第13話 突然のキス、残る不安
茨木の腕に襲われてからというものの、私は蘆屋くんに家まで送ってもらう日が続いた。 もちろん、影井さんとの恋愛なんて進歩するわけもなかったけど、お昼休みだけは毎日待ち遠しかった。 最近では影井さんに憧れを抱きまくりの蒐牙くんも合流して、にぎやかだ。 「そういえば蒐牙くんは何組なの?」 「僕ですか? 僕は文系コースなので3組です」 「へぇ、蒐牙くん文系なんだ。理系ってイメージだったから意外」 「どこから理系のイメージがついたんですか……」 蒐牙くんは心外だ、って感じで眉を潜める。 「カロリー計算とかやたら細かいところ?」 「まぁ理系も出来ないことは無いですが、文系が好きなだけです」 「なるほど、できるできないよりも好きなことを選ぶっていいことね」 そういえば、ずっと気になってた。 初めて会ったときから、蒐牙くんは右手から肘の少し下あたりにかけてぐるぐると包帯を巻いている。 「ねぇ蒐牙くん。それってずっとつけてるけど、怪我でもしてるの? 右手じゃ不便じゃない?」 「ああ、これですか? これは怪我ではありませんから、生活に支障はありません」 「その包帯さえはずさなきゃ、やけどな」 お弁当を全て食べ終わった蘆屋くんが、チラッと包帯のほうを見て言う。 どういう意味だろう、怪我はしてないのに包帯って言うのも変な話だけど、包帯を外すと私生活に支障が出るって…… 「別に、はずしたところで問題など……」 蒐牙くんは目を少しだけ逸らした。 もしかして、まずいこと聞いちゃったかしら…… 「ま、椿ちゃんも必要なときがあったらこの下を見る機会もあるやろ」 「機会ってどんなときよ……」 「蒐牙と一緒にいるときに鬼に襲われるとか、そういうとき」 「うーん……あまりあってほしくない状況ね」 私が苦い表情で言うと、蒐牙くんは私の言葉を誤解したのかムッとした表情で言った。 「僕では兄上や雅音様の代わりにはならないと言いたいんですか?」 「違う違う。鬼に襲われる状況なんてそんなにあってほしくないってことよ」 「なるほど。ならいいです」 二人の代わりになるもならないも、蒐牙くんがどれだけ陰陽師としての力を持っているかしらないから、比べようも無いんだけどね。 でも、影井さんが褒めるくらいだからすごいんだとは思う。 「あ、影井さん、蘆屋くん、今日は早めにお昼休み撤退したほうがいいかも」 「なんだ、そんなに慌てて」 「今日は5時間目理科と6時間目の体育が逆になるんですよ? 体育は6組も合同だから蘆屋くんも着替えあるでしょ?」 「あーせやなぁ。そういや朝センセがそないなこと言ってたわ」 「なら引き上げるか。体育とは面倒だのう」 影井さんは食べていたおはぎのタッパーを閉めてため息をついた。 「今日は選択で剣道の授業が入るから楽しみなんですよ。ふふっ、久々に竹刀が振るえる」 私は久々に握れる竹刀のことを考えるとウキウキしていた。 剣道部は、お嬢様の圧力で辞めざるを得なかったけど、体育でなら存分に剣道ができる。 もう半年くらい竹刀握ってないから、すごく楽しみ。 「ほう、椿ちゃんは剣道選択か。俺柔道にしようかと思っとったけど、椿ちゃんが剣道ならそっちいこかなぁ?」 「やめておけ。お前は剣の才能さっぱりじゃろうが。竹刀を無駄に壊すくらいなら、壊れるもののない柔道へ行くべきじゃの」 「同感です。兄上は柔道に行くべきです」 影井さんと蒐牙くんにそう言われて、蘆屋くんはがっくりとうな垂れた。 「影井さんは? 柔道ですか? 剣道? それともマラソン?」 「剣道だ。お前とは手合わせすることになるかもしれんの」 「あはは、女子と男子じゃ手合わせはないと思いますけど」 「どうだかのう」 でも、私はそんな皮肉を言いながらも嬉しくて仕方が無かった。 影井さんと、ほんの少しでも一緒にいられる。 今はそれが私のささやかな幸せだった。 ****************************************** 「では防具の付け方からやる! 剣道部員、経験者は各自自分で防具をつけて、松田先生の指導のもとに程度なら試合をすること」 体育の先生に言われ、私は防具をつけて竹刀を握った。 久しぶり。この防具の臭いも、竹刀を握った感じも全部懐かしい。 とはいえ、誰と試合すればいいのかしら。 女子に経験者はいないし、いたとしても多分私とじゃ誰も試合したがらないわよね。 男子の剣道部員も私とは多分、試合をしないだろう。 「清村さん」 「え?」 面をつけてて分からないけど、この声、影井さんよね? 「友だちから聞いたんだけど、清村さんって剣道部員だったんだって? ちょっと僕と手合わせしてもらえないかな?」 「え!? ええええ!?」 「僕も少し腕に覚えがあるんだ。ぜひ、一戦交えてみたくてね」 だから、そのしゃべり方慣れないんだってば! まるで違う人から試合を申し込まれてるみたいだわ…… 「くすくす、流石に男子相手じゃきついんじゃな〜い?」 「あーでも、いっそ頭でも砕かれたらいいのに」 「あ、それ名案〜!」 お嬢様が不在でも、お嬢様の腰巾着パワーは半端じゃないわね。 まぁ、影井さんと変な間柄を疑われなければそれでいい。 「それにしても影井くんってすごいねぇ。試合って形ならどんなに清村さん叩いても、誰にも何も言われないもんね」 「あったまいい〜!」 何でだろう。 影井さんが本当にそうだったらどうしよう、って。 そんなことを考えたら妙に悲しくなってしまう。 「清村」 「……!」 影井さんは小声で話しかけてきた。 「楽しみにしておったんだろう? ならば全力で来い。全力で受けてやる」 「影井さん……」 影井さんの気遣いに私は胸がいっぱいになってしまった。 嬉しい。 全力で剣道できるんだ。 私は影井さんと向き合って竹刀を構えた。 お互いに竹刀を構えて一気に詰め寄る。 パシンッと竹刀のぶつかり合う音が体育館に響き渡る。 影井さん、かなり力強い。 華奢に見えて、やっぱり鍛えてるってホントなんだ。 「これで崩れないか。なかなかやるのう」 「影井さんこそ!」 今度はお互いに距離をとって踏み込むタイミングを計る。 「やぁっ!!」 私はすばやく影井さんに面を仕掛ける。 でも、それは簡単に影井さんの竹刀に受け止められてしまう。 「くっ……」 「どうした? そんな甘い踏み込みでは俺は倒せんぞ?」 「みたいですね……なんか燃えてきちゃいました」 再びギリギリと鍔迫り合いをして、距離を取っては睨み合う。 でも、影井さんの踏み込みは想像以上に素早くて、打ち込みの威力も半端なかった。 「影井さん……やっばいですね。こんな強い人とまさか試合できるなんて思ってませんでした」 「お前も随分粘るのう。だがそろそろ決めるぞ」 「受けてたちます」 私と影井さんは鍔迫り合いをした状態から距離を取り、ほんの一呼吸置くと、お互いほぼ同時に踏み込んだ。 私は影井さんの竹刀をかわし、胴へと素早く一発入れた。 まさか、すんなり胴に竹刀が入ってくれるとは思っていなくて、私は拍子抜けしてしまった。 影井さんは面を外して苦笑いを浮かべた。 「ははっ、清村さんは強いな。僕の完敗だ」 「………」 私は正直納得いかなかった。 最後の一発、影井さんならきっと避けられた。 でも、あえて避けなかった気がして、私はちょっとだけがっかりしてしまった。 花を持たせて欲しかったわけじゃない…… 私は本気で試合がしたかったのに。 「いたっ……」 私はふと自分の左手に痛みを感じた。 小手を外すと、左手がぷっくり腫れていた。 「………」 その腫れを見て私は瞬時に悟った。あの一瞬、痛みも感じないほどの素早さで影井さんは私に小手を決めていた。 やられた…… 胴を避けなかったんじゃない、影井さんはあえて避けずに小手を決めにきていたんだ。 腑に落ちずにモヤモヤしていた気持ちは、むしろ嬉しい気持ちに変わって、晴れやかだった。 体育が終わった休み時間、私は校舎裏の水道で手を冷やしていた。 流石にちょっとこの腫れでは、冷やさないでおくのはまずい。 「清村」 「あ、影井さん……」 影井さんは手を冷やしている私にポイッっと何かを投げた。 見れば保冷剤だった。 「少しやりすぎたようじゃの。すまん」 「いえ……大丈夫です」 「しかし酷く腫れておるではないか」 「防具つけててこれですもん、相当強く打ち込んだんですね」 私が笑うのを無視するように影井さんは私の手を取る。 そして自分のハンカチで保冷在を巻くと、私の腫れた手に当ててくれた。 「やはり、酷いのう。あとで小鳩に治させるから、少しだけ辛抱しておれ」 「だ、大丈夫ですよこれくらい。心配しすぎです」 「いや、俺も加減ができんようではまだまだだのう」 「加減、してくれなくて嬉しかったです」 私は本気の剣道の試合がしたかった。 だから、影井さんが本気で私に小手を打ち込んでくれたことは嬉しかった。 「変な奴じゃのう。怪我をさせられて喜ぶ奴がこの世におるとは思えんが」 「あははっ、影井さんが私の胴を避けなかったとき、ちょっとムッとしたんです。手加減したなって」 「本当は避けるつもりだったんだがのう。お前が想像以上にいい踏み込みをしてきたものだから避けられなんだ」 「それがよかったんです。手加減せずに打ち込んでくれた。私、久々に全力で剣道できたから、それがすごく嬉しかったです」 私が嬉しくてめいいっぱい笑って言うと、影井さんは何か、ほんの少しだけ頬を赤く染めて目を逸らした。 何で赤くなってるのかな……? 「影井さん?」 「まったく無邪気な奴だのう」 「え?」 「その無邪気な笑顔が憎たらしいくらいに時折愛おしくなる。困ったものだ」 なっ…… なっ……… ええええええええええええぇ!? 「かげ、かげ……影井さん!? な、何言って……」 「さぁて、何を言っておるのかのう。まぁ、俺はもう戻るぞ」 「ま、待って……! きゃあ!!」 「!?」 またやってしまった…… どうして私はこう、影井さんにドギマギさせられると何にもないところで転ぶんだろう。 でも、今度は影井さん、私を抱きとめてくれた。 甘い、影井さんのコロンの匂いが香ってくる。 「まったく、お前は本当にしっかりしているのかそうじゃないの、分からん奴じゃのう」 「ご、ごめんなさい」 支えて、しっかり立たせてもらったあと、私は深々と頭を下げた。 「それじゃ、俺は戻るぞ」 「はい……」 しゅんと、私はうな垂れた。 何で、思わずいつも呼び止めてしまうんだろう。 告白なんてもちろん、並んで歩くことさえできないのに。 私の中の影井さんと一緒にいたいって気持ちはどんどん膨れ上がっていく。 「………」 影井さんは一度は背を向けた。 でも。 突然私のほうへ歩み寄ってきて、ぐいっと私のうな垂れた顔を持ち上げた。 「か、影井さん?」 「お前は馬鹿だ」 「え……?」 ふわっと、私の鼻にまた影井さんのコロンのいい匂いが香って。 唇に柔らかい感触が走った。 「……んっ!?」 影井さんの唇が私の唇を、少しだけ荒っぽく塞いだ。 私は思わぬことで、目をずっと見開いたままだった。 「こういうときは目を瞑れ。でないと雰囲気が台無しだ」 そう言われて、もう一度荒っぽいキスをされる。 私は言われたとおり、目を閉じた。 唇をそっと舌でなぞられて、私の頭がビリビリしびれる。 すごく甘いのに、どこか激しくて、どうしていいかわからなくなる。 「……影井……さ……」 唇を離すと、影井さんは最後に私の唇をすっと撫でてくれた。 「できれば、傷つけたくはなかったのう……」 「え……?」 「友のままなら、傷も浅く済んだものを……馬鹿な奴だ……」 でも、影井さんは首を横に振って、まるで自分を蔑むように小さく言った。 「いや、一番馬鹿なのは歯止めの利かなかった俺か……」 そのまま影井さんは私に背を向けて、さっさと行ってしまった。 取り残された私は呆然と立ち尽くしていることしかできない。 私、影井さんと……キス……した? 私は自分の唇を抑えたまま、ただ影井さんの背中を目で追うことしかできなかった。 まだ、あったかい感覚が残ってる。 まだ頭の痺れるような感覚が残ってる。 今のは、何だったの? 傷つけたくなかったって何? 影井さんはどういうつもりで私にキスしたの? 影井さんの気持ちが分からなくて、嬉しいはずの影井さんからのキスが、何だか不安なものに感じて仕方がなかった。 |