第9話 蘇った者たち
布団で眠る椿の手を、俺は握った。 正直怖かった。 このまま椿が目を覚まさないのではないかと何度も思った。 椿の手の体温を感じるたびに、まだ椿は生きているのだと安堵する。 「まっちゃん、そんなに何度も確認せんでも、椿ちゃんは大丈夫や」 「分かっておる……」 陵牙にそういわれても、俺はきっとまた同じことをするだろう。 椿が目を覚まして俺の名をもう一度呼んでくれるまで。 「さて。話をしてもいいかな」 「あーもうちょい待ってや兄ちゃん。今ミキモンがこっち向かってる最中やねん」 「誰だ……?」 「御木本螢一郎。御木本家現当主ですわ」 「なるほど。彼も協力者なのか?」 「大事な仲間、やな」 陵牙は、そう言ってずっと気になっていたであろうことを口にした。 「兄ちゃん、生きてたんやな」 「ああ。一度は冥府まで行ったがな」 「え……えぇ!?」 「ただな、そこに来て無理矢理引き戻されたのだ」 「一体誰に?」 「母さんだ」 「え?」 冥牙はふっと笑って言った。 「十六夜母さんだよ。あの人は死を受け入れようとしていた俺を、無理矢理俺をねじ伏せてこっち側に連れ戻してきた」 「そ、そんなことできるんかい……冥府まで行ったってことは死んだってことやろ」 「厳密には死の宣告を与えられる一歩手前だな。だからこそ、こうして戻ってこられたわけだが」 どうやら十六夜様は禁忌を犯す一歩手前の危険を冒して冥牙を連れ戻したようだ。 本来人間は死者をこちらの世界に戻してはならない。 例えそれができたとしても、してはならないのだ。 そう、椿が特別に死してこちらに戻ることを許されたのは、神の力を使ったから。 だからこそ、もう二度目はないだろう。 「まぁ母さんのすごいところは冥府まで俺を迎えに来たことというより、冥府の番人と普通にタメ口聞いて、事情を話して俺を返してもらったところだな」 「普通事情話しても帰れんやろ……」 「すごいを通り越して無茶苦茶ですね」 なるほど、十六夜様が冥牙に攻撃を受けた後しばらく目を覚まさなかったのはこのためか。 全てを察していらした、ということだろう。 流石としか言いようがない。 そんな会話を続けていると、夜中だというのに蘆屋家のインターホンが鳴った。 「陵牙様、御木本家の御当主がお見えになられました」 「おう、通してや」 御木本はおずおずと座敷に入ってきた。 「こんばんは。家、ずいぶん酷い壊れようだけど、みんな大丈夫だった……わけじゃないか」 冥牙は入ってきた御木本を見て興味深そうに笑った。 「ほう。君があの御木本のところの……螢一郎くんか」 「え? あ、はい」 「俺のことは覚えているか?」 「い、いえ……すみません」 「俺と蒐牙の兄ちゃんや」 陵牙の説明に、御木本は驚いたように目を見開いた。 「冥牙様ですか!? 生きていらしたんですね!!」 「ああ」 「陵牙くんも蒐牙くんも、よかったね」 御木本の言葉に、陵牙も蒐牙も顔を見合わせてそのときばかりは笑顔を見せて頷いた。 「さて、これで全員か?」 「あのさ、俺たちもお邪魔させてもらっていいかい?」 「連れないわね、私を呼ばないなんて」 「お兄様!?」 「店長!?」 そこにはいつの間にか和葉と鎌田、そして十六夜様が立っていた。 そしてもう一人…… 「天音……何故お前がここにいる」 「十六夜様に呼ばれたんだ。内密にね」 「ふん。現土御門の当主は、お前への監視がよほど甘いらしいな」 「あの人は僕という人間に興味がないんですよ。次期当主である兄さんが全てなんですから」 何故十六夜様が天音を呼んだかは分からない。 だが思慮深い彼女のことだ、何か考えがあるのだろう。 あまり気乗りはしないが、ここは話に参加させておくことにしよう。 「そうだ雅音。これをお前に返しておく」 「……?」 「団子の皿の上に置いてあった」 冥牙は俺の手の上に何かを置いた。 見ればそれは、椿と俺の婚約の誓いを意味する婚約指輪だった。 「……椿」 俺はその指輪を椿の手にはめなおすことはできなかった。 俺のエゴでこれをはめることは、許されることではない気がした。 椿が目覚めて、もう一度これを贈ったときに、椿が笑顔を見せてくれて初めて俺は許されるのではないだろうか。 「さて。ではそうそうたるメンバーも揃ったことだ。話を始めるぞ」 「ああ」 冥牙は周囲を一度ぐるりと見回すと口を開いた。 「まず、今この国は危機に陥っているということは理解できるか?」 「いきなりそんなこと言われても理解できないね。国が危機に陥ってるって……一体何が起きてる? お前は冥府で何を見て、何を知ったんだ?」 和葉は怪訝そうに言った。 「ふむ、賀茂家の次期当主が知らんとなると、思った以上に認識は甘いようだな」 「兄ちゃん、焦らさんと早く言うてや」 「お前たちは土蜘蛛一族を知っているな?」 「土蜘蛛……大昔天皇に従わなかった者たちのことですよね?」 蒐牙は眉を潜めて言った。それに冥牙は頷き、さらに問う。 「ああ。それ以外には?」 「あんまり文献残ってないやん。天皇と戦って滅されたとか、そんな風土記に載ってるようなことしか知らんで」 冥牙は肩をすくめて言った。 「まぁそれだけ知っていれば充分だ。少なくとも土蜘蛛一族が俺たちと同じ人間だということを理解さえしてくれていればいい」 「先ほど襲ってきた奴らを、確か影井様は土蜘蛛と呼んでましたわよね?」 「ああ」 そう、奴らは土蜘蛛一族。 今この世界で生きていてはならない存在だ。 「土蜘蛛一族は太古に天皇と戦い大半が滅ぼされた。生き残った者は天皇に従い、生きる道を選び人と交わりその姿を消した」 「姿を消した土蜘蛛が、何だって今更大暴れしてるんすか?」 星弥の問いに、冥牙は目を細めた。 「あれが、土蜘蛛の末裔ならばまだマシなのだがな。奴らは、太古に滅ぼされた土蜘蛛そのものだ」 「なっ、なんやて!?」 冥牙の言っていることは間違いではなかった。 そう、奴らが土蜘蛛一族の生き残りの末裔ならばよかったのだ。 「あれらは死者だ。それこそ、椿や冥牙どころじゃない。大昔に死んだ、神にすら蘇ることを許されておらん存在だ」 「死者って……めっちゃ俺らに触れてたやん。死者の魂とは、神の力でも借りなきゃ接触できんで」 「憑依、かしら?」 鎌田はふと口にする。 その言葉に一同が顔をしかめた。 「憑依……じゃあ、太古に死んだ土蜘蛛の魂が人に憑依してるってことですの?」 「御木本。ここ最近の行方不明者のデータを上げてくれぬか。霊力の高い者……陰陽師に絞ってだ」 「分かりました。警察のほうのデータと……すみません、陰陽師協会のほうのシステムにも少しだけ不正に進入しますよ?」 「構わん、続けてくれ」 御木本は持参のノートパソコンのキーボードを叩き始めた。 ものの数分で、御木本は俺のほうに画面を向けた。 「5人ほど……候補が上がりました」 「………」 集まった者たちは皆一様に御木本のパソコンを覗き込んだ。 「不知火益城(しらぬいましき)、佐世保速来(させぼはやき)、能美芹佳(のみせりか)、藤津憐王(ふじつれんのう)……そして……三善牡丹の5人です」 「……皆それなりに名家の人間だのう」 牡丹の名前が挙がった瞬間、俺の心はざわついた。 あいつとて、名のある陰陽師の家系の娘。例外ではない。 分かってはいても、今回のことには関わっていてほしくない、俺はそう思った。 「……嫌な予感は当たってしまうものかもしれません」 御木本は名前の次に5人の写真データをパソコンの画面に映し出した。 その5人のうち牡丹を除く4人は間違いなく、先ほど蘆屋家に襲撃をかけてきた土蜘蛛たちだった。 「どうやら、運悪く依代にされてしもたみたいやな」 「いや、それは違うと思うよ」 御木本は陵牙の言葉を真っ向から否定した。 そう、運悪くたまたま奴らは依代にされたわけではない。 「見て。陰陽師協会が管理してるデータをちょっと拝借したんだけど、彼らの家計図をずっとたどってみたんだけど、全員共通点がある」 「どういうことだい?」 和葉は解せないといった表情でパソコンの画面を見ていたが、すぐにその理由に気がついたようだった。 「まさか……彼らの祖先は……」 「ええ、直系ではないですが、土蜘蛛の血が混じってます」 「なんてことだ……じゃあ彼らは自分の血が混じった子孫の体をのっとったわけですか?」 蒐牙の問いに御木本は小さく頷いた。 「赤の他人をのっとるより、肉体と魂は馴染みやすいと思います」 「しかし何でまた土蜘蛛一族は椿を目の敵にしてるんですの?」 「まっちゃん、なんか知ってるんか?」 俺に視線は一気に集中した。 そうだ、俺は椿を守らなくてはならない。 正直、鬼斬の娘の文献を調べなおしていて様々なことが明らかになってきた。 土蜘蛛と鬼斬である椿の因縁も。 それは椿自身が知るよしもない太古の昔の話であり、椿には何の関係もないことだ。 しかし、土蜘蛛一族にとっては椿は忌むべき存在。 ただ、鬼斬として生まれてしまったが故に…… 「椿自身も、土蜘蛛の末裔だ」 もちろん、その言葉に周囲のものが驚かないわけがない。 冥牙と十六夜様、そして御木本を除いたその他全員が驚きの表情を浮かべていた。 「俺も冥府に落ちて様々なことを知ったが……つい最近まで陰陽師という存在と関わりを持たず普通に生きてきた彼女には、少々酷な運命だな」 「ああ。だからこそ俺は椿を守らねばならん」 俺は静かに椿のほうをむき、白く透き通る髪を撫でた。 「まっちゃん、兄ちゃん! どういうことなんよ!? 詳しく聞かんと分からんよ!!」 「そうだな……お前たちには知る権利がある。それを知って、そしてあの土蜘蛛たちの強さを目の当たりにしても尚、共に椿を守る戦いに参加するか、よく考えるといい」 俺は重い口を開いた。 「お前たちは知っているか? 速来津姫(はやきつひめ)と、源紅雪(みなもとのこうせつ)という二人の鬼斬の存在を」 この話を聞いてここにいる者たちがどれだけ、椿を守る戦いに参加してくれるかは分からない。 それだけ土蜘蛛一族の力は強大だ。 それでも、戦うならば全てを知った上で皆に椿の傍にいて欲しかった。 椿の、壮絶な運命を知っても尚、椿の傍にいてくれる存在が今は必要だと俺は確信していた。 |