第2話 人違い


     俺はぼんやりとお寺の休憩用の椅子に腰掛けて、鐘を眺めている深散先輩の背中を見守っていた。
     深散先輩は、こっちの病院に入院する前からの知り合いだ。
     何せ向こうの学校が一緒だったから、京都に来てまで深散先輩に会えるとは思ってなかった。
     家の事情で京都の学校に転校したらしく、俺がこっちで知り合いもいなくて入院生活を送っているのを知って毎日のように顔を出してくれた。
     俺にとってはそれが何より心強かった。

     普通に生活していた俺にとって、何で突然記憶障害が起こったのかは全然不明だ。
     でも、確かにある日を境に、色んなことが思い出せなくなっていた。最近はだいぶ落ち着いて色々思い出しはしたけれど、それでも記憶につじつまが合わなくて違和感を感じることは多い。
     ただ、俺が何を忘れているのか、それはどうしても思い出せない……
     結局、これ以上記憶の回復を望むのは不可能ってことと、生活に支障はきたさないだろっていう医者の判断で俺は退院できたようなもんだ。

     一つだけ気がかりがあるのとしたら、あの椿さんという人を見ると妙に胸がざわめくことだ。
     何というか、あの人を見てると時々泣きたくなるときがある。
     その感情の理由はよく分からない。
     なんだか後ろめたい気持ちや、妙に安心したような気持ち、色々だ。

     唯一の救いは、あの人が影井さんの横で笑っているときだけは、俺の心が和らぐこと。
     あの人が笑っていると、なんだか心が軽くなるような、何かから開放されたような気持ちになる。
     あの人にはああして笑っていて欲しい、そんな気だけはした。

    「星弥くん」
    「あ、深散先輩。もういいんすか?」
    「ええ。充分に堪能いたしましたわ」
    「そうっすか、よかった」

     何より、どんなに泣きたい気持ちになっていても、最近では深散先輩の笑顔を見てるとそういうのが吹き飛ぶようになっていた。
     深散先輩は優しい。
     この京都でたった一人の俺を、献身的に支えてくれる。
     それが俺はすごく嬉しかった。

    「深散先輩、喉かわきません? 俺、ちょっと飲み物買ってきますから、そこで待っててください」
    「ありがとう、丁度そう思ってたところですのよ」
    「お、ぐっとタイミングっすね! んじゃ、ちゃちゃっと買ってきます」
    「ありがとう」

     俺は近くの自販機を探して走りだした。
     でも、お寺の中の自販機って見つからないもんで、仕方なく俺は近くのコンビニを探そうと寺を出ようとしたときだった。

    「鐘に恨みは数々ござる初夜の鐘を撞時は諸行無常と響くなり……」

     どこからか歌が聞こえてくる。
     しかもその歌声は、涙声ですごく悲しげだった。
     俺は一体何事かと思って声のほうへ歩み寄った。
     人気のない場所で、綺麗な着物を着た人が、歌いながら踊っていた。
     あれは何ていうんだろ、歌舞伎とか日本舞踊とかその手のやつか?
     声からして多分女の子だと思うけど……
     とりあえずその女の子はその場でずっと踊っていた。
     歌は自分で歌って、泣きながら。

    「後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり……」

     ふと、俺とその女の子は目があった。
     顔立ちはすごく可愛くて、年は中学生くらいかな……?
     その子は俺の顔を見た瞬間目を見開いて、歌うのも踊るのもやめた。
     涙声だったけれど、涙は流していたなかったはずなのに、目からぽろぽろ涙をこぼしている。

    「安珍様……? 安珍様なの?」
    「え?」
    「ああ、お逢いしとうございました……!」

     その子は突然俺に飛びついてきた。
     泣きながらずっと、「安珍様、安珍様」って言って体を震わせてる。

    「あ、あの……誰のことかわからないけど、俺は安珍じゃないよ」
    「え……?」
    「その人と俺は似てたかな? でも、人違いなんだ」
    「そんな……」

     女の子は絶望したような顔で、最初は震えていたが、突然怒りに満ちた表情になって俺の服を痛いくらいに引っ張った。

    「また嘘をつくのですか!? 千年もあなたを探し続けた私に、またそうやって人違いだと嘘をつくのですか!?」
    「え!? せ……千年!? そういわれても、俺は君を知らないよ」
    「何十年、何百年……千年経ってもあなたの言い分は変わらぬと言うのですか!!」

     泣きながら、女の子はそう叫ぶ。
     でも俺には何のことかわからなくて、困り果ててしまった。

    「ああ……悔しい、悔しい!! あなたは私を娶るといったのに……嘘つき、嘘つき!! 信じていたのに!!」

     俺は、その言葉とともに、女の子の手から何か緑っぽい鱗が生えるのが見えてしまった。

    「なっ……!!」
    「千年前あなたは鐘の中にはいなかった……!! あれから私はずっとあなたを探していたのに……ああ、悔しい、悔しい!!」

     俺はいよいよヤバイって感じた。
     だって、この子につかまれた服が焦げ始めてる。
     このままじゃ殺されるかもしれない。

    「おのれ安珍……!! おのれ! おのれえええ!!」
    「たっ……助けて!!」

     俺は思わず叫んだ。
     こんな人気のない場所じゃ無意味だってのに、人間思わず言葉が出るもんだ。

    「臨・兵・戦・者・皆・陣・烈・在・前!!」
    「!!!!!!!!!」

     突然、俺の手をつかんでいた手が離れたと思うと、女の子はなにかの力に押し飛ばされて吹き飛んだ。

    「星弥くん、大丈夫ですの!?」
    「深散先輩……?」
    「帰りが遅いので探しに来ましたのよ! 大丈夫!?」
    「は、はい……」
    「おのれ……私の邪魔をするのは何者だ……!!」

     女の子は顔を伏せたままゆらりと立ち上がった。
     寒気がする……すごく黒いオーラを放ってることだけはよく分かる。

    「私は賀茂家の直系陰陽師ですわ。物の怪、今すぐ立ち去りなさい!」
    「陰陽師……? 知らぬ、そのようなものはどうでもいい……その男をよこせぇえええ!!」
    「くっ! 急急如律令!!」

     再び飛び掛ってくる女の子に対して、深散先輩は何か唱えると、再び彼女を弾き飛ばした。

    「星弥くん、走って!!」
    「あ、はい!」

     俺は深散先輩に手を引かれて、走った。
     後ろからすごいわめき声が聞こえてきて、俺は耳をふさぎたい衝動に駆られた。

    「なんとか、影井様たちのところへ行かなくては……こんなとき紅葉がいてくれれば……!」

     深散先輩は悔しそうに唇を噛んでいた。
     一体何が起きてるんだ? 深散先輩、自分を陰陽師って名乗ってたけど……マジか?

     俺は信じられない気持ちのを引きずったまま、深散先輩に連れられ必死に走った。

    「影井様! 椿!!」

     深散先輩はやっと影井さんと椿さんを見つけたみたいだった。
     二人はどこで買ったのか団子を食べながら楽しそうに談笑してる。
     でも、先輩の叫び声でこっちを向いた瞬間、二人の表情が一変した。

    「とんでもないものを連れておるのう」

     影井さんはどこにしまっていたのか、お札を二枚取り出すと、それを俺たちのほうに投げた。
     そこから赤と青の光が放たれて、人の形になる。

    「前鬼、後鬼。やれ」

     その言葉に反応するように、青い着物と赤い着物を着た二人の男女が各々の武器を持って女の子に切りかかった。
     女の子は体に傷をつけられて、叫び声をあげた。

    「ギャアアアア!! おのれ……憎い……憎い……必ずやその命……ウアアアアア!!!!!」

     その叫び声と共に、女の子は炎に包まれて消えてしまった。
     助かった……のか?

    「一体なんだあれは?」
    「はっきりとは分かりませんわ。ずいぶん強い念を抱いた物の怪のように思いますけれど……」
    「ふむ、あれで祓えておればよいが……」

     何の話をしているのかは分からない。
     でも、深散先輩も影井さんもすごく浮かない顔をしている。

    「今日はもう引き上げたほうがよさそうじゃのう」
    「ええ……」
    「星弥、お前今日はなるべく一人になるな。一応男は4人一緒の部屋になっておるから心配はいらんだろうが、気を抜くなよ」
    「は、はい……」

     俺の体は恐怖に震えているみたいだった。
     変な汗がにじみ出て止まらない。

    「ふむ、椿、お前あの物の怪が見えたのか?」
    「うん。綺麗な着物を着た女の子……だよね?」
    「コンタクトをつけたままでも姿が確認できるか……よほど力の強い物の怪の可能性もある……としたら厄介じゃのう」

     影井さんはため息をついて言った。

    「お前もずいぶん力の強い物の怪に好かれるものよ」
    「え?」
    「いや……なんでもない。だが、それなりにこちらも警戒すべきだのう」

     影井さんは何を言ってるんだ?
     俺が物の怪に好かれてる?
     っていうか何なんださっきから物の怪物の怪って……
     まさか鬼や妖怪が本当にいるって言うんじゃないだろうな。

    「腑に落ちん顔だのう。だがお前も俺たち……いや、最低限賀茂と関わりを持つのなら、信じられなくても信じておいたほうがよいぞ」
    「鬼や物の怪をですか……?」
    「そうだ。なにせ賀茂はそれらを祓うのが仕事だからのう」

     俺は思わず深散先輩の顔を見た。
     何か、とても複雑そうな顔をしている。

    「星弥くん、信じられないかもしれないけれど、この世には鬼や物の怪はいますのよ。それを人々から遠ざけ守るのが、私たち陰陽師の仕事なんですの」
    「本当に陰陽師なんですか……?」
    「ええ、間違いありませんわ」

     なんだか衝撃の事実を突きつけられたみたいだった。
     前の学校でもちょっとした占いとかはやってくれたけど、まさか本格的な陰陽師だったなんて知りもしなかった。

    「胡散臭いと思います?」

     深散先輩はまっすぐに俺を見る。
     その目は透き通っていて、輝いていて、今にも吸い込まれそうだ。
     そうだ、先輩が何であろうが関係ない。
     いつでも傍にいて、俺を支えてくれた。さっきだって助けてくれた。
     その職業が例えいんちき陰陽師だったとしたって、先輩は俺にとってかけがえのない人だ。

    「いえ、俺は深散先輩を信じます」

     一瞬、深散先輩は驚いたような表情をしたけど、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。
     俺はこの笑顔にすごく弱い。
     辛いことや悲しいこと、悩みなんか全部吹っ飛ばしてくれるように可愛くてやさしい笑顔。

    「よかった。信じてもらえたのなら、私も全力を持って星弥くんをお守りしますわ」
    「深散先輩……」
    「とはいえ……あの物の怪思った以上に強かった。普通程度の力を持った鬼なら私の陰陽術を用いれば簡単に祓えますのに、二度もそれを受けてひるんだだけだなんて……」
    「少なくとも式鬼神級の力は持っておる、ということか」
    「ええ……もしあの物の怪を祓えていなかったならば、私だけでは役不足です。どうか影井様も力を貸してくださいませんか?」

     影井さんはやれやれといった感じで髪をかき上げる。

    「まぁここまで面倒を見たのだ。いくつ面倒が増えても同じだしのう」
    「ありがとうございますわ、心強いです」

     深散先輩が助力を願うってことは、影井さんもその手の職業ってことか?
     まぁ若干22歳にしては金持ってるようには見えるけど……
     やっぱ怪しい祈祷とかして金稼いでんのかなぁ。

    「ふむ、星弥。お前今俺のことを胡散臭いと思ったな?」
    「え!? いやいやいや!! そんなことないです!!」

     この人は何だ、人間の心でも読む能力を持ってんのか!?
     昔読んだ小説に、デリカシーのない人の心を読める不死身のおっさんがいた気がするけど、まさかその類か!?

    「お前にはどうやら、まず俺たちのことから理解してもらわねばならんようだの」
    「え……?」
    「まぁよい。どうせ今日は泊まりじゃ。理解できるまでじっくり話してやろうではないか」

     影井さんはそう言って笑った。
     俺はホテルに戻って散々信じられない話を聞かされることになる。
     まさか、鬼やら物の怪がこの世に本当に存在するなんてな……

     俺はその物の怪の類にこれから、深い関わりを持っていくことになる。
     でも、そんなことは今の俺にはまったく予想もできていなかった。

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