第18話 昔話


     俺はその日、土御門の当主の手当ての様子を見ることなく岐路に着いた。後のことは天音に任せてきたから問題はないだろう。
     急所は外れている、安静にしていれば土御門当主は大丈夫だ。

     帰りの車の中は嫌に静まり返っていた。
     陵牙たちはなまじ牡丹のことを知っているからなおの事、言葉を出しにくかったのだろう。

    「それにしても、影井さんも蒐牙くんも、すごいっすよねぇ」
    「なにがだ?」
    「いや、あんなごいつおっさんたち大勢に二人で立ち向かっていっちゃうんですもん」

     星弥はあの男たちのことを思い出して顔を青くしているようだった。

    「まぁ相手は雅音様を捕らえることを目的としていたわけですから、武器も持っていませんでしたしね」
    「よう言うわ。お前なら拳銃相手でも勝てるだろうに」
    「けっ、拳銃は無理ですよ流石に……」

     実際のところはどうだか。
     拳銃相手でもライフル相手でも、蒐牙の場合は本気を出せば撃たせる前に勝負はつきそうなものだ。

     そんな話をしている間に、俺の車は蘆屋家の駐車場に滑り込んだ。

    「お帰り、その表情を見る限りだと、結果は上々かな?」
    「いわずもがな、といったところだろう」

     出迎えたのは和葉と冥牙だった。
     冥牙は俺の顔を見ると、少しだけ表情をやわらかくして言った。

    「どうやら、朱雀の力を使えるようになったようだな」
    「……俺に朱雀が宿っているのを知っておったのか」
    「まぁまぁ冥牙くん、今はそんな話は野暮ってもんだよ」
    「む、そうだんな。雅音、彼女のところへいってやれ」
    「目覚めておるのか?」
    「ああ、今は母さんと一緒に話しをしてる。だいぶ落ち着いてるから話せるだろう」
    「すまん」

     俺はすぐさま蘆屋家に上がって、椿の元へ向かった。
     勝手に早足になっているのが分かる。
     早く……早く椿と話したい。

     俺が扉を開けると、壁に寄りかかって膝を抱えた椿と、同じような体勢で膝を抱えている十六夜様がいた。
     二人とも着物……といっても椿は夜着だが、とにかく着物でその格好はあまりにも滑稽だった。

    「まっちゃん、おかえり」
    「ただいま……戻りました」
    「くすっ。ほんの少し親不孝してきただけなのに、随分堂々としたわね。安心したわ」

     十六夜様はそう言って、うつむく椿の肩を軽く叩いた。

    「私はしばらく席外すわね」
    「あ……」
    「きちんと話ができたら二人で応接間へいらっしゃい。ま、久しぶりに話すんだから色々、ね。野暮なことは言わないからゆっくりしていいわよ」
    「感謝いたします、十六夜様」
    「男見せなさいよ、まっちゃん」

     明らかに十六夜様の言った男を見せるは別の意味な気がしなくもないが、俺は苦い笑みを見せて頷いた。

    「表情硬いけど、自然体で笑えるようになったのは、嬉しいわ」

     そう言い、十六夜様はそのまま部屋を出て行った。
     二人きりになって、少しだけ重い空気が流れる。
     土蜘蛛の邪魔が入ったせいで、椿ときちんと話ができなかった。
     あいてしまった溝はなかなか埋まらないものだな。

    「椿」

     椿はハッとして顔を上げた。
     少しだけ怯えるような表情をしている。

    「横に座ってもいいか?」
    「……どうぞ」

     俺は先ほどまで十六夜様が座っていた場所に腰を下ろした。

    「椿、俺のことを嫌いになったか?」
    「……分からない」

     俺は椿の膝の上の手を取って、軽く握った。
     椿は一瞬ビクリと体を跳ね上げたが、抵抗はしなかった。

    「椿、少しずつ話をしないか? 俺の身の上話……聞いてくれるか?」
    「……はい」

     椿の手を握ったまま、俺は静かに話し始めた。

    「俺の本当の名前は土御門雅音。今は土御門から籍を抜いて父方の叔父の家に籍を置いているから影井なのだ」
    「天音さんが……言ってましたね」
    「ああ、そういえばそうだったのう」

     土御門の家で初めて天音に会ったときに、俺の苗字が天音と違うことに椿はいち早く疑問を持っていた。
     そんなことすら、俺は椿に話してやらんかったのだな。

    「俺の家族は土御門当主の母親と、婿養子の父親。そして一つ年下の弟の天音だ」
    「天音さんと雅音さん……声が、よく似てるわ」

     か細い声でそう言った椿は俺の手をぎゅっと握り返した。

    「でも……私は……」
    「椿?」
    「ううん、なんでもない……続けて?」
    「ああ……」

     俺は椿に即されるままに話を続けた。

    「俺はあの家の長男に生まれただけで多大な期待をかけられた。母親は千年に一度生まれるか生まれないかといわれた神童。その息子というだけで、それに恥じない人間になるよう厳しくしつけられた。一方の天音は、逆に次男だったためか、自由奔放……いや、むしろほとんど放置されて育ったのだ」
    「同じ家に生まれた実の兄弟なのに……?」
    「ああ。俺は朝起きたときから夜寝る瞬間まで、自分の意思を持って生きることを禁じられてきた。お前は当主の言うとおりに生きればいい、ただ陰陽師として強く、人として完璧になれといわれ続けた」

     話していて吐き気がしてきた。
     確かに俺は、あの時代があったからこそ今の実力と知識を身につけられたのだろう。
     しかし、俺はどうしてもその生活が耐えられなかった。
     周囲で母親に手を引かれていたり、友たちと仲良く遊んでいる自分と同じ年頃の子供の姿を見るだけで、俺は憂鬱になった。

    「母親は口癖のように言っておった。"現実は得てして残酷なもの"と。夢を見たり、甘い考えを起こせばひとたび現実に飲まれ絶望する。土御門の当主たるもの、常に孤高であれ、常に強くあれ……だが、俺は母親の言うとおりに生きることはできなかったのだ」
    「……辛かった?」

     俺は思わず椿のほうを見てしまった。
     椿は真っ直ぐに俺を見て言った。

    「前に聞いたの覚えてる。雅音さん、よく自分の家を抜け出してアッシーのところに遊びに来てたって……それほど辛かったのかなって」
    「ああ。懐かしいのう……家での生活が嫌になって、俺はあの家を抜け出した。そしてこの家に迷い込んだのだ」

     幼い頃、この蘆屋家の庭先だということにも気がつかずにここに迷い込んだ俺は、使用人につまみ出されそうになっていた。
     しかし、それを救ってくれたのが、あの3人の兄弟と十六夜様だった。

    「陵牙の奴が、大嘘をこいてのう。俺とは会ったことすらないのに、俺のことを友だちだと言い張って聞かなかったのだ。十六夜様も陵牙の気持ちを察してか、俺を家に上げてくれてな。それ以降俺はここによく厄介になっていた。母親も流石に御三家が相手だから下手に手を出せなかったのだろう。十六夜様もああ見えて切れ者だからのう」

     こうして話してみれば、俺は蘆屋家には本来頭が上がらないはずなのだがな。陵牙たちもそれを知っていてわざわざ俺より立場の弱いふりをしている。
     虚勢を張っていなければ、自身を保てない俺のことをよく理解してくれているのだろう。
     本当に、いつになっても救われてばかりなのだな、俺は。

    「だが、この蘆屋家の存在は俺にとって大きな後ろ盾となってくれた。辛くとも寂しくとも、嫌になればここが逃げ場となってくれたのだ」
    「うん、なんとなく分かる気がする」

     だが、俺が必死に頑張ることができたのにはもう一つ理由があった。

    「それと、俺が躍起になることができたわけが……もう一つあったのう」
    「……?」

     口には出しにくいが、椿と出会う前の事実だ。
     話さないでおくことが椿にとって辛いというのならば……話そう。

    「俺には親の決めた許婚がおった……10年も前に行方不明になって、それきりだがな」
    「牡丹さん、だよね?」

     俺は椿が牡丹のことを知っているのに驚いた。
     しかし、よく考えれば椿は牡丹の名を土御門の家で聞いている。陵牙たちにでも聞いたのだろう。

    「ああ……親の決めた相手とはいえ、牡丹は陵牙たちと同じだった。辛い俺の境遇を理解し、共にいてくれた一人なのだ」
    「……好きだったんだ?」
    「……ああ」

     一瞬だけ、椿の顔が寂し気になった気がした。
     少し俺の手を握る力を緩めて、小さく「そっか」と呟いた。

    「だが、人の心など、上手くいかないものだ」
    「え?」

     思い出すだけでも、俺の胸はかき乱されそうになる。
     それでも、事実は変わらない。
     現実とは得てして残酷なもの、まさにその通りだ。

    「牡丹が愛していたのは俺ではなかったのだ」
    「どういう……こと?」
    「牡丹はな、天音のことを愛しておったのだ。そして、天音も牡丹を愛していた」
    「嘘……」

     そうだ、あの二人は相思相愛の仲だった。
     だから、一時期天音は俺のことを心の底から毛嫌いしていた。

    「牡丹は俺の許婚だったから、土御門の家によく招かれておった。そこでは天音と会う機会も多かったからのう。牡丹が選んだのは俺ではなく、天音だったわけだ」
    「……それでも、雅音さんは牡丹さんが好きだったんでしょう?」
    「ああ。でもいくら俺と天音のどちらも牡丹を愛していても、牡丹は一人しかおらん」
    「……うん」

     そうだ。いくら陵牙や蒐牙が椿を愛していても、椿が一人しかいないのと同じこと。
     必ず誰かが諦めねばならない。

    「俺は天音に言われたのだ。母親の言うとおりにしか生きられない操り人形の癖に人を愛せると思うなと。俺に牡丹は幸せにできない、一生土御門の操り人形として孤独に生きていけ、とな」
    「………」

     確かに、母親の言われたとおりの道を歩み続け、できることといえばささやかな反抗くらいなもの。
     それも、結局辛さの気晴らしに過ぎず俺はずっと母親の言うとおりに生きてきた。
     確かに、そんな俺に牡丹は幸せにできなかっただろう。

    「俺がそれを言われた日、天音は牡丹を連れて逃げたのだ」
    「逃げた?」
    「ああ、土御門の家を出て、牡丹と二人で生きるつもりだったのだろう。たった13歳の小僧が、たいした行動力だ」
    「結局、逃げられなかったんだね?」
    「ああ。土御門は、次期当主の許婚がいなくなったということで、総力を挙げて二人を探し、あっという間に見つかった」
    「一体どこへ……?」
    「東尋坊。身投げの名所だ」
    「!? まさか……」
    「ああ、二人は身投げをしようとしておったのだ。やはりたかだか13〜14の子供だけで生きていけるほど世の中は甘くない。結局、二人はこの世で結ばれることを諦めたのだ」
    「……かわいそうだわ」

     椿は俯いたまま言った。
     確かに気の毒な話だ。愛してやまない相手と、どう足掻いても結ばれることがないと悟ってしまったのが、まだほんの子供の時代。
     あの崖に立った二人の気持ちはどんなものだったのだろうか。

    「追い詰められた二人はこれ以上近づけば身を投げると主張した。けれど母親はそれを聞こうとはしなかった。子供の虚勢だと思ったのだろう」

     だが、そのときばかりは土御門当主である母親の判断が誤っていた。

    「土御門の当主とSPたちが近寄ろうとしたとき、牡丹は天音の背中を当主たちのほうへ押しやった。その瞬間に天音は拘束されたが、牡丹は……」
    「まさか……」
    「ああ、崖の下だ……遺体は上がらなかった。だから行方不明扱いになっているのだ」
    「そんな……どうして牡丹は天音さんだけを残して……?」
    「わからぬ……だが、天音はそれ以降ふさぎ込みはしたものの、俺に突っかかってくることはなくなった」
    「………」

     思い出すだけでも、辛くなるような瞬間だ。
     あのときの牡丹の顔は、なぜか笑っていた。

    「牡丹はその後、現世と冥府の境に迷い込んでしまったらしい」
    「え?」
    「杏子を覚えているだろう?」
    「うん……」

     椿の顔が突然影を見せた。
     無理もない。ずっと俺は杏子のつけた香水の臭いを椿に振りまいていたのだから。

    「あれは、牡丹の体に憑依した敵だったのだ……」
    「え!?」
    「俺とお前の絆を裂こうとする、敵の策略にまんまと乗せられていた……杏子が牡丹ではないかと探りを入れるばかりに、俺は敵の存在に築けなかった上に、お前を傷つけてしまった……すまん」

     椿は黙ったまま、俯いていた。
     このまま沈黙を続けても仕方がない。
     俺は続きを話すことにした。

    「俺はそれを機に土御門の家を出た。自分の生き方に疑問を感じたのだ。母親に言われた通りに生きた結果、俺は愛していた者を失い、弟を酷く傷つけてしまった……天音は牡丹を失って、まるで抜け殻のような日々を送っていた。結局あいつにも今は親にあてがわれた許婚がいるが、それを拒みすらしない……俺の生き様が二人を傷つけた」
    「だから、叔父さんの家に?」
    「ああ。叔父は自由な人でな。俺が事情を話したら好きにしろと言ってくれた。だから俺はその行為に甘え、それ以降影井雅音として生きてきた。土御門に連れ戻されそうになったことは何度もあったが、叔父がなんだかんだで守ってくれた」

     なんとも情けない話だな。
     俺はどれだけの人に迷惑をかけて生きてきた?
     蘆屋家にも、叔父にも……天音にも牡丹にも、迷惑をかけどおしだ。

    「だから、俺には力が必要だった。土御門に負けない、俺が俺であるための権力」
    「雅音さん、時々謎の権力を発揮してたけど、あれは土御門の息子ってことじゃないの?」
    「ああ。俺は土御門を捨てた人間だ。俺が今行使している権力は……陰陽師協会会長としての権力だ」
    「へ……?」
    「俺は現陰陽師協会会長、影井雅音……それが俺の本当の立場だ。土御門に対抗するために、俺自身が血の滲む思いをして手に入れた立場……」
    「ちょっと……びっくりしちゃった。まさか雅音さんが陰陽師協会の会長だったなんて」
    「すまなかったのう、言わなくて……色々面倒のある仕事だけに、お前に余計な負担をかけとうなかった」

     椿は俺のほうを向いて少しだけ不満そうな表情をしていた。

    「雅音さん、ずるいね」
    「なに……?」
    「自分だけでいつも何でも背負おうとするんだもの」
    「……そうだな」
    「話してくれれば、負担は分け合えるものだってあるのに……自分だけで背負おうとするから押しつぶされてから回りするのよ」
    「椿……」

     椿は俺の手を胸の真ん中に持ってきて、両手で握った。

    「私は、雅音さんにたくさん救われた。だから、いつだって雅音さんの力になりたいって思ってた」

     その深い赤と青の瞳に見つめられて、俺は言葉が出なかった。

    「でも……私は……話してもらえるほど、頼ってもらえるほど……雅音さんの中で大きな存在じゃなかった」
    「違う!」

     違うのだ椿……そんな悲しい勘違いはやめてくれ……
     俺は思わず椿を強く抱きしめた。
     やはり、想像以上に痩せ細っていて、俺は胸が痛くなった。
     こんなになるまで……いや、こんなになっても気がつかなかった。
     俺がこんな風にしてしまった。

    「俺はお前を傷つけたくなかった……守りたかった。だが、大切にしすぎて、逆に傷つけてしまった」
    「雅音さん……」
    「俺は、自分自身で見つけた愛しいお前を俺自身の手で守りたかったんだ……なのに、俺は滑稽だな」

     そう、親にあてがわれて好きになった女ではなく、自身が選んだ道の中で愛した椿だからこそ、俺は……

    「ねぇ、雅音さん」
    「うん?」
    「牡丹さんが生きてるんだよね? どうする?」
    「……どうするとは、どういうことだ?」
    「私と牡丹さん、どっちを選ぶ?」

     椿は俺の胸の中、顔を上げてじっと俺を見ている。

    「馬鹿なことを聞くな。俺が今愛しているのはお前だけだ、椿」
    「本当?」
    「ああ。愛している、椿」

     椿は俺の背中に手を回し強く抱きついてきた。

    「雅音さん……雅音さん!!」
    「ああ……そうだ、俺はお前に名前を呼んでほしかった。お前のその声で、何度も何度も……」

     俺は椿の手を取り、ポケットに入った指輪を取り出した。

    「もう一度聞いてくれるか? 俺の思いを」

     椿は小さく頷いた。

    「俺はお前だけを愛しておる。俺と結婚してくれ椿」
    「はい……雅音さん」

     俺は椿の指にもう一度、しっかり指輪をはめた。
     そして強く強く抱きしめる。

    「椿……」

     何度も何度も俺は椿に口付けた。
     結局、十六夜様の思惑通りになってしまったが、まぁそこは仕方がないだろう。

     椿、俺はもう二度と手放さない。
     何があっても今回のように俺一人で何かをしようとは二度と考えない。
     お前の心を、全てを守るために、お前と共に、そしてお前を大切に思う友たちとともに歩んでいこう。

     そうすることで、俺はいくらでも強くなれるような気がした。

     だが、このとき俺は気がついていなかった。
     俺と契りを交わした椿が、どんな思いでいたかを。
     それを見抜けなかったばかりに、俺はまた大きな後悔をすることになる。

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