第5話 修学旅行1日目


     修学旅行を明日に控えた夜、私は久々に帰ってきた両親との会話に花を咲かせていた。

    「それでね、お父さんったらおっかしいのよ」
    「おいおい……椿にそんなこと言うなよ。父親の威厳が台無しだ」
    「お父さんに威厳なんかあったんだ?」
    「椿〜……」

     お父さんはがっくりと肩を落とした。
     私とお母さんはその姿にまた笑ってしまう。

    「あ、そうそう椿。はいお土産」
    「わーありがとう! あけていい?」
    「ええ、いいわよ」

     両手に収まるくらいの正方形の箱を開けると、その中には薄いピンク色の……そう、ピンクゴールドの可愛らしい時計が入っていた。

    「わー! これもらっていいの!?」
    「ええ。あなたもう高校生なんだから、いい加減時計くらい持ってないとね。携帯電話の時計で時間確認する癖はなくしたほうがいいわ」
    「うん、ありがとう! 絶対大事にする!」
    「喜んでもらえたみたいだな。何時間も悩んで選んだ甲斐があったな、母さん」
    「ええ。椿の喜ぶ顔が見られて良かったわ」

     両親はすごく私を大事にしてくれてる。
     出張が多くて、一人にする時間が多いからって、会ったときには会えなかった時間を取り戻すようにたくさんたくさん愛してくれる。
     だから私は、両親の思いに報いなきゃいけない。

     私は一人でも大丈夫だよって。
     安心して仕事してくれていいんだよって、思ってもらえるように……

    「そういえば、星弥くんは元気?」
    「えっ!? あ、う、うん……いつもどおりだよ」

     私は思わず返答に詰まってしまう。
     この間、告白を断ってから、星弥とは一緒に登校してない。
     おかげ様なのか何なのか、私に対するお嬢様のあからさまな嫌がらせはなくなっていた。
     ただ、もちろん爪弾きにはされてるけど……
     暴力やら嫌がらせを受けるくらいなら無視されてるほうが気がらくだ。

    「どうしたの? 星弥くんと喧嘩でもした?」
    「ううん。違うよ。でもちょっと今は年頃故の気まずさってやつかな?」
    「ははは、二人とももう高校生だもんなぁ。幼馴染でも、異性じゃ気まずいこともあるさ」
    「でも、いつか時間が解決してくれることもあるわ」
    「うん、そだね」

     時間が解決、か。
     そうだといいな。

    「そういえば、部活はどうしたの? 今日随分帰りが早かったけど……」
    「え!? あ、ああ……ちょーっと勉強に本腰入れようかなって思って」
    「辞めたのか?」
    「うん……」

     1年の頃までは、ずっと続けていた剣道に更に力を入れようと剣道部に入って楽しく部活してた。
     でも、流石にいえない。
     お嬢様の嫌がらせで部活を無理矢理退部させられたなんて……

    「椿が剣道やめてまで勉強しようなんて、どういう風の吹き回しだ?」
    「何か、夢でも見つかったの?」

     お父さんと母さんはプラス思考にとってくれたみたいだ。

    「う、うん。ほら、うちの両親は立派だからね。二人の背中を見習って、立派な社会人になろうと娘は思い始めたのです」
    「なんだか気持ち悪いなぁ」

     お父さんはそう言って笑った。
     お母さんも一緒になって笑っていたけど、ふと時計を見て言った。

    「ほら椿。明日朝早いんでしょ? お母さんたちはしばらく家にいるんだから、気にしなくていいわ。早く寝なさい」
    「あれ、もうこんな時間なんだ。それじゃあ、先に寝るね」

     時計の針はもう23時を過ぎていた。
     明日は5時起きなだけに、そろそろ寝ないとまずい。
     私は名残惜しさを引きずりながら、部屋に戻った。

    「椿様のあんな笑顔、初めて見ましたの」

     窓枠に腰掛けた小鳩ちゃんが可愛く首を倒して笑った。

    「えへへ。やっぱりあんまり会えないからかな、嬉しいよ」
    「何だか小鳩まで嬉しくなってきますわ。椿様の笑顔は不思議ですわね」
    「そ、そう……? あんまりそれは実感ないなぁ」

     何だか照れくさくなってしまう。
     私はベッドに入って部屋の天井を見上げた。

    「これからしばらくはお父さんとお母さんがいてくれるし、頑張れそう」
    「よかったですわね。明日も、私が一緒にいますから楽しみましょう」
    「そうだね。小鳩ちゃんと京都見物を堪能しようか」
    「私で良ければ色々ご案内しますの」

     そう、クラスから嫌がらせがないってことは、小鳩ちゃんとのんびり京都を見て回ることも出来るってことだ。
     それはそれで楽しそう。

     私は久々に胸を弾ませて、心地よい眠りについたのだった。

    **********************************

     バスの席順は意外なほどあっさり決まった。
     クラスの人数的に、一人だけ二人がけの席を一人で使えるから、私が必然的にそこになったってわけだ。
     まぁ、みんなには見えないだろうけど、荷物の上に小鳩ちゃんがちょこんと座ってるから、実質は二人で座ってるようなものだけど。

     長い間私はバスに揺られながら、誰かと会話することも、お菓子の交換をすることもなくMP3プレイヤーをつけて窓の外を眺めていた。
     高速道路のつまらない風景も、音楽を聴いていればなんら問題ない。
     大好きな曲は何度だってリピートで聴ける。

     まぁでも京都までは結構距離があったから、暇つぶしに影井さんにもらった陰陽術の本を何となく読んでみた。
     結局あんまり意味はわからなかったけど……

     そうこうしてるうちに、バスは奈良へ着いて、最初は法隆寺へ着いた。
     この後東大寺、薬師寺って感じで回って、最後に京都に入る予定らしい。
     明日の自由行動ではぜひ銀閣が見たいな何て思いながら、各所のパンフレットと実際の建物を見物する。
     もちろん、その間は一人だけど、別段気にしない。

     ふと視線の先に影井さんの姿が見えた。
     すっげーつまんなそう……
     むしろ建物を見るより、どこで買ったのか知らないけど、団子食るほうがメインになってるし……
     花より団子ってのはまさにこのことね。
     そりゃそうか、やっぱり地元なんだしこの手の建物は見慣れてるよね。
     しかも陰陽師だしなぁ……

    「えー皆様大変お待たせいたしました。こちらが清水寺になります」

     バスが止まったのは最後の目的地である清水寺付近のだらだらと長い坂の下。
     それをのぼった先に清水寺があった。

    「信じられませんわ。私にこの坂を歩けって言うの!?」

     向こうのほうでお嬢様がわめいてる。
     まぁ毎日お車までご通学してるんだし、この坂はきついだろうなぁ。
     そう思いながらも、遥か向こうのわめき声を無視して私は歩き出した。

     このとき私は気づいていなかった。
     自分が、ある人物にじっと見つめられていたことに。

    「なんや、おもろい子が来はったなぁ」

     その声の主は、笑いながら静かにカランと下駄の音を鳴らして、建物の影に消えてしまった。
     そんな光景に私が気がついているわけがなかったのだけれど。

     だらだらと長い坂の道には七味唐辛子屋さんとか、お土産屋さんがいっぱい立ち並んでいた。
     でも、そんなのには目をくれずに私はひたすら坂を上る。
     そうしたら、やっと清水寺の入り口にたどりついた。
     でも、疲れたってほどでもないから、さっさと中に入ってしまった。

     弁慶の錫杖とか鉄下駄、その手の有名どころをスルーして、私は周囲の風景を一望できる清水の舞台に足を運んだ。

     清水の舞台、やっぱり話には聞くけどすっごい高い場所にあるのね。
     しかも眺めがすごくいい。周囲の緑が一望できてまるで別世界。

    「まったく、ここは江戸時代、飛び降りて無事だったら願いが叶うっていう噂を信じて飛び降りた人がいっぱいいたんですのよ」
    「え……さすがにそれは命知らずだね」
    「まぁ高さは13メートルもあるんですけど、飛び降りた人、意外と生き残ってるんですのよね。9割くらいでしょうか」
    「あれ、思った以上に生き残れちゃうんだ?」

     説明してくれている小鳩ちゃんは呆れたように言う。

    「人間の欲というのはものすごい力を生み出すのかもしれませんわね。ここから飛び降りる覚悟があるなら、飛び降りずに何かやればいいのにと私は思うんですけれど」
    「あはは、そうだねぇ。わざわざ怖い思いと痛い思いしなくてもいいのに」

     私は江戸時代に飛び降りた人たちのことを想像しつつ、思わず清水の舞台の下を覗き込んだ。
     でも、見るんじゃなかった……
     手すりの下に、ぼんやりとモヤっぽいものが見える。

    「ひっ……!」

     私はそのモヤに手を取られた。
     ダメ! 引っ張られる!?

    「椿様!」

     落ちそうになった瞬間、掴まれていない方の腕を誰かに引っ張られて私は下に落ちずに済んだ。

    「椿様に何するんですの! このうつけーーーーー!!!」

     小鳩ちゃんは私と一緒に引っ張りあげられたモヤに向かって思いっきり飛び膝蹴りを見舞っていた。
     気の毒に……ありゃあ痛い……

    「まったく、ここが危ないとわかっておるのに、随分腑抜けた行動だのう」
    「かっ、影井さん!?」

     そこには呆れ顔のまだ団子の残った串を咥えた影井さんがいた。
     てかまた食べてるし……
     前から思ってたけど、影井さん甘いもの好きよね。
     コンビニのパンも菓子パンだったし、食べてる団子も御手洗だし。
     そんだけ甘いもの食べてよくそれだけスレンダーでいられるなぁ。
     うらやましい……

     っと、そんなこと考えてる場合じゃなかった。

    「すみません、つい旅行気分で浮かれてました。ありがとうございます」
    「通りすがっただけだ、気にするな」
    「はい」

     そう言いながら私の前から去っていった影井さんは、また売店で大量の御手洗団子を買っていた。

    「持ってきたお金、全部お団子になりそうね」
    「雅音様は甘いものがお好きですのよ。放っておくとああして日がな甘いもの食べてらっしゃいますわ」
    「何で太らないかなぁ……」

     相変わらず私はそれが不思議で仕方がない。

    「雅音様は食べた分鍛錬なさってますからね」
    「鍛錬?」
    「陰陽術の鍛錬はもちろん、体も鍛えていらっしゃいます。鬼や物の怪との戦いは非力ではつとまりませんもの」
    「なるほど」

     それなら妙に納得だわ。
     あんだけ食べるのも、動いてるからなわけね。

     とりあえず私は、ここがいつ鬼やら物の怪に襲われてもおかしくない場所だと、気を引き締めなおして清水寺を回った。

     でも、結局その後は何も起こらなかった。
     ……と言ってももう少しで鬼に舞台から引きずり下ろされそうになったんだから十分大事なんだけどね。
     まぁ命があったから何も起こらずに終わったことにしよう。

     宿に戻った後も、お嬢様は私を無視したように腰巾着に囲まれて楽しそうに話をしていた。

     お風呂に関しては、きちんと両親から先生に話しが通っていたお陰で一人で入ることができた。
     しかもみんなの泊まる旅館とは別の場所を手配してくれたから、安心してゆっくり風呂を堪能することができた。
     お風呂上り、私は鏡に映った自分の姿を見てぐっ唇をかみ締めた。
     そして目を閉じて、鞄の中にしまってあった黒染めのヘアカラーを取り出して髪を染め始める。

     この姿だけは誰にも見られるわけにはいかない……
     どんなに強い黒染めのヘアカラーでも、美容室で染めてもらおうと、水に触れるとすぐに落ちてしまうから、お風呂の度に染め直さなきゃならないのがネックだ。
     そして、私は仕上げにコンタクトを入れて、いつも通りに戻った自分の姿を見て頷いた。

     うん。
     完璧。

     ふと、思い出すのは悲しい記憶。

     星弥が引っ越してきたあの日を私は忘れられない。

     見知らぬ土地で不安そうに庭で泣いていた星弥に私が手を差し伸べたとき、星弥は私を見て目を見開いた。
     すごく、すごく怯えた表情でしばらく私を見ていたけれど、逃げるように家に入っていってしまった。
     そのときの一言が、私にはショックだった。

    『ママーーー!! 庭にお化けがいる!!』

     そうだ、私はこの姿でいなきゃいけない。
     そうでなければ、ただの化け物だ。

     髪を黒く染めて、コンタクトを入れた私には星弥は懐いてきた。結局この間のことで、私を好いてくれてるのも分かった。
     でも、星弥……
     あんたが惚れたのは、いつぞやのお化けなんだよ……?
     それを知ったらあんたは傷つくでしょ?
     私とあんたは幼馴染だけど……でもね、私はあんたに本当は大きな壁を隔てて接してた。
     星弥、きっとあんたは私を直感的に怖がったんだよね?
     だから、全てを知ったらあんたは、ショックを受けてしまうと思うから。
     真実は教えない。あんたの理想の幼馴染を演じるためにも。

    『ママ、ママ! あたしこんな髪の毛も目も嫌! みんなと同じがいい!!』

     あの日、私はお母さんに頼んで髪を黒く染めてもらった。
     みんなと同じ色になるようにカラーコンタクトも買ってもらった。

     その日からずっと私はみんなの目を欺いて生きてきた。
     きっとこれからもそれは変わらない。

     いいんだ、最初から諦めてる。
     ありのままを受け入れてくれる人なんて、きっといないだろう。
     私は、人とは違うから。

     日陰に咲いた花は、そのまま誰にも見つからずに枯れていく運命。
     だからこそ、その日陰で精一杯日向にいるやつらに負けないように咲いていたい。

     私は荷物を持って、旅館へと戻った。
     次の日の自由行動で油断したことが命取りになるなんて、知りもしないで。
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