第19話 鬼斬の刃


     ―――ドクン!

     私の胸に不思議な鼓動が走ったのは、影井さんをどうにか守って星弥を連れ戻さなきゃと思ったそのときだった。
     この鼓動には、覚えがある。
     これって、蒐牙くんを助けたときのあれだ……力がみなぎってくる。

     私は竹刀を左手に持ち替えて、右手を前に突き出した。

    「鬼斬りの刃……我が元へいでよ!!」

     すーっと地面から刀が現れる。
     私はその刀と竹刀を二刀に構えた。

    「その刀は……鬼斬りの刃!?」
    「影井さん、1分ですよね」
    「あ、ああ……」

     驚く影井さんを無視するように私は言った。

    「私が凌ぎます。ただし、絶対に1分でお願いします。それ以上は保障できませんから」
    「分かった」

     私を見て、茨木は忌々しそうに言った。

    「貴様……鬼斬りの娘か。忌々しい、俺の右腕を昔切り落とした者の生まれ変わりめが」
    「さぁ? 生憎記憶にないわ!」

     私が地面を蹴ると、茨木は私を捕まえようと手を伸ばしてくる。
     でも私はその手を刀で傷つけた。
     茨木はぐっと手を引っ込める。どうやら効いてるみたいだ。

    「茨木がひるんだ!?」
    「なんやあの刀……どえらい霊力を帯びてんで!?」

     私は茨木をどんどん押していった。
     戦い方が分かる、まるで刀が教えてくれているみたいに。

    「臨める兵、闘う者、皆、陣をはり列を作って、前に在り。我、汝の封じられし真名を呼びて……」

     影井さんは必死に印を切っていた。
     星型に手を動かして、ずっと何かを唱えている。

     もう30秒くらいは経った?
     1分ってこんなに長かったっけ……?

    「こしゃくなあああああああああああ!!」
    「うるさい! さっさと星弥を返せ!!」

     私の刀と茨木の手が強くぶつかり合う。
     ものすごい力だけど、今は弱音なんか吐いてられない!
     でも、もう片方の手を竹刀では押さえきれなかった。
     私の竹刀は叩き折られ、体を左手につかまれてしまった。

    「くっ、離せ!!」
    「このまま握りつぶしてやろうか? それとも食らってやろうか?」
    「あんたに食べられるなんて、本気でごめんだわ」
    「確かに、お前のように鬼の血を浴びて怨念によって呪われた肉など食らったら、腹を壊すわい」

     ぎゅっと私を握る手に力がこもる。
     流石に内臓やられそうだわ……
     ごく普通の女子高生に、これはこたえるってば……

     流石にこれ以上は持たない。
     そう思ったときだった。

    「汝の名は酒を呑む鬼……」

     その言葉を聞いた瞬間、茨木の顔色が変わった。
     私を掴む手を緩めて、影井さんのほうを向く。

    「酒を呑む鬼だと……まさか!!」

     茨木は私を放り投げて影井さんのほうへ走る。

    「もう遅い」

     影井さんは小鳩ちゃんの札を空高く投げた。
     その札が赤い光を放ったせいで、茨木は一瞬ひるんだ。
     それは最大のチャンスでもあった。

    「来たれ酒呑童子!!!!!」

     赤い光と共に姿を現したのは……
     あ、あれ!?

    「こ、小鳩ちゃん!?」

     いつもの、可愛らしい姿の小鳩ちゃんだった。
     手乗りサイズで、茨木との大きさを比べたらクジラとミジンコみたいだ。

    「なんだぁ? お前が酒呑童子だと?」
    「茨木、久しいですの」
    「なんだそのへんちくりんな喋り方は。真名を呼ばれてそんなわっぱの姿とは……お前よほど霊力を失ったのではないか?」

     茨木は「ガハハ」と大きな笑い声を上げる。
     でも、小鳩ちゃんは小さくため息をついた。

    「で、茨木。私が酒呑童子だと分かっても、向かってきますか?」
    「ふん、今の俺はこの器の人間の邪気を吸って力を蓄えておる。貴様が酒呑童子だろうと何であろうと負ける気はせんわ、ガハハハハハハ!!」
    「茨木。もうこの時代は鬼の世ではないんですのよ? 私たちを恐れ、敬う者が激減したこの時代で、どう生きるというのです?」
    「ふん、ならばこの俺が今一度恐怖によって鬼の世を作ろうぞ。貴様はその礎となるがいい!」

     小鳩ちゃんの纏う空気が、一気に変わった。

    「そうかい、残念だ。だが、おめぇ程度にこの俺様は倒せねぇぜ」

     小鳩ちゃんは、桃色の着物を脱ぎ捨てた。
     そこには茨木にも負けず劣らず体の大きい、立派な角を生やして、腰からはひょうたんを下げた鬼が立っていた。

    「なっ……酒呑……!! てめぇ力を隠してやがったのか!?」
    「昔なじみのおめぇに一度だけ機会をくれてやろうと思ったのよ。だがもうやめだ。てめぇはこの時代のことを何も分かっちゃいねぇ」

     立派になった小鳩ちゃんは、腰にかけたひょうたんに入った、多分お酒をぐびぐび呑みながら言った。

    「俺たちは恐れや敬いの念が薄くなったこの時代、姿を維持するだけでも精一杯だ。邪気なんてもんはいつの時代にも溢れちゃいるが、それだけじゃ俺らは生きられねぇ。陰陽師に力をもらってこうして生きていくのが一番いいのさ」
    「何を言うか! この男の邪気はこんなにも俺に力を与えているではないか!!」

     小鳩ちゃんは呆れたようにひょうたんを腰の帯に戻しながら言う。

    「だから、そう長くもたねぇって言ってるだろ。人一人の邪気で、お前ほどの鬼がいつまで姿を維持できる?」
    「ならば試してみろ!! 貴様の生き方と俺の生き方、どちらがこの時代にふさわしいか、力で決めればよい!!」
    「はん。おもしれぇ。いいぜ」

     小鳩ちゃんと茨木はガバッと手を組んで押し合いへし合いの状態になった。
     それだけなのにすごい衝撃で、私は刀を地面に突き刺して飛ばされないようにこらえた。
     周囲の式鬼神たちも、自分の主がとばっちりを食わないように、残り少ない力で彼らを守っていた。

    「おーおーやるようになったじゃねぇか」
    「なめた口をきくな!! もう昔の俺ではないぞ!!」
    「小鳩ちゃん!!」

     茨木は小鳩ちゃんを力で押し切り、わき腹を引き裂いた。

    「ぐっ!? おいおい……やってくれるな……どうやらその器の思いはよほど強いものらしい。その気持ちを利用するたぁ、ちっとおいたが過ぎるんじゃねぇか、茨木」

     小鳩ちゃんはひょうたんに入ったお酒を傷口にかけた。
     傷口から煙が上がって、一瞬だけ小鳩ちゃんは表情をゆがめた。

    「人間なんぞ利用して何ぼであろう。さぁ貴様の時代は終わったのだ。これからは人の邪気を食らい、恐怖に陥れる時代だ」
    「はん……そんな時代、面白くもねぇ」

     小鳩ちゃんはもう一度立ち上がって、茨木に殴りかかった。
     茨木はそれでほんの少しだけひるんだけど、やっぱり強い。
     小鳩ちゃんの傷だって、思った以上に酷そうだ。
     殴り合いをしていても、少しずつ押されてるようにしか見えない。

    「ふん……あの小僧、よほどお前に執着をしておったようだのう……」
    「え……」

     見れば影井さんは汗を全身にびっしりかいて、苦しそうに息をしていた。

    「なっ……どうして!?」
    「酒呑童子は力の強い鬼じゃ。制御にはそれなりの霊力を要する。それにあの茨木の力だ……今回ばかりはまずいかもしれんのう」

     珍しい、影井さんからの弱音。
     でも、状況はそれだけ思わしくないってこと。
     このままじゃ、星弥は茨木に飲まれちゃう。
     それに、みんなだってただじゃすまない……!

     もっと……もっと私に力があれば……

     その瞬間、私の持っていた刀が赤い光を放った。
     そこから、まるであふれ出てくるように力がみなぎってきた。
     腕の痛みも感じなくなるほどだ。

     力を……くれるの?

     私は導かれるように、もう一度刀を抜いた。

    「清村!?」
    「私、星弥をこのままにはできません」
    「馬鹿者! お前が適うような相手ではない!!」
    「このままじゃ、どっちにしたって私たちの負けじゃないですか!!」

     私の強い言葉に、影井さんは息を飲んで黙ってしまった。
     影井さんに背を向けて、私は言った。

    「勝手なことをしたことは謝ります。その落とし前くらいはつけます。それに星弥がやったことも……私が全部償います」
    「清村! やめろ!!」

     私は地面を蹴った。
     そして、小鳩ちゃんの肩に乗って茨木を睨む。

    「何だ小娘! 邪魔をするな!!」
    「バーカ! 一騎打ちなんて時代遅れだっつーの!!」
    「椿……おめぇ……」

     茨木とつかみ合いになっている小鳩ちゃんは私のほうに顔を向ける。
     ああ、小鳩ちゃんの面影、やっぱり少しあるわね。
     本当は全然男らしいっていう事実に、驚いちゃったけど。

    「多分、チャンスは一瞬だから。お願いね、小鳩ちゃん」
    「……すまねぇな」

     私は笑って小鳩ちゃんに言う。

    「少なくとも私、小鳩ちゃんのことは信頼してるもの。背中、預けるわよ」
    「ああ、任せろ!!」

     私は茨木の頭の上にまでジャンプした。

    「こしゃくな!!」
    「おっと、お前の相手は俺がしてるんだ、余所見すんじゃねぇよ!」

     私に手を伸ばそうとする茨木の腕を小鳩ちゃんは掴んだ。
     そのチャンスに感謝しながら、私は刀を茨木の頭に突き刺した。

    「ぐっ!? ぐあああああああああああああ何だこの刀はあああああああああ!? 力が……力が抜け出す!!」
    「くっ……うあああああああああああああああああああ!!!!!」

     私は硬くてこれ以上刺さりそうにない刀に、更に力を込めて刃を茨木の頭に押し込めていく。
     茨木はよほど苦しいのかじたばたと暴れ始めた。

    「茨木、俺はやっぱりこの時代が好きだぜ。なんて言っても、人間は捨てたもんじゃねぇからな!」

     小鳩ちゃんは茨木を押さえつけて馬乗りの状態になった。
     そして、叫んだ。

    「今だ雅音!!」

     影井さんはその言葉に頷き、呪符を茨木に向かって投げた。

    「天を我が父と為し、地を我が母と為す……六合中に南斗・北斗・三台・玉女在り、左には青龍、右には白虎、前には朱雀、後には玄武、前後扶翼す」
    「やっやめろ!! 俺はもうあの暗い社の中には帰りたくない……!!」
    「残念だがそうはいかん。お前の考えは危険すぎるでな……」

     影井さんは素早く星型に印を切った。

    「急急如律令!!」
    「うあああああああああああああああああ!!!!!!」

     最後にすごい大声と共に地面が揺れた。
     そして黒い何かが呪符に吸い込まれて、血文字で大きくこう記された。

    『茨木童子』

     呪符はふわりと、導かれるように影井さんの手の中へ戻っていった。
     後に残ったのは、倒れた星弥だけだった。

    「藤原くん!!」

     星弥を見るや否や、賀茂さんは星弥に走り寄っていった。
     泣きながら、星弥を揺さぶってずっと名前を呼んでいる。

    「多分、大丈夫や。命は繋ぎとめとる」
    「ただ、茨木にあれだけ邪気を吸われては、何らかの後遺症が出るかもしれません。症状を緩和するためにも、祓いの準備をしましょう」
    「ああ、蒐牙。準備の手配を頼むで」
    「わ、私も手伝います!」

     賀茂さんたちは星弥の後のことをめぐって話し合ってるみたいだった。
     そして、影井さんは携帯電話でどこかへ電話をしてるみたいだった。

    「ああ、今捕獲した。ああ、ああ。すぐに迎えの準備を。ああ」

     全部、これで終わったんだ。
     きっと後のことは、私がどうこうできることでもない。
     あれだけすごい鬼の後処理だ、きっとこれからが大変なんだと思うし。

     ここからは、陰陽師であるみんなの仕事……

     それに、全てが終わったとはいえ、利用されていたことを知ってこれ以上ここにいるのは私には辛すぎた。
     面と向かって、話をできる自信なんて、これっぽっちもなかった。

     私はせわしなく動いているみんなの前から静かに立ち去った。
     これで、全部終わり。

     影井さんも、蘆屋兄弟も京都へ帰るだろう。
     茨木を盗んだ星弥はどうなるのかな……
     それに、手を貸していた賀茂さんも、なんらかの処罰を受けるかもしれない。

     でも、私には何もできない話だ。
     星弥や賀茂さんは、きっと処罰が決まったとしても、縁があればまた会うこともあるだろう。
     それを待てばいい。

     私には、帰る場所がある。
     お父さんとお母さんが待ってる家へ帰ろう……


     でも、私は家に帰って愕然とする。
     もうそこには、私の帰る場所なんかなかった。


     元気にただいまと声を張り上げた私の目に飛び込んできた光景は、全てが解決したというのに、あまりに残酷なものだった。
     私は手に持った携帯を地面に落とし、床に膝を付いて呆然とそれを見ていることしかできなかった。


     携帯の着メロが聞こえる……


     でももう、そんなのどうでもいい。

     何で、こんなことになったの……?

     何がいけなかったの……?

     私の視界は、いつの間にか黒に近い乾いた赤に染め上げられていった。

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