第9話 蘆屋くんの激昂


     修学旅行が終わって、数日が経った。
     蘆屋くんが転校して来てからと言うものの、お昼休み以外も私の席はにぎやかなものだ。
     何せ休み時間のたびに蘆屋くんがああでもない、こうでもないと話しかけてくるので、おちおちトイレにも行っていられない。

     でも、不思議なことに修学旅行が終わってからお嬢様は一度も登校してきていなかった。
     取り巻きたちはさして気にしていない様子なのが逆に不気味だ。私のほうがこれじゃ気になってしまう。

    「チョリーッス椿ちゃん!」
    「はいはいチョリーッス、蘆屋くん。朝から元気ね」

     登校中に蘆屋くんは私を見かけたのだろう、肩を叩いて挨拶をしてきた。
     そのまま蘆屋くんはこっちの食べ物の味は濃いとか、授業の速度が速くてしんどいとかそんな世間話をし始めて、私はそれをうんうんと聞いていた。
     でも、ふと私は背後から視線を感じて振り返る。

    「あ……」

     そこには、こっちを睨むようにじっと見据えた星弥が立っていた。

    「星弥、おはよう」
    「……おはよ」

     星弥は私たちを追い抜かしながら小さく言った。
     私とは目も合わせようとしない。

    「なんや、知り合いか? あのネクタイの色1年やろ?」
    「うん。幼馴染、かな?」
    「へー……でもなんかギクシャクしてへん?」
    「あはは。今は年頃故の微妙な時期なのよ」
    「ははぁ、男女っちゅーん気軽に話しかけるんもなかなか難儀ってことか?」
    「いや……蘆屋くんを見てると私はそう思えなくなりそう」

     カラカラ笑う蘆屋くんだけど、クラスではどうなのかな。
     私はすっかり慣れちゃったけど、やっぱりこの派手な見た目だ。
     中には怖がって、あからさまに避けている子もいるだろうし。
     休み時間には頻繁にうちのクラスに来てるし、昼休みは私や影井さんと一緒に食べてる。
     まさかクラスで孤立とかしてないよね?

    「おうアッシーおはよー」
    「おーミッチーやん、おはようさん」

    「アッシーおっはよー!」
    「おーリカちゃんー! おはようさん〜」

     うん、絶対孤立してない。
     6組の面々が蘆屋くんを見ると必ず挨拶していくし……
     しかもアッシーって……転校数日でどんだけ打ち解けてるのよ!?
     蘆屋くんは蘆屋くんで、クラスメイトの名前もう把握してるし……

    「蘆屋くんすごいわね、もうクラスメイトの名前覚えてるの?」
    「おう、全員覚えてんで」
    「うっそ、すっごいじゃないそれ……」
    「あー……まぁ仕事柄? 一応蘆屋家束ねる人間やからなぁ……人の顔と名前はなるべく早く覚えられんといかんのよ」
    「なるほど……大変なのね」
    「いやいや、こういう場面でも役に立つし、悪いもんでもあれへんよ」

     プラス思考だなぁ蘆屋くん。
     うらやましいくらいだわ。

     学校について下駄箱を開けると、今日は特に何も仕掛けられていなかった。
     ある意味、今日はどんな悪巧みなんだろうって楽しみになってきてる面があったから、ちょっと拍子抜けしてる。
     というか、お嬢様が休み始めてから、私に対するあからさまな嫌がらせは減った。まぁ無視とか陰口は相変わらずだけど……

     教室に入ると、いつものように落書きだらけの教科書を机に入れてカバンをかける。
     あとはホームルームが始まるまでぼんやりと空を見上げている。

    「椿ちゃーん!」
    「ん? 蘆屋くん? どうしたの?」
    「やってもうたわー! 数学Uの教科書忘れてしまってん。貸してもらえへん?」
    「え……あぁ……」

     困った。
     私の教科書は人様に見せられるようなもんじゃない。
     ていうか使い物にならないのよね……
     だからって見せて余計な心配かけたくないしなぁ……

    「ご、ごめん。さっき確認したら私も忘れちゃったみたいなんだ」
    「へ? そないなん? 参ったなぁ……まっちゃんにでも借りるかなぁ」

     蘆屋くんがそう唸った瞬間だった。

    「貸せるわけないわよねぇあんな教科書」
    「ホント、見られたら恥ずかしいものね」

     教室の隅から笑いながらそう言う声が聞こえた。
     お嬢様の腰巾着ではないけど。どうやら私を馬鹿にしてるらしい。
     時折こっちを見ながら聞こえないように話してるみたいだけど、その声の大きさじゃ丸聞こえだっつーの。

    「椿ちゃん? なんなんあれ?」
    「え? ああ、気にしないで。私の教科書勉強してなくて真っ白なのよ。ある意味恥ずかしいでしょ?」
    「おかしいな、それは」
    「え?」
    「前にノートチラッと見せてもらったけど、椿ちゃん一生懸命勉強しとったように見えんで?」

     まずい、これ以上詮索はされたくない……
     蘆屋くんは隣のクラスだから私の現状を知らない。
     知って欲しいとも思わない。

    「っていうかさー、クラスで孤立してるからってあんな不良仲間に引き入れるとか、どうかしてるよねー」
    「ホント、チャラ男くらいしか相手にしてくれないんじゃない? 清村さんも案外チャラいのかもしれないし〜?」

     ああ……そっか。
     私と友だちになると、こういうデメリットがあるんだ。
     影井さんにしていたように、クラスでは話しかけないほうがよかった。
     迷惑をかけるだけだ。

     ドガン!!!!!!!!!!!

     ふと、机を蹴り飛ばす音が響いた。
     そこにはめちゃめちゃ怖い顔をした蘆屋くんがいた。

    「ちょ、ちょっと蘆屋くん!?」
    「おい。お前ら!!」
    「ひっ……!」

     陰口を叩いていた女の子二人がびくっと後ろに引いた。

    「言いたいことがあるんなあはっきり言いや? チャラ男がダチやからって椿ちゃんがチャラいとか決め付けんなや!!」
    「ご、ごめんなさい」
    「椿ちゃん、教科書見せてみ」
    「え?」
    「数学U、持ってるんやろ?」

     私は机に入った数学Uの教科書を出すことはしなかった。
     でも蘆屋くんは机を無理矢理覗き込んで数学Uの教科書を取り出してめくり始めた。更に古典や日本史、とにかく教科書という教科書をめくっていく。
     それを見た蘆屋くんの表情が見る見るうちに鬼のようになる。
     そしてついに教科書を、陰口を叩いていた女子二人のすれすれのところに投げつけた。

    「きゃあ!」
    「蘆屋くん!!」
    「やった奴出て来いや!!」
    「蘆屋くん、やめて! もういい、もういいって!」
    「絶対に見つけたらしばいたるからな! 覚悟し……うげっ!」

     思わず。
     思わずだった。
     これ以上騒がれたくない一心で、私は蘆屋くんのお腹に正拳突きをかましてしまった。
     きゅーっと何か口から出るような表情で、蘆屋くんは倒れた。

    「ぜーはー……蘆屋くん、お腹にハエが止まってた」

     よく分からないことを口走った私は、教科書を投げつけられて怯える二人の前に立った。

    「ひぃ!!」
    「ごめんね、友だちが乱暴して」
    「え……?」

     私は二人の足元の教科書を拾って、ホコリをはらった。

    「でも、陰口は聞こえないところで言わないと。みんながみんな黙って聞き流してくれるわけじゃないんだから」
    「う、うん……」

     二人はひしっと抱き合ったまま呆然としていたけど、それ以上は話しかけずに私は隣のクラスへ赴いた。
     そして適当な人に声をかけて蘆屋くんを引き取ってもらったのだった。

     それにしても驚いた。
     蘆屋くんがあの程度のことでブチキレるとは予想もしていなかったし。
     しかも、自分を馬鹿にされたことじゃなくて、私のことで。
     あーあー……思わず正拳突きとかしちゃったけど、大丈夫かな……色んな意味で。

     不安に思いながらも私は午前中をいつものようにノートだけ一生懸命とる授業を過ごし、お昼休み、屋上へ上がった。

    「はぁ……なんか今日はクラスの視線がいつもと違って、しんどかった……」
    「まさか陵牙様があんなにもお怒りになるとは思いませんでしたわね」
    「うん。でも、少し私も自分の行動に気をつけなきゃね……」
    「どうしてですの?」

     小鳩ちゃんは小さく首をかしげた。

    「だって、私とあのクラスでああして付き合い続けてたら、その相手にも迷惑がかかるもの。申し訳ないわ」
    「椿様……」

     何で小鳩ちゃんはそんなに悲しい顔をするんだろう?
     今の私の立場からしたら当然のことなのに。

    「ふむ、全く今日は面白い出来事があったようだの」
    「あ、影井さん。お疲れ様」
    「ああ」

     影井さんはいつものように私の横に座る。
     そして私もいつものように影井さんにお弁当を渡す。
     でも、小さな不安がある。

     こんなふうに一緒にお弁当を食べてる姿を誰かに見られたら、影井さんにも迷惑がかかるんじゃないかって。

    「影井さん……本当に一緒にご飯食べてて、大丈夫なんですか?」
    「何がだ?」
    「見つかったりしたら、目立っちゃいますよ。今日の蘆屋くんみたいに」
    「ふん、俺が何も考えんでここで飯を食っとると思うか?」
    「え?」

     影井さんは、甘く焼いた卵焼きを頬張りながら得意げに笑った。

    「教室では俺に化けた式が飯を食っておるし、この屋上の入り口に特殊な結界が張ってある。俺たちの姿は仮に誰かが入ってきても見えやせん」
    「え……えぇ!? そんなことになってたんですか!?」
    「ああ。俺だって一応目立たぬよう警戒くらいしておる」

     そうだったんだ……
     よかった……少しは安心してご飯が食べられるわけね。

    「まっちゃんチョリーッス……今日はセンセに随分絞られてしもたわ〜……」

     そうぼやきながら入ってきたのは、今朝大騒ぎを起こした蘆屋くんだった。
     私は正拳突きを見舞ってしまったことから、気まずくて笑顔が引きつる。

    「お、お疲れ様」
    「椿ちゃん〜……腹にダイレクトに突き入れんの堪忍してや……死ぬかと思ったわ」
    「あはは、まっさかぁ。蘆屋くんガタイいいし、私程度の細腕がちょっと殴ったぐらいじゃ死なないわよ」
    「いや、あの突きは百戦錬磨の達人が放つような一撃やったで!? 熊とか一撃で沈むんちゃう? ほんま、三途の川が見えたわ」
    「ご、ご冗談を仰らないで欲しいわ、おほほ……」

     まぁ、言えないなぁ。
     小さい頃は剣道、空手、柔道、合気道などなど、武術ひと通りやってたとか。
     結局その中で剣道を選んで、強くなるために結構筋トレしてたとか。
     最近はこれでも鈍ったほうなのよね。

    「まぁ突きを食らうようなことをしたお前が悪い」
    「まっちゃん〜そらないで! お前も知ってたんやろ、椿ちゃんがクラスでいじめられてるの」
    「知っておったが、ここで下手に騒ぎを起こしては任務に差し支えるからの」
    「そないゆーても……冷たいなぁお前」

     いやいや……影井さんの判断は正しいと思う。
     私のいじめをやめさせるとか、そんなことで墓穴を掘って茨木奪還に失敗とかしたらそれこそ大惨事だ。
     それに、影井さんはクラスの噂や私の境遇なんか気にしないでこうして一緒にご飯を食べてくれてる。
     ピンチの時には助けてくれる。
     それだけで充分だった。

    「ふん。優しい心などとうの昔に捨てたわ」
    「………」

     あれ、何か。
     影井さんの表情が少しだけ寂しそうに見える。
     蘆屋くんもいつになく、沈んだ表情してるし……
     思わず私は話を逸らすように言った。

    「んまぁまぁ。お昼食べましょう」
    「せやなぁ。俺も腹減ったわ」

     そう言い、蘆屋くんはお弁当を広げる。
     見事な栄養バランスの整った、色どりのいいお弁当だ。

    「蘆屋くんのお弁当すごいねぇ。赤に緑に黄色、そこにちゃんとスタミナ対策にお肉も入ってるし……自分で作ってるの?」
    「んなわけないない、俺包丁持ったことあれへんもん。これ作ってるんは弟や」
    「え、蘆屋くん弟いるの?」
    「ああ、何か俺がこっちに転校するのを全部支援する条件で協会が目付け役として付けたんよ。小姑みたいなうっさい奴やねん」
    「そ、そうなんだ……」

     蘆屋くんの弟ねぇ……
     一体どんな人かしら。
     兄弟っていうくらいだし、蘆屋くんに似てるのかな?

    「人を小姑呼ばわりとは随分ですね、兄上」
    「へ……?」

     何かツンケンした声。
     ふと屋上の入り口を見ると、眼鏡をかけた、さっぱりとした黒髪の短髪が特徴的な、いかにも秀才タイプの男子が立っていた。
     ネクタイの色は青……1年生だ。

    「うげっ!? 蒐牙(しゅうが)!! なんでお前がここにおんねん!!」
    「何故って、兄上が水筒を忘れていったから届けに来たんですよ」
    「そんなんわざわざ届けんでも、買うからええっちゅーねん!!」
    「ダメです。今日の昼食のカロリー計算からいって、兄上が買うと予測される砂糖の大量に入った飲み物ではカロリーオーバーです。なので、ミネラルウォーターにしてください」
    「うう……お前ほんま細かい。マジでウザい」

     なっ、なんなのこの神経質っぽい子は……
     あの勢いで何でも押し切りそうな蘆屋くんが小さく見える!?
     蘆屋くんを兄上とか言ってるってことは……まさか彼が蘆屋くんの弟?
     いやいや、ないでしょう。タイプ全然違うし。

    「影井さん、あの子は……?」
    「なんとなく予想がついとるんじゃないのか? 陵牙の弟だ」
    「う……うーん……まぁ兄弟だからってそっくりって考えるのは安易ですね」
    「安易じゃの」

     影井さんは気にする風でもなくお弁当を食べ続けていた。

    「む、そこにいらっしゃるのは雅音様ではないですか」
    「蒐牙、久しいの。お前はあいも変わらずくそ真面目だのう」
    「お褒めに預かり光栄です」

     多分、褒めてないと思うよ弟くん……

     そう私が唖然としていると、蘆屋くんの弟は私の方を見た。
     うーん、見れば見るほど蘆屋くんとは似ても似つかない。

    「こちらは? 兄上と雅音様が一緒ということは、ある程度事情を知った者ですか?」
    「ああ。そいつは事件に巻き込まれておる被害者だ」
    「ふむ、それはお気の毒ですね」

     説明を聞いた弟くんは、眼鏡をくいっと上げて私に言った。

    「僕は蘆屋蒐牙(あしやしゅうが)といいます。29代目蘆屋道満の弟であり、目付け役でもあります」
    「清村椿です……お兄さんにはいつもお世話になっています」
    「いえ、推測するにいつも世話になっているのは兄上のほうかと」
    「いや……そんなことは」

     うう……なんていうか、真面目すぎて肩こりそう。
     冗談言っただけで鋭い突込みが飛んできそうで怖いわ……
     でも、お兄さんの体を気遣ったお弁当を見るからに、兄弟仲はきっと悪くないんだろうな。

     そんなことを考えている私は、まだ知らなかった。
     この後、この明らかに全員タイプの違う濃いメンバーと共に、壮絶な事件に巻き込まれていくことなんて……
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