第28話 集いし希望


     海松橿姫の縄が椿に伸びていったとき、ふと俺は妙な霊気を感じた。
     その霊気が俺の横を通り過ぎた次の瞬間、海松橿姫の縄が椿に届く前にピタリとその動きを止めた。

    『海松橿姫様やめて!!』
    「!?」

     俺は一瞬驚いてしまった。
     子供だ。服装からして現代の子供ではない。
     しかも、体が半透明であることからして、霊体だ。

    「お前は……」
    『海松橿姫様、僕のこと忘れちゃった?』
    「………」

     海松橿姫の眉がピクリと動いた。

    『千年以上時間が経っちゃったから仕方ないよね……僕だよ、八田だよ!』
    「!!!!!」

     少年が八田と名乗った瞬間、海松橿姫が大きく目を見開いた。

    「八田……お前……あの八田なのか?」
    『うん、僕は海松橿姫様の集落にいた、八田だよ』
    「ああ……鬼門が開いてお前もこちらへ来たのか……? 何故死したときにすぐ私たちのところへ来なかったのだ?」

     海松橿姫の目が少し潤んでいるように見える。
     八田は椿の前で大の字になって開いていた手を下ろして、うつむいた。

    『海松橿姫様……ごめんなさい』
    「なぜ……謝るのだ?」
    『速来津姫様をこれ以上責めないであげて』
    「!?」
    『速来津姫様に、戦は嫌だって……助けてっていったのは僕たちなんだ』
    「なっ……!!」

     その瞬間だった。
     白い光があちらこちらから現れ、それは人の姿となって走り出した。
     そして椿と海松橿姫を取り囲んだ。

    『海松橿姫様!!』
    『海松橿姫様申し訳ございません!!』

     その人魂たちは皆口々に懺悔の言葉を海松橿姫にぶつけていた。
     多分、あれは全て海松橿姫の集落の土蜘蛛たち……速来津姫に命乞いをした女子供と年寄りたちに違いない。
     あまりの光景に、海松橿姫はただ立ち尽くしていた。

    「お前たち……どういう……どういうことだ!」
    『私たちが速来津姫様にお願いしたのです……戦になれば我々は十中八九死の運命から逃れられない……』
    『だから、どうか海松橿姫様たちを止めてくれと……』
    『私たちは生きたかった……帝に頭を垂れてでも、この子達を守りたかったのです!』
    「……そんな……馬鹿な……」

     海松橿姫は力を失ったように膝をついた。

    「そうか……速来津姫……帝との和解の道がないか、私に提案したのは……彼らのためだったのか……」
    『海松橿姫様……お願い、もう速来津姫様を責めて生きている人たちを苦しめるのはやめて! 責めるなら僕たちを……お願いだよ海松橿姫様!!』
    「八田……」

     海松橿姫はすがりつく八田の頭を撫でた。

    『鬼門が開いて、やっと海松橿姫様に会えた……やっと謝れた』
    「八田……お前……」
    『この千年以上の年月、海松橿姫様を忘れたことはなかった……!』
    「八田!」

     海松橿姫の目から涙が零れ落ちた。
     それと同時に多くの土蜘蛛たちが海松橿姫の周囲に集まり、同じように涙を流し口々に海松橿姫に詫びを入れていた。

     ふと、椿の横に他の土蜘蛛たちとは違った空気を纏う人魂が現れる。

    『青、白、国摩侶、打猿』
    「!!」
    「お前は!!」
    「速来津姫!!」

     その人魂は、他の人魂同様すーっと人の形となった。
     その姿を見て俺は驚いた。
     少しばかり雰囲気は異なっていたが、白い髪、赤い右目に青い左目。
     そう、速来津姫と呼ばれた人魂は椿の姿に瓜二つだった。

    『彼女を放してあげなさい。あなたたちが恨むべくは彼女ではないはずですよ』

     その言葉に、打猿たちは顔を見合わせて、しばらく沈黙した後に椿を離した。
     その心境は不明だが、海松橿姫が多くの同胞と共に涙を流しているのに、いつまでも椿を押さえつけている気にはならなかったのだろう。
     開放された椿は力なく地面に膝をついた。
     疲弊はひどい……霊力が枯れてきているのだ。

    「椿!」

     俺は走りよろうとするが、海松橿姫に腱を切られているためか、その場に倒れこむ。

    「おやおや、情けないですね」

     俺の横にいたスイが、呆れた顔をして帯にさしていた扇を抜いた。
     一体何をしようというんだ……

     スイはふわりと一瞬扇を使って舞を舞う。
     こんなときに踊ってる馬鹿がどこに……
     ん?

     そんなことを考えていたら、不意に体の痛みが消えていく。
     見れば俺の四肢の傷が綺麗に治っていた。

    「ばっ……馬鹿な!」

     周囲を見回せば、陵牙たちの傷も同じように回復していた。
     この男……いったい何なんだ!?

    「お前一体何者だ……?」
    「今はそんなことより、彼女のところにいってあげるべきではないんですか?」
    「!」

     俺はスイに言われて椿に駆け寄った。
     陵牙や賀茂たちも慌てて俺に続く。

    「椿!」
    「椿ちゃん!!」
    「椿先輩!」
    「椿!」

     椿は、膝をついたまま疲弊しきった顔を上げた。

    「みんな……無事でよかった」
    「馬鹿!」

     賀茂が耐え切れずに椿を抱きしめる。
     賀茂も分かっているのだ……椿がこのままではどうなるかを……

    「なんで……なんで十二天将の力に手を出したんですの! 陰陽師でもない椿があんなものを使ったら……椿は……椿は!!」
    「深散……」

     椿は優しく賀茂の頭を撫でて言った。

    「ああするしかなかった。だってそうでなきゃ、みんなが殺されてた」
    「でも……!」
    「後悔は、してないよ」

     その迷いのない言葉に、俺は胸を締め付けられた。
     笑顔の椿の頬に、小さなヒビが入っていた……

    「阿呆……いっつも椿ちゃんはそうや……」
    「アッシー……」
    「何でいつも僕たちを置いてけぼりにするんですか」
    「蒐牙くん……」

     陵牙の目からはやはり涙。
     蒐牙は涙こそ流していなかったが、泣くのを必死に堪えているようだ。

    「椿……」
    「雅音さん……」

     賀茂は空気を読んだのか椿から離れた。
     俺は椿の頬に触れる。
     霊力が酷く消耗している……
     生命力が徐々に失われているのがよくわかる。

    「この……馬鹿者……!」

     耐え切れず椿を抱きしめた。
     椿の体は、震えていた。
     そうだ、椿とて怖かったのだろう。
     何だかんだいって椿はただの女だ。
     それなのに……何故椿がこんな目にあわねばならない!

     俺がそう思っていると、突然地面が大きく揺れだした。

    【ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!】

     耳を劈くようなおそろいしい叫び声が鬼門の向こうから聞こえてくる。

    「まずい! 我らが神が……こちらへおこしになる!」

     海松橿姫は焦ったように鬼門を見た。
     すると鬼門から大きな手が現れた。

     あれは神などではない……
     土蜘蛛たちの恨みをたっぷりと吸った神の力を持った鬼……
     悪意の塊のような存在だ。

     あんなものが世に放たれれば、人どころかそれに取り憑いた土蜘蛛すら殺されるぞ。

    「我らが神よ! どうぞ冥府へお帰りください!! 事情がかわったのです!」
    【ガァアアアアアアアアアアア!!】

     鬼門からその手が這い出すのを止めようとした海松橿姫が、巨大な手に払いのけられた。

    『海松橿姫様!!』

     八田はすかさず海松橿姫に走り寄る。

    【海松橿姫よ……今更何を言っても遅い。貴様は用済みだ】
    「なっ!?」
    【貴様らの恨みは美味かったぞ。千年間たっぷり貴様らの恨みを食ったおかげで、我は神にも等しい力を手に入れた】

     手は、さらにもう一本、鬼門から現れる。
     駄目だ、寒気が止まらない。

    【我は今まさに鬼神となった!! さぁ、現世の人間共の魂を食らい、我は天の神々をも屈服させようぞ!!】
    「なんてこと……」

     そうだ、海松橿姫。
     お前は利用されていたのだ。
     あれは予想するに、最初は冥府の小鬼に過ぎなかったのだろう。
     だが、土蜘蛛たちの恨みを食うにつれて、少しずつ力を蓄え、最後にはあんな化け物に変わり果てたのだ。

     鬼神……間違った表現ではないな。

     鬼門に手をかけ、力を入れた鬼神はとうとうその上半身を鬼門から露出させた。
     それと同時に、嫌な汗が全身から噴出した。

    「うわ……俺ちびりそ」
    「アッシー、根性なしですわね」
    「そういうミッチーも涙目やで?」
    「あれは……ちょっと無理かもしれませんわね」

     横では陵牙と賀茂が弱気な発言をしている。
     ああ、分かるさ。
     あれは人ごときが相手に出来るものではない。

    『椿』
    「!」

     ふと、俺の腕の中の椿を呼ぶ声が聞こえた。
     速来津姫であった。

    『最後の役目です。あれを押し返しますよ』
    「……でも、あんなの」
    『大丈夫』

     速来津姫とは別の、もう一つの声が聞こえた。
     そこにはもう1人、白い髪に赤い右目と青い左目を持った狩り衣姿の女が立っていた。

    「あなたは……?」
    『私は源紅雪。あなたの遠いご先祖様、かしら。まぁその点ではこっちにいる速来津姫のほうが先輩だけれど』
    「ご先祖様……」

     何ということだ。
     まさか、歴代の鬼斬の娘の姿を拝むことになろうとは……

    『鬼斬の娘として皆を守るためにも……戦えますね?』

     速来津姫の言葉に、椿は少し間をおいてから頷いた。
     その言葉に満足したように、速来津姫は手を天にかざした。
     するとその手には青い刀身の刀、ツクヨミが握られていた。

     さらに、紅雪のほうも地面に手を向けるとそこから赤い刀身の刀、アマテラスが現れる。

    『ねぇ、そこのおかっぱくん』
    「?」

     紅雪は俺に声をかけてきた。

    『あなたにお願いがあるの』
    「なんだ……」
    『私たちが鬼神を冥府に押し戻すから、その間に十二天将の力を使って鬼門を封じてくれないかしら?』
    「十二天将の……? 馬鹿を言うな! あんなものを扱えるわけがなかろう!」
    『心配には及ばん』

     鬼門が開いたことによって、次々と予想だにしない過去の人間たちがこの現世と冥府の境目に現れ始めた。
     滅びを迎えようとする現世を守るべく、俺たちの最大の戦いは今幕を閉じようとしていた。

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