞きたくない。 「だが、犯人が分かった今、お前は用なしだ。陵牙に話を聞いた時点で無理にでも納得しておればよかったのに、馬鹿な女だ。真実なんぞ得てして残酷なものよ、友だちごっこは仕舞いだ」 確かに、影井さんの言うことは納得ができるものだった。 蘆屋くんに以前、いい餌になる、自分の隠れ蓑になるってちょこちょこ言ってたじゃない。 そうか……私と仲良くしておけば確実に犯人に近づけるから…… だから優しくしたんだ…… 『友のままなら、傷も浅く済んだものを……馬鹿な奴だ……』 そういう……ことだったんだ。 私は耐え切れずにその場を走り去った。 涙で顔がぐちゃぐちゃになるのも構わずに一気に学校の外目で走った。 もちろん、影井さんが追ってきてくれるわけはない。 そんなことを期待してしまう私自身が今は恨めしい。 「椿様……! 椿様!!」 「!!」 私は小鳩ちゃんの声に思わず立ち止まった。 そうか、この子も影井さんの…… 「椿様! お願いですの、今は雅音様を信じてくださいまし……!」 「無理だよそんなの……あんなの聞いてどう信じろっていうのよ」 「きっと、雅音様にも考えが……」 「その考えが私を利用することだったんでしょう!?」 私はこれ以上小鳩ちゃんの話を聞くことが出来なかった。 この子は、餌を守るために影井さんがつけた護衛。 なのに、私は影井さんに思われてるとか勘違いして…… 恥ずかしいったらない。 「椿様!? なっ……何をなさるんですの!?」 私は小鳩ちゃんのお札に手をかけた。 「ごめん……今まで守ってくれてありがとう……小鳩ちゃんには……ホント感謝してる。それだけは嘘じゃないから……」 一気に私はそのお札を引き裂いた。 ビリッという、紙が破ける独特の音が私の耳に入ったときには、もう、そこに小鳩ちゃんの姿はなかった。 私はその場にへたり込んで、周りの目も気にせず泣いた。 大切な友だちだと思っていた蘆屋くんに突き放されて、好きだった人に利用されていたと気がついた日。 クラスメイトたちに嫌がらせを受けるよりも辛い現実が私を押しつぶしそうになっていた。 |