第9話 失われた真実


     どうしたことか、椿さんが倒れたらしい。
     影井さんの話じゃ、突然錯乱して最後には気を失っちまったそうだ。
     よっぽど心配なのか、影井さんは気を失った椿さんに付きっ切りだ。
     正直あんな影井さんの顔、見たことがない。
     でも、なんでだろうか。椿さんに付きっ切りの影井さんを見て、俺の心は妙にほっとしていた。
     これがどこから来る思いなのか分からないけど、でも、椿さんには影井さんがいるんだって思うとなぜか妙に心が落ち着いた。

    「星弥くん、ご飯食べます?」
    「え? あ、はい」

     深散先輩は、りょーがさんが配達してくれた釜飯を差し出してくれた。
     うん、すごい美味そう。
     俺はその釜飯を茶碗によそって一口ほおばった。

    「ここの釜飯、蒐くんが作ってるんですって。美味しいですわよね」
    「え? そうなんすか? 蒐牙くん、料理得なんすね」
    「何でも調理師の資格を取るための実務経験をつむためにバイトしてるらしいですからね。近い将来栄養士のほうの資格も取るらしいですわよ?」
    「ほぇーすっげぇっすね。将来の夢があるのかなぁ」
    「将来の夢……というか蒐くんは既に将来が決まっているようなものですから、そのために努力をしている、といったほうが早いですわ」
    「将来が決まってる?」

     俺の疑問に、深散先輩は小さく「ええ」と答えた。
     この深散先輩のふとした仕草が、すごく可愛かったりする。

    「蒐くんは蘆屋家の当主補佐役。まぁ秘書みたいなものですわ」
    「なんで秘書が栄養士や調理師の資格なんすか……?」
    「くすくす、上司のスケジュールだけじゃなくて、体調も管理するのが仕事だと思ってるんではありませんのかしら?」
    「徹底してますね……」
    「蒐くんらしいといえば蒐くんらしいですわ」

    深散先輩はおかしそうに笑っていた。

    「深散先輩は蒐牙くんと仲いいんすか?」
    「え? うーん、仲がいいって言うか……椿やアッシーと一緒にいれば彼とも必然的に一緒にいることが多くなるんですのよ。だからいろんな話を聞くことができるんですの。ちょっと神経質ですけれど、アッシーよりは話が通じますから……」
    「そういや深散先輩、りょーがさんとも仲いいっすもんね……」
    「星弥くん?」

     何言ってんだ俺。
     りょーがさんや蒐牙くんは深散先輩の大事な友だちだろ?
     ただ、大好きで大切な友だち。

     なら、先輩にとって俺は……?

    『彼は星弥くん。その……私の大切な方……ですわ』
    『星弥くんが好きだからですわ』

     あれって、どういう意味なんだろうか。
     りょーがさんや蒐牙くんと同じように、友だちとして? それとも……
     俺の心のなかにささやかな期待が生まれる。

    「先輩……」
    「ん?」
    「俺って先輩の何なんですか?」
    「え?」
    「椿さんやりょーがさんたちが先輩の大事な大事な友だちなら、俺は先輩の大事な何んなんすか?」

     俺のその言葉に、先輩は明らかに困惑した表情を浮かべた。

    「ごめんなさい。私、今はその問いに答えることはできませんの」
    「え?」
    「きっと、今その答えを言えば私が望む結果になれる可能性は、以前よりもずっと高いかもしれませんわ」
    「なに・・・…言ってるんすか?」
    「いいんですの。星弥くんは無理に考えなくていいんですのよ。でも、私今のままではどうしても駄目なんですの……」

     何か、俺の中ではじけそうになった。
     無理に考えなくていい……? それってどういう意味だよ……?

    「先輩……先輩が迷ってる理由俺にはわかんない。でも俺……!!」

     思わず俺は深散先輩の両肩を掴んでいた。
     深散先輩はびっくりしたのか、目を見開いてる。

    「俺……先輩が好きだよ。さっき先輩だって俺のこと好きって言ってくれただろ?」
    「星弥くん……」

     俺の言葉に、どうしてだろうか……深散先輩は頬を赤くして、一瞬だけ嬉しそうな顔をしたのに、なぜかすぐに辛そうな、悲しそうな表情になってしまった。

    「ありがとう星弥くん……嬉しいですわ」
    「先輩……嘘だろ……嬉ならなんでそんな悲しい顔すんだよ」
    「……もし、あなたが全てを覚えていてその言葉を言ってくれたならどんなにか嬉しかったかしら」
    「え……?」
    「ごめんなさい……今の言葉は忘れてくださいまし」

     そういうと深散先輩は両手で顔を覆って泣き出してしまった。
     心に、一体何があってこの人はこんなに苦しんでるんだ?

    「先輩……俺のこと嫌い?」
    「いいえ、いいえ……でも……今のままでは、星弥くんの気持ちを受け入れることにも納得できませんの!」
    「なんで!?」
    「言えません……ごめんなさい」

     俺は思わず拳を握ってぐっと奥歯を噛んでいた。
     俺のことが好きならなんでこんな……!

    「星弥、それくらいにしておけ」
    「……影井さん?」
    「星弥。一つお前に問う」
    「なんすか……」

     俺はそのときの影井さんの表情がすごく怖かった。
     いつもと変わらない能面みたいな顔なのに、空気だけが妙に威圧感があって息苦しい。

    「お前は失った記憶の全てを思い出してはおらん。それは自分でも気がついておるな?」
    「え? あ、はい……二学期の頭の記憶は全然、思い出せないっすけど……」
    「お前が忘れておるのはそれだけではない。その失われた記憶が賀茂を苦しめておるのだ」
    「え……!?」

     影井さんは、鋭い視線を俺に向けてさらに言った。

    「星弥。お前はその記憶を受け入れる覚悟があるか?」
    「受け入れる……?」
    「お前にとってはこのままでいたほうが幸せかもしれん。例え賀茂の心を悩ませ続けたとしても、だ」

     俺がその言葉の意味を考えあぐねいていたら、突然部屋のドアが開いた。
     見ればそこには、真っ白な髪をした女が立っていた。

    「ひっ……」

     俺は思わず後ずさった。
     それもそのはずだ、そいつの目は左右赤と青で違う色をしていた。
     右手には赤い刀身を持った刀。
     明らかに異形、また妖怪がの類かと思った。

    「椿!?」

     俺は深散先輩のその言葉に驚いてしまった。
     あれが、椿さんだっていうのか……?

    「星弥……」

     椿さんはぼんやりとした表情で俺の名前を呼んだ。
     俺にはその声が妙に冷たくて、恐ろしいものに感じた。

    「星弥……星弥……」

     不気味に椿さんは俺に一歩、また一歩と近づいてくる。

    「つ……椿さん?」
    「ねぇ星弥……」

     椿さんは俺の前で立ち止まると、突然うつむいていた顔を上げた。
     その表情に俺は凍り付いてしまった。
     まるで、俺の全てを憎んでいるかのようなその目に俺は動けなかった。

    「許さないから……全部忘れてのうのうと生きてるなんて」
    「え……」
    「絶対に許さないんだから!!」

     椿さんは刀を振り上げた。
     多分振り下ろした先は俺の頭だろう。

    「椿!!」
    「星弥くん危ない!!」

     声と共に俺は深散先輩にかばわれるようにその場に倒れこんだ。
     見れば向こう側では、影井さんが椿さんを押さえ込んでいる。

    「離して!! 離してよ!! そいつのせいでお父さんとお母さんは死んだのよ!!!」

     え……?
     あの人は何をいって……
     でもなんでだ? 胸が妙に痛くて、気持ち悪い鼓動がずっとうるさくて、俺は今にも泣きそうだった。

    「人殺し!! 人殺し!! あんたのせいで私は一人ぼっちになっちゃったじゃない!! 返してよ!! お父さんとお母さんを返して!!」
    「椿!! 落ち着け!!」
    「嫌!! 嫌ああああああああああああああああ!!!」

     その叫び声が聞こえたと同時に、影井さんは椿さんを強く強く抱きしめた。

    「椿、お前は一人ではない。俺がいる。誰がお前のそばを離れても、俺はずっとそばにいる」
    「まさ……う……うあああああああ」

     何が起きたか分からなかった。
     でも、影井さんは椿さんを部屋から連れ出し、寝室でしばらく彼女を落ち着かせていたようだ。
     少しして、戻ってきた影井さんの表情はすごく複雑なものだった。

    「影井様、椿は?」
    「泣きつかれて眠ったようだ。しかし……一体何が起きたというのか」
    「あの……椿さんが言ってたことって……?」

     俺の言葉に、影井さんも深散先輩も目を伏せて答えてくれなかった。
     俺が人殺し? 一体椿さんは何を言ってるんだ?

    「さっき俺は言うたな、全てを受け入れる覚悟はあるかと」
    「え? あ、はい」
    「お前にとってそれは残酷で、思い出さんほうがよい記憶かもしれぬ。それでもお前は椿の言葉の真意を知りたいか?」

     影井さんの表情は、俺の背中をぞくぞくさせるほどに厳しいものだった。
     見れば深散先輩の表情もかなり複雑で、俺の失ってる記憶の部分が相当やばそうだってことを物語ってる。
     でも、俺は……

    「俺、何か大事なことを忘れているんすよね? それが深散先輩や椿さんを苦しめているんだとすれば……俺は全てをきちんと思い出したいっす」
    「後悔……しないと言えるか?」
    「俺、このまま何も思い出さないまま生き続けるほうが後悔しそうな気がするんすよ」
    「そうか……ならば、ついてこい。賀茂。少し椿を見ていてくれんか?」
    「え……あ、はい」

     先輩は影井さんにそういわれて、慌てたように部屋を出て行った。
     影井さんは俺を車に乗せた。
     車の中は終始無言で、すごく居心地が悪いように感じた。
     夜の暗い山道を車はどんどん山奥に入ってく。
     それこそ物の怪や鬼が出てもおかしくないんじゃないかってほどに深い山の中だ。
     既にカーナビは機能してなくて、何もないところをひたすらに走ってる。

    「ついたぞ。降りろ」

     影井さんは懐中電灯で道を照らす。
     いくら陰陽師がそばにいるったって、こんな街頭一つない場所、正直怖くないって言ったら嘘になる。
     ほんの少し歩くと、そこには小さな社があった。
     見た目は質素だけど、すごいしっかりしたつくりだ。

    「これは賭けでしかない。正直、こんな賭けまでしてお前の記憶を戻してやる気はなかったのだがな」
    「影井さん……?」
    「椿がああなっては、仕方あるまい。結局偽りの間柄など、続けたところで誰一人救われはせん」

     まただ。影井さんのこの椿さんを心のそこから思うような顔を見ると、俺は妙に落ち着く。
     椿さんに何が起きたかっていうことをすっ飛ばしてこんなことを感じるなんて、おかしな話ではあるけど……

    「星弥、覚悟だけはしておけ」

     そういった瞬間だった。影井さんが何か星の形に指を動かすと、社の扉が突然開いた。
     そしてその中から驚くべきものが現れた。

    「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!!!!! 陰陽師!! 貴様あああああああああ!!!」

     全身を鎖でぐるぐる巻きにされた大男。いや、頭から角が生えてる……
     まさか、こいつ……鬼!?

    「ひっ……」

     俺はその非科学的な存在に足がすくんで思わず声が出た。
     でも、横に立ってる影井さんは至極冷静に言った。

    「安心せい。こいつには強力な封印がかけてある。どうあがこうがあの鎖は外れん」
    「陰陽師ぃぃぃ!! 俺を解放しろおおお!!」
    「馬鹿を抜かすでない。貴様をみすみす放すような真似が出来るか、茨木童子」

     ―――ドクン。

     なんだ? 今茨木童子って聞いた瞬間、胸が嫌な鼓動を打った気がした。

    「星弥から奪ったものは腹の中か? そのまま腹に入れておいてやってもよかったが事情が変わってのう。悪いが返してもらうぞ」
    「ぐぅ!? やめろ! それは俺の今持っている唯一の力の源……ぐあああああああ!!」

     影井さんは躊躇なく鬼の腹に手を突っ込んだ。
     そして中から、綺麗なガラス玉みたいなものを抜き出した。
     その瞬間、鬼から白い光が放たれ、爆発したようだった。

    「きゅうっ!」
    「え!?」

     その光が引いた場所を見れば、そこには手のひらサイズの子供が倒れていた。
     鎖にぐるぐる巻きにされてぐったりと倒れている。

    「大半の力を失ったか茨木。なるほど、その姿では星弥も騙されるかもしれんのう」
    「くっ……きちゃま! 俺での力の根源をかえしぇ!!」
    「ふん、返すわけなかろう。おーおー、なるほど、その姿になってくれたお陰でお前の封印もずいぶん楽になったわい」

     なんだろう、この状態じゃ影井さんが子供いじめてるようにしか見えん。

    「よく見れば後ろにいるのは俺の依代じゃないか! お前! 力をやるから前みたいに俺を解放ちろ!」
    「は…? 前みたいに? 何言ってんだお前……?」
    「ふん、自分で記憶を食っておいて前みたいにはなかろう、この大うつけが!」

     影井さんは小さくなった鬼を見下して、意地悪い笑みを浮かべていた。
     昔から思ってたけど、絶対影井さんってドSだよな……?

     そんなことを考えていたら、影井さんはにやっと笑って俺のほうを向いた。

    「ドン引きしておるのう。俺がドSなのは最初から知っておろう?」

     いや……いやいやいやいや!!!!!
     やっぱ絶対この人俺の心読んでるよ!!

    「それにしてもなるほど、これは美しいな。だが、ほんの少しひずんでおる」

     影井さんは手に持ったガラス玉を眺めて言った。
     そういえば、綺麗なガラス玉だけど、中央のほうに黒いもやみたいなものがあるような気がしなくもない。

    「まぁ、このひずみも受け入れられないようでは、どのみちそこまでということになるしのう」

     影井さんは俺のほうに向き直るとそのガラス玉を俺の前に差し出した。
     ガラス玉は淡い光を放って俺の中に吸い込まれていった。

     そこには懐かしい光景が広がっていた。

     そこで俺は全てを思い出すことになる。
     それは俺にとって最悪の記憶であり、未来に一歩踏み出すための道でもあった。
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