第32話 清村椿
俺の手の中で、椿はぐったりとしていた。 高校の制服に身を包み、こいつはたった一人で人生の卒業式を迎えようとしていた。 「小……鳩……ちゃん」 「椿様!?」 雅音が病室を出て行ってすぐだった。 椿はゆっくりと目を開けて、俺のほうを見た。 「お願い……聞いてくれる?」 「え……?」 弱々しくも、必死に笑って椿は言った。 「連れて行って欲しいとこ……あるの」 「連れて行って欲しいところ?」 「うん」 椿は辛そうに起き上がる。 「駄目ですの! 椿様!! 起きてはお体に障ります!」 「いいの……」 「椿様!?」 椿は安らかな笑みを浮かべて小さな俺の手を握った。 「どうしても、行きたいの」 「………」 俺はその言葉に逆らえなかった。 点滴を引き抜き、ハンガーにかけてあった制服に着替えた椿は、壁に寄りかかってやっと立っているような状態だった。 俺は、このままでは椿を望んだ場所に連れて行けないと思った。 だから、元の姿に戻って、ひび割れてしまったガラス細工みたいな椿を両手にそっと乗せて運んでいる、そんなところだ。 「もうすぐだ、頑張れよ椿」 「うん……ありがと」 まったく。 こんなでけぇ鬼の手の中で、安心しきった顔をしてるのはお前くらいなもんだろうよ。 いつ食われちまってもおかしくないってのに…… まぁ、俺が椿を食らうことはこの先一生涯ないだろうよ。 こいつは、俺が心の底から仕えたいと思った主なんだから。 自分のことはいつだって後回しで。 人のために泣いて、傷ついて。 そのくせ人一倍寂しがり屋なこいつを、なんで雅音は見張って置けねぇんだ。 縛って檻に閉じ込めるくらいしなきゃ、こいつは駄目なんだよ。 目的の場所が見えてきた。 椿たちの通う学校。 椿が行きたがっていたのは、その屋上だった。 馬鹿雅音。早く俺を追って来い。 お前なら、椿が行きたい場所くらい分かるだろう。 絶対に椿のところにたどり着けるはずだ。 ************************************** 「まっちゃん」 膝をついた俺の襟を掴んで、すかさず起こしたのは陵牙だった。 学校帰りの陵牙を含めた、賀茂、蒐牙、御木本、星弥は皆俺のほうを真っ直ぐに見ている。 不思議だな。 今まで俺をこうして真っ直ぐに見ていたのは椿だけだと思っていた。 でも、こいつらもまた、ずっと俺をこうして真っ直ぐに見ていてくれたのか。 俺は、それに気がつけない大うつけだったのだろう。 「何しとるん! いくで!」 「行く……? どこへ?」 「椿のところですわ」 「……だが宛が……」 「雅音様なら分かるはずですよ」 蒐牙はとんでもないことをさらりと言ってくれる。 何も言わずに出て行った椿の居場所など、分かるわけがないのに。 「僕たちにだって、分かるんですよ? 影井様」 「俺もなーんとなく察しつく。俺らにわかって、影井さんにわかんねぇはずねぇよ」 御木本も星弥も口々に言う。 何を言っているのだ……なぜお前たちに椿の居場所が分かる。 「影井様。椿が一番行きそうな場所を思い出してくださいまし」 「俺たちの思い出がいっぱい詰まった場所や」 「……!」 『私、春休みに入る前に、みんなでまた屋上でお弁当食べたいな』 「屋上……学校の屋上か!」 「ったく気がつくのが遅いっちゅーねん」 陵牙たちは、俺の言葉に強く頷く。 俺は立ち上がり言った。 「皆、行くぞ!」 「そうこなくっちゃですわ!」 椿、すぐにいく。 お前を一人にはもうさせん。 皆、お前を愛しているのだ。 それに気がつけないお前ではないはずだ!! 俺は皆を連れて車に乗り込もうとした。 しかし。 「車使って移動るすんは、やめたほうがいいで」 「お前は……!!」 「森太郎!?」 駐車場の金網に寄りかかっていたのは、御木本家の当主争いに敗れた森太郎だった。 「どういうことです、森太郎」 蒐牙が怪訝な顔をすると、森太郎は道路のほうを指出して言った。 「どうもこうも、この先10kmの渋滞や。なんや大規模な事故があったらしいで」 確かに、向こうのほうでパトカーや消防車、救急車が走っている音が聞こえた。 「くそっ!! なら走ってでもいく!」 「あんた、キレ者かと思ってたけど、結構馬鹿やな」 「何……?」 森太郎は符を取り出すと、自らの式神である以津真天を呼び出した。 「まぁ、その馬鹿くささが羨ましいとも思うわ。乗ってきや」 「森太郎……」 「当主選抜んときに、螢一郎には仮があるからな。返させてもらうで」 「ありがとう、森太郎さん」 「ええよ。最近のお前見てると、むっちゃ羨ましいわ」 俺たちは森太郎の計らいにより、以津真天に乗り込んだ。 間に合ってくれ椿……せめて俺たちが着くまで、一人で死ぬような真似はするな! ****************************************** 目の前の椿は、弱々しく息をしていた。 転落防止用のフェンスに寄りかかって、目を薄っすら明けた椿は俺を見て笑った。 「ありがと……小鳩ちゃん」 「馬鹿。主の言うことを聞くのは当然だろう」 「ん……そだね」 額に汗をかいた椿は、苦しそうに俺に両手を広げた。 「おいで……小鳩ちゃん」 その瞬間、全てを悟った。 椿は……もう…… 俺は童の姿に戻って、椿の手の中に納まった。 椿は俺を両の手で包み、ぎゅっと胸に抱く。 「椿様……」 「ねぇ……お願い、もう1つ聞いてくれる?」 「はいですの……」 椿の心臓の音が少しずつ、少しずつ弱くなっていく。 やめてくれ、やめてくれ…… 「雅音さんを……お願いね」 「!!!」 椿は弱々しく続ける。 「小鳩ちゃんになら……任せられる……」 「椿様!? 何を言っていらっしゃるんですの!!」 「アッシーも……深散も星弥も……蒐牙くんも御木本くんも……もう、大丈夫。でも、雅音さんはどこか抜けてるから……心配なの」 「だったらお前が傍にいて支えてやれよ!! 俺にお前の代わりなんか勤まるわけねぇだろ!!」 俺の言葉に、椿は弱々しく笑う。 「小鳩ちゃん……」 「愛してるんだろ、雅音のこと!! なら、他人に雅音を任せるような真似、死んでもするんじゃねぇよ!!」 椿は小さく息を吐いた。 「うん……ごめん」 「馬鹿野郎……なんでお前はいつも……」 鬼が、泣くなんてな。 でも、椿がこの世から消えてしまうって考えたら、自然と俺の目からは大粒の涙が零れ落ちてきた。 「小鳩ちゃん……」 「!?」 「今までありがと」 「椿!!」 椿がそういったとき、空を覆う何か大きなものが頭上に現れた。 俺は泣きながら「おせぇよ」としか言えなかった。 ********************************* 以津真天は想像以上に早く学校へ俺たちを下ろしてくれた。 車なんかで移動していたら、道が渋滞していなくてもこの倍以上の時間はかかっただろう。 俺たちの予想は的中していた。 目の前には、フェンスに寄りかかって目を閉じた椿と、その手に乗って震えている小鳩がいた。 「馬鹿雅音……おせぇんだよ」 「すまない……」 俺たちが椿に近づくと、小鳩は椿の手から降りた。 まだ……まだ生きているはずだ…… 恐る恐る一歩一歩を踏み出す俺たちに気が付いたのか、椿はゆっくりと目を開けた。 「ああ……雅音さん、みんな……遅かったね」 「椿……?」 いつもと様子が違う。 何か違和感を感じた。 「授業……終わるの遅かったの?」 「椿ちゃん……何言って……」 陵牙の顔が青くなるのが分かった。 「お弁当……作って持ってきたんだ……たくさん……みんなで食べよう?」 「椿……記憶が混同して……」 椿は持っているはずのない弁当を手に持つようなしぐさをして俺たちに見せた。 もう、その姿を見ているだけで、賀茂などは星弥にしがみつき肩に顔を寄せ、泣き顔を見られまいとしている。 「アッシーの好きな卵焼き……深散が好きなからあげに……蒐牙くんが好きなロールキャベツ……星弥が好きなのはたこさんウインナー……ふふ、螢ちゃんが好きなお漬物もあるよ……」 もう……やめてくれ…… 「もちろん……雅音さんが大好きな甘いものもいっぱい……」 俺は椿を思い切り抱きしめた。 そうすることで、椿の体にはまたヒビが入ってしまうかもしれない。 だが、もう止められなかった。 「椿……!!」 そんなとき、椿を抱きしめる俺を取り囲んだのは陵牙たちだった。 「椿ちゃん、弁当一緒に食べような」 「本当に、みんなが好きな物ばっかり詰めてきて……まったく椿らしいお弁当」 「でも、あなたの悪いところは、人の好きな物ばかり詰めて、自分の好きなものを一切入れてこないことですよ」 「変なところで抜けてるんだよな、椿は」 「でも、優しさがいっぱいつまったお弁当だよ」 皆、ないはずの弁当を褒めている。 まるで、椿が想像した弁当が見えているかのように。 「でもな、椿ちゃん。この弁当食うんじゃ今じゃあかんよ」 「そうですわ。卒業前に、みんなで食べるんでしょう?」 椿はその言葉に嬉しそうに頷く。 もう、ほとんど意識が混濁しているような状態だ。 駄目なのか……もう、駄目だというのか……!! 俺たちが絶望している間、そんな俺たちの姿を見ている二つの影があることに俺は気がついていなかった。 「なぁるほど。貴女が私をこちらに蹴り飛ばしたのは、これを私に見せ付けるためですか?」 「そういうこと〜」 「嫌味ですか、それ?」 「ふふ、そうね。究極の嫌味。懐かしいでしょう?」 「私としては、あまり思い出したくないんですがねぇ。やれやれ……私にどうしろと?」 「好きにしなさいよ」 「………」 「こちらの世界の人間にあまり深く干渉していいものか……」 「さぁ。でも、私がしたいようにしていいって言ってんだから、好きにしたらいいんじゃない?」 「……それもそうですね。この件の責任は全部請け負ってくださいよ?」 「気が向いたら、ね」 ふと、人の気配を感じた。 顔を上げ振り返ると、そこには自称星弥の式神、スイの姿。 「助けたいですか?」 「なに……?」 「彼女を、助けたいですか?」 スイの問いに俺は迷いなく答えた。 「当たり前だ!! だが、椿は一度朱雀によって命を与えられた存在だ……! 奇跡など、2度も3度も起きるものではない……!!」 「夢のない男ですねぇ」 「何だと!?」 スイは俺を見据えて言った。 「奇跡が2度起きないなんて、誰が決めたんです?」 「……それは」 「それに、彼女はまだ死んでいない。必死に生にしがみついてあなたの傍にいるじゃないですか。彼女が頑張っているのに、あなたは諦めるんですか?」 スイの言葉に、俺は椿の顔を見た。 椿は薄っすらと目を開けて俺を見ると、優しく微笑んだ。 「スイ……」 「はい?」 「頼む……椿を……助けてくれ……」 スイはふぅっとため息をつくと、帯にさした扇子を広げて言った。 「あなたみたいな人が私に頭を垂れてお願いしますなんて言うところは300年生きてても滅多に見られるもんじゃありませんからねぇ。いいでしょう、協力します」 「俺はどうすればいい」 「ようは彼女の体はひび割れ花瓶。命という花を咲かせ続けるには、水と花瓶の補強が必要だ。あなたの役目は水の補給、私の役目は花瓶の補強」 俺にはスイが言わんとしていることがすぐに理解できた。 ようするに、俺が失われた霊力を椿に送り、スイが椿の肉体をなんとかする、こういうことだろう。 「いいですか、雅音」 「なんだ」 「今後は、彼女を失う悲しみを絶対に忘れないことです。二度と、自分の手から離れないように、離さないように、鎖でつないで檻に閉じ込めておきなさい」 「ああ、二度と離さないさ」 俺は全身からあふれる霊力を椿に送り込んだ。 それは、まぶしい光となり、学校の屋上を包み込んだのだった。 |