第3話 深散の胸のうち


     星弥は、一生懸命雅音さんの話を聞いていた。
     この世には、鬼や物の怪といった類の者たちが存在すること、そして雅音さんや深散、アッシー兄弟はそれらから人々を守る陰陽師であること、そして私も鬼を斬る力を持っていること。
     普通なら俄かには信じられない話だろうけれど、星弥はさっき道成寺で怪異を目の当たりにしてしまったためか、その話を真剣に聞いていた。
     星弥からは、少し前に茨木童子に取り憑かれてしまった記憶が消えているから、正直信じてくれるか心配だったけれど、それは私の杞憂だったみたいだ。

    「じゃあ、俺がさっき襲われたのはその物の怪の仕業ってことっすか?」
    「そういうことになるのう。重要なのはあれが物の怪か否かではなく、どういった類の物の怪か、ということになる」
    「せやなぁ……まぁこんだけの面子が揃ってれば退治できないこともないと思うけどな」
    「アッシー、それはちょっと傲慢ですわ。前回のがしゃどくろの件や……茨木のことを忘れたんですの? 私たちの力なんて所詮はたかがしれてるんですのよ?」

     深散は警戒したように、アッシーの軽率な発言をたしなめる。
     ほんの少し、茨木童子の名前を出すのをためらったように聞こえた。

    「まぁ……確かに、俺らはなんつってもまだ経験不足やしな……あの物の怪が厄介な奴やないことを祈るしかないやろ」
    「雅音様の攻撃で祓えていればよし、そうでなければより警戒を強めなくてはいけませんね」
    「今晩一晩様子を見るとしよう」

     話はそれでまとまったみたいだった。
     私と深散は別室で寝ることになっているけれど、星弥が心配でなかなか部屋に戻ることができなかった。
     でも、雅音さんたちもいるし、いい加減寝ようという話になって私たち二人は部屋に戻ったのだった。

    「ねぇ深散」
    「ん?」
    「星弥を襲った物の怪、何者だったんだろう。私、ちょっと嫌な予感がするんだ」
    「嫌ですわね。椿の嫌な予感は当たるから、そんなこと言わないでほしいですわ」
    「ん……ごめん」

     私の言葉に、深散は苦笑いを浮かべた。

    「正直、その予感は当たっていそうですわね」
    「え?」
    「どうにも、アッシーをはじめうちの男共は危機感がいまいち足りませんのよ。影井様も、警戒こそしていますけれど……私はあれでも甘い気がしますわ」
    「何か、心当たりあるの?」

     深散は布団に入って天井を見ていた顔をこちらに向けて、真剣な眼差しで私に言った。

    「昔、お父様に聞いたことがあるんですの。道成寺の清姫安珍伝説はご存知?」
    「うん、今日雅音さんに聞いた」
    「なら話が早いですわ。あの話の結末は、巨大な蛇となった清姫が鐘に隠れた安珍を焼き殺したっていう結末ですわよね?」
    「確か、そう聞いたわ」

     深散は次の瞬間には目を伏せて、暗い表情になっていた。

    「ですが、そのお話には違う結末も隠されておりますのよ」
    「え?」
    「清姫に追われた安珍は最初こそ鐘の中に隠れようと思った。けれど、その中に隠れてしまっては袋のねずみになることを恐れて、わざと草鞋だけど鐘に挟んで、彼は別の場所に逃げてしまったという話ですわ」
    「え!? じゃあ、安珍は死んでない……ってこと?」
    「ええ。清姫が鐘の中に安珍はいないと知ったときには、時既に遅し……物の怪と化してしまった清姫は、今でも安珍を探して彷徨っている……そんな話ですわ」

     私は雅音さんが、清姫安珍伝説の話をしていたときに、最後にチラッと言っていたことを思い出した。

    『まぁ、清姫はまだ安珍を探しておる、なんて物騒な話もあるがのう』

     まさか、そっちこそが本当の安珍清姫伝説の結末なんじゃ……
     でも、その話が星弥を襲った物の怪と何の関係があるんだろう?

    「その後清姫は安珍を探して、白拍子姿で幾度とも無く道成寺に現れるようになったそうですわ。鐘の供養のときに彼女が新しい鐘に呪いをかけたという歌舞伎の娘道成寺の話もまんざら嘘ではないかもしれませんわね」
    「幾度と無くって……じゃあ、どうしてその話は一般には伝わってないの?」
    「清姫は、物の怪退治を生業とする方々が成仏させようと何度も挑んだ物の怪ですの。私たちのような陰陽師も、霊媒師も、それこそエクソシストまで来たって話ですわ。でも、彼女を成仏させられたものは、誰一人いなかった」
    「え……嘘……」
    「だから、できる限りそんな物騒な言い伝えは世間に広めないように、陰陽師やそういう霊媒師関係の方々の間だけで伝えられているんですの」

     深散がずっと浮かない顔をしていたのは、星弥を狙っているのが清姫かもしれないから?
     まさか……そんなわけ無いわよね……?

    「清姫も、さぞや恨めしかったでしょうね。千年以上安珍を探し続け、安珍に似た人に声をかければ人違いだと言って逃げられて。千年前に安珍に嘘をつかれたことを思い出して、怒りがこみ上げて来るのかもしれませんわ……」
    「その強い思いが彼女をそんな強力な物の怪にしてしまった、ってこと?」
    「多分。だからこそ、星弥くんに憑いたのが清姫であれば、私たちだけではどうにも解決できない問題、ということになりますわね」

     話を聞いただけで、私は寒気が走ってしまった。
     そしてふと疑問に思ったことを思わず聞いてしまった。

    「もし、星弥に取り憑いたのが清姫だったら、星弥はどうなるの?」
    「安珍の身代わりとして焼き殺されるか、あるいは冥府に連れて行かれるか……どちらにしても命はありませんわ」
    「そんな!!」
    「ここ300年ほど、清姫が現れたという記録は残っていませんでしたわ。なのに、まさか星弥くんが清姫に目を付けられるだなんて……きちんと、道成寺での注意促しておけばよかった……」

     悔しそうに深散は唇を噛んだ。

    「道行く男よ気をつけろ。道成寺で白拍子に会ったなら、顔を伏せて逃げよ。努々言葉を交わしてはならぬ……私たち陰陽師の中で伝わる言葉ですわ。誰が何のためにこんな言葉を残したのかは今では分かりません。古い紙切れに、書きなぐるように記されたもので、千年は昔のものだと聞きましたし」

     いよいよ、話はやばい方向に進んできたってことだけは分かる。
     もし星弥に取り憑いたのが清姫であれば、私たちは真っ向から挑んではいけないということになるだろう。

    「アッシーの白虎でも、倒せないのかな?」
    「正直、アッシーが白虎を使えたのは火事場の馬鹿力ってやつだと思いますわ。椿を生き返らせたときの朱雀と同じように……もっと修行を積まなければ、自在に扱うというのは不可能な話だと思うわ」
    「そんな……じゃあどうすれば……」
    「戻ったらお父様に相談してみますわ。一応……アッシーにもご両親に相談してもらえるように話してみようと思います」
    「それだけ、相手は強いってことよね……」
    「ええ。私も、陰陽師としての力を半分以上奪われているようなものですから……戦力になれないのが悔しいですわ」

     深散はぎゅっと枕に添えていた手を握って悔しそうに言った。

    「大好きな人を守れないだなんて……これ以上に無い屈辱ですわ。星弥くんを私は絶対に死なせたくない……」
    「深散……」

     私は深散の強く握られた手に、自分の手を添えて言った。

    「諦めちゃ駄目だよ深散。ようやく気持ちが通じ合い始めたのに、そんな弱気でどうするのよ。私も協力するから、みんな一緒に頑張ってくれるから、ね?」
    「椿……」

     深散はなんだか複雑そうに笑った。

    「あなたには、元気付けられてばかりですわね。昔あれだけいじめてた私を恨めしいって思うことはありませんの?」
    「え? なんのこと?」
    「は……? そこでとぼけます、普通?」
    「えーだって私あのとき言ったじゃない。全部忘れる、って」
    「ちゃんと覚えてるじゃないですか……」

     私は正直、深散にされたことがどうでもよくなっていた。
     確かにあの当時は辛かったけど、今では深散が私の心の支えになってくれていることに変わりは無い。
     なのに、あのときのことをうだうだ責めて、今の関係を崩すほど私は馬鹿じゃないし強くもない。

    「いいの。私は忘れたの。そりゃー死にかけたり、不愉快極まりなかったり、いっそ殺してやろうかとか1万回くらい考えたこともあったけどさ」
    「多! っていうかまぁ、当然ですわね……」

     まったく、自分で思い出してへこむんだから世話無いわね。

    「でもさ、今こうして一緒の部屋でこうして寝てるなんて不思議よね」
    「ええ、とても。今では私、椿がいなきゃ寂しくて生きていけませんわ」
    「よく言うわー、星弥がいれば万事オッケーのくせに」
    「まぁ! そんなことはありませんわ。それに……星弥くんとは別に付き合ってるわけでもありませんしね……」

     深散の顔が影を帯びた。
     そっか、そういえば深散、まだ星弥に告白してないんだ。
     何でかな、告白すれば上手く行くような雰囲気なのに。

    「ねぇ、無粋なこと聞くけど、いい?」
    「どうぞ」
    「何で告白しないの?」
    「………」

     深散は少しだけ黙って、でも口を開いた。

    「別に椿が悪いなんていってるわけじゃありませんの。だから気を悪くしないでくださいましね?」
    「うん?」
    「なんだか、今のまま告白してはいけない気がしますのよ。星弥くんの中から、椿という存在が消えてしまった状態のまま告白しても、駄目な気がしますの」
    「でも……星弥に私の記憶が戻ることは……」
    「そう、普通に考えればないに等しいですわね。でもなぜか、心の中で今の状況で告白することはためらわれるんですの。好きな気持ちばかり日に日に募って、苦しいですわ」

     深散が無理やり笑っているのがよく分かる。
     だから、それを見ているのがすごく辛かった。
     私は深散の思いに言葉すら見つからなかった。

    「ごめんね深散……私のせいで、苦しめちゃって」
    「さっきも言ったけれど、それは違いますわ。これは私自身の心の問題……何より私はもう、誰かのせいにして逃げるのはやめようと思ってるんですの」
    「どういうこと?」

     深散は、苦しそうな笑顔から一変、強い決意を帯びた眼差しで私を見た。

    「椿と友だちになる前の私は、自分が上手くいかないことをずっと誰かのせいにして生きてきましたわ。一番分かりやすい例が、星弥くんが自分のほうを向いてくれないのをあなたのせいにして、あなたに嫌がらせをしていたこと。でも私は、最初から星弥くんがこっちを振り向いてくれないと諦めて、何の努力もしていませんでしたわ」

     深散は苦笑いを浮かべ、まるで自分を嘲笑するように続けた。

    「それじゃ、どう足掻いたって星弥くんは私を見てなんかくれないのに。馬鹿な話ですわ。"自分を幸せにできない人間が、他人を幸せにできるか"なんて言葉ありますけれど、私はそれ以前に、他者の幸せを願えないものは自分も幸せになんかなれないと、今はつくづく思いますもの」
    「深散……」
    「それを教えてくれたのは、あなたですのよ、椿」
    「え!? 私?」

     突然そんなことを言われて私は驚いてしまった。
     だって、私は何もしてない。
     なのに、面と向かってそんなこと言われたらちょっと戸惑ってしまうほうが大きい。

    「あなたは自分のことを省みずに時々人のことを思いやってしまうところがありますもの。この間のアッシー家のお家騒動のときだって、多分アッシーのことで一番悩んでいたのはあなたですわ。あれだけ友だちのために泣ける人、あなたとアッシーくらいだわ」
    「あ、アッシーと一緒にしないでよ!」
    「あら、でも実際一番泣いてたのはあなたですわよ?」
    「う……それは……」

     深散はふっと笑って私の髪を撫でた。

    「あなたは、優しすぎるくらいに優しい。だからきっと、今の幸せがあるんですのよ。私も、あなたのようになりたいわ」
    「深散には、深散のいいところがあるわよ」
    「あら、どういうところかしら」
    「さぁ、それは星弥に教えてもらいなさい」
    「え? 星弥くんに?」
    「そ、あいつが一番深散のいいところは分かってると思うわ」

     深散は頭の上にクエスチョンマークを3つくらい並べたような顔をしている。
     でも、深散。
     もし、星弥の中に私の存在が戻ったとしても、今の私と深散なら、星弥は私じゃなく、あなたを選ぶと思うよ。
     私に雅音さんがいる、いないに関わらずね。
     早くそれに自分で気がつける日が来てくれたらいいんだけど……

    「さ、そろそろ寝よう? またゆっくり話聞くからさ」
    「もう、なんだかはぐらかされた気分ですわ!」

     深散はぷーっと頬を膨らませたけど、そのしぐさは妙に可愛かった。
     本当、私が男だったら放っておかないかもね。

     話も落ち着いて眠りにつこうとした矢先……

    「うわあああああああああああああああああ!!!」

     隣の部屋からすごい叫び声が聞こえてきた。

    「今のは!!」
    「星弥くん!?」

     私と深散は顔を見合わせて起き上がった。
     隣の部屋で起きた現象を見て、私たちは愕然とすることになる。
     なぜなら、自分たちが相手にしようとしている怪異は、予感的中……ううん、想像以上に強力なものだったのだから。
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