第30話 別れ


     周囲を見回すと、俺以外の十二天将を扱った者たちはほとんど力尽きたように座り込んでいた。
     無理もない、俺とて自分が立っているのが不思議なくらいだ。

     唯一涼しい顔をしてその場に立っているのは俺以外には十六夜様しかいない。
     本当に、恐ろしい人だ。いくら天后1人だったとはいえ、顔色一つ変えないというのはなかなかできることではない。
     本当は土御門当主と並ぶくらいの力を持っているのに、彼女はそれを表に出さない。
     それが最もすごいところなのかもしれない。

    『さぁて、全て終わったようじゃのう』
    「……そうだな」
    『なら俺たちはいくぞ。長いこと鬼門の前に居座っていたからのう。そろそろゆっくり隠居したいものじゃ、のう紅雪』
    『はい、曇暗様』

     穏やかな曇暗の呼びかけに、紅雪は心底幸せそうな顔で頷いた。

    『錠となった私の傍に、千年以上。本当に、こうして人の形でお傍に戻れる日が来るなんて夢のよう』
    『ああ、それに関しては平成の子孫たちに感謝せねばのう』

     二人は並んで俺たちのほうを見た。

    『感謝するぞ我が子孫たち。礼といっては何だが、一つ説教をしてやろうではないか』
    「……?」

     曇暗は俺をじっと見据えた。

    『何があっても諦めるでない。お前たちの努力を、あの方はしっかり見ていなさる』
    「あの方……?」
    『ふふ、そうね。きっとご褒美をくださると思うわ』

     そういうと二人の姿はパァッと光の玉となって弾けた。

    『さらばだ我が子孫たちよ』
    『どうか、自分の選んだ道に誇りを持ってね』

     俺がぼんやりと消え行く二人の姿を見ていると、向こうで椿の叫び声が聞こえた。

    「お父さん! お母さん!!」

     振り返ると、目に涙をためて両親と対峙している椿の姿があった。
     両親はなんとも複雑な表情で椿を見ている。

    「お父さん……お母さん!!」

     椿は再び両親を呼ぶと、もう我慢が出来なかったのだろう、2人に駆け寄った。
     しかし……

     ―――ドサッ!!

     霊体である2人が椿に触れられるわけもなく、椿は両親をすり抜けて地面に転がった。
     俺はその姿を見て、胸がかきむしられそうになった。
     ぐすっと鼻をすする音に気がつき見れば、星弥はベソをかいてその光景を見ていた。

    『椿……』
    『ごめんね……』

     両親は申し訳なさそうな表情で椿を見ている。

    「やだよぉ……」
    『椿……』
    「お父さん! お母さん!! やだやだ!! やだよ!!」
    『ごめん……ごめんね椿』
    「いっちゃやだ! 私を置いていかないでよぉ!! お父さん!! お母さん!!」

     うずくまったまま泣く椿の姿が痛々しくて、何も出来ない自分を呪った。そんな俺以上に辛いのは、椿を抱きしめてやることすら出来ない両親だろう。
     2人とも苦しそうな表情をしていて、とても見ていられない。

     だが、椿の両親の霊体に近づく2人の人物がいた。
     十六夜様と、彼女に肩を借りて歩いている冥牙だった。

    「椿ちゃんのお父さんと母さん」
    『あなたは……?』
    「椿ちゃんの同級生の母親で蘆屋十六夜です。こっちは息子の冥牙。お願いです、椿ちゃんを抱きしめてあげてください」
    『でも……私たちは……』

     椿の母親が言いかけたとき、十六夜様は冥牙の顔を見た。
     冥牙も頷いて、自分の足で何とか立った。

    「私の体を使ってください」
    『え?』
    「俺の体も、お貸しします」
    『……いいのですか?』
    「このままでは、あまりにも椿ちゃんが救われません」
    「見ていて、とても辛い」
    『ありがとうございます』

     椿の両親は十六夜様と冥牙に深々と頭をさげると、その肉体に憑依した。そして2人は倒れて泣きじゃくる椿に駆け寄って椿を抱きしめた。

    「椿! 椿!!」
    「辛い思いばかりさせてごめんね」

     肉体は十六夜様と冥牙のもののはずなのに思いの強さからだろうか、その姿が完全に椿の両親のものに見えた。

    「お前がよく私たちの墓の前で無理に笑っているのを見て、辛かった」
    「何もしてあげられなくて本当にごめんね」
    「お父さん……お母さん……私本当は寂しかったよ……お父さんとお母さんがいなくなっちゃって、寂しかったよ!!」
    「ああ、分かってる。ごめんな椿」
    「今もまだ、私たちの携帯の番号があなたの電話に入ってるのを見て、辛かったわ」

     俺はその光景を見てほんの少し怖くなった。
     椿はあんなにも両親の愛情を欲している。
     このまま、椿は両親と共に逝ってしまうのではないだろうか……
     そんな思いがふつふつと沸いてくる。

    「でもね椿、あなたは一人じゃないのよ」
    「お母さん……?」
    「ほら」

     椿の母親は、ことの始終を見守る俺たちを見て微笑んだ。

    「みんな、貴女を思ってここまで来てくれたかけがえのないお友だちでしょう?」

     椿の表情が、ほんの少し柔らかくなったように見えた。
     椿の父親は椿の頭を撫でて言った。

    「いい友だちが出来て、よかったな」
    「……うん」

     椿の目からまたボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。

    「おじさん! おばさん!!」

     声を張り上げたのは星弥だった。
     椿に負けないくらい目から涙を流して、星弥は椿の両親の元に走り寄った。そして思い切り地面に手をついて頭を下げたのだった。

    「ごめんなさい……俺……本当にごめんなさい!!」
    「星弥くん……」

     そんな星弥の肩を叩いたのは、椿の父親だった。
     地面に頭をこすり付けんばかりに謝る星弥を起こして、椿の父親は首を横に振った。

    「お前はもう、俺たちのことで悔やむな」
    「え?」
    「そうよ星弥くん。私たちはあなたを恨んではいないわ」
    「でも!」

     星弥が言うより早く、椿の父親が言葉を発した。

    「お前は悪くない。全ては不幸な事故だ。お前はただ、鬼に利用されていただけ。それも全部分かっているからお前を恨んだりはしない」
    「椿を大事に思ってくれてありがとう、星弥くん」
    「おじさ……おばさん……!!」
    「もし悔やむらば、お前と同じ思いをしている人を救ってやれ」
    「あなたには、その力があるわ」

     星弥もまた、悪いことをした後の子供のようにわんわんと泣いている。

    「椿……私たちはお前のような子供を持てて本当に幸せだ」
    「え……?」
    「あなたは私たちの誇り……愛しているわ」
    「お父さん! お母さん!!」

     最後に椿の両親はもう一度椿を強く抱きしめた。

    「ずっと傍にいてあげることはできないけど、私たちはあなたをいつだって一番に想っているわ」
    「いや……いかないで……」
    「いつでも見守っているから、もう泣くな。笑顔だ、椿」
    「いや……いやぁああああああ!!」

     2人の魂はパッと弾けてしまった。後に残ったのは、椿の両親に肉体を貸した十六夜様と冥牙だけ。
     2人は椿を見て、やはり複雑な表情を浮かべていた。

     最後に対面し言葉を交わせたとはいえ、これは両親との今生の別れに違いはない。

     椿の両親の魂が弾けたのを皮切りに、椿を見守っていた土蜘蛛たちの魂も次々と光に変わり弾けていく。

    『どうやら、もう時間らしいな』
    『死者は長くは現世に留まれない……いや、留まることを許されない、かな?』
    『私たちが逝くのは確実に冥府……地獄だろうな』

     海松橿姫を守っていた土蜘蛛たち4人は観念したようにため息をついた。しかし、彼らを囲むように土蜘蛛の子供たちが走りよって、打猿たちの手を取った。

    『そんなことないよ! 打猿兄ちゃん! 国摩侶兄ちゃん!!』
    『あ?』
    『だって、あの方は言ってたよ! 罪を償ったら、みんな一緒に暮らして良いって』
    『そうだ、みんなであの方に会いに行こうよ!』
    『うん、白兄ちゃんや青姉ちゃんたちを叱るのやめてってお願いしよう』

     子供たちは早く早くと打猿たちの手を引く。
     打猿たちは顔を見合わせて肩を竦めた。

    『まぁ、ここまできたらなるようになれ、か』
    『そうだね』

     彼らは速来津姫と並んで立っている海松橿姫を見て言った。

    『海松橿姫様、俺らは先にガキ共と行ってます』
    『あちらで必ず会いましょう』

     そういうと、彼らは俺たちのほうを向いた。

    『悪かったな』
    「やめんか、気持ち悪い」
    『こりゃあご挨拶なこって』
    『打猿が人に対して詫び入れるなんて、明日また鬼門が開くんじゃない?』
    『国摩侶てめぇ!』
    『ははっ、2人ともやめんか』
    『みんな、仲良くいく』
    『あー分かった分かった。じゃーな』
    『バイバイ』

     打猿たちの魂はその言葉と共に弾けた。
     奴らが天に昇ってどんな罰を与えられるかは分からない。だが、罪を償い終えたその日に、奴らの宿願は叶うのかもしれない。
     遠回りにはなってしまうが、必ず叶う日が来るだろう。

    『海松橿姫』
    「速来津姫……」

     最後に残ったのは海松橿姫と速来津姫、そして八田の魂だけだった。
     速来津姫はただじっと海松橿姫を見つめていたが、手を差し伸べる。

    『共に、行きませんか?』
    「……いいのか?」
    『何故、そんなことを貴女がきくのですか? むしろ、私を許してくれますか?』
    「当然だ」

     海松橿姫は速来津姫の手を取る。
     その様子を八田が満足そうに見ていた。

    「私のほうこそすまなかった……私がもっとお前の話を聞いてやれば、お前に同胞殺しの罪を背負わせることはなかったのに」
    『いいえ。苦しんだのは皆同じこと……どんなに時間がかかろうと、私たちはまた一緒に暮らせます。現世で得られなかった幸せな時間を取り戻せます』
    「そうだな……」

     速来津姫と海松橿姫の体が光を放ち始めた。
     2人も直に天に昇るのだろう。

    「鬼斬の娘!」
    「……?」

     両親との対峙を終えて、呆然としていた椿に海松橿姫は言った。

    「お前には多くを教えられたよ」
    「え?」
    「魂の絆の深さを、な」
    「………」
    「すまなかった」

     海松橿姫たちの魂もまた、その言葉を最後に天に昇っていった。
     そして後に残ったのは、海松橿姫に取り憑かれていた牡丹だった。
     椿はゆっくりと立ち上がると、牡丹の元へ言って彼女の頬に触れた。

    「……おかえりなさい、牡丹さん」

     椿は牡丹を抱き上げると、またゆっくりと俺の前へ歩を進めた。

    「椿……」

     椿の体のヒビが、さっきよりも大きくなったように感じた。
     しかし、椿はそんなことを意に介さないように俺の前に立ち言った。

    「雅音さん……牡丹さん、帰って来たよ」
    「ああ……」
    「はい」

     椿は俺に牡丹を抱くように即す。
     しかし、俺が抱きしめたいのは牡丹ではない。

    「椿、牡丹は天音に……」
    「はい」

     まるで、俺の言葉をかき消すように椿は牡丹の体を俺に寄せてくる。
     俺はその勢いに押されて、牡丹を抱きかかえた。

    「これで、全部終わり」
    「椿?」
    「全部……終わったよ」

     椿の笑顔が不自然に感じた。
     痛いくらいに無理矢理作った笑顔なのが、手に取るように分かる。

    「これで……いいの」

     椿は天を仰ぐように一瞬だけ上を見ると、そのまま地面に崩れ落ちた。

    「椿!!」

     俺は椿にすぐに駆け寄りたかったが、腕の中に牡丹がいてそれが出来ない。その間に陵牙たちが椿の名を叫んで、駆け寄っていく。

    「天音! 牡丹を頼む!」
    「は、はい!!」

     俺は牡丹を天音に預け、すぐさま椿の元へ駆け寄った。
     椿の体からは、ほとんどの霊力が失われていた。

     戦いは終わった。
     だが、椿は取り返しがつかないほどに身も心もボロボロになっていたのだった。

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