第14話 兄弟の絆


     冥牙さんが家を飛び出したビジョンを最後に、光が引いていった。
     私は光がはじける前のとおり、めちゃくちゃに破壊された蘆屋家の座敷にいた。そこには、雅音さんや深散、それに蒐牙くんも蘆屋家親戚一同姿もあった。
     それに壁にもたれかかるようにしてぐったりしている冥牙さんと、それを必死に呼んでいるアッシーの姿もあった。

    「兄ちゃん! 兄ちゃん!!」
    「りょう……が……」

     冥牙さんはゆっくりと目を開けた。
     アッシーはぐっと冥牙さんの腕をつかんで震えているみたいだった。

    「ごめん……俺何も知らんかってん……!! ごめんな!!」

     アッシーにもあのビジョンが見えたのかな……
     周囲の人たちを見渡せば、私のように泣いている人、すごく気まずそうにしている人、みんなそれぞれだ。

    「何故謝る? 俺はお前を殺そうとしたんだぞ?」
    「何でやねん! なんで俺を守ろうとした兄ちゃんが、がしゃどくろの封印解いて蘆屋家を襲ったりしたん!!」

     冥牙さんは観念したようにため息をついた。

    「風の噂で聞いたのだ。蘆屋家の当主はうつけで有名で、分家が謀反の準備を進めていると」
    「!?」

     そこでまた分家の人たちがびくっと体を震わせた。
     どこまで腐ってるのかしらこの人たち……
     結局アッシーから当主の座を奪う気満々だったってことじゃない!?

    「俺は……お前に何としてでも当主らしくなってもらわねばならなかった……そして、蘆屋家の不正を正さねばならなかった……お前たちを守るためにも……」

     ああ……
     もう。何で……
     おかしいわよこんなの。

     どうして冥牙さんみたいに優しい人がこんなにも傷つかなきゃいけないのよ。
     お母さんを奪われて、体を物の怪に蝕まれて、居場所を奪われて……
     それでも尚、家族を思いやって自分を悪者にして。

    「貴風院家には悪いことをした……そして大嶽丸にも……」
    「大嶽丸……? そういえば大嶽丸はどないしてん? 兄ちゃんに会ってから一度も見てへんよ?」

     大嶽丸ってなんだろう……?
     アッシーはその名前をずいぶん不安そうに呼んでるけど……

    「冥牙。お前、がしゃどくろに大嶽丸を食わせたのだな?」
    「雅音か……ああ、そうだ」
    「そ、そんな!? 兄ちゃんの大事な式鬼神を……食わせたって!!」

     どういうこと……?
     あのがしゃどくろに、冥牙さんが大切な式鬼神を食わせた……?
     それに一体どういう意味があるっていうの?

    「がしゃどくろを操るには、俺の霊力とよく馴染んだ媒体が必要だった……だから、大嶽丸をそれに使ったのだ……」
    「そんな……あんなに大切にしてたんに……俺らのためにそんなこと!!」

     冥牙さんはやけに落ち着いた顔で、でも、とても寂しそうに笑った。

    「大嶽丸も納得してくれてのことだ。あいつは俺と一緒にいた時間が一番長かった……だから俺の気持ちを汲んでくれた」
    「なるほど。だから頭を砕かれお前が注いだ霊力を失ったがしゃどくろは力を失ったのだな?」
    「いいや……違うな」

     冥牙さんは静かに顔を上げた。
     その瞬間……

     ――――ドオオォォォォン!!!!!!

     突然土煙が舞い上がったと思うと、そこには真っ赤に変色したがしゃどくろがこちらを見ていた。
     どうしてだろう、目のないはずの大きな頭蓋骨が、こっちを睨んでいるような気がする。
     さっきまのがしゃどくろと全然違う……!!

    「大嶽丸の霊力を失ったがしゃどくろは、ただ食欲に任せて生者を食らう化け物に戻っただけだ……」
    「そ、そんな!」
    「グォォォォオオオオオオオオ!!!!!!」
    「前鬼! 後鬼!」

     伸ばされたがしゃどくろの真っ赤な手を前鬼さんの刀と後鬼さんの槍が止める。
     でも、流石鬼道丸さんを押し返しただけの妖怪。
     二人は必死に耐えてるけど、少しずつ押されてる。

    「なんという馬鹿力だ……!!」

     雅音さんはぐっと踏ん張った。
     前鬼さんと後鬼さんに対して送る霊力の消耗が激しいらしくて、足元がおぼついてない。

    「雅音さん!」

     私は雅音さんの体を支える。
     服が汗でぬれてる……今日の霊力の消費は並大抵じゃないんだと思う。

    「すまぬな椿……しばらくそうしていてくれんか?」
    「うん、わかってる。絶対支えるから……お願い、みんなを守って」
    「ああ」

     そうは言っても相手の力は異常だ。
     支えている私にも分かる、雅音さん長くは持たない。

     右手を封じられたがしゃどくろは今度は左手で蘆屋家の人々を掴もうとしている。

    「小鳩ちゃん! お願い止めて!!」
    「うおおおおお!!!」

     私の呼び声に答えて、酒呑童子の姿をした小鳩ちゃんはがしゃどくろの左手を抑えた。
     でもこっちもかなり辛そう。

    「くそっ! おい蒐牙! 手伝え!!」
    「え!? あ、は、はい!!」

     蒐牙くんも慌てて小鳩ちゃんを手伝いはじめた。
     でもあんまり変わらないみたい。がしゃどくろは左右の手をもがかせ、必死に餌を探すように何度もばたつかせている。
     あんなのを何度も受けていたらみんなただじゃ済まない!!

    「陵牙……あとのことは任せたぞ……」
    「兄ちゃん?」
    「絶対にがしゃどくろを封じろ……いいな?」

     その瞬間だった。
     まるで全てを悟ったように、アッシーが冥牙さんにぐっと抱きついて大きく首を振った。

    「あかん! あかんよ兄ちゃん!! 兄ちゃん、死ぬ気やろ!?」
    「……陵牙、聞き分けてくれ。俺の判断不足が招いた事態だ。まさかお前が俺を殺さずにがしゃどくろ自身を打ち破るとは思っていなかったのだ」
    「俺が兄ちゃんを殺せるわけないやろ!? 何馬鹿ぬかしてんねん!!」
    「そうだったな……俺はお前の気持ちを何一つ分かっていなかった。すまない」

     アッシーが子供みたいにわんわん泣いてる。
     冥牙さん死ぬ気なんだ……命を懸けてがしゃどくろを止めるつもりなんだ……

    「兄ちゃん、あんとき言うたやないか! 心はぴったりくっついて離れへんて、そう言うたやないか!!」

     冥牙さんはぐっと唇を噛んだ。
     そしてアッシーの頭を撫でると、優しく……今までに見たことも無いほどに優しく微笑んだ。

    「そうだ陵牙。俺の心はどんなに離れていてもずっと離れない。時には相手を疑うこともあるだろう、信じられなくなることもあるだろう。だが……俺はずっとお前たちを思っている」
    「嫌や……!! せっかく会えたんに……死んだらあかん!! 白虎に力を借りて、俺がなんとかする!!」
    「使えるのか? 白虎の力……?」
    「え……?」

     見ればアッシーの手から、さっきまであったはずの純白の拳銃が姿を消していた。

    「そんな!? 白虎! 白虎!! まだや、もう一回力を貸してくれ!!」

     叫べど叫べど、白虎は一向に現れなかった。
     どうして……さっきまでは拳銃、確かにアッシーの手にあったのに!?

    「どうやらさっきので相当の霊力を使ったようだな……それでは白虎は扱えん。陵牙、悔しかったらもっと強くなれ……」

     冥牙さんはそう言い立ち上がると、ぽつりとつぶやいた。

    「大嶽丸……今行く……そのときには、また一緒に酒が飲めるといいが……」

     冥牙さんはその呟きとは対照的に、今度は声を張り上げた。
     その澄んだ声は、屋敷にいた全ての人の耳に冴え渡ったんじゃないかってほどに綺麗だった。

    「青龍、白虎、朱雀、玄武、空珍、南儒、北斗、三態、玉如!! 我が命を汝に与えん! 満たされぬその魂の渇望、一時満たし従属せよ!!」

     冥牙さんの体が光に包まれた。
     まぶしくて私は目を瞑ってしまった。
     そのせいか、状況を飲み込むことができなかったけれど、雅音さんの体の力が抜けたのがわかった。

    「忘るなよ、ほどは雲ゐになりぬとも、空ゆく月のめぐり逢ふまで……」

     私はそのとき、確かに冥牙さんの声で歌を聞いた気がした。
     もう……ちゃんと勉強しなきゃ駄目ね……
     この歌の意味するところが分からない。
     でも、その声はどこか優しくて、あったかくて……
     胸が締め付けられるように、何ともいえない切ない響きをしていた。

     その歌が聞こえた直後、泣き声交じりのアッシーの声が響き渡った。

    「天を我が父と為し、地を我が母と為す! 六合中に南斗・北斗・三台・玉女在り、 左には青龍、右には白虎、前には朱雀、後には玄武、前後扶翼す!! 急急如律令!!!」

     冥牙さんの声とは対照的に苦しそうで、辛そうで、耳を塞ぎたいくらいの呪文だった。
     つられて、私の目からつーっと涙がこぼれていた。
     今日は泣いてばかりね私……あまりにもアッシーも冥牙さんも救われなさ過ぎて、耐えられない。

     光が晴れて再び目を開いたとき、目の前にはもうがしゃどくろの姿はなかった。
     そして……冥牙さんの姿も。

     代わりに、アッシーの目の前に血文字で『がしゃどくろ』と書かれた札がひらりと落ちた。
     アッシーはそれを拾い上げて肩を震わせていた。

    「兄ちゃん……兄ちゃん……」

     私はその背中から目を離すことができなかった。
     釣られ泣きなのかもしれないけれど、はらはらと涙をこぼしていたら、雅音さんが私の手をぎゅっと握ってくれた。

    「見届けてやれ。あいつの成長を」
    「うん……」

     私はただただ、泣きながらアッシーの背中を見つめ続けた。

    「兄ちゃあああああああああああああん!!!!!!!」

     その叫び声に答えるようにパタリパタリと雨が降ってきた。
     まるでアッシーと一緒に空が泣いているように激しいどしゃぶりだ。
     私は自分の髪の染色が落ちているのにも関わらず、その場から動けずにいた。

     こうして、蘆屋家をめぐる騒動は幕を閉じた。
     冥牙さんという尊い犠牲と引き換えに……。
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