第13話 冥牙の過去


     光の中、私はゆっくりと目を開けた。
     真っ白な世界に、ほんのちょっとだけ風景が見える。
     これって、アッシーの家……?
     でもがしゃどくろに壊されてない、綺麗なままの家だ。

    『冥牙……冥牙』
    『どうしたの、お母さん?』

     小さい子供と、着物を着た綺麗な女の人が視界に入ってきた。
     でも、この女の人、綺麗なのに妙にやつれていて、顔色が悪い。
     見ていて気の毒になるくらい……

    『おいで、冥牙』

     女の人はその子を冥牙って呼んでる。
     まさか……冥牙さんと本当のお母さん……?

    『お母さんね、遠くへ行かなくちゃいけなくなったの』
    『え? どこへ行くの?』
    『遠い、本当に遠いところよ』

     小さな小さな冥牙さんには、お母さんの言っていることは分からないようだった。
     冥牙さんのお母さんはぎゅーっと、本当に愛しい者を抱きしめるように、冥牙さんをでき締めてはらはらと涙を流していた。

    『お母さん、どうして泣いてるの?』
    『冥牙、ごめんね……』
    『お母さん?』

     冥牙さんのお母さんは、冥牙さんの目を自分の手で隠すと……

    「きゃっ……!!」

     私は思わず悲鳴を上げてしまった。
     冥牙さんのお母さんは隠し持っていた小さな小刀のようなもので自分の首を思い切り切り裂いた。
     パッと血の花が咲くように、綺麗な畳と冥牙さんの顔に返り血が跳ね返る。

    『お母さん?』

     小さな冥牙さんは、ずっとお母さんを呼び続けていた。

    『お母さん? お母さん、どうして寝てるの? 目を開けて?』

     ゆすってもゆすっても、冥牙さんのお母さんが目を開けることはない。
     次第にお母さんを呼ぶ声は泣き声に変わって、その声に気がついた家のお手伝いさんたちが集まってきた。
     でも、どんなに引き剥がそうとしても、冥牙さんがお母さんから離れることはなかった。

     そこから、写った風景はまた切り替わり、今よりもっと若いアッシーママが家にやってくるところが写った。
     冥牙さんは、ニコニコと挨拶をするアッシーママの目を一度も見なかった。

    『こんにちは、冥牙ちゃん。今日からあなたの新しいママよ?』
    『………』

     かたくなに目を逸らして、小さな冥牙さんはぐっと唇を噛んでるみたいだった。
     泣きそうな顔で、ずっと目を逸らしたまま……
     きっと小さな冥牙さんにとって、新しいお母さんは受け入れがたい存在だったのかもしれない。

     でも、次々と映し出される風景で、私はアッシーママのすごさを知ることになる。
     どんなに冥牙さんに無視されても、根気よく冥牙さんに接していた。
     何とか心を開いてもらおうって一生懸命な姿に、私は尊敬の意すら感じた。

     そんな中、あるシーンで冥牙さんが変わった気がした。
     頑なに心を閉ざしていた冥牙さんだったけれど、あるときお父さんに部屋に呼ばれて、嫌々ながらそこへ足を運んだみたいだった。
     そこにいたのは、小さな赤ちゃん。
     アッシーママが赤ちゃんを抱いて、冥牙さんを手招きしていた。

    『冥牙ちゃん、あなたの弟よ。陵牙ちゃん、っていうの』

     陵牙……? ってことはあれってアッシー!?
     めっちゃかわいいし!!!!!
     つぶらな瞳に人懐っこい笑顔……
     うわー! うわー!!うわぁぁあぁぁ!!
     かわいい!!! 鼻血出そう!!

     冥牙さんは最初こそ厳しい目つきでその赤ちゃん……アッシーを見ていたけれど、パチッと目を開けたアッシーにびくっと体を跳ね上げた。

    『あー! あーうー!! だっ!』

     ベビーアッシーは必死に手を伸ばして冥牙さんに触れようとする。
     でも、冥牙さんは後一歩、届かない場所で硬直するようにベビーアッシーを見ていた。

    『だーうー!!』

     冥牙さんは戸惑ったようにアッシーに手を差し伸べた。
     ベビーアッシーは冥牙さんの指をぎゅっと握ると嬉しそうに笑った。
     その笑顔に、冥牙さんの凍り付いていた何かが溶けたような気がした。

     再び光に視界が包まれ、それが晴れたときには、冥牙さんの姿はもう少し成長していた。
     中学生くらいだろうか? 今の面影は残っているし、何より目元の泣きボクロですぐ分かる。

    『にいちゃあああああああああん!!!』
    『……?』

     ふと背後からの声に冥牙さんは振り返った。
     すごい勢いで元気のいい男の子が走ってきて、冥牙さんに抱きついた。

    『にいちゃんどこいくん!? 俺も行くー!!』
    『こら陵牙。俺はこれから陰陽術の練習だ。危ないから付いてきちゃ駄目だ』

     冥牙さんの成長に比例して、アッシーも赤ちゃんからすっかり小学生くらいの男の子のに成長していた。
     まぁばっちりやんちゃ盛りって感じね……

    『えー!! いくー!! にいちゃんといーきーたーいー!!』
    『陵牙、お前だって次期当主の候補なんだ。きちんと陰陽術の勉強をしておけ』

     その冥牙さんの言葉にアッシーは首をかしげた。

    『なんでやねん? 俺当主にはならへんよ? だって当主は兄ちゃんやろ?』
    『あのな、お前はそれでよくても周囲はそれじゃ納得しないんだ……』
    『周囲? 親戚のおっちゃんたち?』
    『ああ……』

     この頃から冥牙さん、当主問題に悩まされてたんだ。
     ううん、もしかしたらもう既に呪詛にかかってたって可能性もある。
     だから、中学生くらいの男の子がそんなことを口にしていたかも……

    『なら、そのうだうだ言う親戚からも俺が兄ちゃんを守ったる!』

     その言葉に冥牙さんは目を見開いた。
     驚いているみたいだけど、どこか、うん……嬉しそう。
     その後冥牙さんは優しくアッシーの頭を撫でて笑った。

    『ありがとう、陵牙』

     アッシーは本当に冥牙さんが大好きで尊敬してたんだ。
     当主になれるのは冥牙さんしかいないって思ってたんだろうな……

     そして風景はさらに進んだ。
     冥牙さん、もう既に結構大人になってる。

     一生懸命スーパーでレジを打ったりしてる姿が映し出されてた。
     あんな大きな家の息子なのに、何でアルバイトなんかしてるんだろう。
     そう思ったけど、私はふと思い出した。
     そうだ、アッシーママのペンダント……

    『あの……十六夜様……』
    『あら、おかえりなさい冥牙ちゃん! 今日もバイトしてきたの? 疲れたでしょう?』
    『い、いえ……その……』
    『んー? お腹すいちゃった? それとも疲れたからお風呂に入りたい?』

     アッシーママ、すごく冥牙さんを心配してる。
     本当に、血のつながりなんか超えて、冥牙さんを大切に思ってるのね……

    『あの……十六夜様……遅くなってしまいましたが……今日はお誕生日だとお聞きして……』

     冥牙さんはすっと縦長の箱を手渡した。
     よくアクセサリーのペンダントが納められているあれだ。

    『まぁ! まぁまぁまぁ! あけていい?』
    『はい……』

     包みを開けたアッシーママはそれをじっと見つめていた。
     一方の冥牙さんは不安そうにその顔を見ている。
     不意に、アッシーママの目から涙がほろほろとこぼれた。

    『い、十六夜様!? お気に召しませんでしたか……?』
    『ううん……冥牙ちゃん、これを買うためにずっとバイトを?』
    『は、はい……安物で申し訳ないとは思いましたが……どうしても自分の力で働いたお金でプレゼントをしたくて』
    『どうして?』

     アッシーママは涙をぬぐいながら尋ねた。
     それに冥牙さんは少し戸惑ったように、恥ずかしそうに言った。

    『陵牙や……蒐牙のようなすばらしい弟を……生んでくれたからです。俺はあいつらの存在に救われています……そしてあいつらと分け隔てなく俺に接してくれる十六夜様の存在にも……それで、感謝の気持ちをどう表していいのか分からずに……』
    『冥牙ちゃん』

     アッシーママは冥牙さんをそっと抱き寄せて言った。

    『ありがとう。すごく嬉しいわ。ペンダントも嬉しいけど、それ以上にあなたのその気持ちが何より嬉しい』
    『十六夜様……』

     冥牙さん、アッシーママにもちゃんと感謝してたんだ。
     それと共に、アッシーや蒐牙くんの存在も大切に思っていたんだ……

     そして、さらに時代は進んだ。
     冥牙さんの姿は、アッシーが大事にしてた写真に写ってたくらいだから、丁度二十歳くらいのときだと思う。

    『冥牙、お前を29代目蘆屋道満に任命したいと思っておる。受け入れてくれるか?』
    『父上……しかし、陵牙はどうするのです……?』
    『わしは29代目はお前しかおらんと思っておる。何より、陵牙もそのほうが喜ぶだろう』
    『陵牙も……喜ぶ?』

     座敷の部屋でアッシーパパと冥牙さんは神妙な顔で話し合っていた。
     まだ冥牙さんには29代目蘆屋道満になることに対して戸惑いがあるみたいだった。

    『あやつはお前を心から尊敬しておるからのう。お前の当主になる姿を家族一同楽しみにしておる』
    『本当に私でよろしいのですか?』
    『申し分ない。お前なら安心して家を任せられる』

     冥牙さんは深々と頭を下げて、言った。

    『謹んでお受けいたします。29代目蘆屋道満の名に恥じぬよう、家族を、蘆屋家を守るためにこの命をささげます』
    『うむ。頼んだぞ』

     冥牙さん、一度は家族のために29代目当主になることを受け入れたんだ。
     なのに、どこでおかしくなってしまったの……?
     アッシーを殺そうなんて気配、このときには微塵もないのに……

    『……を……す?』

     でも、ある日。冥牙さんが当主になることが決定して親戚の代表が集められた日だ。
     冥牙さんはたまたま聞いてしまったのだ。

    『そうだ。まだ重蔵たちがおかしな動きを続けておる。このままでは冥牙様の地位がいつ脅かされてもおかしくない。陵牙が当主になってはわしらも手出しができなくなる』
    『ふむ、ならば今のうちに陵牙を殺すしかないということか』
    『ああ、陵牙さえいなくなれば残ったのは蒐牙だけ。蒐牙では当主になれまい』
    『なるほど、いい考えだ』

     親戚の……新興派の人たちの話を聞いた冥牙さんは焦っていた。
     どうしていいのか必死に考えて考えて、家の中を歩き回っていた。

    『ふん、あのいけ好かない女の子供が当主だと!? ふざけるな!!』

     そこでまた、聞かなくてもいい話が聞こえてしまったのだ。

    『呪詛をかけ続けてもなかなか死なんしぶとい蛆虫め!!』
    『あいつさえ死ねば陵牙様が当主になられ、蘆屋家も安泰なのに。一度当主についてしまえば新興派も何もいえまい』
    『何せ相手は当主だからのう。当主を殺すのと候補を殺すのではわけが違う。当主になれば手も出せまい』

     冥牙さんはそこで何かを思いついたみたいだった。
     すぐさま、冥牙さんは踵を返した。

    『陵牙を守らなくては……!』

     その押し殺した言葉に、私は冥牙さんの決意の全てがこもっているように思えた。
     そして冥牙さんは、アッシーの部屋のドアを開けた。

    『陵牙』
    『あ、兄ちゃん! 話し合い、終わったん?』

     蒐牙くんと遊んでいたアッシーが嬉しそうに冥牙さんに駆け寄った。
     冥牙さんは揺らぎそうな決意を必死に抑えているような表情だ。

    『陵牙……覚えておけ』
    『ん?』
    『梓弓、ま弓槻弓年をへて、わがせしがごとうるはしみせよ……伊勢物語で読まれた歌の一つだ。恋歌だが、男女の愛を家族の愛に変えてお前にこれを送る』
    『兄ちゃん? 何言ってるん……?』
    『意味は、"私の気持ちをあなたが引こうが引くまいが、私の心は昔からあなたにぴったり寄り添って離れないものでしたのに"だ……』

     そういった瞬間、冥牙さんはアッシーの首をぐっとつかんで締め上げた。

    『ひっ……! 冥牙兄さん!!?』

     蒐牙くんはあまりの光景に部屋の隅で震えていた。
     アッシーは苦しそうにしながら、冥牙さんを見ていた。

    『俺はお前がいるからいつも苦しんでいたんだ!! いい加減俺の前から消えてくれ!!』

     冥牙さん、わざとらしく叫んでる。分かってしまった、冥牙さんがしようとしてたこと。
     普通、人を殺そうとしてる人は見つからないように音を立てたりしないもんだ。
     アッシーを殺す前に、誰かに止めてもらおうとしてるんだ。

    『にいちゃ……それでにいちゃんが……幸せなら……俺は……』
    『冥牙様!? 一体何を!?』

     案の定、お手伝いさんが部屋に入ってきて冥牙さんを止めた。
     アッシーから冥牙さんの手はすんなりと離された。
     でも、冥牙さんはアッシーが無事なのを確認すると窓を破って蘆屋家を出てしまった。

    『陵牙……蘆屋家を頼む』

     冥牙さんは、アッシーを殺そうとした。
     でも、それはアッシーを守るためだったんだ……
     アッシーが当主になってしまえば、もう命を狙われることはないから。
     自分が悪役になっても、アッシーを守りたかったんだ。

     本当に馬鹿。
     アッシーも冥牙さんもお互いを思いやることで自分を犠牲にして。
     思いやりあってる兄弟が、くだらない権力争いで引き裂かれるなんて悲しすぎる……

     蘆屋家を走り去る冥牙さんの姿があまりにも悲しくて、それを遠のく意識の中見送るアッシーの表情が悲しくて……
     私はアッシーの気持ちも冥牙さんの気持ちも分かってしまったからなのか、涙があふれて止まらなかった。

     でも、どうして冥牙さんは今になってがしゃどくろを引き連れて帰ってきたんだろう。
     アッシーが当主になったのに、こんな争いを起こすなんて……

     この光が晴れたとき、冥牙さんの口から最後の疑問を私たちは聞かされることになるのだった。
     そして、この争いは終息へと向かっていくのだった。

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