第16話 土御門当主の圧倒的な力


     俺は賀茂たちを引き連れて土御門の家を訪ねた。
     訪ねた……というのもおかしい話だが、もうここを実家と思うことを俺はしたくなかった。

    「雅音さん、随分たくさんのお客様を引き連れていらしたようですけど、どういうつもりですか?」
    「土御門霙殿……今日はあなたに術くらべを挑みたく参った」
    「……術くらべ?」

     やはり現土御門当主は顔をしかめ、俺をにわかに睨み言った。

    「どういうつもりですか? あなたが私に勝てるとでも?」
    「俺はこの勝負に全てを懸けます」

     俺は膝の上で拳を握った。
     絶対に、この戦いには負けられない。負けるわけにはいかない。
     だから俺は自分を追い込むことにした。

    「この勝負に俺が負けたときは、あなたの言うとおりにしましょう。それこそあなたの選んだ相手と結婚し、この家を継いでも構わない」
    「なっ!? まっちゃん!!!」
    「アッシー!」

     焦った陵牙を止めたのは賀茂だった。
     賀茂は俺を見て、"負けたら容赦しませんわよ"という顔で頷いた。

    「ですが、ただでこんな分が悪い勝負を挑むわけはないということも、お分かりですね?」
    「あなたが勝ったときの望みも、一応きくとしましょうか」

     一応。その言葉に土御門当主の絶対的な自信が感じられた。

    「俺が勝ったときは、金輪際俺のすることに口出しも手出しも無用。結婚相手も俺が決める、この家も継がない。もちろん……俺の大切な者に呪詛をかけるなど言語道断」

     土御門当主の眉がピクリと動いた。
     しかし、嘲笑するような表情を浮かべると彼女は言った。

    「いいでしょう。私にとってはこれ以上にない申し出。約束は守っていただきますよ」
    「嘘はつかぬ。俺は全てを懸けると決めた。半端な覚悟で挑むような真似はしない」

     そう。俺は椿のために全てを懸けると決めた。
     この勝負に勝てぬようなら、俺は椿と共にいる資格はないだろう。
     今まで多くを隠してきた。そして酷く傷つけてしまった。
     この戦いに勝って、俺はもう一度椿に告白したい。

     お前だけを、愛していると……

    「庭にいらっしゃい。式神の訓練場ならば、家に被害はでないでしょう」
    「でしょうね。あなたの式神ではこの町内が吹き飛びかねない。特殊な空間を作り出すあの場所でなくては勝負すらままなりますまい」
    「慣れ親しんだ場所での勝負、どちらに有利も不利もない……完全な実力勝負ですよ。負けても何も言えないのは分かりますね」
    「ええ」

     俺たちは使用人の案内で式神の訓練場に通された。
     ここは土御門の人間が式神を扱う訓練をする場所だ。俺もここで血の滲むような日々を送った。
     この場所は、現世とは少しだけ空間をずらす特殊な結界により、式神の力が暴走しても被害が出ないようになっている。
     それだけ現土御門の当主の式神は恐ろしい。

    「まっちゃん……信じてるで」
    「全てを懸けたのだ。負けるわけにもいかんだろう」

     俺は二枚の符を取り出した。

    「臨める兵、闘う者、皆、陣をはり列を作って、前に在り……前鬼! 後鬼!!」
    「相変わらずその小鬼を後生大事に使っているのですね。酒呑童子には逃げられたそうじゃないですか。まったく、まだまだ未熟者ですね」

     挑発するように、土御門の当主は懐から符を取り出した。

    「挑発には乗らない。早く式神を出したらどうだ」
    「そうですね、さっさと勝負をつけてしまいましょうか」

     土御門の当主は符を投げた。
     まったく……呪文もなし、印も切らずにあんなものを呼び出すのだから、やはり恐ろしい。

     光と共に現れた巨大なものを見て、俺は全身から汗が噴出した。
     ああ、幼い頃からずっと恐れ一度も勝てずにいた存在。
     本来ならば特別危険指定を受けてもいい妖怪。太古の昔人々を苦しめた、八つの頭を持つ蛇……

    「ヤマタノオロチ……いつ見ても恐ろしいのう」
    「降参してもいいのですよ。私も息子を傷つけるのは少々胸が痛みますからね」

     ふん、どの口が言っているのだか。
     全く感情のこもっていないその表情で言われても、信じられるものか。
     一昔前までは自分もそうだったと思うとぞっとする。

    「前鬼、後鬼……相手が相手だ……苦労をかける」
    「嫌ですよ雅音様、何謝っちゃってるんですか!? らしくないですよ」
    「まったくですわいのう……でもうれしゅうございます」
    「後鬼?」

     後鬼は薙刀を構えてくすりと笑った。

    「私たちはあなたの下僕にすぎなかった。でも、初めてお心が通じたような気がします」
    「ん、言われてみればそうだね。これも椿殿のおかげかな?」
    「だとしたら、この戦いは体が八つ裂きにされようとも勝たねばなりますまいのう」
    「だね。雅音様、しっかり霊力送ってくださいよ!」

     二匹の鬼はこれから恐ろしい敵に立ち向かうというのに、なぜか笑顔を浮かべていた。
     それが今はとても心強く感じた。

    「いくよ、後鬼」
    「一人4つ頭を切り落とせばいい話……! 話は簡単ですわいのう」

     前鬼と後鬼は左右に分かれてヤマタノオロチの頭に斬りかかった。
     しかし……

    「愚かな……」

     そうだ、あの頭の一匹の強さは前鬼・後鬼一匹に匹敵する強さなのだ。
     土御門の当主は、そんな強さの化け物を式神としている。
     俺なんかとは比べ物にならないくらい強い。

    「くっ!!」

     まるで鞭のようにしなるヤマタノオロチの頭を、前鬼も後鬼も必死に武器で防ぐばかり。
     えぐるように飛び掛ってくる頭には、流石に跳ね飛ばされてしまう始末だった。

    「雅音さん、あなたも馬鹿ではないんですから分かるはずでしょう? 神童と呼ばれたこの私には、勝てないことくらい」

     そうだ、現土御門当主は数百年、いや千年ぶりに生まれた神童。
     あの安部晴明の再来とすら呼ばれた陰陽師なのだ……
     俺はその神童、土御門霙の息子であるというだけで、才ある陰陽師とはやし立てられた。
     確かに、人並み以上の能力はある。
     だが、あの化け物のような強さを誇る土御門の当主になど、勝てたためしがない。

    「まったく、馬鹿と付き合うと馬鹿が移るから嫌なのです。元々蘆屋家との付き合いも、御三家だから許しただけで、なるべく控えなさいと言ったはずなのに……この勝負が終わったら、そういった付き合いは一切絶たねばなりませんね」

     以前の俺なら軽く聞き流せたことが、今の俺にはできなかった。
     椿や陵牙たちを馬鹿呼ばわりされたことが、俺にはたまらなく許せなかった。

    「いい加減腹の虫がヘソを曲げたようじゃ。前鬼、後鬼……まだやれるな?」
    「ええ、流石にしんどいですけど!」
    「まだ一撃も入れてませんわいのう」

     二匹はまだ戦意を喪失していない。
     ならばまだ正気はある!

    「ゆくぞ!」
    「了解!」
    「はっ!」

     俺は持っていた大量の符をヤマタノオロチの周囲にばら撒いた。

    「いい加減になさい。勝てないのが分かっていてなぜ抵抗するのです」
    「俺が勝てないと、最初から決め付けるのはやめてもらおう!」

     大量の符はヤマタノオロチの周囲を旋回したままだったが、この符の効果は二匹の鬼がヤマタノオロチを斬りつけたとき初めて発揮される。
     前鬼が頭に向かって刀を振り上げた。
     もちろんヤマタノオロチもそれに対抗して噛み付いてくる。
     そこでヤマタノオロチの周囲を旋回してた符の1枚が前鬼の前に現れると、それは前鬼と同じ姿となり、前鬼の代わりにヤマタノオロチに噛み付かれ、符に戻る。

    「身代わり……簡易的な空蝉!? こざかしい!」

     そうだ、俺はこの家を出てからも日々鍛錬を怠った日はない。
     この家にいたときのままの実力だと思ってくれるなよ、土御門当主……!

     そうしてヤマタノオロチは俺の符に翻弄され、次々と前鬼・後鬼の攻撃を受けて首が地面に倒れこんだ。
     残るはお互い後1匹ずつになったそのときだった。

    「ふん、なるほどヤマタノオロチ相手に物怖じもせずに挑めるようになったという点、そしてここまで戦えるようになったという点では馬鹿との交流も捨てたものではないということですね」

     何故この状況でそんな冷静な態度が取れるのだ……
     疲労度で言えばそちらのほうが上なはずなのに……

    「あなたの頑張りはよく分かりました。でも、いつも教えていたはずですよ。現実とは得てして残酷なものだと」

     土御門当主が符を八枚取り出した。
     ヤマタノオロチの首の数と同じ枚数……?

    「まぁいいでしょう。あなたには一度真の絶望と現実の厳しさを教えてあげましょう。これが母としての役目だと信じてね」

     その符は土御門当主の手からヤマタノオロチのそれぞれの首に向かって飛んでいくと、彼らにかけられた首輪を焼き払った。

    「グオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!」

     耳を劈くような叫び声と共に、再び全てのヤマタノオロチの首がうごめき始めた。
     どういうことだ……!!

    「そんなに驚くことではないでしょう? 普段あなたたちだって鬼を制御する際、真名を隠して力を封じるのですから。私とて同じことをしていたまでです」
    「まさか……」
    「さぁやりなさい高志之八俣遠呂知!!」
    「!!」

     ヤマタノオロチの気配が……完全に変わった……
     俺の全身に鳥肌が立った。足が震えるのが分かる。
     これは……そうだ、恐怖という感情か……?
     俺は目の前の敵に怯えているのか……?

    「ぐあっ!!」
    「ああ!!」
    「前鬼!! 後鬼!!」

     二匹の鬼は完全に力の封印を解かれたヤマタノオロチの力に屈していた。それでも尚、武器を振り上げ立ち向かおうとしている。
     馬鹿な……やめろ……

     あれの相手は無理だ……!!

    「顔色が変わりましたね? 怖いですか? 当然でしょうね。先ほどまでのヤマタノオロチの力は、今の半分にも満たない。この状態のヤマタノオロチといつまでも無駄な戦いを続けていれば、あなたの式鬼神は死にますよ?」

     駄目なのか……?
     俺は絶対に負けられぬと誓ったのに……
     結局この圧倒的な力の差に屈するのか……?

    「このクサレヘタレ!!」
    「!?」

     ふと、背後から怒りの混じった声が聞こえた。
     見れば賀茂が心底軽蔑したような表情で俺を見据えていた。

    「結局あなたは茨木の事件の頃から何も変わってないんですのね」
    「何……?」
    「茨木の時だって、勝てると踏んで椿を傷つけてまで突き放したのに、あなたは自分ひとりじゃ何一つできなかった」
    「!!」
    「今回だって、椿への思いがあれば勝てるって踏んだんじゃないんですの? 何を根拠に言ったかは知りませんけれどね……できないなら最初から大口叩かないでくださいまし」

     賀茂は大きくため息をついて、俺を見下したように言った。

    「影井様……茨木との戦いを思い出してください。勝てるわけもないほど強くて強大な敵に、椿はどう立ち向かっていました? あんな細くて小さな体で、怖いと逃げ出しました? 自分が情けなくないんですか!!」

     ―――どくん。

    『影井さん、1分ですよね? 私が凌ぎます。ただし、絶対に1分でお願いします。それ以上は保障できませんから』
    『このままじゃ、どっちにしたって私たちの負けじゃないですか!! 勝手なことをしたことは謝ります。その落とし前くらいはつけます。それに星弥がやったことも……私が全部償います』

     そうだ、椿はいつだって臆せずに誰かのために刀を振るった。
     怖くて逃げ出したい気持ちもあったろうに、それでも椿は一度として逃げたことなどなかった。

    「くくく……俺は、つくづくヘタレておったわけだ……」

     その瞬間だった。
     俺の右手の甲がチリッと熱くなった。

     ああ、気がついていたさ。
     あなた……いや、お前の存在にはとうの昔に。
     俺には力不足で扱えんと思っていたが……今ならできる気がするよ。

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