第33話 平成陰陽御伽草子TSUBAKI


     3月。

     桜の舞うシーズンに卒業などという漫画のような展開が訪れるわけもなく、桜の木は寒空の下つぼみを固く閉じていた。

     俺は、屋上から校庭を見下ろしていた。
     卒業式にはもってこいの、最高の天気だ。
     生徒たちは今、卒業式を終えて級友たちとの別れを惜しんでいる頃だ。

     高校を卒業すれば皆道は各々だ。
     大学へ進学するもの、家業を継ぐもの、師の元へ戻りさらに修行を積むもの、そして普通に就職して働くもの。

     俺もまた、この高校の教師としての生活を終えた。
     先ほど校長には辞表を出してきた。
     俺がここにいる必要は、もうない。

    「影井様」
    「ん?」

     振り返るとそこには賀茂と陵牙の姿があった。

    「俺らは終わったで。蒐牙たちは体育館の片づけがあるからもう少しかかるて」
    「そうか……」

     俺は空を一度見上げた。
     ここに来ることも、もうないだろう。

    『あげます。今日2回も鬼やっつけてもらったお礼。お箸は割り箸なんで、遠慮なくどうぞ』

     思えば、この学校ではないが、屋上で俺の恋は始まったのだ。
     白く透き通る、彼女の微笑みに俺は心を奪われた。

     俺にとっても、彼女にとっても、全てが始まりを告げた場所だ。

     椿―――

     お前と過ごした日々はきっと忘れられないかけがえのないものとなるだろう。
     俺にとっても、陵牙たちにとっても。
     お前は、その周囲を自分より大切にしすぎる強い強い輝きで、俺たちを変えてくれた。
     お前がいなかったら、俺たちはずっと変わらないままだっただろう。

     お前がいてくれて、お前に出会えてよかった。
     ここにくると、そういう思いがこみ上げてくる。

    「みんなー! お客様たちもお連れしましたよー!」

     御木本の声が響くと共にそこには、十六夜様や冥牙、それに和葉や鎌田たちが入ってきた。それだけではない、森太郎や天音と牡丹までだ。
     まったく、何人ゲストに呼んでいるのだ。

     冥牙は冥府から戻ったことがすっかりバレてしまったため、観念したのか蘆屋家に戻って陰陽師として働いている。
     ただ、以前のようなお家争いもなくなり、親戚たちも完全に丸くなったためか日々無駄に幸せそうに過ごしている。
     冥牙が家に戻ったことで、陵牙はますます調子に乗ってウザさが増したようにも思う。
     蒐牙が気の毒だな……

     だが、冥牙が戻ったことを一番に喜んでいるのは十六夜様のように俺は感じた。
     十六夜様は以前と何も変わっていないが、それでも以前より笑顔が自然になったように思う。
     あの方とて、冥牙の状況が辛くなかったわけはない。
     十六夜様も、心優しいが故に苦しんでいたことも多いだろう。
     ただ、あの人の性格からして誰かに相談などしていなかったのだろう。
     息子たちが必ず自分で運命を乗り越えると信じて……

     和葉は相変わらず賀茂家をいつ継いでもおかしくないくらいに優秀に仕事をこなしている。
     あと2〜3年もすれば家を継ぐことになるだろうな。
     まぁ……俺はあいつの鋭い洞察と、回りくどいことが嫌いなところは意外と評価していたのだが……

    「深散〜!!」
    「お兄様ったら!! もうやめてくださいまし!!」

     人前なのもはばからず賀茂に抱きつこうとする和葉を、賀茂はうざったそうに押しのける。
     あのシスコンスタイルが目覚めてしまったことだけではどうにもいただけない……
     せっかく優秀なのに、丸つぶれだ。

    「いいじゃないか、今日は卒業式なんだし無礼講だよ」
    「やめんかーーー!!」

     賀茂にぶん殴られた和葉は、綺麗な弧を描いて倒れる。
     まったく、そう幸せそうに倒れられたら否定すらできんな。

     鎌田は店の評判がうなぎのぼりのおかげで、チェーン店を出すことが決まった。俺の予想では、多分5年もしないうちにあの店は全国チェーンになるだろうな。
     何しろ御木本がバックについているのだ、元より味もよくリーズナブルな奴の店の評判が良くならないわけがない。
     まぁ、陰陽師協会の会長としては陰陽師の仕事に本腰を入れて欲しいところだが、あいつが選んだ道ならば俺に強要する権利はない。
     それに、また何かが起こればあいつは店を閉めてでも俺たちに協力してくれるだろう。

     森太郎は、当主争いに負けたもののその優秀な陰陽師の力を評価され、当主の補佐、ようは御木本の秘書をやっている。
     当主の座にこだわっていた森太郎も、そんなものより大事なものに気がついたのだろう。
     今では部下や家の者に随分と慕われているようだ。
     このままだと、御木本の当主の座が危ういかもしれんと、冗談でも笑えないことを考えることがあるほどだ。

     御木本は陵牙たちとは別の大学に進学。
     元々興味があった商業の知識を深めるために、大学で勉強をするのだそうだ。
     もちろん御木本家の当主も兼ねながら。さらに鎌田の店でのバイトも続けるというのだから驚きだ。
     だが、元々努力家の御木本らしい選択だとも思った。

     そして天音と牡丹は婚約した。天音は近々土御門家の当主になることが決定している。
     俺も何度か家に戻って、家族と話すようになった。
     これからは御三家……土御門家と陰陽師協会も手を取り合って進むことができるだろう。
     俺も……あの人を母と呼べる日は、そう遠くないと思う。
     天音も牡丹も幸せそうに笑っている。
     本当に、俺は2人の笑顔が戻ったことが嬉しく思えた。

    「遅くなってすみません」
    「お、集まってる集まってる」

     そこで、蒐牙と星弥が現れた。
     この2人は高校3年に進級、この1年で進路を決めていくことになるだろう。

     蒐牙は、鎌田の店でバイトをしながら調理師の資格の勉強をしている。
     まったく、相変わらず律儀に陵牙の体調管理をしようとしているところだけは、どんなに丸くなっても変わらないようだ。
     だがあいつも背負った荷物を下ろしたせいか、最近ではよく笑うようになった。
     それもまた、椿の影響なのだろう。
     俺は、弟のように思っていたその蒐牙の変化を嬉しく思う。

     星弥は陰陽術の勉強をさらにすべく、俺の下でバイトを始めた。
     元々才能があるおかげで、式神を呼び出す程度のことはできるようになった。
     まぁ、呼ぶだけで扱えないがな……
     そこはじっくりと鍛えてやろうではないか。
     あいつは、これから自分と同じような苦しみを抱いて鬼や物の怪に利用されて罪をおかしてしまいそうな人々を救っていくのだろう。
     その目に強い輝きを宿している。

     そして、自称星弥の式神であるスイには、あの日以降会っていない。
     気がついたときには奴の気配は跡形もなく消えていた。
     もしかしたら、自分の世界へ帰ったのかもしれない。
     奴が何者で、何のためにこの世界へ呼ばれたのか俺には分からない。
     だが、いつかあいつが俺に見せたヴィジョンの中には深い悲しみが閉じ込められていた。
     あいつがもし、あんな悲しみを抱きながら俺たちを救ってくれたのだとしたら……
     世話を焼いてくれたあいつに、礼を言うべきなのかもしれない。

    「それにしても、遅いですわねぇ」
    「仕方ないですよ、主役は遅れて登場するものです」

     賀茂が口を尖らせていると、蒐牙はフォローを入れるように言った。

     ―――タタタッ!!

     そうだな、皆お前を待ち望んでいる。
     少しくらい焦らしてやってもいいだろう。
     だが、俺はあまり焦らされるのは好きではない。

     早くしないと、迎えにいってそのまま連れ去ってしまうぞ?

    「みんなー! お待たせ!! お弁当、持ってきたよー!!」
    「おっ、待ってました!」
    「遅いですわよ!」

     そこには、いつもと変わらない笑顔を浮かべた椿が立っていた。
     その手には重箱を何段も重ねた弁当。

     その天辺には相変わらず椿に憑いている小鳩。

    「えへへ、ちょっと土井くんたちに捕まっちゃってさ」
    「なんやあいつ、まだ懲りてないんか!?」
    「ううん、ごめんねって謝られた」
    「で、全部水に流しちゃったんですわね?」
    「へへへ〜ご名答」
    「まったく甘いんですから椿は!」
    「ミッチーそれは墓穴やで? 椿ちゃんがそれくらい優しくなかったら、今頃お前ここにおらんで?」
    「うっ……」

     その話題をネタに陵牙はしばらく賀茂をからかっていたが、とうとうしつこすぎて逆鱗に触れたのか、ぶっ飛ばされて綺麗に体が弧を描いて、先ほど殴られた和葉の横に倒れた。

    「雅音さん」
    「髪、下ろしたのか」
    「うん、今日は卒業式だし、ちょっとイメージ変えてみた」

     俺は椿の髪に触れた。
     茶色に染め上げた、その髪に軽く口付けをする。

    「あまり美しくなりすぎるな。心配になる」
    「……ふふっ。捕まえていてくれるんでしょう?」
    「ああ。何があっても、お前にかけた鎖は外してやらん」

     俺たちは今日、入籍した。
     茨木の事件後に、約束したとおりに。

     椿と俺の左手の薬指には、シルバーのリング。
     婚約指輪とは違う、お互いが夫婦である証。

     陵牙と賀茂と椿はこの学校の付属の大学へ進学する。
     まったく、この2人はどこまで椿に付きまとうつもりだ。

     ……まぁ、俺も人のことは言えんか。

    「そうだとしても、まさか雅音さんがうちの大学の大学院に入学するとは思わなかったわ」
    「ここまでくるとストーカーですわね」
    「何か言ったか?」
    「い、いえ……お熱いことで」

     賀茂は目を逸らしてごまかした。
     何といわれようが俺は椿の傍を離れない。
     もう、離さないと、ずっと見張っておくと決めたのだ。

    「お弁当、食べようか」
    「ああ」

     椿は俺の手を引いて歩き出した。
     ああ、やっと俺はお前を捕まえられた気がするよ。
     お前の温もりが、俺の生きる道なのだ。

     この平和ボケした平成の世に、人々が信じるか信じないかも分からない鬼や物の怪と戦い生きる俺を、最初から信じてくれたお前の優しさがずっと俺のものになる。
     こんなに幸せなことはない。

    「雅音さん」
    「うん?」
    「大好き」
    「俺も……」
    「うん?」

     俺は椿に世間一般で言う"お姫様抱っこ"というやつをしてやった。
     周囲の奴らがざわついて、それこそ怪獣映画の怪獣が目の前に出てきたのではないかというほど驚いた顔をしていた。
     それもそうだろう、俺は生きてきて初めて"笑顔"というものを作った。

     俺に、こんな表情をくれたのはお前だ椿。
     俺はお前に出会えて本当に感謝している。
     お前は日陰の花なんかじゃない。お前は、俺の太陽だ。
     ずっと、ずっと俺を照らしていてくれ……

    「俺も大好きだ、椿!」

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