第15話 晴天の下、明日へ
蘆屋家の一件が終息して数日が経った。 あれから、アッシーは蘆屋家当主として忙しく働いている。 がしゃどくろは、元々封印を管理していた貴風院家の元に返された。 アッシーは蘆屋家の人間が自分の監督不行きであることを、これ以上にないくらい謝ったらしい。 でも、幸い貴風院家の人たちはそれを咎めなかった。 緩んでいたがしゃどくろへの封印への警戒を一層強めるいい機会になったと逆に感謝されたって話だったから、少し安心した。 協会のほうでも、蘆屋家の家が壊れただけで、他者に危害が及んだわけではないので、特に関与はしないという通達があったそうだ。 だからこそ今アッシーはすごく忙しい。 蘆屋家で謀反を企てた親戚たちは、保守派・新興派共に陰陽師の地位と力を剥奪された。 何でも陰陽師の力を封じることは可能で、体に霊力を大幅に抑制する印を刻まれてしまい、こうすることで式神の扱いや呪詛などをかけることがほとんど不可能になるらしい。 でも、アッシーは当初の意向を少しだけ変えて、彼らを蘆屋家から追放することだけはやめた。 これからは、見下していた一般人として蘆屋家の名に恥じぬよう生きろ、これが最終的な決定だった。 すぐに親戚たちが変わることは無理だと思う。 でも、陰陽師としてではなく、普通の人と変わらない生活をしていけば、もしかしたら心も変わって、自分たちのしたことを悔いる日が来るかもしれない。 私はそうであって欲しいと願うことしかできないけれど、でも、アッシーも同じような気持ちでこの決定をしてくれていたなら嬉しいな……。 それから、冥牙さんの葬儀は行われなかった。 アッシーは冥牙さんが死んだ確証がないから、それが見つかるまでは絶対に葬儀はしないと言い張った。 周囲からはがしゃどくろに命を与えて生きていられるわけがないって声が聞こえてきたけど、決してアッシーはそれを聞かなかった。 私も、冥牙さんが死んでしまったなんて思いたくはなかった。 あの、最後に冥牙さんが詠んだ歌。意味を調べてみたら、あれは再会の歌だった。 忘るなよ、ほどは雲ゐになりぬとも、空ゆく月のめぐり逢ふまで…… "お互い遠くに離れてしまったけれど、空を行く月が見えなくなっても、まためぐってきて元の姿を見せるように、再会のときまで私を決して忘れないでくれ" こんな意味合いを持った伊勢物語の中の歌らしい。 別れの歌を歌わなかったのはアッシーを悲しませないためっていう意味合いもあったのかもしれないけど、冥牙さんはいつか帰ってくるんじゃないかと思う。 これは、確証のないただのカン。 でも、どうか当たっていて欲しい、そう思うカンでもあった。 曇天の空の、嫌なことが起きそうなカンばかりじゃなくて、たまにはこういういい意味合いのカンも当たって欲しいわね…… 「つーばーきーちゃん! チョリーッス!」 「え? あ、アッシーじゃん!? ヤッホー」 下校中、私は私服のアッシーとばったり会った。 今日も当主の仕事で忙しかったのか、アッシーは学校を欠席してたから少しだけ驚いた。 でも、何より驚いたのは、アッシーの髪の色がまたあの派手で明るい金髪に戻っていたことだ。 「アッシー、髪戻したんだ?」 「ん? あー、あれはただの黒染めやからな。落とせば元の脱色ヘアーや」 「あはは……いいの? 当主様が金パじゃ示しつかないんじゃない?」 「その当主様の仕事が一段落ついたから戻したんよ。それにこれからはこのままでもええかなぁって思っとる」 アッシーはカラカラ笑って言った。 「どうせいつまでもこんな派手な金パやってられんし、今のうちやん? それに、俺がちゃんと当主の仕事してら、格好なんてどうでもええねん。俺らしくしてるんが一番や」 「アッシー……」 なんだか、いつもと変わらない人懐っこい笑顔のはずなのに、アッシーの雰囲気が少しだけ大人びたような気がした。 それに自分から当主の仕事を進んでやるようになるなんて、以前からは信じられなかった。 「どういう心境の変化?」 「ん? はは、椿ちゃんには参るわぁ」 アッシーは頬を掻きながら照れくさそうに言った。 「兄ちゃんに後は頼んだぞ、なんて言われたら俺かて手ぇ抜けへんやん。それに、俺がしっかり蘆屋家統率とって、兄ちゃんがいつでも帰って来られるようにしておかへんとな」 そっか。アッシーは、29代目蘆屋道満として生きる決意を決めたから、こんなにも雰囲気が変わったんだ。 立場から逃げて、悩んで苦しんでいたときとは違って、まっすぐ前を見て歩いてる。 「それが俺にできる"家族を守る"の形なら、俺は精一杯その務めを果たすつもりや」 「うん、流石アッシーね。偉い偉い」 「なんや俺めっちゃ子供扱いされてへん……?」 「あはは、蘆屋家では当主様だけど、私たちの前じゃいつもと変わらないアッシーじゃない」 アッシーは私の言葉にきょとんとした顔をしていたけれど、ふと笑って言った。 「せやな。いっつも当主の顔じゃ俺も疲れるわ。椿ちゃんたちの前でくらい素でいさせてもらうわ」 「うんうん。それがいいよ。私たちにとってアッシーは大切な友だちなんだから」 アッシーはその言葉にちょっとだけ複雑そうな表情を浮かべた。 そこで、あの日アッシーに押し倒されたことを思い出して私は顔を赤くしてしまう。 でも、アッシーは私の気まずさに気がついてくれたのか、ふーっとため息をついた。 「友だち、やのうて"親友"やな」 「え?」 「なんや、知り合ってそんな時間経ってへんのに椿ちゃんたちとは命がけの苦難めっちゃ一緒に乗り越えてしまったからなぁ。なんとなくやけど、この縁は死ぬまで続きそうな気がすんねん」 アッシーの言葉に私はちょっとだけ胸の奥が熱くなってしまった。 それって、アッシーにとって私たちは必要とされてるってことで。 「じゃあ、悩みがあったらちゃんと話してよ?」 「へ?」 「今までみたいに一人で抱え込んだりしないで。いいわね? じゃないと、友だちの縁切るんだからね!」 「ええ!? それは困るわぁ……分かった分かった。これからは困ったら椿ちゃんたちに相談するわ」 「うん」 よかった。 なんだか、本当に冥牙さんのおかげでアッシーは一回り……ううん。それ以上に成長したように感じる。 きっと今のアッシーを見て、冥牙さんは喜んでるよね。 「あ、あかん! 俺バイト行く途中やった!」 「え!? アッシーまだバイト続けるの?」 「最初は辞めるつもりやったん。でもなぁ、御木本が配達やり始めてから、何故か釜飯の注文数が激増したらしいねん」 「なんかそれ、すごいわね……」 「あのおどおどした御木本にまさか接客の才能があるとは思わなかったわ……せやから御木本一人じゃ配達回せんってことで、店長に泣きつかれたんよ。蒐牙なんて、家ぶっ壊れて穴開いたままのくそ忙しい時期からバイト復帰しておったんよ?」 なるほど、なんかよく分からないけど、雅音さんの人選は意外な利益を釜飯屋さんにもたらしたようだ。 しかし、どんな配達をしてるんだろうか、御木本くん。 「あ、じゃあ今晩はアッシーたちのバイト先にご飯食べに行こうかな? 雅音さんと深散も一緒に」 「え!? まっちゃん!? あかんあかん! 絶対まっちゃんは連れてきたらあかんよ……」 「なんで?」 青い顔をするアッシーの言う意味が分からなくて私は首を傾げる。 「あー、うちの店長まっちゃんみたいな男が好みなんよ……食われたら困るやろ?」 「店長って、女性なの?」 「いや、えらくごっついおっさんなんやけど……こう……ハートが乙女なんよ」 「まさぁ……ミスターレディ釜飯って……」 「そのままの意味や……」 こんな噂をしている最中、噂の渦中の釜飯屋さんが怒涛の忙しさに見舞われていることを私たちは知らない。 「はーっくしょん! あらやだぁ、誰かアタシの噂でもしてるのかしら?」 「店長! くしゃみをするときは厨房から出てください! それかマスク付けてください! そこの食材廃棄になってしまうじゃないですか!!」 「あーん、蒐牙ちゃんこわーい!」 「ふざけてる暇があったらそっちの皿洗ってください!!」 私はくすっと笑って肩をすくめた。 「じゃ、今度みんなで集まって遊ぼうか。アッシーもやっと自由な時間作れそうだし」 「お、ええねええね。ちょっと遠出したいわぁ」 「んじゃ小旅行でも企画しようっか。4月からは受験生になるし、なかなか暇も作れないだろうから春休み中に行っておかないとね」 「おう、じゃあそのときまでに金貯めんと。きりきり働かな! それじゃ、また明日学校でな!」 「うん、バイトがんばってね」 アッシーは私に手を振って去っていった。 よかった、冥牙さんがいなくなってへこんで寝込むかと思ったけど、アッシーは想像以上に強い。 きっと、冥牙さんが帰ってくるのを信じているから強くなれたのね。 私はふと時計を見て青ざめた。 やばい、話し込みすぎた! そう思った瞬間、私の携帯が鳴り始めた。 ディスプレイを見れば、相手はやっぱり雅音さんだ。 『椿か? 今どこだ、待ち合わせから10分以上過ぎておるぞ』 「ごめんなさい! 学校前でアッシーに会っちゃって……」 『ほう、元気そうだったか?』 「うん、明日から学校来るって」 『そうか。まだ車は駐車場に止めてあるから、早く来い』 「はーい」 私は学校の裏手に回った。 教職員用の駐車場に堂々と雅音さんの車は止めてある。 もう冥牙さんを警戒する必要もないのに、なぜか雅音さん、まだ学校通ってきてるのよね……しかも最近ものぐさに車で。 「お待たせ」 「うむ」 流石に帰りは私服に着替えてるから、流石に未成年には思われないんだろうけど…… 私は雅音さんの車に乗り込んである場所へ向かった。 そこは、お父さんとお母さんが眠るお墓。 最近アッシーに件でバタバタしててお墓参りに来られなかったから、雅音さんと一緒に今日はおまいりする約束をしていた。 「お父さん、お母さん、今日は雅音さんも来てくれたよ」 この前来たときは、寂しくてどうしようもない気持ちで来たけれど、今回の一件で私は一人じゃないんだって、前より強く思えるようになった。 深散やアッシー、蒐牙くんっていう素敵な親友たちがいる。 それに何より隣には雅音さんがいる。 私はまるでお父さんとお母さんが、私は一人じゃないんだと言ってくれてるようですごく安心した気持ちになった。 「行くか」 「うん。またくるね、お父さん、お母さん」 私と雅音さんは駐車場に向かうために二人並んで霊園を歩いていた。 ふと、目に留まったのはアッシーの家のお墓。 そうだ、ことの始まりはこのお墓の前で私が冥牙さんに会ったことだったんだ。 「ねぇ雅音さん」 「うん?」 「私、何で冥牙さんが最初にここに来たか、分かった気がする」 私の言葉に雅音さんはただ黙って首をかしげた。 「冥牙さん、お母さんに会いに来たんだよ。ほんのちょっとだけ、ことを起こすことに迷いとか、恐怖とか良く分からないけどそういうの……あったのかもしれない」 「そうかもしれんな」 雅音さんは反論しなかった。 ふと、私は本家のお墓から煙が立ち上っていることに気がついた。 「あれ、誰かお参りしていったのかな?」 よく見れば、綺麗なお花がさしてあって、お線香が立ち上っていた。 ついさっき、多分私たちとほぼ同じタイミングでお墓参りしましたって感じだ。 「案外、冥牙かもしれんな」 「え!? どうして?」 「なぁに、カンというやつよ。確証はない」 「雅音さんがカンでものを言うなんて珍しいのね」 「お前と一緒にいるからかもしれんな」 「え?」 「なんでもない。行くぞ」 「う、うん!」 今回の事件はすごく悲しくて痛ましいことだったけれど、結果的にアッシーは当主としてやっていく決意ができたみたいだった。 人はきっかけがあれば大きく変わるものなのね。 私たちはきっとこれからもっともっと色んな出来事に遭遇して、今以上に成長していくんだと思う。 でも、今の雅音さんや、大切な親友たちと支えあって、笑って生きていける関係が続いたらいいな。 私はそう思いながら雅音さんの背中を追った。 空は抜けるような青空で、太陽は私たちを見守るように心地よく輝いていた。 |