第3話 星弥の式神
夜遅くに帰ってきた雅音さんは、部屋の惨状と私を見て驚いていた。 当然といえば当然か。 「肌が爛れておるではないか!? 小鳩はどうした!」 「これ……」 石化した小鳩ちゃんを見て、雅音さんは目を見開いた。 でもそれをすぐに眇めて言った。 「石化の呪いか……」 「ねぇ、戻してあげて……?」 「すまん……その呪いは術者が自ら望んで解くか、術者を殺さねば解けんのだ」 「そんな……!!」 「それよりもすぐに病院へ行くぞ。そのままではまずい」 「でも!」 「小鳩の呪いは死ぬようなものではない。だがお前の場合は放って置けぬだろう!」 小鳩ちゃんが心配で、病院にすら行く気になれない私を、雅音さんは半強制的に、引きずるようにして車に押し込んで病院まで運んでくれた。 深夜だって言うのに、病院の恐ろしいほどのVIP対応には戸惑ってしまったけれど、何とか手当ても終わって私は雅音さんのところに戻った。 「雅音さん、お待たせ」 「ああ、大丈夫……ではないな」 「……傷、残るのは我慢しろって」 「そうか」 お医者さんの説明じゃ、本来なら致命的な傷になりかねないものだったらしい。炭になってもおかしくなかった腕が、爛れただけですんだのは奇跡だって。 だけど、雅音さんは私の包帯で巻かれた腕を見て痛々しい表情を浮かべると、病院の真ん中だって言うのに、私をぎゅっと抱きしめてきた。 傷のことを気にしてるのか、少し力は緩いけれど、心地いい。 でも、いつもと決定的に違うものに、私は気がついてしまった。 私は思わず雅音さんから体を離す。 「どうした?」 「う、ううん……少し疲れちゃった……帰ろう?」 「ああ」 香水…… 雅音さんの甘いコロンの匂いに混じって、鼻につくきつい香水の臭いがするのに私は気がついてしまった。 でも、帰宅後も私は隣で横になってる雅音さんから香ってくる、きつい香水の臭いのせいで眠れずにいた。 「雅音さん……」 「どうした眠れんか?」 雅音さんのマンションは、ベッドが黒こげで使えないってことで私のマンションへ戻ったけれど、すごく居心地の悪い気分。 「……どこ、いってたの?」 私の言葉に雅音さんは目を見開く。 「何故そのようなことを聞く?」 「雅音さんから、いつもと違う臭いがする」 「……におい?」 「私は……雅音さんの甘いコロンの匂いが大好き……でも今日は別の……香水の臭いがする」 ほんの少し私の声は涙声になっていたかもしれない。 もしかしたら、雅音さんは他の女の人のところにいたんじゃないかって、不安になる。 「すまん、嫌な思いをさせたの」 「え?」 「風呂を借りる」 「雅音さん!!」 雅音さんはその後何も話してくれなかった。 不安ばかりが募って、私はその日一睡もできなかった。 ******************************** 次の日の登校時、雅音さんは先に出て行ってしまったけれど、代わりに深散と星弥が私を迎えに来てくれた。 「影井様に聞きましたわよ椿! 昨日襲われたんですって!?」 「うん……」 「大丈夫ですの? 怪我は?」 「火傷したけど……そんなことより小鳩ちゃんが……」 深散は私の手の中で石化した小鳩ちゃんを見て表情を暗くした。 「なんて酷いことを……許せませんわ!」 深散は私の手を握って、強い眼差しで言った。 「任せてくださいまし! いざとなったらそいつをぶっ飛ばして泣かせて石化の呪いを解いてやりますわ!」 「深散……」 「でも敵は酒呑童子の小鳩っちを倒した奴だろ? 大丈夫なのか?」 「それは……」 深散の表情が不安そうなものになった。 「少なくとも小鳩ちゃんという戦力がいなくなってしまったのはかなり痛いですわね……」 そう言った深散は、星弥の顔をちらりと見た。 「んえ?」 「星弥くんが式神の一匹や二匹呼び出せれば、少しは戦力になるんですけれどね」 「はぁ!? いや無理無理無理!!」 「でも、最近の星弥くんの陰陽術の成長には目を見張るものがありますし、やろうと思えばできるんじゃありませんこと?」 そうなのだ。星弥は鬼に憑かれやすい体質上、身を守るために陰陽術を学校で習ってる。 だけどその才能が実は結構なもので、めきめきと実力を伸ばしてる。 私なんてそっち方面はからっきしなのに。 「だからって式神はちょっと……」 「星弥くん、一般人にしては珍しいほどに霊力持ってますし、物は試し。駄目そうなら契約後でも符を破ってその契約を破棄してしまえばよいんですわ」 「深散……本気?」 「これが冗談の目に見えまして?」 「いや見えねぇけど……見えねぇのが逆に俺は怖い」 結局深散は学校について即星弥と私を屋上に引っ張ってきてしまった。 確実に1時間目はサボるつもりだろう。 「いいですこと? この陣からは何が出てくるか分かりません。けれど友好的でない妖怪の類は人間の呼び出しには応じないはずですから、安心してよいですわ」 「でも、式神と人間の間には信頼関係が必要なんだろ? 初対面で大丈夫なのか?」 「契約自体は、ね。それに霊力がそれなりにある星弥くんは、蒐くんと違って符を介して式神を呼べるでしょうから安心していいですわ。元々信頼関係は式神の力を引き出す上で重要なものだから、霊力のある者の契約にはあまり支障ありませんの」 「なるほど……じゃあとりあえずやってみるっす」 星弥は深散に言われたとおりに印を切って呪文を唱えた。 結構さまになってるのよねぇ…… 「臨・兵・闘・皆・陣・烈・在・前!!」 すると陣がぱーっと光った。あまりのまぶしさに私は目を覆った。 そして光が引いて出てきたものは…… え……? え………? えええええぇぇぇえぇえぇぇ!!? 正座して、さっきまで軒先でお茶飲んでましたって言わんばかりのお兄さんだ。 明らかに人間じゃない!? 「な、何これ……」 「さ、さぁ……失敗してその辺の人連れてきちゃいましたかしら」 「こんな事例あるのか?」 「少なくとも、見たことも聞いたこともありません」 やっぱ、一般人の星弥じゃ式神契約を結ぶのは無理なのかしら…… 目の前のお兄さんは騒がしいのに気がついたのか、湯飲みを口から離して首を傾げた。 「おやぁ?」 「あ、あの……」 「はいはい」 お兄さんに恐る恐る話しかけると、彼はにっこり笑って答えてくれる。 不思議なのは、灰色の着物に黒い羽織っていうのはまぁいいけど、髪の毛だけが奇抜な青色をしてる。 開かれた目は、綺麗なエメラルドグリーン。 かっこいいけど、とにかく目がちょっと痛くなりそうなお兄さんだ。 「あなたは、誰ですか?」 「その前にここはどこですか? 私は自分の家で奥さんとお茶を飲んでたはずなんですが」 まぁ、ごもっともな質問よね。 「ここは京都の私立喪之野華学園の屋上ですわ」 「京都……?」 お兄さんは首を傾げてた。 「ふむ。どうやら妙な力に呼び出されたようですね」 「あ、あのどういうことですか?」 「あなた方のうち誰かが、何かしらの力で私を呼び出した、ということですよ」 「ってことはあなた、やっぱり妖怪かなにかですの?」 「妖怪って……かわいい顔してずいぶん失礼なお嬢さんですね」 お兄さんは呆れたように肩を竦めた。 「私はー……えーあー……まぁスイと呼んでください」 「絶対偽名だ」 「ええ、絶対そうですわね」 「名前なんてどうでもいいじゃないですか。それより私を呼び出したのはどちら様で?」 「た、多分俺です」 「ほう」 スイさんは星弥を見て目をすーっと細めた。 「なるほど。あなた、私を知ってたわけですか」 「え?」 「頭の中を読める不老不死のおっさん、といえば分かりますか?」 「え……ええええええええええええええ!?」 星弥は腰を抜かすほど驚いていた。 なに、何なの知り合い!? 「だってあれって小説の中の人だろ!? 大体あの話、ファンタジー小説じゃねぇか!!」 「ふむ、どうにも私はこちらの世界に縁があるようですねぇ……」 スイさんはくすくすとただ笑っていた。 「まぁ、呼んだからには用事があるんでしょう?」 「え? あ、ああ……でもあんたを呼ぶ気はさらさらなかったっていうか……ええいもう、こうなったらしょうがねぇ!! あのさ、俺の式神になってくれない?」 「式神?」 どうやら陣から出てきた割に、スイさんは式神の意味が分かっていないようだった。 「俺の霊力をあんたにあげる代わりに、力を貸してほしいんだ」 「霊力もらうって言われても……霊力がなんだか私はわかりませんし、第一それ、私にメリットありますか?」 「今のスイ様を見る限り、あるようには見えませんわね。ただあなた、先ほども伺いましたけれど、人間ではありませんわよね?」 「くす。そうですねぇ……元は人間でしたけど。今の私は妖怪ではありませんけど、言うなれば化け物……ですかね」 「なっ! せ、星弥!! あんたとんでもないもの呼び出したんじゃないでしょうね!!」 「い、いや……俺の知ってるすいぎょ……いやスイさんは、ちょっと食えないし、性格捻じ曲がってるしヘタレだけど、何だかんだ色々協力してくれるいい人なんだよ!!」 「全然いい人に思えないし!!」 そんなやり取りをしているとスイさんは呆れたように言った。 「まぁ、どうせ役目を終えなきゃ帰れないみたいですねぇ」 「え?」 スイさんはこんこんっと陣を叩いた。 「参りましたねぇ……帰り道を塞がれてるってことは、意地悪な神様に何か仕向けられましたね……」 「どういうことですの?」 「いえいえ、こっちの話です。星弥でしたか? とりあえずあなたが私を呼び出したその"理由"を解決しないことには、私は自分の世界に帰れないということです」 「なんかすんません……」 「まぁ、退屈していたところです。何とも面白そうですし、気が向いたら協力……ん?」 スイさんはすっと目を細めた。 そして私を突き飛ばした。 「きゃっ!?」 私がいたその場所に小さなくぼみができていた。 何これ…… 「隠れていないで出てきたらどうです?」 「あれあれ、何者かなぁ?」 屋上の金網の上に人影があった。 そこには小柄な男の人が座っていた。 「鬼でもなーい、物の怪でもなーい? お兄さん何者?」 「ただのご長寿ですよ」 「へー、とてもそうは見えないけどな」 男の子は金網から降りてきてくすくすっと笑った。 「僕は今日後ろにいる鬼斬の娘に用があってきましたー。邪魔しないでくださーい」 「用事っていうより殺しに来たって方が正解くさいんですがね」 「あれあれー? 何でわかったの?」 「彼女がいた場所に穴が開いてたら誰でもそういう結論に至りますよ」 スイさんは、完全に怖気づいた私の代わりに男の人との会話を進める。 チラッと見てみると、星弥も深散も目の前の敵であろう男の人に完全に怯んでる。 この感じ、あの打猿のときと同じだ。 そこに存在するだけで怖い…… 「あはは、お兄さん面白いねー。僕は国摩侶、あなたはー?」 「あなたに名乗る名前は持ち合わせてませんね。ご長寿で充分です」 「えー。まぁいいや。邪魔するなら鬼斬の娘より前に死んでもらいまーす」 なっ……!? 国摩侶の手にはどこから持ってきたのか大きな鉄球が握られていた。 鎖でつながれていて、それをあんな小柄な体格でぐるぐると頭上で回してる。 「ほう、こっちの世界にもそんなことできる人がいるとは驚きですね」 「あはは、驚いてばっかりいると死んじゃうよー!」 スイさん目掛けて国摩侶と名乗った男の鉄球が剛速球で飛んでいった。 あんな猛スピードの鉄球避けられるわけない!! 「でも、くぐってきた修羅場の数には自信があるんですよね」 スイさんがそういうと、鉄球は音を立てて地面に落ちた。 見れば、鉄球の鎖がちぎれて地面にめり込んでいた。 「あっれー? 何で何で? どっから出したのその鎌」 国摩侶は分が悪そうに苦笑いを浮かべた。 「どっからでも出せますよ。この世界に……そうですね、空気中に一滴でも水が存在し続ける限り、ね」 「うっわー反則くさ、何そのゲームバランス崩壊みたいな設定」 国摩侶はそういうと元いた金網の場所に戻って言った。 「今日のところは半覚醒だし、これくらいにしといたげるね」 「なっ!? 待って!! 何なのよあなたたち!!」 「さぁ? 教えてあげないよーだ。バイバーイ、裏切りの姫君」 国摩侶はそのまま屋上から飛び降りていってしまった。 でも、あの人がここから飛び降りたところで、死ぬとは思えなかった。 「ふむ。とてもこちらの世界とは思えないようなことが起きてる、ってことでいいんでしょうかね」 「どうして分かるんですか?」 「まぁ何度かこちらの世界には遊びに来たことがありますが、あんな物騒な"人"には一度も会ったことがありませんしね。というかこちらで人間に対して武器を振るったのは初めてです」 私はへたり込むようにその場に座り込んでしまった。 何なのよ…… 昨日と今日、間髪入れずに襲われるとか、一体どういうこと? 私が何したって言うのよ…… 私はがくがくと震える肩を抱き、ただただ地面を見ていることしかできなかった。 命を狙われる恐怖が全身を支配して、私は立ち上がることさえできなかった。 |