第4話 蒐牙くんの想い


     流石に、突然雅音さんが年齢詐称してうちの高校に転校してきたのには驚いたけれど、雅音さんが傍にいてくれるのはとても心強かった。
     もしアッシーに万が一なにかあっても、雅音さんがいればきっとなんとかしてくれるだろう。

     ふと私はアッシーの方へ目をやった。今一番深刻な状況に立たされているであろうアッシーはずっと授業中もぼんやりしていた。
     頬杖をついて、天井を見上げたまま微動だにしない。

    「はい、じゃあ次の歌を蘆屋くん、読んで訳して」
    「………」
    「蘆屋くん!」
    「ふぇ? あ、えーっとどこですか?」
    「こら蘆屋くん、授業に集中しなさい。ほら、312ページの2行目から」
    「あー……」

     アッシー大丈夫かな……全然授業聞いてなかったっぽいのに、いきなり指されて答えられるの?
     なんか教科書片手に持って立つアッシーの姿が妙に頼りなくて私はそわそわしっぱなしだった。

    「えー……あずさゆみ? ひけどひかねどむかしより、こころはきみに、よりにしものを?  あー……私の思いをあんたが引こうが引くまいが、私の心は昔からあんたにぴったりくっついて離れんかったんに……って感じかいな?」
    「……よく訳せましたね」

     すごい……読み方は超独特だけど、訳に関しては全然聞いてなかったはずなのに、歌の意味ちゃんと理解してる。
     先生も正直びっくりして言葉になってないし。

    (雅音さん、アッシーって実は結構頭いい?)
    (ん? あいつがうつけなのは素行だけだからのう。一度聞いたことは大抵忘れん奴だからのう、無意識にどっかで聞いたことがあったのだろう)

     いやいや、それにしたってすごいから……
     アッシー、雅音さんや蒐牙くんに散々いじられて馬鹿にされてるけど、そうじゃないのかもしれない。
     っていうか、いじってる二人がすごすぎるのよね。
     そういえばアッシーは前の学校でも転校してすぐにクラスメイトの顔と名前全員一致させたって言ってたっけ。
     蘆屋家を束ねる人間としては、できなきゃいけないって言ってた気がする。
     アッシー……当主として結構苦労してるのかもしれないなぁ。
     私はそんなことを考えながら、午前中を過ごしていた。

     午前中が終わりを告げ、屋上に私と雅音さん、アッシーに蒐牙くんという懐かしい顔ぶれ。
     そこに深散もプラスされて、微妙な雰囲気のお昼休みが開始された。

    「まっちゃん、どういうつもりや?」
    「なにがだ?」

     うわ、アッシー……ちょっと声がいつもより怖い。
     やっぱり、いきなり雅音さんが転校してきたらおかしいと思うわよね。
     そんなのを意に介さない雅音さんも、結構図太いなぁ……

    「突然転校してくるなんておかしいやろ? 今は別に事件も起きてへんのに」
    「別にどうというわけではない。卒業の見込みも立ったし、椿に悪い虫がつかんように見張りに来ただけだ」
    「んなわけないやろ!? まっちゃんが高校に潜入するときは、よっぽどの事件のときやんか」
    「うちの婚約者に虫がつくのはかなりの大事件だと思うがのう」

     理由の回避の仕方は流石雅音さんだけど、素直に冥牙さんのことは口にしないのね。
     それはそうか、アッシー自身が冥牙さんのことを話さないのにこちらから踏み込んでいくのは少し無粋かもしれない。

    (ねぇ椿)

     深散はその様子を見て、私に耳打ちをしてきた。

    (一体どうなさいましたの影井様。確かにアッシーの言うとおり、よほどの事件がない限りは大学生が高校に来るなんてありえませんわよ?)
    (うーん……ここじゃあなんだから、帰りうちに寄って。雅音さんから説明してもらったほうが納得いくと思う)

     私は下手に深散を巻き込んでいいものか悩んでいた。
     だから、少し雅音さんの判断に任せてみようと思った。
     今回のことは蘆屋家の問題だから、あまり私たちですら首を突っ込むべきじゃないのかもしれない。
     それでも雅音さんが動くのは、友だちとしてなんだとは思う。
     でも、迂闊に私だけの判断でアッシーの過去の話を広めていいものか分かりかねていた。

    「はぁ……ったく、なんなんよ一体。まっちゃんのその辛気臭い面みながら飯とか勘弁して欲しいわ」
    「それだけ椿を愛しておるのだ、我慢せい」
    「うわくっさ! 惚気なら他所でやり!」

     アッシーはしっしと手で雅音さんを払いのけながら言う。

    「そういうお前だって彼女ができたときは散々俺に自慢しにきたろうに」
    「うっ……そ、それは嬉しかったからであって……」
    「自慢しておいてその女とは3日と持たんかったではないか」
    「だってしゃーないやろぉ!? なんで電話にでないの、メール返してくれないのって……俺気ぃ狂うっちゅーねん!!」
    「それはお前が悪い。おおかた別れたんではなくて、フラれたんじゃろ? お前の携帯は正直本当に携帯してるか分からん。折り返しの電話も絶対かかってこんし、女に愛想つかされても仕方ないわ」
    「うぐぐぐぐ……」

     そんな何気ない会話。
     アッシーはテンションこそ高めだけど、その所々に憂鬱な影のようなものが落ちてる。
     これはきっと気のせいじゃないし、雅音さんがここに来たことの本当の理由に察しがついてるのかもしれない。

     アッシーの様子もそんな感じでいつもと違ったけど、多分一番様子がおかしかったのは蒐牙くんだった。
     お弁当をぼんやり見つめながらほとんど手をつけてない。
     会話にも全然入ってこないで思いつめた表情をしていた。

    「蒐牙くん」
    「……あ、はい?」

     お弁当を食べ終えた雅音さんたちが引き上げたあと、私は教室へ戻ろうとする蒐牙くんを呼び止めた。
     ぼんやりしていたのか、返事は呼び止めた3秒後。

    「どうしたの、蒐牙くん」
    「え?」
    「なにか、一人で悩んでるよね?」

     私が真っ直ぐに蒐牙くんを見据えて聞くと、彼は困ったように目を伏せた。

    「一人で悩む辛さは知ってるつもりだから、よかったら話してほしいなって」
    「………!」

     蒐牙くんは目をちょっとだけ見開いて、すぐに苦笑いを浮かべた。

    「椿先輩には敵いませんね」
    「そうよー、これでも人並み以上の修羅場はくぐってきてるんだから。なにせ一回死んでますからね」
    「冗談でもそれは笑えませんよ」

     私の言葉に呆れた顔をする蒐牙くんは、いつもの調子だ。
     蒐牙くんは眼鏡をくいっとあげると屋上のフェンスに手をかけて口を開いた。

    「椿先輩は、雅音様からうちの事情を聞きましたか?」
    「うん。だいたいは」
    「どの程度です?」
    「アッシーと蒐牙くんにはお兄さんがいること。冥牙さんっていうんだよね? そのお兄さんだけ、お母さんが違うってことや……そのお母さんが亡くなった理由。それに、冥牙さんがアッシーを殺そうとしたこと」
    「……大半、ですね」

     伏し目がちな蒐牙くんの表情は妙に青ざめていて、可愛そうなくらいだった。
     アッシーは事件の当事者だけど、よく考えれば蒐牙くんだって冥牙さんの弟に違いはない。
     関係ない顔なんかできるわけがないんだ。

    「僕には何ができるか必死に考えていました」
    「え?」
    「僕は冥牙兄さんが出て行ったときまだ小学生でした。冥牙兄さんが兄上……陵牙兄さんの首を絞めているときに、震えて見ていることしかできなかったんです」
    「その場に蒐牙くん、いたの!?」
    「ええ……情けないですが、足がすくんで陵牙兄さんを助けることも、誰かに助けを求めに行くこともできませんでした」

     悲しい瞳。
     遠くを見つめる蒐牙くんの目は、ひどく潤んでいて、海のように深い悲しみや悔しさを湛えているように感じた。

    「椿先輩、僕がどうしていつも陵牙兄さんに口うるさく色々言うか、分かりますか?」
    「え……? ううん、ごめん、ちょっとわかんない」
    「僕はあの日、弱い自分を死ぬほど悔いました。二人の兄の壮絶な光景を見て泣くしかできなかった自分が恨めしかった。だから、それ以降は弱い自分を戒めて、自分なりに陵牙兄さんを守ろうと決意しました。まぁ命の危険に晒されるようなことはそう何度も起きませんから、せめて健康面くらいでしか、今は役に立てませんけど」
    「蒐牙くん……」

     なんだかんだ言って、蒐牙くんもアッシーのこと大切に思ってるんだ。
     口うるさいのも、全部アッシーのため。確かに、蒐牙くんのお説教は、アッシーのためになることばかりだしね。

    「でも、僕が守りたいのは陵牙兄さんだけじゃない……冥牙兄さんも同じことなんです」
    「好きなんだね、どっちのお兄さんも」

     蒐牙くんはその瞬間顔を赤くしてちょっと戸惑った様子だったけど、小さく頷いた。

    「冥牙兄さんは、周囲に対してはとても捻くれた態度をとっていましたけど、いつも僕たちを守ってくれました。母親が違うって事を理解していなかった僕たちにまで、自分の悲しみをぶつけるような人ではなかったんです」
    「立派なお兄さんね」
    「ええ。そんな冥牙兄さんが陵牙兄さんを殺し、蘆屋家もろとも滅ぼそうなんて考えるのにはきっとそれ相応のわけがあるんだと僕は思うんです」
    「ずっとそれを一人で悩んでたのね……?」
    「できることなら冥牙兄さんがそこまで思いつめた理由を知ることができれば……なにかしらできるんではないかと思って……」

     私は、なんだかいつも以上に蒐牙くんの背中が小さく見えた。
     確かに蒐牙くんはアッシーや雅音さんより小柄だけど、もちろん男の子だから私よりは体つきだっていいはずなのに……そのときばかりは、なんだか道に迷った子供の背中を見ているようで、胸が痛かった。

    「偉いね蒐牙くんは」
    「え?」

     私の言葉に蒐牙くんは驚いたように私のほうを見た。

    「だって、お兄さんたちのために必死に考えて行動しようとしてて。すごく頑張ってるもの。でも……」

     私は蒐牙くんの前に立って、じっと蒐牙くんを見た。
     蒐牙くんはまるで金縛りにあったかのように私を見たまま動かない。

    「私が言えたことじゃないかもしれないけど、でも一人で悩んでた私だから言えることがある。蒐牙くん、人間一人じゃ解決できないことって、悲しいけど世の中にはたくさんあるんだよ」
    「椿先輩……」
    「多分、今回の蘆屋家絡みの騒動は、私や雅音さんが簡単に首を突っ込んでいいものじゃないんだと思う。でも、もし蒐牙くんが頼ってくれたら、話は変わるよね?」

     蒐牙くんが驚いたように目を見開く。
     そう、もし蒐牙くんが一言「助けて」って言ってくれれば、私たちには首を突っ込む理由ができるんだ。

    「もし蒐牙くんが望むなら、私たちはいくらでも助けになるよ。私なんかじゃできることは少ないかもしれないけど、できることはするつもり。それに、雅音さんならきっと、大きな力になってくれる」

     蒐牙くんは考え込んだようにうつむいている。
     手が小刻みに震えていて、なんだかもうこれ以上放っておけない。
     私は蒐牙くんの手をぎゅっと握った。

    「蒐牙くん」

     蒐牙くんは一瞬だけびくっと体を震わせたけれど、ゆっくりと顔を上げた。
     なんでだろう、蒐牙くんの目から今にも涙が零れ落ちそうになってる。
     見れば見るほど胸が痛くなるほどの切ない、苦しい表情。

    「……けて」
    「え?」
    「お願いです……陵牙兄さんと冥牙兄さんを……助けてください……! 僕にはどうしたら二人の兄を救えるか分からないんです!」
    「蒐牙くん……!」
    「よう言った、蒐牙」
    「……!?」

     振り返ると、屋上のドアの前にこちらをじっと見据えた雅音さんと、柔らかい笑みを湛えた深散が立っていた。

    「雅音様……深散先輩……」
    「話は、全部聞かせていただきましたわ。水臭いですわね、蒐くんは」
    「まったくじゃ。一人でなにを悩んでいるのかと思えば」

     二人は私たちのほうに歩み寄ってきて笑った。
     雅音さんは蒐牙くんの頭に軽く手を置き、深散は私の手の上からさらに蒐牙くんの手を握り。

    「お前も陵牙も世話のかかる古馴染みじゃ。何を今さら遠慮しておる」
    「一応修羅場を一緒に潜り抜けた友だちですもの、協力は惜しみませんわ」
    「ね、蒐牙くん。蒐牙くんは一人じゃないんだよ?」

     蒐牙くんは私たち3人を交互に見て、目を細めて笑った。
     その目からは、一筋だけ涙がつたっていた。

    「ありがとうございます……皆さん」

     その日、私は蒐牙くんの印象が一転したような気がした。
     ツンケンで素直じゃない、口うるさい神経質な弟から、兄思いのどこまでも素直で優しい弟。
     そんな彼の心を知って、私たちはますます今回の騒動をなんとしても解決しようと心を再度決めたのだった。

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