第9話 絡新婦の思い
鵺は地面を揺らすような、耳を劈くような声で叫び声をあげた。 正直それだけで相当なダメージを受けたように私は感じた。 頭が揺らされるような感覚に襲われて、また気持ちが悪くなってくる。 でも、見れば鵺は森太郎さんを襲ってはいなかった。体中を糸で締め上げられてじたばたともがいている。 「蒐牙!!」 そう、御木本家の塀の上に疲れた様子の蒐牙くんが立っていた。 その横には蒐牙くんの式神、絡新婦が静かに佇んでいて、その糸で鵺を縛り上げていた。 「なんてことをしてくれたんですか、森太郎」 「な、なんやねん蘆屋家の馬鹿息子が!!」 「馬鹿に馬鹿といわれるとは思ってませんでしたよ」 蒐牙くんは塀から、無駄のない動きで降りてきた。 さすが鍛えてるだけはある……蒐牙くん運動神経いいのね。 蒐牙くんは縛り上げられた鵺を見て辛そうな表情をした。 その胸には、眠るように目を閉じたまま鵺の体に埋め込まれている志織さん。 「青龍・白虎・朱雀・玄武……」 蒐牙くんは締め上げられた鵺の前で印を斬り始めた。すると、蒐牙くんの体と絡新婦の体がぱーっと光を放ち始める。 「まさかあれは……」 雅音さんは、その光を見た瞬間に身を乗り出して叫び声をあげた。 「馬鹿者!! 蒐牙やめろ!!」 その叫びに、蒐牙くんはこちらを一瞥して首を横に振った。 その目がすごく悲しそうで、辛そうで、私は見ているだけで胸が締め付けられるようだった。 「雅音様、申し訳ありません。でも、やはりあなたを敵に回しても、これは僕がすべき役目です」 「まっちゃん……あれ、まさか」 「そうだ、自らの命を削り荒ぶる魂を鎮める魂鎮めの呪……あんなことをすればあいつの寿命はどんどん縮まるぞ!!」 「そ、そんな!! じゃあ蒐牙くんもう何年も寿命を削って鵺を封印してきたっていうの!?」 「あの馬鹿!!」 アッシーが走り寄ろうとすると、蒐牙くんから放たれる光はますます強くなった。 「今年も、役目はこれで終わりそうですよ志織さん」 「させるか!!」 その瞬間、蒐牙くんの体から放たれた光が一瞬にして引っ込んだ。 それはそうだ。分家の森太郎さんが蒐牙くんに飛び掛って、呪文を中断してしまったんだから。 「なっ!? 森太郎、どういうつもりですか!?」 「ぬ、鵺は俺のもんや! お前になんか渡さん!!」 「何を言ってるんですか!! 鵺はあなたのような者に扱える妖怪ではありません!!」 「うるさい! 俺は螢一郎に勝って当主にならんとあかんのや!! 地位も名誉も全部俺のもんや!! ははは……あーっはははははは!!」 なんて人…… 私が怒りに震えていると、更に怒った表情をしていたのは蒐牙くんだった。蒐牙くんは森太郎さんを怒りに満ちた顔で彼を投げ飛ばした。 ぎゃあって声を上げて森太郎さんは地面に落ちていった。 「あ、あれって巴投げ!? あの体勢からよく持って行ったわね……」 「あいつはのう、霊力が低い分、体術がものすごく達者なのだ。それこそ陵牙なんかよりはよっぽど喧嘩は強いかもしれんのう」 「そうなの!?」 「柔道、空手、合気道、それどころかボクシングやらキックボクシング、ムエタイ……海外の格闘技やらなんやら無駄に手を出しては極めておる」 「ええええええええええええ!?」 私はもう叫び声しか上げられなかった。 「まぁあいつが剣道でもやってれば何かしらの大会で会う機会もあったろうが、あいつは武器は持たん性質のようでの」 「なるほど……どうりで引き締まった体してるわけだわ」 「あやつの体術に関しては俺も一目置いておるよ」 雅音さんが一目置くんだから、多分蒐牙くんは相当強いんだろう。 一度手合わせしてみたいものだわ…… 「鵺を、鵺を渡すわけにはいかんのや!!」 「なっ!?」 投げ飛ばされてふらふらになった森太郎さんだったけど、それでも彼は立ち上がって蒐牙くんに向かっていく。 あれじゃは蒐牙くん、術に集中できない! いや……命を削った封印なんて施すべきじゃない。 で、でも……!! 「ぐおおおおおおおおおおおおおおおお!!」 今までにないほどの鵺の叫び声に、私は思わず耳を塞いでしまった。 「離してください!! 志織さんの封印があと幾ばくもしないうちに綻びきってしまう!! 今鵺を封じなければ完全に奴が目覚めてしまうんですよ!?」 「なんや! 鵺はまだ本気やなかったんか!! ははは、それはいい、ますます強くなるんか!!」 「この! あなた自分が何を言ってるか分かってるんですか!!」 「分かってるとも! 鵺が強くなれば誰も俺にはむかうものはおらん。俺が無敵や!!」 「どうやら、狂ったようじゃの」 「え?」 雅音さんは心底森太郎さんを見て軽蔑したような表情をしていた。 「鵺の圧倒的な力に惑わされて狂ったんじゃよ。力におぼれて己を滅ぼしおった。鵺を自らが扱ってるのと勘違いしておる」 「まさに身の丈にあわない袈裟、よ」 そんなことを言ってる間にも鵺はぶちぶちと絡新婦の糸を破っていく。 あのままじゃすぐに自由の身になってしまう。 「雅音さん!!」 「……どうするのだ蒐牙」 雅音さんは蒐牙くんをじっと見据えている。 蒐牙くんはぐっと唇を噛んで首を横に振り続けている。 「駄目です、これは僕がやらなくてはいけないんです!!」 その瞬間、鵺の手の自由が戻ってしまった。 鵺は大きく腕を振り上げて蒐牙くんを切り裂きにかかった。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」 ズシン、っとすごい音がしたけれど、蒐牙くんは無事だった。 見れば鎌田店長が蒐牙くんを鵺の手から守っていた。しかも生身で。 「蒐牙!! 何しとんじゃコラァ!!」 「て、店長……」 「前に俺はお前に言ったはずだ。死んでいったもんが、何のために死んだのかよう考えてみぃ」 「え……」 「あの志織って子が、何で命かけてまでお前を守ったかよう考えてみぃってゆーてるんや!!」 鎌田店長の言葉に、蒐牙くんは目を見開いた。 「ぼ……僕は……」 蒐牙くんは尻もちをついたままうわごとの様に何かをつぶやいている。 「お前はこのまま彼女をこんな化け物の依代にしておくつもりか! それでいいんか!?」 「この……まま……?」 「助けたくないんか、この子を……鵺に取り込まれたままお前が生き続ける限りこんな場所に縛り付けておくんか!?」 その瞬間、蒐牙くんはぐっと目を閉じてた。 その目から大粒の涙がこぼれ落ちている。 「お…お願いです……」 最初は搾り出すような、途切れるような声。 でも、次の瞬間蒐牙くんが発した声は、大きく、今までに背負っていたすべてを吐き出すような声だった。 「雅音様! 陵牙兄さん……助けて!!」 その瞬間、待ってましたとばかりに、蒐牙くんの前、鎌田店長の後ろに二つの影が並んだ。 「ようやく言いおったか」 「待っとったでその言葉!」 「雅音様……陵牙兄さん……」 「まぁ、実の兄である俺がまっちゃんのあとに名前呼ばれてるんは気に入らんけど、久々に陵牙兄さん呼ばれた気ぃするし、それで満足しとくわ」 「ふん、実の兄が不甲斐ないのだ、当然であろう」 私はなんだか二人がすごく嬉しそうな気がしてならなかった。 どうしてこんな状況で笑ってるのかしら。 「さて、陵牙お前はそこで馬鹿をほざいておる森太郎をなんとかせい」 「ぇー……俺も鵺と闘りたいわぁ」 「ふん、さっきまで震え上がっておったくせに何をいうか」 「うぐ!? そ、それはまぁ……ええい! もう慣れたんや!!」 アッシー無茶苦茶言うなぁ……そんな簡単に慣れるはずないじゃない…… でもきっと、弟の前でいい格好したいんだろうな。 だって蒐牙くんがアッシーに"助けて"なんて、きっと滅多に言わないんだろう。 いや、今まで言ったことがあるのかすら謎だ。 「とはいえ、お前あれ以降白虎を呼び出しておらんのだろう?」 「うーん……だってなぁあん時は必死やってんもん」 「だとすればやはりお前は森太郎の相手だ」 雅音さんはそう言って内ポケットから符を取り出した。 「椿お前は下がっておれ。そこで伸びとる星弥を一応守ってやれよ。賀茂、お前はこっちへ来て手伝え」 「は、はい!」 「了解いたしましたわ!」 私は星弥を連れて会場の隅に寄って、雅音さんたちの戦いを見守ることにした。 っていうか、鎌田店長すごいなぁ。雅音さんたちがあんな悠長に話してる間もちょっと辛いそうではあるけど、鵺の腕をずっと押さえたままだ。 ってかスルーしないで助けてあげてよ!! 「さぁて森太郎、俺が相手したるから、ご自慢の怪鳥を出しぃや」 「ひっ!! 鵺!! 鵺はどうしたんや!!」 「鵺はあっちの奴らが相手するから、お前の相手は俺が直々にしたるゆーてるやん」 「くっ! 以津真天!!」 ゴキゴキと指を鳴らすアッシーに対して森太郎さんは、とつつもなく慌てた様子で符を投げた。 そこから人の顔のようなものを持った気持ちの悪い巨大な怪鳥が現れた。名前が以津真天(いつまで)だからなのだろうか、"いつまで、いつまで"とけたたましく鳴いている。 「何あれ……気持ち悪……!!」 私が身震いすると、突然私の横でぐったりしていた星弥が弱々しい声で言った。 「あれは以津真天……戦乱や飢餓で死んだ者たちの死体をいつまでも放っておくと現れて"いつまで、いつまで"と鳴くといわれてるんだ。実際はそうして放置された者たちの魂が成仏できずに集結して妖怪と化してしまったものらしい……」 「星弥……あんたそんな状況でよく説明できるわね」 「これくらいしか出番が……うぇっぷ」 「……休んでなさい、吐いても責任持てないわよ」 「うぃーっす……」 私が森太郎さんとアッシーの方を見ると、既にアッシーは鬼道丸さんを呼び出し、以津真天と戦わせていた。 空から鋭い爪で襲いかかってくる以津真天に、鬼道丸さんは刀で応戦していた。 「おら森太郎、どうした!? そんなもんか!!」 「うるさい!! お前みたいに地位も名誉もある奴が俺は大嫌いなんや!!」 「おいおい森太郎……お前かて、いくら分家ゆーても人並み以上の生活はしてるやろ。何がそないに不満やねん」 「人並みの生活に興味なんぞないわ!! 俺が欲しいのは絶対的な権力や!! それこそ陰陽師協会に大きな影響を与えられる土御門並にな!!」 その瞬間、なんでか森太郎さんの以津真天が突然強くなった気がした。 いったい何が起きたの!? 「なんて人……強い野心が以津真天を強くしたというの……?」 深散は唇を噛んで顔をしかめていた。 余裕と思われたアッシーも、野心によって超絶なパワーアップを果たした以津真天に苦戦を強いられていた。 それをちらりと横目で見ながらも、雅音さんは鵺に視線を戻した。 「御木本!」 「は、はい!!」 「鵺は強敵じゃ。お前と蒐牙、賀茂と鎌田で四肢を封じ志織の魂を何としてでも鵺から引き剥がすぞ」 御木本くんはその提案に強くうなづいた。 「さて、それぞれのお手並み拝見じゃのう。どうやってお前たちは四肢を封じる?」 雅音さんがそう不敵に微笑むと、四人は表情を変えて言った。 「私は既に押さえてるわよ! 私の邪魔だけはしないでね」 「僕だって姉さんを助けるために全力を尽くします!」 「ここでヘバッたら影井様にあとでどんな嫌がらせをされるかわかりませんものね」 最後に蒐牙くんはぐっと自分の右手を押さえて言った。 「志織さん……必ず助けます!」 鵺との戦いが今幕を開けた。 でも、またこの戦いは予想外の展開を見せることになる。 そこで私はまた奇跡を目のあたりにすることになる。 その奇跡すら、私たちの身に迫る危険への信号であることも知らずに、私はその光景にただただ感動していたのだった。 |