第15話 暗雲
「椿ちゃんチョリーッス」 「おはようございます、清村先輩」 「あ、蘆屋くんに蒐牙くん。二人そろって登校なんて珍しいね」 朝の登校時、私は蘆屋兄弟に声をかけられた。 この二人、お昼は学年が別だからバラバラに来るのは当然だけど、朝の登校時も一緒に歩いてることは見たことがない。 だから、朝一緒に二人が歩いてる姿は珍しかった。 「ええ、今日は本当にたまたまです。特に理由はなかったのですが……」 「あはは、いいじゃない。それにしても蘆屋くん、何か最近生傷多くない?」 見れば蘆屋くんはちょこちょこ体に絆創膏やら包帯を巻いている。 「あー、最近のバイト結構肉体労働やからなぁ。あっちこっち擦り剥くねん」 「大怪我しないように気をつけてよ?」 「だはは、まぁ体が丈夫なんが俺の一番の自慢やから、心配無用や」 そんな何気ない会話をしていた登校中、私はふとした疑問を口にした。 「そう言えば蒐牙くんの式神……絡新婦だっけ? どうして影井さんや蘆屋くんみたいにお札じゃなくて、腕に文字を刻んでるの?」 「まぁ理由は簡単ですよ。僕は元々、それほど霊力が高くないんです」 少しだけ不機嫌そうに、蒐牙くんは眼鏡を持ち上げながら答えてくれた。 「呪符を使って式神を操れるのはそれなりに霊力のある者がやること。兄上や雅音様は生まれながらに恵まれた才能と霊力を持っています。でも僕は一般の人と変わりないごく普通の霊力しか持ち合わせていません……」 何だろう、この話題になったら蘆屋くんは難しい顔をして黙り込んでしまった。普段なら必要なくてもしゃべってるのに…… 私、もしかして余計なことを口に出しちゃったのかな…… 「だから、僕は呪符ではなく、式神を直接自分の体に封じるほうを選んだんです。ただし、異物を体に入れるわけですから、強いられる負担も大きい。だからこの間のような失態をおかしてしまったわけです」 「失態だなんて……」 「実際、蒐牙の能力は他の霊力の低い陰陽師たちからは尊敬されるレベルや。でもな、あんまり大量の物の怪どもを一人で相手にするのに向かんねん」 そうか。 だからあの大量の影たちに苦戦してたんだ…… 蒐牙くんは蒐牙くんで、とても立派な陰陽師なのに、持って生まれたものに苦しめられてるんだ。 私の髪や、目のように。 「持って生まれたものは……流石にどうしようもないものね」 「それは違いますよ」 「え?」 蒐牙くんは心外だと言わんばかりに言い放つ。 「持って生まれた資源は違っても、努力や気持ち次第でどうにでもなるはずです。でなければ、僕は陰陽師としての資格を生まれたときから否定されているようなものじゃないですか」 「せやな。蒐牙は霊力こそ低いけど、努力と負けん気で今じゃ霊力だけでふんぞり返ってるそこらの陰陽師なんかよりはよっぽど実力評価されとるわ」 「そうなんだ……」 すごいな、蒐牙くんは。 自分の境遇に全然めげてないんだ。 何か、自分がちょっと情けなくなる話だ…… 「まっちゃんかてそうやねんで?」 「え?」 「まっちゃんはまぁ元から持ってた霊力が半端やなかったから、その点では苦労せんかったけどな。有り余りすぎる霊力の制御には相当苦労しててん。家庭環境も家庭環境やったから、血の滲む努力して自立したって感じやからな」 その話、前に小鳩ちゃんに聞いた気がした。 ご両親が厳しいから、すごく努力をしたって。 でも、影井さんが努力してる姿ってあんまり想像できないんだよね…… いっつも涼しい顔していて、余裕綽々で。 「だからな、椿ちゃんもあんまり自分の状況、悲観したらあかんよ?」 「蘆屋くん……」 「清村先輩は、その外見すら自分の強みに変えてしまいそうなものなんですけどね。意外です」 「あはは……流石にここまでのものを強みに帰られるほど、私もポジティブじゃないよ」 苦笑いしか出てこない。 私の友だちは、みんなそれぞれ色んな何かを背負って、それに負けないように努力してる。 でも、私はどうなの……? 否定されるのが嫌で、隠して逃げ回って悲観してるだけ。 本当にこれでいいのかな…… 「……ん? あれ?」 「どないしたん?」 ふと顔を上げると、もう随分見てない顔が校門に入っていくのが見えた。 ふんわりと巻いた茶色い髪の毛。ちょっと強気の、でもパッチリした目。人形のように可愛らしい外見。 私の悩みの種である賀茂のお嬢様だ。 だけど、いつもと明らかに違うのは顔色。 修学旅行以降ずっと休んでたのはやっぱり本当に病気だったんだろうか。 真っ青で、血の気のない顔をしたお嬢様は、弱弱しい足取りで校舎に姿を消していった。 「いや、蘆屋くんが転校してきてからずっと見なかった顔が珍しく学校に来てるから」 「そうなん?」 「うん。顔色悪かったし、まだ完治してないのかしら」 私は賀茂のお嬢様が来たことで、またクラスの嫌がらせが元のようになるのではないかと、ほんのちょっと憂鬱になった。 でも、実際は下駄箱も普通どおり、教室に行ってもみんなお嬢様を囲んでやいのやいのしてるだけで私には何も仕掛けてこなかった。 むしろ、お嬢様は周囲の腰巾着すらうざったそうに、座ったまま俯いてる。 よほど具合が悪いんじゃないかと、自分を殺そうとした相手なのに心配してしまうんだから私はおかしいのかもしれない。 午前中、私はお嬢様をずっと気にしていたけれど、お嬢様はただ具合が悪そうに俯いているだけ。 いつもの元気は微塵も感じられなかった。 昼休み、いつものごとく私が屋上へ向かう途中、またしても珍しい人物に呼び止められた。 「椿」 「え?」 振り返ると、そこには星弥が立っていた。 何か、雰囲気すごく変わった……? 何処が変わったって言われると難しいけど、目つきとか、何か空気とか…… すごく、嫌な感じ。 「星弥、どうしたの?」 「ちょっと話ある。いい?」 「う、うん……」 そんな面と向かっていい? って言われてダメなんて言えるわけもなく。 私は星弥に言われるがまま、階段の踊り場で話を聞くことにした。 「最近さ、蘆屋先輩と仲いいな」 「うん、最近友だちになったのよ」 「へぇ、友だちにしては随分一緒にいる時間も長いじゃん。弟のほうの蘆屋とも結構仲いいみたいだし、お前そんなにケツ軽かったっけ?」 何か、嫌味ったらしい質問に私はほんの少しだけムッとしてしまった。 「そういう言い方ないんじゃない? 確かに蘆屋くんも蒐牙くんも異性だけど、れっきとした私の友だちよ! 悪い?」 「俺が聞きたいのは、友だちかどうかじゃない」 「え?」 「お前、蘆屋先輩と付き合ってるの?」 「は……はぁ!?」 何その盛大な勘違い。 確かに私は朝、蘆屋くんと登校途中に会う確立も高い。下校時も家まで送ってもらってはいる。 星弥すら知らない、私の髪のこと目のこと知ってる数少ない人物ではある。 でも、付き合ってるとかありえない。 「違うわよ。蘆屋くんはホントに友だちよ。確かに、今までの中の友だちじゃ誰よりも仲いいのは否定しないけど」 「ふぅん? でも、最近のお前、女だよな」 「は……?」 「やけに色っぽいし無駄に可愛いんだよ。その気持ちが誰に向いてるか、俺は知りたいんだよ」 ストレートに恥ずかしいこと言われてるのに、私は星弥の纏う黒い気配に照れることもなく、警戒してお腹の底から声を絞り出した。 「知って、どうするのよ」 「そいつを殺してでも、お前を俺のものにする」 「なっ……!!」 星弥は、悪びれもなく、しかも笑顔でそう言った。 正直、寒気がした。 おかしい。 星弥、昔はこんなんじゃなかった…… 少なくとも、簡単に人を殺すなんて間違っても言わなかったのに。 「当面のターゲットは蘆屋先輩なんだけど、どうにもあの人しぶといんだよな」 「あんた……何言って……」 「まぁいいや。お前が素直に口割ってくれないなら自分で調べるわ」 星弥は私の顎を無理矢理掴んで上に向けさせる。 影井さんとは全然違う強引さ、自分勝手で私を思いやる気持ちなんか微塵もなくて、痛い。 「考えなおさねぇか? 俺のものになれよ。そうしたら、全部カタがつくんだ」 星弥の顔が近寄ってくる。 でも、私は心の底からそれを拒絶した。 私はもう、他の男に触れられるのは嫌!! 頭の中にチラつくのは、あの影井さんとのキスの瞬間…… 「やだっ! やめて!!」 私は思い切り星弥を突き飛ばした。 星弥は、一瞬、ほんの一瞬だけすごい黒い表情で私を睨んだ。 怖くて、思わず壁に背中をついてしまうほどに後ずさった。 「ま、いいや……お前がそんな態度取ってると、どんどん周囲が傷ついて後悔することになるぜ?」 「え……?」 「言ったろう? 絶対手に入れてみせるって。俺には今その力がある、お前がその気にならねぇなら、もう容赦はしねぇ」 星弥はそのまま私から視線をそらして、下へ降りていってしまった。 なに……? 今のは誰……? 私の知ってる星弥は、あんなんじゃない。 何が言いたいの? 私が拒めば周囲が傷つくって、容赦しないって、なに……? 考えを必死にめぐらせて、自分の置かれた立場を考える。 嫌な鼓動がずっと、私の胸に響き続ける。 考えても答えは見つからず、私は晴れない気持ちのせいで重たい足を引きずるように屋上への階段を登った。 そこにはもう、蘆屋くんも、蒐牙くんも、影井さんもいた。 「珍しく遅かったのう。また嫌がらせでもされておったか?」 「い、いえ……」 私は何だか星弥のことで、気持ちがモヤモヤしっぱなしだった。 ふと、蘆屋くんの方を見ると、今朝も気になっていた絆創膏や包帯。 ここ最近、日に日に増えている手当てのあと。 「蘆屋くん……」 「ん? どないした?」 「その怪我、どうしたの?」 怪訝な顔をして、蘆屋くんは答える。 「せやから、今朝も言ったやん。バイトでやってしもたって」 「……そんなの、嘘だよ」 「椿ちゃん……?」 その瞬間、ちょっとだけ蘆屋くんの顔色が変わった。 見逃すことができなかった、些細な表情の変化。 何か、嫌な予感がした。 星弥にあんなことを言われるまで、気がつきもしなかった私も悪い。 でも、多分、私のこの考えは杞憂じゃない。 『当面のターゲットは蘆屋先輩なんだけど、どうにもあの人しぶといんだよな』 星弥は、蘆屋くんに対して、何かをしてる。 蘆屋くんはそれで怪我をしてるんだ。 「蘆屋くん、何か私に隠してるでしょ?」 「なんや唐突にそんな怖い顔して。椿ちゃん、何かあったんか?」 「さっき、幼馴染に声かけられた」 「ああ。あの仏頂面か? 何か言われてんか?」 ダメだ、怖い…… こういうときだけ、嫌な予感って言うのはどんどん膨れ上がっていく。 体が真実を求めて勝手に行動してしまう。 「なっ!? つ、椿ちゃん!?」 私は蘆屋くんの腕の包帯をぐるぐると外していた。 自分でもびっくりするくらい、強い力で蘆屋くんを押さえつけていた。 「……!!」 私はその傷跡を見て愕然とした。 何か鋭い爪で引き裂かれたような傷。 猫なんかにしては大きすぎるそれは、私に瞬時に鬼や物の怪の類にやられた傷だと感じさせた。 「蘆屋くん……何で黙ってたの?」 「言っても余計な心配かけさせるだけやんか」 私には、妙にその言葉が悲しく感じた。 まるで、お前は話すに至らない存在だって言われているようだった。 でも、それ以上言葉が出てこない。 私はきっと混乱してたんだと思う。 星弥が、蘆屋くんにこんな怪我をさせるようなことをしてる。 しかも、それには明らかに鬼とかそういうのが関わっていて…… ってことは、星弥が少なからず今回の事件に関与してる可能性があるってことになる。 「清村」 「はい……」 影井さんは妙に落ち着いた、冷たい視線で私を見ていた。 「お前はあまり何も考えるな」 「影井さん……」 「素人のお前が詮索したところで、どうこうできる問題でもあるまい。陵牙はお前が心配せんでも死にゃあせんから安心せい」 「そうですよ清村先輩。兄上は馬鹿ですが、陰陽師としての能力は高いんですから」 「ま……そういうことや」 まるで、また独りぼっちになってしまったような感覚。 友だちなのに、何か大きな壁がある。 見えない、ガラスのような大きな壁。 そこにいるのに、私だけガラスのこっち側にいて、本当の意味でみんなの輪には入っていけない。 「そう……ですね」 私は、それでも得てしまったこの居心地のいい場所を手放したくなくて無理矢理笑っていることしか出来ない。 馬鹿な私。 でも、踏み込むことで逆にみんなに迷惑がかかるって分かってて、物分りのいい子を演じてしまった。 これが、今後大きな誤解を生んで、また自分を傷つけるとも知らずに…… |