第5話 悪夢再来


     その日、蒐牙くんがいなくなった。
     私と雅音さんがお風呂、私がご飯を作ってる間に、玄関から出て行ったみたいだった。
     一応蘆屋家にも連絡は取ったけど、帰っては来ていないそうだった。

    「雅音さんどうしよう!!」
    「大丈夫だ」
    「でも!」
    「京都中を捜索させておる。直に見つかる」
    「う……うん」
    「まさか、あやつがこちらの選択をするとはのう……にわかには信じがたいが、それほどのことなのだろう」

     雅音さんの表情は、珍しく憂いを帯びていて、どこか寂しそうだった。

     私はその日眠れなかった。
     蒐牙くんが一体何を思って一人で悩み、飛び出していったのか……
     分かってあげられないことがもどかしくて、何より事情を話してもらえない自分がもどかしくて、私は必死に涙を堪えていた。

    「椿」
    「うん……?」

     私は雅音さんに名前を呼ばれて涙をぬぐった。
     でも顔を見られたくなくて背中を向けたまま雅音さんの呼びかけにこたえた。

    「眠れんのか?」
    「うん……」
    「心配するな、というのはお前には無理な話かもしれんのう」
    「ごめん……でもやっぱり気がかりで」
    「そうだな……それがお前のいいところかもしれん」
    「雅音さん?」

     雅音さんは優しく、何度も何度も私の頭を撫でてくれた。
     そして、繊細なガラス細工でも触るような手つきで私の頬に触れた。

    「だからお前は人を惹きつける……妬けるくらいに」
    「え?」
    「無意識か? それとも俺を妬かせたいのか?」
    「ま、雅音さ……ん!?」

     強引に振り向かされて、唇を重ねられる。
     雅音さんのキスはいつも少し荒っぽいけど、今日はいつも以上だ。頭がしびれて、何も考えられなくなる。

    「お前は誰のものだ?」
    「雅音さん……」
    「あまり周りの男に優しくしてくれるな」
    「え?」
    「まったく。蘆屋家の男を二人も虜にしておいて、それに気がついておらんとでもいうのか?」

     雅音さんは呆れたようにため息をついた。

    「なに言ってるの?」
    「分からんか? 蒐牙もお前のことを好いておるのが」

     え……?
     え………?
     えええええぇぇぇぇぇえぇぇ!!!!!!?

    「な、なななななな何言ってるのよ!?」
    「気がついておらんあたり、お前はずいぶん色恋沙汰に鈍いと見える。まぁ今までのことを考えても当然かもしれんのう」
    「だ、だって!! 蒐牙くんが私を好きなんて素振り今まで一度も見たことないわよ!?」
    「お前の場合素振りを見せても気がついていなさそうだがのう。まぁあいつは俺を妙に慕っておるからの。陵牙同様、心に秘めるだけで表に出す気はないのかもしれん。蒐牙は俺を敵に回すようなことは絶対にせんからのう。ただ……鵺のことに関しては別格のようだ」
    「鵺って……まさか蒐牙くん、一人で鵺に会いに行ったの!?」
    「御木本家の当主選抜の日付は3日後……そして、御木本の姉、志織の命日も3日後。それまでは姿をくらますつもりかもしれん」

     嫌な予感がしてならなかった。
     何だろう、私の中の本能が蒐牙くんを今回のことで一人にしてはいけないって言ってる。

    「あいつは一度も志織の命日に御木本家に顔を出しておらん。それどころか毎年その日は傷だらけで帰ってくるそうだ。理由はどれだけ問い詰めても一切明かさんらしいがの」
    「蒐牙くん……」
    「大体の状況に関する察しはついておる。ただ、できれば蒐牙の口から直接聞きたかったものだ」
    「うん……」

     雅音さんはきっと、私と同じ気持ちなんだ。
     捻くれたところあるけど、雅音さんは本気でみんなを心配してくれてる。ただそれを素直に表に出さないだけ。

    「蒐牙は……」
    「え?」

     雅音さんは何かを言いかけた。
     でも、すぐに首を小さく横に振って私を抱きしめて言った。

    「お前は何も気にせんでよい」
    「雅音さん……?」
    「今回のことは蒐牙自身が乗り越えねばならぬ壁だ。ただ、一人で乗り越えようとしている蒐牙はうつけとしか言い様がないがの」

     私はこのとき、雅音さんが言わんとしていることが分からなかった。
     というか次の日、私は一瞬蒐牙くんを心配する気持ちを吹っ飛ばされてしまうような事態に直面する。
     その事態は何とも懐かしくて、でも、あの頃とは明らかに違うんだって実感するような出来事だった。


    *****************************************


    (はぁ……結局心配でほとんど眠れなかった……蒐牙くん、今日は流石に学校来ないだろうなぁ)

     私はそんなことを考えながら下駄箱の中の上履きを取り出した。
     取り出して、眠気が一気に覚めた。

     上履きに画鋲が入ってる。しかも大量に。

     あー……この時代遅れのいじめを象徴する感覚がとても懐かしい。
     まぁ、昔の学校のほうが凶悪ではあったけど。納豆とか入ってたし。あれは洗うの大変だったなぁ……

     って、いやいやいやいや!!
     なんで私の上履きに画鋲が入ってるのよ!?

     私は変な動悸がしてきて、寝不足とのダブルパンチで具合が悪くなりかけた。
     でもここで体調崩して倒れてる場合じゃない、とりあえず状況を確認すべく私は教室へ足を運ぶ。

     な……な……なああああああああああ!!?

     黒板にまたも時代遅れの相合傘がでっかく書いてある。
     しかもその下には私と雅音さん……あー……影井先生の名前がでっかく書いてある。

     机の上を見てみれば、やっぱりこの懐かしさ。
     死ねとかブスとか淫乱とか色々書いてある。

     あー……なんかもう、暴れていいですか?

     とか、考えていたときだった。
     向こうから男女のわめき声が聞こえてくる。

    「まったく、だからアッシーは駄目なんですのよ!!」
    「しゃーないやろ!! 俺が家に帰ったときにはもうまっちゃんに拉致された後やってん!!」
    「ふらふら遊び歩いてるからいけないんですのよ。アッシーは本当に当主の自覚あるんですの?」
    「当主かてプライベートの時間あったってええやんか!!」

     わめいたまま教室の中に入った二人の声が、同時にピタリと止まった。
     っていうか、二人とも黒板の落書きと、私の机の上の油性マジックで書かれた嫌がらせの落書きを見て、硬直してる。

     まぁ、無理もない。

     でも、硬直してた深散は黒板、アッシーは机の方向真っ二つに分かれて各々にとんでもない行動をし始める。

    「誰やこないアホ丸出しなことしたんはぁ!!!!!」

     机が、空を舞った。悲鳴が響き渡って、破壊音が盛大に響き渡る。

    「あらあら懐かしい光景ですわねぇ? っていうか私、一昔前までこーんな程度の低いことしてたんですの? すっごい恥ずかしいですわ、なんかイライラしてきましたもの」

     バフバフバフバフ。
     黒板消しを何度も深散は黒板に叩きつけてる。
     チョークの粉がすっごい勢いで舞い上がって教室を汚染していく。
     もちろん黒板周辺にいた人たちは咳き込んでるし、チョークまみれだ。

    「これ以上痛い目見たくなかったら……」
    「これ以上苦しい思いをしたくなかったら……」

     二人とも、こういうときは超息がぴったりなのよね……

    「首謀者言えやぁあああああ!!」
    「首謀者をおっしゃいなさい!!」

     アッシーは私の後ろの席の子の机を、深散は教卓を蹴り飛ばしてものすごいメンチを切って叫んだ。
     これは怖い、正直そこいらの妖怪よりよっぽど怖い。

     その怒髪天中の二人に睨まれて、教室中の生徒がビビリまくった涙目である一人に注目した。
     見ればそこには土井くんが冷や汗たらして、焦った顔で座っていた。

    「土井〜……お前かこんなんやらせたんは」
    「どういうおつもりか、じっくり聞かせていただきましょうか? 体育館裏に面かしやがれですわ」
    「え……? おわぁああああ離せ、離せぇええええ!!!!!」

     二人は叫び声を上げる土井くんをずるずる引っ張って何処かへ連れて行ってしまった。
     なんていうか……頼もしい親友二人だわ。
     私が周囲を見渡すと、私と目が合った子たち、青い顔してドン引きしてるもの。
     ははは……こりゃ清々しいわね。

     そんな状況の中、騒ぎがあった教室に出席簿を持った雅音さんが教室に入ってきた。
     そして粉だらけの黒板と、破壊された教室を見て眉をピクリと上げた。

    「状況を説明せい」
    「………」

     誰か! 誰か説明して!!
     表情変わってないけど、雅音さん明らかに機嫌悪いから!!

    「なんだ、誰も知らんのか?」
    「………」
    「いい度胸だのう」

     ああああああ……もう私知らないから!!
     知らないからね!!

    「あ、あの!」
    「……なんだ御木本」
    「土井くんが、影井先生と清村さんが学校でいちゃついてるとか、二人は生徒と先生のくせに婚約してるとか……そういうことをみんなに触れ回ってたんです……」
    「ほう……」
    「あの……それで、その……面白そうだからからかってやろうって最初は悪ふざけから黒板の落書きが始まったんですけど、みんな登校し始めてどんどんエスカレートしてしまって……影井先生は女子に、清村さんは男子に人気がありますから、色々嫉妬とかそういうのも……はい」

     ちょ、ちょっと御木本くん!?
     雅音さんが女子に人気ありそうなのは分かるけど、私がなんで男子に人気!?
     生徒に変装してた頃から雅音さん女子に囲まれることあったしなぁ……
     必ず言われるのは"髪型変えればカッコいい"、なんだけど。
     別に髪型変えなくたって雅音さんはカッコいいわよ!!

     と、私が一人でトリップした状態で拳を握ってると、雅音さんは能面の表情のまま御木本くんに尋ねた。

    「で、その首謀者の土井はどうした?」
    「蘆屋くんと賀茂さんに拉致されました……」
    「なるほどのう」

     雅音さん、もとい影井先生は粉まみれになった教卓を見て口元をちょっと吊り上げた。

    「土井の悪ふざけを誰も止めなかったなら連帯責任じゃのう。お前ら、1時間目は陰陽術の授業は中止じゃ。教室を掃除しておけ。サボった奴には1ヶ月間一人で掃除させるから、覚悟しておくがよい」

     ああ、教室全体の空気が凍った。
     でも、土井くんが発端で噂が広まってしまった。このままじゃすまないと思うんだけど……

    「せ、先生!」
    「なんだ?」

     一人の女子が手を上げて恐る恐る質問する。

    「土井くんの言ってたこと本当なんですか?」
    「馬鹿お前! 変な質問すんな!!」
    「そうよ! 失礼よ!!」

     教室の中にいる数人はこれ以上話を大きくしてほしくないって感じでその子を止めようとしてる。
     なんか、昨日から思ってたけど、教室の中には何人か雅音さんを極端に怖がってる子がいる。
     一体なんでかしら?

    「具体的にいうてみろ」
    「影井先生と清村さんが婚約してるって……」
    「本当だ。もっとも婚約したのは俺が教師になる前の話、昨日が新学期なのだから分かる話じゃろう?」
    「は……はぁ」

     雅音さん……そんなストレートに……
     教室のざわめきに混じって、私は少しだけ学校生活を続けることを諦め始めていた。
     こんなに話が大きくなってしまったら、きっと校長先生とかに呼び出されて退学みたいなこと言われるんだろうなぁ。
     まぁ、雅音さんに危害がこれ以上いかないなら、私は別に退学でもいいやって思ってる。

    「皆きちんと掃除をしておけよ。後でチェックをするからのう」

     ガタタタタタッ!!

     その声にいっせいにみんなが自分の椅子を机の上に上げて、後ろに下げ始めた。
     やっぱ雅音さん、すごいわね。

    「椿、来い」
    「え?」
    「いいから」

     私は雅音さんに手を引かれて屋上に上がった。
     授業中の屋上は誰もいなくて、しんと静まり返っていた。

    「大丈夫か? 怪我はしておらんな?」
    「うん。昔みたいに暴力的な嫌がらせは受けてないから。受けてたとしても鍛えてますからね、心配ご無用!」

     その言葉に、痛々しいくらい苦しそうな顔の雅音さんの手が、すーっと私の頬に伸びてきた。
     そして柔らかく抱きしめられた。
     雅音さんの甘いコロンのにおいが私を包み込む。

    「雅音さん……?」
    「すまん、辛い思いをさせてしまった」
    「だ、大丈夫だよ! こんなの慣れっこだもん」
    「馬鹿者、そういうことに慣れてどうするのだ」

     確かに。
     いじめや嫌がらせに慣れるって、意外と悲しいわね。

    「でも、噂広がっちゃったね」
    「なに、案ずるな」
    「え?」
    「このことに関しては俺に任せておけ。元より俺が撒いた種じゃしのう」

     なんか、雅音さんの笑みがすっごい怖いことになってるんだけど……
     そう言えば、アッシーと深散に拉致られた土井くんは大丈夫かしら……?

     でも、私はほんの少しだけ嬉しかった。
     前なら私はきっと嫌がらせを止めることはできなかった。
     それどころか、また嫌がらせに耐えていかなきゃいけないところだったわけだし。
     でも、今は私を守ってくれる親友がいて、婚約者がいて。
     私は一人じゃないんだ。辛いことも乗り越えられるし助けてもらえる。

     私はふと、蒐牙くんの寂しそうな顔を思い出した。

     蒐牙くん、お願いこれ以上一人で全部を背負わないで。
     みんなが私を守ってくれるように、私だって他のみんなだってあなたを守りたいはずだよ?

    「雅音さん、お願いがあるの?」
    「む?」
    「私蒐牙くんを助けたい」

     雅音さんは驚いた顔をしていたけど、ふっと目を細めてうなづいた。

    「全ては明後日だ。陵牙たちにも協力させるぞ」
    「うん!」

     蒐牙くん、必ず私たち力になるから……だから一人で全部背負うなんて悲しいことしないで。
     私は心の底からそう願った。
    前へ TOP 創作物 目次 次へ


    拍手をいただけると、管理人が有頂天になって頑張る確率がアップします。

    ↑ランキングに参加しています。作品を少しでも気に入っていただけた、先が気になるときはクリックお願いいたします!

目次

inserted by FC2 system