第10話 速来津姫
これは、太古の昔の話。 それこそ、大和朝廷なんてものが存在していた頃、いや文献がもし正確なものでないとしたらもっと太古の時代の話かもしれない。 事は十二代目の天皇、景行天皇の時代の話だ。 土蜘蛛について、文献にはこう記されている。 この人、つねに穴の中に居り。故、賤しき名を賜ひて土蛛といふ。 ずいぶんと酷い話もあったものだ。自分たちと生活のスタイルが違うというだけで、彼らを見下して"土蜘蛛"などと呼んでいたのだから。 そんな朝廷の態度だ、土蜘蛛と朝廷が仲良くやっているわけもなく、抗争は絶えることはなかった。 反抗勢力を打ち滅ぼしたといえば聞こえは良いが、それは風土記などに記された表の歴史。 実際のところは、原始の暮らしをそのままに営む土蜘蛛たちに、一方的に朝廷に従えと無理強いをし、嫌がる土蜘蛛たちを天皇勢力が滅ぼした。 史実など、所詮その時代の権力者が都合のいいように書き変えられてしまうものが大半だ。 都合の悪い、聞こえの悪い事実など、後世に伝わる手段が消えうせれば闇の中、というわけだ。 元々土蜘蛛たちはシャーマン的要素、用は俺たち陰陽師の原点となる力に長けた一族であり、あまり武力のほうには長けていなかった。 結局武力行使に出られれば、土蜘蛛たちは勝つことができずに滅ぼされてしまった、というわけだ。 中にはひっそり生き残ったもの、天皇に服従し人と交わったものもいるが、その大半は武力で対抗し、この世から姿を消した。 土蜘蛛一族のリーダーの多くは女性だったという。 彼女たち……そう、速来津姫(はやきつひめ)と海松橿姫(みるかしひめ)もまた、ある土蜘蛛の集落のリーダーで、八十女と呼ばれていた。 速来津姫は穏やかな性格の八十女で、その集落の女や子供、年寄りに絶大な指示があった。 黒い髪に黒い瞳。見るものを魅了する美しさであったという。 一方の海松橿姫は、やや男勝りなところがあり、若い血気盛んな土蜘蛛たちに絶大的な指示をされていた。 彼女もまた絶世の美女とされており、狩りなどをさせれば男よりも強かったと言われる。 「八十女様! 八十女様!! 大変でございます!!」 ただ平和に日々を過ごしていた速来津姫たちの集落にも、とうとう天皇の行幸がやってくるという知らせが入った。 土蜘蛛たちにとって、天皇の行幸は戦への狼煙のようなもの。 彼らはさぞや焦っただろう。 「どうしたのです、国摩侶。そんなに慌てて」 「ああ、速来津姫様! 帝が……この地方に行幸に来るそうです!!」 「朝廷の帝が……!? ついにこの地域にも」 その集落は長らく天皇の行幸が来ることがなく、比較的日々を平和に過ごしていた。 そのためか、何の噂もない突然の行幸に対する対策は何もなかった。 「分かりました。国摩侶、皆を呼んできてください」 「はい!」 その集落は数人の八十女が先頭に立っていた。その中でも、速来津姫と海松橿姫はその集落で最も強い権力を持っていたとされている。 「速来津姫様! 海松橿姫様!! 一体どうすんだよ!? このままでは我々は今までのような生活ができなくなるぜ!」 「落ち着け打猿。帝の行幸が来るまでには、あと何日かかるのだ?」 「海松橿姫様……帝の行幸が到着するまでには、たったの2日しか猶予がございません」 「青、その情報はどこから来たものだ?」 「隣の集落の同胞が天皇の行幸にやられました。生き残りが命からがら教えてくれたのです」 「なるほど」 何人かの土蜘蛛の有力者と、二人の八十女は考えあぐねいた。 多分、天皇につき従えば大量の貢物を持っていかれる。あまり裕福でなかった集落は、それだけで存亡の危機に晒されるだろう。 それに、土蜘蛛の生活スタイルは朝廷には蔑まれている。もしかしたら、そのスタイルすらも変えなくてはならくなる。 「戦おう」 「海松橿姫!?」 「速来津姫、分かるだろう? 今のままでは我々の生活は朝廷に脅かされる。ただ、私たちは自分たちがいままで続けてきた生活を続けたいだけなのに、誰にその日々を壊す権利がある?」 「……海松橿姫」 多くの土蜘蛛たちは自らの生活を守るために朝廷と戦った。 彼女たちもまた、他の土蜘蛛たちと同じ道を歩もうとしていた。 最初は、海松橿姫の確固たる意志の前に、速来津姫も共に戦うことを納得していた。 だが、この集落が天皇の行幸を知ったのは、天皇に滅ぼされた別の集落の土蜘蛛の生き残りが命からがら知らせにきたためだった。 その傷ついた土蜘蛛の話に、怯えるものも少なくはなかったのだ。 その集落の八十女が朝廷との戦を決めた夜。 速来津姫のところに、子供をつれた土蜘蛛の女が訪れた。 「速来津姫様……速来津姫様」 女は声を押し殺して速来津姫を呼んだ。速来津姫は何事かと住居の穴の外に出ると、女は突然頭を下げて声を殺して泣きながら言った。 「どうか戦をやめてください」 「どうしたのですが、一体何故そのようなことを言うのです?」 女は土蜘蛛の子供をしっかり抱いて言った。 「隣の集落の同胞が言っておりました。帝は反抗するものは子供であれ容赦はしないと……私はこの子が殺されるのは見たくありません」 「………」 速来津姫は女の胸の中で眠るいたいけな子供を見て、酷く胸が痛んだのだろう。 女はふと後ろを振り返った。 「!?」 速来津姫は驚きを隠せなかった。 そこには子供を抱いた多くの土蜘蛛と、年老いた土蜘蛛たちが夜の闇に紛れて数多く立っていた。 「皆、この戦に反対している者たちです。若くて血気盛んな者たちは戦の準備を進めていますが、私たちは生きる道を選びたいのです」 「どなたも、皆同じ気持ちなのですね?」 夜の闇に紛れた土蜘蛛たちは頷いた。どの土蜘蛛たちも皆戦えない者ばかりだった。 彼らが天皇の兵に見つかれば、皆殺しになるのは目に見えていた。 「速来津姫様……お願いします! 戦を止めてください!!」 「速来津姫様!」 「速来津姫様!!」 その声に、速来津姫は今一度海松橿姫と話し合うことを決めた。 「分かりました。海松橿姫に戦をやめて帝に従うよう話して見ます」 「ああ、ありがとうございます速来津姫様!!」 「夜風は体に毒です。皆早く休みなさい」 速来津姫はその足で、海松橿姫の穴ぐらを尋ねた。 「どうしたのだ、速来津姫」 「海松橿姫、帝との和解の道はないのですか?」 「今更何を言っているのだ?」 速来津姫は事情を話すことをためらった。もし戦えぬ同胞が戦を拒んでいるとなれば、内輪もめになる可能性もある。 そうすれば、ますます状況は悪くなる。 「いえ……死者を出さずにどうにかできる方法はないものかと思っていました」 「馬鹿なことを言うな。戦わずして何が守れる、何が得られる? 甘ったれたことを言っていれば、私たちは確実に帝に虐げられ、滅びの道を歩むことになる。どうせ滅びるなら、戦って散るまで」 「……ですが」 「それでも反対するというなら、私を含めたこの集落の八十女を殺してお前がこの集落の唯一の指導者となるのだな。そうすれば誰も逆らうまい」 「そんな……」 「猶予はない。分かったら馬鹿なことを考えずに戦に備えろ」 戦の姿勢を崩さない海松橿姫に、速来津姫はそれ以上何もいえなかった。彼女は考えあぐねいた。 そしてその晩、不思議な夢を見たのだった。 【土蜘蛛の姫よ】 【我らが声に耳を傾けよ】 「誰ですか!?」 速来津姫は、目の前に白と黒の不思議な人影があることに気がついた。 【そなたは今迷っておるな?】 【同胞を守るために、どうすればよいか迷っておる】 「……何故それを」 【我らは全てを知るもの。そなたらが崇めし存在】 【そなたらが日々祈りをささげし存在】 「まさか……あなた方は神だというのですか!?」 二つの影はゆらりと動いた。 それは頷いたとも取れる動きだったという。 【そなたらは今破滅の道を歩んでおる】 「!?」 【我らを崇め奉る者が滅びるのは忍びない】 【そなたは同胞を裏切る決意があるか?】 「裏切る……?」 【そうだ。そなたは戦いを望まぬ、しかし未来を担った同胞を守るために、仲間の血を浴びる覚悟があるか?】 白い影と黒い影は交互に速来津姫に問うた。 もちろん、速来津姫とて同胞を守りたい気持ちはあった。 しかし、仲間を裏切るという言葉は彼女に大きな不安を与えた。 「神よ、裏切りとはどういうことです?」 【我らは、我らを崇めるものを守りたい。しかし、今天下を握るものを少数の部族で打ち滅ぼすは無謀】 【なれば選ぶ道は一つ】 「従属……ですか」 二つの影は再びゆらりと揺れた。 【そなたに我らの力を与えよう】 【我らと交わり、その力を我らを崇め奉る民のために振るうと誓うならば、そなたに民を守る力を与える】 【ただしその選択は同胞を守ると同時に、同胞を裏切る選択にもなる】 【よく考えることだ】 速来津姫は二人の神の話を瞬時に把握した。 話は簡単だ。 神と交わりその力を手に入れ、生き残ることを望む民を守るために、海松橿姫を含めた戦を望む同胞を全て斬るということだ。 「……分かりました」 【ずいぶんと決断が早いな】 「あなた方が私の前に現れたということは、私の選択が我ら種族の運命を握っているということでしょう? 拒めば滅び、受け入れれば存続の可能性はある……違いますか?」 【理解の早い姫君だ。我らが力受け取るがよい】 【ただし、そなたはこれより人ならざるものとなる。よいな?】 「覚悟の上です。この身はあなた様方に捧げます。ですから同胞を救う力を……!」 【そなたなら我らへの敬いの念、必ず守ってくれると信じて折るぞ】 【その念こそ我らの力となる】 速来津姫はこのとき、神と交わったとされている。 人ならざる力を得たと。 これは速来津姫が後に自らの手記に残したものが、機密利に残されていたものだ。 それを彼女の子孫が後生大事に保存していたということだろう。 目覚めた速来津姫は、一度だけ涙を流したという。 それは仲間を裏切ることに対する自責の念かもしれない。 しかし、それ以降の彼女は別の伝記によればこの世のものとは思えない、まさに人外の存在だったという。 美しかった黒髪は真っ白になり、漆黒の澄んだ瞳は赤と青に染まっていた。 黒き衣を纏い、同胞を斬る姿は冷酷で、まさに異形だった。 海松橿姫を守っていた最後の土蜘蛛、国摩侶が崩れ落ちたときには、速来津姫の体は同胞の血で真っ赤に染まっていたそうだ。 そして、握っていた刀もまた、どれほどの同胞を斬ったのか分からないほどの血を啜り、真っ赤に変色していた。 その刀こそ、後に鬼斬りの刀、アマテラスと呼ばれる代物。 元より速来津姫が持っていた刀の刀身は、不思議な青色をしたツクヨミと呼ばれるもので悪しき病魔などから人々を解放する力を持った聖なる刀だったらしい。 しかし、同胞を斬ったその刀は見る影もない禍々しい姿となっていた。 「速来津姫ぇ……!!」 海松橿姫も流石に、何の抵抗もなしにいるわけがなかった。 しかし、神と交わった速来津姫に、敵う術はない。 いとも簡単にその刀は手折られ、丸腰となってしまった。 「おのれ……同胞殺しなど許されるわけがない……この恨み……何百年、何千年経とうとも忘れはせぬ!! 覚えておれ、裏切りのひめ……!!」 海松橿姫は最後までその言葉を速来津姫に伝えることなく倒れた。 その後、速来津姫は天皇の行幸時に大量の貢物を捧げて朝廷に従属することとなる。 天皇は速来津姫の異形の姿を見て最初は驚いたそうだ。しかし、彼女の立ち居振る舞いと、絶対的な忠誠心に天皇は心を動かされたと記録されている。 もちろん、その信用を得るまでには長い年月を要したが、速来津姫はめげることなく同胞を守るために、天皇の信頼を得るためにその一生を捧げたそうだ。 こうして速来津姫は舞い降りた神と交わり、人ならざるものとなった。 そして戦を望まぬ同胞たちと共に天皇に従属し、人と交わり呪術などに長けた子孫を残すことになる。 あまり後世には知られていないが、我々陰陽師や霊媒師などこの世のものではないものを扱う人間の血には少なからず土蜘蛛の血が混じっていることが多いという。 そして……もう一つ、土蜘蛛の一族の血を受けた存在が後世に残ることになる。 天皇の行幸の際身を隠し、ひっそりと生き残った土蜘蛛たちは人との交わりを絶ち、独自の文化を築き、後にこう呼ばれるようになる。 ――鬼。 土蜘蛛が鬼たちに対して絶対的な力を持っているのは、土蜘蛛が鬼の始祖であるからだ。 そして、この後朝廷により大半の土蜘蛛は滅されることになる。 しかし土蜘蛛たちの恨みの念は、これより後に爆発することになる。 長い年月力を蓄え、速来津姫とは違った形の異形となった彼らは、朝廷と裏切り者に復讐をすべく現世に蘇ることとなるのだった。 |