第13話 本当の物語


    「はぁ……はぁ! はぁ!!」

     俺の目に妙は光景が飛び込んできた。
     ひとりの男が必死に、街道を走ってる。しかも今の舗装された綺麗な道路とかじゃなくて、大昔の街道だ。

     よく見ればあの坊さん……さっき椿の体から抜け出てきた……安珍か?

    「いかん……惑わされてはいかん……」

     安珍は必死に、まるで自分に言い聞かせるように歩き続けている。
     ついには大きな川のほとりにたどり着いて、彼は舟に乗る。

    「安珍様!! 安珍様!!」
    「!!!!!」

     安珍は驚いたように声の方を見る。
     そこには遠くから必死に声を張り上げて走ってくる女の子……清姫の姿があった。
     安珍は一瞬立ち上がってそっちに駆け寄ろうとしたけど、首を横に振って舟の船頭に声をかけた。

    「舟を出してくだされ……」
    「よろしいので?」
    「はい……はよう出してくだされ」
    「へい」
    「安珍様!!」

     清姫は必死に追いかけたけれど、川に入られてしまっては走って追いかけようがないようで、しばらくそこで泣いていた。
     その姿は痛々しいほどにくたびれていた。
     ずいぶん長いこと走ってきたのか、足は傷だらけになっていて、着物の裾も擦り切れて、土に汚れていた。
     髪も乱れて、顔は涙でぐしゃぐしゃになってる。
     清姫はずっと安珍の名前を呼んで泣いていたけれど、ふと顔をあげると何を思ったのか川へ入っていった。
     川は深くて、どんどん清姫は沈んでいく。
     まさか……自殺!?

     でも、俺はその時の清姫の様子の変化に気がついてしまった。
     あれだけ澄んだ茶色をしていた清姫の目が真っ赤に血走っていた。
     あの目を俺は知ってる……そうだ、蛇女になった時の清姫だ!

     完全に清姫が川に沈んだのを安珍は確認し目を見開いていた。
     口をぼんやりと開けて、体を小刻みに震わせている。

    「清姫……清姫!!」

     その呼び声と共に、清姫が沈んだ場所から突然巨大な大蛇が現れた。

    「ひっ……うわぁああああ!!」

     その水しぶきと衝撃で、安珍の舟は沈んでしまった。
     でも、命からがら安珍は川を這い上がり、大蛇になった清姫を呆然と見ていた。

    「おのれ安珍……許さん……許さんぞ!!」
    「!!!!!」

     その地を割るような声に、安珍の表情は一気に恐怖に塗り変わった。
     そして一目散に逃げ出したのだった。
     でも、もちろん逃げたからって大蛇に姿を変えた清姫が安珍を逃がしてくれるはずもない。

    「清姫……なぜ……なぜ分かってくれぬ!!」

     安珍はとにかく走った。走って、走って、走って、走って……
     そこである寺に逃げ込んだ。そこには"道成寺"と記されていた。

    「どうぞお助けください!!」

     安珍はそこの住職に懇願して助けを乞うていた。
     住職は深く考えた表情で安珍を見ている。でも、小さくうなづいて言った。

    「よかろう。草鞋をお貸しなさい」
    「え? 草鞋ですか?」
    「そうじゃ」

     住職は、寺の小坊主たちに釣鐘を下ろさせて、その間にわざと草鞋を挟んだ。
     そして安珍を寺の本堂に隠し、自分たちは必死に寺の外でお経を唱えていた。

     そしてとうとう大蛇と化した清姫は石段を上り道成寺内に侵入してきた。
     空が厚い雲に覆われて、不気味なほどにあたりが暗くなった。
     清姫は血走った目であたりを探し回っていた。住職たちには目もくれずに、とにかく安珍の名前を呼び続けていた。

     そして清姫は、不自然に下ろされた釣鐘に目をやり、そこに草鞋が挟まっていることを確認した。

    「そこか! そこにおるのか!!」

     清姫はぐるぐると釣鐘に巻きつき、炎を体から放った。
     あんなことしたら釣鐘はものすごい高温になる。中にいたらひとたまりもなかっただろう。

     それを見た安珍の顔はもちろん恐怖の一色。
     自分が焼き殺されていたかもしれないと思うと、震えも止まらなかったんだろう。

    「おのれ……憎き安珍……憎い……憎い!!」

     それからどれほど時間が経ったろうか。
     寺の鐘は完全に灰と化し、中を見た清姫は目を見開いた。

    「なん……だと……」

     清姫は中に安珍がいないことに気が付き、激怒していた。

    「おのれ安珍!! どこへ逃げた!!」

     でも、なぜか安珍がいる本堂の方には全く目もくれずに、石段を降りていってしまった。
     清姫がいなくなっても、住職たちはしばらくお経を唱え続け、しばらくたって空が青い色を取り戻したと同時にお経はやんだ。

    「もう大丈夫ですぞ」
    「ありがとうございます住職……」
    「いやいや。物の怪には見えんよう本堂に結界を張りましたからの」

     住職、ただものじゃねぇな。
     安易に鐘に安珍を隠さなかったのか……でも、この事実は史実には残らなくて、安珍は鐘の中で焼き殺された、とされたわけか。

    「ですが安珍殿。あなたはここで死んだことにしておきなされ」
    「え?」
    「清姫にあなたが生きていると知られては困るじゃろう。二度とこのあたりには姿をみせんことじゃ」
    「……わかりました」

     その後安珍はそこから遠く離れた別の国に身を潜めていた。
     でも、眠るたびに安珍は悪夢を見続けているようだった。布団に入ってもうなされて、すぐに目を覚ますような毎日だ。
     あれじゃあ、体が持たない……

     あの清姫の事件から何年かが過ぎて、安珍はある噂を耳にした。

    「また道成寺に白拍子が出たそうじゃ」
    「なんと恐ろしい……また男が焼き殺されたのですか?」
    「ああ、清姫の怨念じゃろ。昔愛した男の面影でもあったのか……不幸なことよ」

     安珍はその噂を耳にして居ても立ってもいられなかったんだろう。
     やせ細った、弱りきった体に鞭を打って道成寺まで走り続けた。

    「住職! 住職!!」
    「安珍殿……なぜここへ!?」
    「清姫がまだこの界隈をうろついているのですか!? 怨念になって男を焼き殺しているとはまことですか!?」

     住職は観念したように安珍を本堂に座らせた。
     そしてすべてを話しだした。

    「噂のとおりじゃ。最近この寺に白拍子が現れるようになってな。その白拍子と会話をした男はみな、安珍と呼ばれすがり付かれるそうじゃ」
    「清姫……」
    「しかし、人違いだと拒絶すると、彼女は大蛇の化物となり男を焼き殺す……ただの化物に成り下がってしまったようじゃのう」
    「そんな……そんな!!」

     安珍は涙を流して本堂の床をずっと叩いていた。

    「謝らなければ……清姫に!!」
    「無駄じゃ」
    「何ゆえですか!?」
    「先日清姫はまた一人男を焼き殺したばかり。そうすると人違いだと理解するのかまたあなたを探してしばらく姿を現さなくなる。次に現れるのはいつのことか」

     安珍は絶望した顔のまま、床に臥せってただ泣いていた。
     自分がしでかしたことの大きさに押しつぶされそうになっていたのかもしれない。

     安珍は弱りきった体で動くこともできずにそのまま道成寺で寝こんでしまった。
     でも、病状はよくならずにどんどん衰弱していった。

    「住職……紙と筆をお持ちいただけませぬか?」

     虫の鳴くような声で安珍はいい、渡された紙に何か文字を書き始めた。
     そしてそれを住職に渡したのだった。

    「住職……清姫に……それを。もし清姫が受け取ることがなければ、後世にこの文を残してくだされ」

     それを書き終えて、安珍は安堵したのか静かに目を閉じた。
     それ以降安珍が目を開けることは二度となかった。

     住職はその手紙を見て目を眇めた。

    「誰か彼女に伝えておくれ……嘘を言って悪かったと。逃げ出して悪かったと。私はもうそちらにはいない。だからもう、私を探すのはやめて、早くこちらへおいでと。そして道行く男よ、気をつけなされ。道成寺で白拍子に会ったなら、顔を伏せて逃げなされ。努々言葉を交わしてはいけないよ……あなたは清姫に焼かれはいけない。私のせいで、命を落としてはいけない……けれど、もし道行く人よ。あなたに清姫が救えるならば、どうか彼女を救ってほしい……」

     住職は小坊主を呼んでその手紙を渡して言った。

    「捨て置け。これ以上清姫を刺激してはならん」

     住職は厳しい表情のまま、もう返事を返すことはないであろう安珍に言った。

    「まこと勝手な男じゃのう」

     安珍は、その言葉をしっかり聞いていた。
     体から魂が抜け出ても、安珍は天に昇って成仏するなんてことできなかったんだ。
     ただ、人知れずずっとずっとそれからは道成寺で、清姫の素行を見守っていた。
     邪念にとらわれた清姫には、安珍の姿が見えなかったんだろう。
     そして安珍自身も、何もできなかった。

     ただ、彼はいつの間にか作られた道成寺の歌を耳にしてよくそれを夜な夜な歌っていた。
     そう、椿が歌っていたあの歌だ。

    「トントンお寺の道成寺……」

     それは夜に聞こえてきたらちょっと不気味だったんだろうな。
     時代を何百年も経て、安珍はずっとその歌を歌い続けた。
     そこには前に深散が言ってた、失われたはずの三番が含まれていた。

     多分その歌の内容は、清姫に渡されなかったあの手紙の内容を歌ったんじゃないかと思う。
     いつか、清姫に歌が届くように……

     あの失われた三番は失われたんじゃなくて、最初から存在しなかったんだ。ただ夜な夜な安珍がその自分の替え歌に近い三番を誰かが聞いて、元々あった三番が何らかの事情で失われてしまったと勘違いして伝わっただけ。
     本当伝承って意外と適当なところあるんだな。

     ただ、最後にその歌は清姫の耳に届いた。
     手紙こそ住職に捨てられて清姫に届くことはなかったみたいだけど、きっと二人で天に昇ったんだ。
     これから、ゆっくりお互いに千年の思いを語り合うだろう。

     唯一の救いは、安珍が道行く人に当てた手紙を小坊主が隠して残しておいたことか。
     どうにもそこだけはあの坊主、住職の言うことに納得できなかったんだろうな。
     まぁ隠し方が寺の蔵に隠すとかずさんだったから、後世に半分しか残らなかったのかもな……

     すーっと光が引いて俺たちは顔を見合わせた。
     影井さんはふぅっとため息をついて言った。

    「まさか本当の安珍清姫伝説の一部始終を見ることになろうとはのう」
    「貴重な体験じゃないか。ま、こんな話発表したところで誰も信じやしないだろうから、俺たちの心の中に留めておくことになるんだろうけど」
    「まぁ協会のほうにも記録が残ることになるじゃろ」
    「真実が明かされたことが、救いですわね」

     影井さんと和葉さんの言葉に、ちょっとだけ目を潤ませた深散先輩は言った。

    「協会に記録されれば確実に後世まで真実が伝わりますもの。一部の人間にだけでも」

     深散先輩は空を見上げて微笑んだ。

    「よかったですわね清姫。きっとこれからは幸せになれますわ。だって貴女には千年も思い続けるほどの深い愛情があるんですもの」
    「深散先輩……」

     先輩はただ黙って俺の手をきゅっと握った。
     俺はそれを握り返して一緒に空を見上げる。

    「安珍、お前もちゃんと捕まえててやれよ。今度はなしたりしたら俺が許せそうにねぇからな」

     俺たちはしばらく二人が昇って言った空を見上げていた。
     まるで俺たちの問いかけに答えるかのように、空で二つの星がきらりと輝いていた。

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