第29話 鬼斬の娘


     源紅雪からの俺への無理としか思えないような頼みに対して、何者かが『心配ない』と言った。
     姿が見えず周囲を見回すと、紅雪の隣にもう一つ白い光が現れたと思うと、それは人の姿となった。
     平安の陰陽師の装束を纏った男だ。

    「誰だ……」
    『俺か? 俺は安部曇暗。お前の遠い祖先じゃ』
    「あ……阿倍曇暗だと!?」

     流石に俺は驚きを隠せない。
     あの安部晴明の隠し子であり、俺たち土御門家の遠い祖先に当たる安部曇暗が今俺の目の前にいる。
     この男が、十二天将最後の使い手……

    『お前では確かに十二天将全てを使うことは不可能じゃろう。だがこのまま鬼門を開きっぱなしにするわけにもいかん、面倒だが手伝ってやる』
    「手伝う……?」
    『俺は所詮死者だ。十二天将を取りまとめる手伝いくらいしか出来んが、その先くらいは現代の陰陽師たちでどうにかできるじゃろ』

     曇暗は椿のほうを見て目を細めた。

    『六合、天空。いい加減その娘の体から出てやれ。気の毒で見てられん』

     すると、椿の体から白と黒の光が抜け出し、椿の服装が元の高校の制服姿に戻った。
     椿の前には、白い装束の六合、黒い服装の天空が静かに佇んでいた。

    【曇暗、おぬしが協力しにくるとは思っておらなんだ】
    【想定外の展開じゃのう】
    『愛する妻に俺たちの子孫が苦しんでいるから助けてくれと縋られては、助けぬわけにはいかぬだろう?』
    【お熱いのう】
    【死してなお、天に昇らず妻のためにこの場にとどまった男の言うことは違うわい】

     六合と天空は目を細めて言った。

    【久しぶりにお前と共に戦うことが出来るか、張り切るのう】
    【他の奴らも喜ぶじゃろう】

     その言葉に曇暗はふっと口元に笑みを浮かべた。

    『しかし、随分と寝ぼけておる奴らもおるようだのう。封印が解けてさっさと寝床を見つけたらそのままじゃ』
    【仕方なかろう、目覚める機会がなかったのだ】
    【それだけこの平成という世は平和ということじゃ】
    『くくく、それは喜ぶべきことかもしれんのう』

     曇暗は印すら斬らずに符を4枚宙に浮かべると、呆れたように言った。

    『これ、貴人・大裳・大陰・勾陣。いつまで寝ておる、はよう起きろ。それに、現世で戦っておる残りの者も、こっちへ来い』

     その瞬間だった。
     俺たちの目の前に5本の光の柱が立った。

    「なっ!? 天音……!?」
    「兄ちゃんにおかん!?」
    「お兄様!!」
    「店長まで……」

     驚いた。現世で戦っているはずの天音たちが、突如俺たちの目の前に現れたのだ。

    『ふむ、どれどれ……土御門天音……お前を選んだのは貴人か。それに、大裳はそこのいかつい男……鎌田。勾陣は賀茂家の子孫、和葉。天后は蘆屋家の嫁、十六夜。騰蛇は蘆屋家の長男、冥牙に無理矢理連れてこられたか。くくく、なんとも予想に反せぬ寝床じゃ……ん?』

     そこで、曇暗は首を傾げた。
     そうだ、十二天将のうち1人だけ足りない。
     大陰を宿した人間が、どこにもいないのだ。

    『いつまで寝ぼけとるのだ。こんな非常時でものんびりしているところは、嫌いではないがのう』

     そういって曇暗は海松橿姫に伸された後、尻餅をついたまま状況を見守っていた星弥のほうを見た。

    「え?」
    『ふむ、一度は鬼に心を食われながらも立ち直った男、藤原星弥か。面白い奴を選んだのう』

     その言葉と共に、星弥や他にもこちらに呼び出されて状況が読めていない天音たちの体が光ったと思うと、彼らの背後に各々十二天将の姿が現れた。

    「ど、どういうことだい? 俺たちは土蜘蛛一族と戦っていたはずじゃ……」
    「そうよ! このままじゃお店に避難してる人たちが取り憑かれちゃうわ!」

     慌てる和葉と鎌田をたしなめるように、十六夜様はいつもと違った落ち着いた雰囲気で言った。

    「大丈夫よ、和葉ちゃん、鎌ちゃん。今の敵は土蜘蛛にあらず、そうでしょう?」
    『鋭い女子は嫌いではない』

     十六夜様の言葉に曇暗は満足げに口元を吊り上げた。
     そしてぎしぎしと歪む鬼門を見て言った。

    『お前たち、突然の状況で困惑しているかもしれんが、話は簡単だ。鬼斬の娘があの鬼門から出ようとしている愚鬼を押し戻したら急いで印を切れ。そして十二天将の力を使って鬼門を封じるのだ』
    「そんなこと……突然言われても! 十二天将など、扱えるわけが!!」
    「天音」

     曇暗の言葉に慌てる天音の気持ちは十分に理解しているつもりだ。
     十二天将など、簡単に扱える代物でもないしな。

    「お前ならできると俺は信じておる」
    「兄さん!?」
    「ここでお前がやり遂げれば、お前はきっと今の状況を抜け出せる」
    「え……?」

     俺は海松橿姫に取り憑かれた牡丹を見た。
     天音は彼女を見て、何かを感じたように拳を握る。

    「やれるな?」
    「……やってみます。今のままでは、きっと牡丹は戻ってきてくれない……そうですよね?」
    「さぁのう。だが、お前が男を見せれば、牡丹は自分からお前の元に帰りたいと思うかもしれん」

     俺の言葉に天音はふっと笑みを浮かべた。

    「ははっ、兄さんからそんな言葉を聞くことになろうとは……」
    「お前とて俺の弟だ。力は十分にある、あとは自分を信じろ」
    「はい!」

     ずらりと9人の陰陽師と1人の一般人が鬼門の前に整列した。
     各々の背後には強烈な霊気を帯びた十二天将。
     ふと俺の背後にさらに2つの巨大な霊気が並ぶ。
     途端に俺の体から大量の霊力が抜け出るのが分かった。

    「お、お前たち!?」
    【厄介になるぞ】
    【お前しか候補がおらんしのう】

     六合と天空であった。
     朱雀を召喚し、それでなくとも霊力の消費が激しいのに、こいつらは飄々と俺の霊力を吸ってその場に君臨している。

    「随分と図々しいのう」
    【仕方なかろう? 鬼斬の娘にこれ以上憑依するわけにもいかん】
    【あの娘にはあの娘のすべきことがあるしのう】

     俺は椿のほうをチラリと見た。
     かなり疲弊しているのに、椿はスサノオを構え鬼門を睨んでいた。
     椿の心はまだ折れていないのだ。

    『椿、来ますよ』
    『両手は私たちに任せて、あなたは奴を仕留めることだけに集中して? 一発でももらったらそこで終わりだから』
    「はい!」

     その瞬間、鬼門が大きく歪み、鬼神の上半身が露になった。
     その表情は見ているだけでもおぞましいほどに歪み、憎悪や怨恨をたっぷり吸っていることが手に取るように分かった。

    【さぁ愚かな人間共! まずは貴様らから食らってやろうぞ!!】

     俺たちは椿が奴を鬼門の向こうに押し戻してくれるのを信じて意識を集中し始めた。
     今回は茨木のときのような付け焼刃の協力ではない。皆が一丸となって椿を信じ、椿に背中を任せている。
     必ずやり遂げてみせる!

    『はぁ!!』
    『いやぁ!!』

     速来津姫と紅雪はさすが戦いなれているようだった。鬼神の手をかわし、素早く切りつけるが、奴もなかなかに回避が上手い。
     椿は六合と天空に霊力をかなり吸われ、立っているのもやっとというような感じだった。

    【こしゃくな娘共だ!】

     鬼神は一気に速来津姫と紅雪を捕らえようとした。
     その素早さは、あんな巨体からは信じがたいものを感じた。

    『くっ!』
    『想像以上に素早いわね……!』

     やはり、相手は神に等しい力を持っているだけはあって、先代の鬼斬の娘ですら苦戦を強いられている。
     このままでは……
     俺がそう思ったときだった。

    「力を貸すぞ! 速来津姫!!」
    『!?』

     その声と共に、鬼神の腕に綱が巻きつき動きを封じる。

    『海松橿姫……!』
    「急げ! 流石に長くは持たん!!」
    『俺たちも力を貸すぜ!』

     さらに、海松橿姫が捕らえた腕とは別のもう1本の腕に黒い人魂がまとわりつく。
     それは先ほどまで椿を捕らえていた、打猿たち4人の人魂だった。

    「さぁ、我らがやつの動きを止めている間に、両の腕を封じろ!!」
    『海松橿姫……打猿、国摩侶、青、白!! ありがとう!!』

     速来津姫と紅雪は顔を見合わせて頷くと、地面を強く蹴った。

    【ぐあぁ!?】

     右手を速来津姫のツクヨミが、左手を紅雪のアマテラスが貫き、そのまま地面に突き刺さる。
     鬼神の手は、まるで標本の蝶が虫ピンで刺されているような状態だ。

    『椿! 今です!』
    『平成の鬼斬の娘! あんたの思い、全部ぶつけてあげなさい!!』

     その言葉に、椿は目をカッと開き地面を蹴った。
     そしてスサノオを大きく振りかぶって鬼神の頭に振り下ろした。

     しかし……

    【ぐはははは!! 疲弊しきっているのか小娘!! そんな一撃、痛くもかゆくもないわ!!】
    「くっ!!」

     椿は押し返されそうになっても、懸命に刃に力をこめ続けた。
     しかし、その力はどんどん弱くなっていく。

    「だ……駄目! お願い、もう少し、もう少し持って!!」

     椿は必死にそう叫ぶが、やはり六合と天空を召喚するために使った霊力は計り知れなかったのだろう。
     椿の手が、スサノオから離れそうになった瞬間だった。

    「諦めちゃ、駄目ですのよ椿様」
    「え……」

     その瞬間、大きな手が椿の手に重なるようにスサノオを握りなおした。

    「小鳩ちゃん!!」
    「さぁ、行くぜ椿!!」
    「うん!」

     そうか、打猿を破ったおかげで小鳩の石化の呪いが解けて……
     まったく、奴はいつも良いところばかり持っていくな。

    【馬鹿な!! 神の力を手に入れた我が……こんなにあっさりと!?】
    「恨みつらみを吸って手に入れた力なんかに、負けない」
    【なに!?】
    「あんたが背負ってるのが、土蜘蛛たちの憎悪や怨恨なら、私が背負ってるのはみんな愛情……簡単には切れないどんな長い時間が経っても光を失わない、永遠の輝きを持った魂の絆よ!!」
    【ぐ……う……ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!】

     椿が手に力をこめたのが分かった。
     その瞬間、鬼神はまるで何かが弾けるように光の塊になり、周囲に分散し消えてしまった。

    『今だ、我が子孫たちよ! 印を切れ!!』

     俺たちはその合図と共に各々、家系は違えど思いを一つに印を切った。
     これはまるで、椿の命が潰えたあのときのようだ。
     こんな状況なのに心を合わせて事を成し遂げようとしていることが、なぜか分からぬがとても心地よく感じた。

    「天を我が父と為し、地を我が母と為す……六合中に南斗・北斗・三台・玉女在り、左には青龍、右には白虎、前には朱雀、後には玄武、前後扶翼す……!!」

     まず、俺たちの式神である青龍、白虎、朱雀、玄武が閉じる鬼門の東西南北に吸い込まれていった。
     そしてその隙間を埋めるように、貴人、大裳、大陰、天后、騰蛇、勾陣が扉に吸い込まれていく。
     彼らの姿は鎖となり、符となり鬼門を封印していく。

     そして最後に……

    【鬼斬の娘、清村椿よ】

     天空がふわりと宙を舞い椿に呼びかけた。
     椿は顔を上げて天空を見る。

    【お前に辛い思いをさせてしまったな】
    【すまなかった】

     天空の横に並んだ六合が椿に言うと、椿は首を横に振った。

    「力を貸してくれてありがとう、天空さん、六合さん」
    【天空さんに六合さんか】
    【くくく、残念じゃのう。鬼門を封じる役目がなくば、今しばらくそなたと共に平成の世を堪能したかったものじゃ】

     二人は顔を見合わせ笑っているように見えた。

    【さらばじゃ椿】
    【残されたときを、悔いなく生きよ】

     そういうと二人は両の扉の真ん中に吸い込まれ鍵と錠になった。

    「急急如律令!!」

     俺たちが声を張り上げると、ぐらぐらと揺れていた鬼門がしんと静まり返った。
     先ほどまでひっきりなしに噴出していた汗がぴたりとやんで、俺たちの戦いは終わったのだということを暗示しているようだった。

    『まさかあの強力な鬼を冥府に押し返すのではなく滅してしまうとはのう。たいした娘だ』

     曇暗は感心したように椿を見た。
     椿は鬼門のほうをじっと見据えて動かなかった。

     こうして俺たちの生きる平成の世は、皆の力を合わせたことによって鬼神にほろぼされる危機を回避できた。
     めまぐるしい日々が、やっと終わりを告げたのだった。

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