第6話 雪に沈み逝く想い


     雅音さんの実家を訪ねた日から、もう数日が過ぎた。
     相変わらず雅音さんは毎晩帰りが遅くて、帰ってくればあの杏子さんの香水の臭いをぷんぷん振りまいていた。
     信じようと決めたけど、相変わらず何も話してくれない雅音さんに、私は疲れていた。

     もう、学校へ行く気力も失せていた。

    「椿様、せめてお食事を取ってくださいませ……このままでは死んでしまいます」
    「ごめん、小鷺さん。でも食べたくないし……食べてもなんかすぐ戻しちゃうんだ」

     小鷺さんは流石に焦った様子で私に食事をするよう薦めるけど、私は首を横に振り続けた。
     食事をしても、あの香水の臭いが鼻についているみたいで、すぐに気持ち悪くなってしまう。

    「お願いです……そんなお姿を雅音様が見たら悲しみます」
    「悲しまないよ、きっと」

     私はベッドに突っ伏したままそういった。
     小鷺さんは困ったように私を何度も説得したけれど、雅音さんが私に何も話してくれないんじゃどうしようもない。
     話せないほど信用されてないのか、それとも私より杏子さんのほうが大切なのか。
     わかんないけど、わからないからどうしようもなく不安。

    「私は雅音さんの何なのかな……」
    「椿様……」
    「私、何も話してもらえないほど、雅音さんに信用されてないの?」
    「そんなことは……」

     そんな時、インターホンが鳴った。
     なんだろうと思って出てみると、荷物が届いていた。

    「あ……」
    「椿様、なんですかいなこれは?」
    「雅音さんに作ってあげたいものがあって、材料注文したの。誕生日……だから」
    「そう言えば明日でしたわいなぁ」
    「うん……」
    「椿様、今日雅音様が帰っていらしたら、それとなく明日は早く帰ってきてほしいとお願いしてみてはいかがですかいな」
    「え?」
    「きっと、椿様のお願いならきいてくださいますわいのう」

     小鷺さんは私の肩に軽く手を触れて優しく言ってくれた。

    「そう……かな?」
    「普段我侭を言わない椿様が珍しくお願いするんですから、大丈夫でございますわい」
    「うん、じゃあそうしてみる」

     私は小鷺さんの言葉に背中を押されて、遅くに帰ってきた雅音さんに思い切って話を切り出した。

    「雅音さん」
    「ん? 起きておったのか」
    「うん」
    「どうした?」

     雅音さんは小さく首をかしげた。

    「明日……その……早く、帰ってきてほしいの」
    「どうしたのだ?」
    「お願い」

     私が真っ直ぐに雅音さんを見て言うと、雅音さんは痛々しい表情で私の頬に触れた。

    「こうしてお前を真っ直ぐに見つめるのも、久しい気がするのう」
    「雅音さん……」
    「学校にも最近きておらんから、話もろくにできておらんかったしのう」
    「ごめんなさい……」
    「いや……お前が謝ることは何一つない。明日は休日だ。なるべく早く帰るようにする」
    「本当?」
    「ああ」

     私はなんだかそれだけで嬉しくなってしまった。
     雅音さんが、私のために速く帰ってきてくれると約束して切れた。それだけでその日は、満ち足りた気分で眠りに就くことができた。

     次の日、私は夜の雅音さんの誕生日に向けて気合を入れて料理を作り始めた。
     雅音さんは甘いものが好きだから、甘味を中心にたくさん料理を用意した。ちょっと多いかもしれないけど、式神さんたちの分も含めたら丁度いいかもしれない。

     ケーキを焼いてトッピングをして。
     料理の準備が整ったら、あとはプレゼントだけ。
     私は机の中から、この日のために用意しておいた便箋を取り出して手紙を書き始めた。
     今の私の立場からすると、プレゼントを買って送るなんて、人のお金で雅音さんにプレゼントを贈るみたいなことになりかねないから、あえて料理に手間をかけた。
     みんなの誕生日のときも私はそうした。そしてものを買うより時間をかけて、心をこめて手紙を書いて送ることにしてる。
     本当の気持ちを最後に手紙の一文に託して……

    「よっし、あとは雅音さんの帰りを待つばかり!」
    「今日の椿様はいつにもまして活き活きしてますなぁ」
    「あはは、うん。久々に雅音さんと過ごせるんだもん、楽しくないわけないわ」

     表情が綻ぶのを抑えきれず、私は終始顔が笑顔になってしまっていた。
     夕方になって、料理をテーブルに並べて。
     小鷺さんと話をしながら私は雅音さんの帰りを待った。

     でも。
     待てども待てども、雅音さんは帰ってこなかった。

    「遅いですわいなぁ……」
    「うん」
    「携帯に連絡は?」
    「ない……電話しても出ないや」
    「………」

     小鷺さんも心底困り果てて言葉が出ないみたいだった。
     時計の針は夕方の四時、夜の六時、八時、とうとう十時を回った。

    「まだ、連絡は……」
    「うん……ない」

     私は携帯をパタンと、静かに閉じて目を閉じた。

     そして、準備しておいた小皿に御団子を二本乗せラップをかけた。
     無言で玄関のドアを開けようとすると、小鷺さんは慌てたように私を呼び止める。

    「椿様! どこへ!?」
    「ごめん小鷺さん……ちょっと、行ってくる」
    「行っては駄目です! 椿様はお命を狙われているんですよ!?」
    「ごめん、小鷺さん……でも、一人になりたいの」

     私は雅音さんに預けられた小鷺さんの符を破り捨てた。

    「椿様!!」

     小鷺さんの姿が消えるのを確認すると、私は一人道を歩き出した。
     冬の冷たい空気が私の肌に突き刺さるようだったけど、今の私にはあまり気になるものではなかった。

     たどり着いた場所はお父さんとお母さんのお墓の前。
     私はそこに御団子を置くと、お墓の前に座り込んだ。

    「お父さん、お母さん、今日ね、雅音さんの誕生日なんだ」

     御団子にかかったラップをはずして、私は力なく笑った。

    「一緒にお祝いしてくれる?」

     お墓の前で私はぽつりぽつりと言葉を発し始めた。

    「馬鹿だよね……私、期待しちゃったんだ。雅音さんが帰ってきてくれるって」

     ふと私は自分の左手の薬指にはめられた指輪をはずして、お団子のお皿の上に乗せた。

    「お父さんもお母さんも、いっくら仕事忙しくても誕生日だけはお祝いしてくれたよね……お父さんなんか出張中だっていうのに日付変更直前に帰ってきたりして」

    『椿! 椿!! ただいま!!』
    『あっ! お父さん!? どうしたのこんな時間に!!』
    『何言ってるんだ、今日はお前の誕生日じゃないか』

     息を切らせながらも、お父さんは抱えた大きな袋を私に手渡して、達成感のある笑顔を浮かべていた。

    『お母さんと二人でお祝いしたからよかったのに』
    『いいんだ、今日はお父さんたちにとっても特別な日なんだから』

     幼い頃の懐かしい思い出が頭をよぎって、ぎゅっと胸を締め付けた。
     お父さんもお母さんも、誕生日は私が生まれたかけがえのない日だから、絶対お祝いをするんだって気合を入れてた。
     私がありがとうって言いたいくらいなのに、お父さんとお母さんは毎年のように私にこう言ってくれた。

    『椿、生まれてきてくれてありがとう』

     気がつけば、空からしんしんと雪が降ってきていた。
     どうりで空気が冷たいわけだ……

    「ハッピバースデートゥユー……ハッピバースデトゥユー……」

     今回の雪は積もる雪なんだな……
     あたりにどんどん真っ白な雪が積もっていく。
     私は力なく歌を歌い続けた。
     そして、どんどん自分の視界が曇っていくのが分かった。

     ああ、私、泣いてるんだ……
     それほどまでに、今日のことは私にとってはショックだった。
     帰れないなら、最初から帰れないって言ってくれたほうが楽だった。

    「ハッピーバースディディア雅音さん……」

     馬鹿な私。
     こんなに寂しいのに、まだ雅音さんが好きだなんて。
     でも、もういい加減疲れちゃった。
     好きだけど、もう、頑張れないよ。

     私は静かにその場に倒れた。

     それから、どれくらいのときが経ったろう。
     私の体に雪がどんどん降り積もっていくのが分かるけれど、私にはもう起き上がる体力が残っていなかった。

     もう、いっそこのまま……


    ************************


    「んー、だいぶ遊びましたわね」
    「そろそろ帰えろうか」

     私と星弥くんはちょっと遠出をして遊んだ後、買い物を終えてこれから帰ろうという話になった。
     まぁうちに門限らしきものはないし、お母様はなんなら泊まってこいとか言ってるし、帰りが少し遅くなるのは問題ないだろう。
     お兄様はうるさいかもしれないけど、今は土御門からの仕事の依頼でそれどころではないようだし。

     ふと星弥くんは、中にはかわいらしいぬいぐるみやグッズがたくさん置いてあるお店を見つけてそこへ入っていった。

    「人形かぁ。こういうの椿好きなんだよなぁ」
    「そういえば椿の部屋にはやたら大きなキリンのぬいぐるみが陣取ってますものね」
    「ああ……あれは椿んとこのおじさんが、茨木の一件で元気なくした椿に買ってやったもんなんだ。今じゃ形見になっちまったけどな」
    「……そうなんですの」

     この話の内容は星弥くんには酷なことになってしまったと、私は少しばつが悪い気持ちになった。
     でも、星弥くんはかわいい表情のぬいぐるみを突きながら言った。

    「まぁ、今度誕生日にでもまた、人形買ってやるかな」
    「きっと喜びますわよ」
    「そういやあいつ1月生まれだからそろそろ誕生日じゃなかったかな」
    「え……?」
    「あっれ、いつだったっけ……」

     星弥くんは携帯をカチカチと操作して、カレンダーを確認していた。
     でも、その表情が突然青くなった。

    「………」
    「どうしたの?」
    「やっべ!」

     星弥くんは慌てたように目の前にあった巨大なウサギのぬいぐるみを抱えた。
     え、ちょっと星弥くん値札値札!!

    「すみません!! このぬいぐるみラッピングしてください!!」
    「はい、ラッピング代込みでお会計が1万3千5百円です」
    「えええ!?」
    「もう、ちゃんと値札見ないで買うから! はい、これで間に合いますわよね」
    「はい、1万5千円お預かりいたします」

     私はおつりをもらいながら、星弥くんに呆れて言った。

    「一体どうしたんですの? そんなに慌てて、まさか椿の誕生日が今日とか言うんじゃないでしょうね」
    「違う違う! むしろもっと最悪……」
    「え?」
    「先週だよ!」
    「はぁ!?」

     流石に私も自分が椿の誕生日を忘れるわけがないと思い、鞄から取り出した手帳の確認をした。
     そこには先週の日曜日に花丸で"椿誕生日"と記されていた。

    「嘘……先週って私何してましたっけ……」
    「土御門からの依頼の仕事……俺も手伝いに行ってたろ」
    「あああああああ!! あの馬鹿げたボンボンの祓いですの!? あんな仕事なぜ私に回してくるのっていうような仕事に1日を費やして確か怒り心頭してた……」

     私は頭を抱えた。
     土御門からの最近の仕事の依頼の多さは正直目に余るものがあった。
     しかも下らない仕事ばかりが舞い込むものだから、余計にひどい。

     先週はある金持ちに取り憑いた鬼の祓いだった。それだけならいいけれど、その金持ちが手癖の悪い男で、食事をしていけだの泊まっていけだの鬱陶しいことこの上なくて、結局帰る頃には日が暮れていたのだ。

     それにしたって最悪……私は椿の誕生日を華麗にスルーして、そのまま何も知らない顔で過ごしていたというの!?
     だって、今まで誰かの誕生日があっても忘れたり……

    『ねね、深散! 来週は絶対予定空けてね!』
    『どうしたんですの突然?』
    『来週はアッシーの誕生日だから。お祝いしようよ』

     そうか……いつも私が誰かの誕生日を忘れずにいられたのは椿がいつも率先して誕生日のお祝いをしようって誘ってくれからで……
     私は忙しさにかまけて、みんなの誕生日を祝っていた椿の誕生日を忘れていたのだ。

    「あ、あれ?」
    「どうした?」
    「そう言えば今日も椿からお誘いがかかっていたような」
    「え?」

     私は手帳の椿の誕生日の下の欄にある、今日の予定の部分を見た。
     そこには"影井様ご生誕"と書いてある。

    「まさか今日って影井様の誕生日……」
    「おいおい。もしかして椿、一人で影井さんの誕生日祝ってるわけじゃないよな!?」
    「ま、まさか! ご本人はいらっしゃるはずですわよ」
    「でも最近影井さん帰り遅いって言ってたじゃんあいつ」
    「………」
    「………」

     私と星弥くんは顔を見合わせて嫌な予感を抑えきれずにいた。

    「深散、せっかくのデートだけど……」
    「分かってますわ! ちょっと待っててくださいまし!」

     私はすぐに携帯電話を取り出して実家に電話をかけた。

    「もしもし鴇庭!! すぐにお兄様に車を出せと伝えてくださいまし!! いいから! お兄様の用事なんか知ったこっちゃありませんわ!! 早くしないと私、家を出て星弥くんと同棲しますわよ!!」

     私たちは急いで地元の駅まで電車を乗り継いで移動した。
     ちょっと遠出しすぎたかしら……電車の移動時間すら私たちにはもどかしく感じた。
     駅についたころには、軽く10時を回ってから30分も経過していた。

    「深散!! まったくこんな時間まで遊び歩いて……」

     お兄様は既に車を止めて待っていた。
     私と星弥くんはそれに乗り込んでほぼ同時にお兄様をまくし立てる。

    「和葉義兄さん、話は後で聞くからさっさと車出して!!」
    「御託はいいから早く椿の家まで車を出して!! こちとら土御門の仕事なんか、どうでもいいんですのよ!!」
    「こら星弥! どさくさに紛れて義兄さんとか言うな!!」

     ドカン。

     私は、運転席の車のシートを思い切り蹴飛ばした。

    「さっさと車出せって言ってるのが聞こえねーんですの?」
    「は、はい……」

     どうかお願い、この嫌な予感が、予感だけでありますように……
     私はそう祈りながら椿の家へ向かった。

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