第4話 突きつけられる絶望


     国摩侶と名乗る男に襲われた直後、階段を駆け上がってくる音と共に屋上のドアが開いた。

    「椿!!」
    「雅音さん……」
    「妙な霊力を感じた……大丈夫か!?」
    「う、うん……」

     私はへたり込んだ状態から立ち上がって頷いた。

    「何があった?」
    「昨日襲ってきた奴の仲間だと思うけど……」

     私は屋上のくぼみを見て青ざめた。
     もしスイさんが私を突き飛ばしてくれなかったら、私は今頃……

    「そいつはどうしたのだ?」
    「えっと、スイさんが追い払ってくれた」
    「スイさん?」

     私は星弥の横に立っている、星弥の式神……って言っていいのかな?
     とにかく星弥が呼び出した、自称化け物のスイさんを見た。

    「なんだ貴様は」
    「いきなりご挨拶ですねぇ」
    「ま、雅音さん!?」
    「お前は黙っておれ」

     雅音さんの表情がいつになく険しい。
     どうしたっていうの!?

    「貴様人間ではないな? 一体何者だ」
    「おや、鋭いですね」
    「はぐらかすな。この辺に取り巻く妙な気配は貴様が原因か」
    「これでも抑えてるほうなんです、勘弁してください」

     問い詰める雅音さんの質問を、スイさんはのらりくらりとかわす。
     す、すごい……雅音さんに対してここまで物怖じしない人……いや、人じゃないか……ううん、まぁこの際どうでもいい、とりあえず物怖じしない人は十六夜さん以来初めてだ。

    「貴様の中に渦巻く気配は人の領域を超えておる……100年……いや300年は生きておるな?」
    「おやおや、本当に鋭いですねぇ。まぁ、私が何者であろうとあなたには関係のない話です」
    「なんだと?」

     うわぁ……やばい、超にらみ合ってるよ!?
     何でこんな状況になるわけ!?

     おもむろにスイさんは、雅音さんの顔を見てすーっと目を細めて皮肉を含んだ笑みを浮かべた。

    「あなた、そんなんだといつか近い将来大切な人を失いますよ」
    「……っ!?」

     雅音さんは目を一瞬見開いて、苦々しげに言った。

    「何が……言いたい」
    「あなたを見ていると、昔の自分を見ているようでイライラします」

     スイさんはその一言を放った次の瞬間には、元のにっこりした笑顔に戻って私たちに言った。

    「まぁ私は星弥の式神らしいですから、そういうことにしておきましょう。そのほうが何かと都合がよさそうだ。それじゃ、さっき言いかけましたが気が向いたら協力してあげますよ」

     そう言うとスイさんは、懐からビンを取り出したと思うと、その中身をぶちまけた。

    「なっ!?」

     でもその水が地面に落ちる頃には、スイさんの姿はどこにもなかった。
     やっぱ……人間じゃないんだ……

    「どういうことだ星弥!」
    「え!? あ、ああの!?」
    「影井様! 星弥くんを責めるのはおよしになってください」

     星弥に詰め寄る雅音さんを深散が必死で止める。
     雅音さん、どうしたんだろう……酷く取り乱してる。

    「私が星弥くんに石になった小鳩ちゃんの代わりになるような式神を呼ぶように言ったんですのよ……責められるべきは私です」
    「余計なことを……あれはこちらの世界にいるべきものではない」
    「え?」

     雅音さんはそれだけ言うと、私たちに背を向けた。

    「椿、守れなくて済まなかった」
    「雅音さん……」

     雅音さん、最近妙に落ち着かない……っていうからしくない姿を見せる日が多い。
     一体どうしたんだろう……

     私は雅音さんの背中を見送りながら、不安な気持ちを隠しきれずにぎゅっと胸の前で手を握っていた。


    ************************************


     結局その日から、私は学校の登下校に常に誰かが付き添ってくれるようになった。
     家についてからは、どうしても一人になってしまう時間は長くて、その間は小鷺さん……雅音さんの式鬼神の後鬼さんが守ってくれていた。

    「椿様、ご気分はいかがですかいのう?」
    「小鷺さん……うん。大丈夫」
    「ですがだいぶ食が細くなられて、お痩せになられましたよ」
    「あんまり、食べる気になれなくて……」

     私は石になってしまった小鳩ちゃんの頭を何度か撫でて、泣きそうになるのを堪えた。
     ご飯を食べるのが大好きだった小鳩ちゃん……
     石になってもお腹は減るのかな……

    「酒呑童子は大丈夫です。強い鬼ですから、自力で何とでもしますわい」
    「1000年もすれば、でしょ?」
    「………」

     小鷺さんは目を伏せてしまった。
     打猿が言ってた。1000年もすれば戻れるって。
     でも1000年後になんか私は確実に生きてない。

    「椿様。必ず雅音様が守ってくださいます。ご安心なさい」
    「そう……だね」

     それでも私は不安だった。
     最近、雅音さんは私と必要最低限の会話しかしなくなった。
     何かを考え込むような顔で、黙っている時間が多くて話しかけることができない。

     そんな時、突然ガチャリと家のドアが開いた。

    「今戻った。今日は何もなかったか?」
    「うん、おかえりなさい雅音さん」

     また、疲れた顔をしてる。そしてまた、あの香水の臭い。

    「どうした?」
    「ううん、なんでもない」

     雅音さんは私の頬に手を触れた。

    「何かあったのか?」
    「大丈夫。学校の行き帰りはみんながいるし、帰ってからも小鷺さんがいてくれるから」
    「本当に大丈夫なのだな?」
    「………」

     まっすぐ見つめられて私は目を逸らしてしまう。

    「寂しい思いをさせて済まぬな……明日、ちと付き合ってくれるか?」
    「明日?」
    「ああ、お前を連れて行きたい場所がある」

     私はわけが分からないままに頷いた。


     次の日、私が車で連れてこられたのは、蘆屋家・賀茂家の大豪邸よりもさらにすごい、超豪邸。
     何ですかここは……
     京都にも皇居とかあるの? ってくらいすごい家だ。

     雅音さんは門の前で車を止め、インターホンに向かってつぶやいた。

    「俺だ」
    『お帰りなさいませ雅音様。ただいま門を開きます故お待ちください』

     インターホンの声と共に門が開いて、雅音さんは駐車場らしき場所に車を止めた。
     車から降りると、そこはもう一つの由緒ある寺院とかなんじゃないだろうかってほどに立派なお庭。

    「あの、雅音さん……ここ、どこ?」
    「……俺の実家だ」
    「実家!?」

     な、ななななななななな!!
     どういうこと!? いや雅音さんの実家の話は一度も聞いたことなかったけど、こんなすごい家だなんて知らなかったよ!?
     や、やばい……なんか背筋が凍りついてきた。

    「どうして……実家に?」
    「お前、あと2ヶ月ほどで高校を卒業するだろう?」
    「うん」
    「俺との約束は覚えておるか?」

     私は雅音さんに婚約指輪を渡された日のことを思い出した。

    『結婚はお前が高校を卒業したその日にするとしよう』

    「簡単な話をすれば結婚の挨拶じゃ」
    「え!? えぇぇぇ!?」
    「まぁ、お前は俺の横におればよい。何があってもお前は俺が守る」
    「どういうこと……?」
    「なんとしてもお前が俺の生涯の伴侶だと認めさせねばなるまい」

     雅音さんの表情は今まで見たことないくらい真剣だった。

     大きなおうちに似つかわしくない、こぢんまりとした玄関。
     雅音さんはそこを躊躇なくあける。実家だから当然だけど。

    「おかえりなさいませ、雅音様」
    「ああ。皆揃っておるか?」
    「もちろんでございます」
    「うむ」

     雅音さんが玄関を上がろうとしたときだった。

    「雅音兄さん!!」
    「ん?」

     奥から慌てたように声がした。
     見れば……大人しそうな男の人……でもどっか雅音さんに似た雰囲気を持った人が走ってきた。

    「天音……」
    「誰?」
    「弟だ」
    「弟!?」

     雅音さんの弟……天音さんは私の姿を確認すると、困ったような表情をしたけれど、すぐに頭をペコリとさげた。

    「えっと……清村椿さんだよね? 私は土御門天音と申します」
    「土御門……? 影井じゃなくて?」
    「影井は父方の親戚の苗字です。兄さんは土御門から無理矢理籍を抜いて、戸籍上父方の叔父の養子になってるんです」
    「え……じゃあ雅音さんって……まさか……」

     土御門。聞いたことある。
     蘆屋家・賀茂家に並ぶ陰陽師の家系の御三家の一つ……

    「御三家の人間だったの!?」
    「ふん。事実はそうだが、俺はこの家を捨てた」
    「兄さんまだそんなことを……兄さんがいくら反抗したところで母上は納得しませんよ……実際土御門の当主はまだ母上がやっていて、兄さんが帰ってくるのを心待ちにしているんですから」
    「俺はこの家の当主になる気はない。何度言えば分かる」
    「兄さん……」

     どうやら雅音さんは、ご家族と上手くいってないみたいだ。
     それにしても雅音さん、どうして当主の座を次ぐのをここまで拒否してるんだろ。

    「玄関先で騒ぐものではありませんよ、雅音さん、天音」
    「母上……」

     騒ぎを聞きつけてか、さらに奥から着物を着た綺麗な女の人が現れた。
     切れ長の目、ちょっと表情のないところなんかは雅音さんと似てる。
     天音さんが母上って言ってるってことは……この人が雅音さんの……

    「きちんと話の場は設けてあるのですから、そこで話しなさい」
    「は、はい……」
    「ふん」

     雅音さんは不機嫌そうに靴を脱ぎ、玄関から家へ上がった。
     どうしていいか分からずどぎまぎしていると、雅音さんのお母様は私のほうを一瞥した。

    「あなたも、そんな場所でぼんやりしていないでおあがりなさい」
    「は、はい……」

     玄関を上がると、私たちはそこまで大きくはないけれど、とても趣のある座敷に通された。
     窓から立派なお庭が見える。

    「あの、ご挨拶が遅れました。清村椿と申します」

     私が深々と頭を下げると、雅音さんのお母様は目をすーっと細めた。

    「存じ上げています。茨木童子の際は迷惑をかけましたね。協力していただいたことも耳に入っています」
    「は、はぁ……」

     何だろうこの空気。いるだけで全身を針で刺されてるみたいな感覚だ。
     息が詰まる。

    「そして、あなたが鬼斬の娘であることもね」
    「!」

     突然、雅音さんのお母様は置いてあった水差しの水を私に向かってぶちまけた。

    「やめろ! 何をする!!」
    「ふん、汚らわしい」
    「……!」

     私は慌ててハンカチで自分の顔を拭いた。
     ハンカチが茶色く染め上げられて、自分の髪が白に戻ってしまったことに気がつく。

    「雅音さん、なんの気の迷いか知りませんけれど、あなたはこの土御門家の跡取りです。そんな鬼どもの血を浴びて穢れた一族の末裔の結婚など許しませんよ」
    「だから何度も言っている!! 俺はこの家は継がんと!」
    「まだそんなことを……あなたはこの家の跡取りにふさわしい才能をもっているのです。なぜそのような我侭ばかり言うのですか!!」
    「俺は俺のしたいように生きる。もうあなたの言うことを聞いて生きるのはうんざりだ」
    「まだ牡丹さんのことを引きずっているのですか?」

     その瞬間、ダンッとテーブルを叩く音が聞こえた。

    「あなたという人は。自分のせいで失踪した人間のことを気にも留めないというのか!?」
    「代わりはあてがったはずです」
    「この世の中に生きる人間に代わりなどおるものか!!」
    「ここまで生き写しなら問題ないはずですよ? ねぇ杏子さん」

     その呼びかけと共に、ふすまがスーッと開いた。
     そこからは、とても綺麗な女の人が現れた。深散が洋人形なら、こちらは和人形。
     長い髪をなびかせて、杏子さんは私を押しのけた。

     この……臭い……!!

    「雅音さん、今日もお会いできて嬉しいです」
    「杏子……」
    「ほら御覧なさい、そんな穢れた娘より、並んでいればあなたたちのほうが御似合いよ」

     雅音さん、杏子さんを振り払おうとしない……
     あんなにくっついているのに……

    「椿さん、彼女は土御門が決めた雅音さんの正式な許婚です。あなたには雅音さんと付き合う資格すらない。さっさと雅音さんの前から姿を消しなさい」

     許婚……? なに? どういうこと?
     じゃあ、私との婚約って……なんだったの?

    「こんなの……見せ付けるために私をここへ呼んだの?」

     私は、なんだか心底絶望してしまった気がした。

    「椿!」
    「帰ります……お邪魔しました」

     私は雅音さんのほうを向かないままに、歩き始めた。

    「待て椿!!」
    「雅音さん、まだいいじゃないですか! 御夕飯食べていきましょう?」

     そっか、雅音さん毎晩あの人に会ってたんだ。
     だから香水の臭い、移っちゃってたんだ。そういうことか……

     私は道の真ん中で思わずへたり込んでしまった。
     鞄から、石になった小鳩ちゃんを取り出してぎゅっと抱きしめる。

    「小鳩ちゃん……私どうしていいかわかんなくなっちゃったよ……」

     涙が、あふれて止まらなかった。

    「椿さん!!」

     私は雅音さんに似た声に名前を呼ばれて、思わずハッとしてその場から逃げ出そうとした。

    「待ってください!!」

     でも腕を強く引っ張られ無理矢理にそちらを向かされて、気がついた。
     私を追ってきたのは雅音さんじゃなかった。そこには天音さんが立っていた。

    「泣いて……いらしたんですか?」
    「い……いえ。大丈夫です」

     天音さんは何かを思ったように、私の涙をぬぐってくれた。

    「椿さん、あなたは兄さんを愛していますか?」
    「はい」
    「迷いがないのですね」

     思わず即答してしまった私の発言に対して、天音さんはふっと微笑むと頷いた。

    「ならば兄さんを信じてあげてください」
    「え?」
    「あの人の心は今、大きな後悔に苛まれています。それのために自分の思うように動けないでいる。でもあの人はきっと自分自身でその後悔を乗り越えます。だから、待ってあげてください」

     天音さんはそういうと私にタオルと上着を貸してくれた。

    「その格好では風邪をひきます。気をつけて帰ってください」
    「ありがとう……ございます」

     私が頭を下げると天音さんは私の手を握って言った。

    「今まであんなふうに兄さんが母上に噛み付いたことなどなかった。あなたはきっと兄さんを変えたのですね」
    「え?」
    「私も、兄さんには自由に生きてもらいたい。だから、微力ながら応援しています」
    「自由に……?」
    「私が兄さんから自由を奪ってしまった。だから、兄さんには幸せになって欲しいんです……それじゃ」

     天音さんはそういうと私の前から走り去っていった。
     私はその場に一人きり、雅音さんの心の中に何があるのかも分からないままにその背中を見送っていた。

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