第2話 御木本家の当主候補


     イライラしていても仕方ない、分かってはいる。
     それに、イライラを彼にぶつけてはいけないということも、もちろん理解はしている。
     なぜなら彼は何一つ悪くないからだ。

     頭で分かっていても、感情とは上手くいかないものだ。

     僕を変に気遣う態度を取る御木本先輩に、心底イライラした。
     僕を責めて無視してくれたほうがまだ気持ちも安らかだというのに、あの人は僕に気を使い続ける。

     だから、僕は尚更御木本先輩と話すことが苦痛だった。
     できれば関わりたくなかった。
     なのに、雅音様はなぜか、以前怪我をした兄上の代役に御木本先輩を選んだ。
     あの人の真意ほど読めないものはない。

     あの人は全てを知っていて御木本先輩をここに送った。
     だとしたら、意地の悪いことこの上ないとしか思えない……

     あんなことをしでかしてしまった僕は、許されるはずがないんだから。
     そう、あんな……

    「蒐牙くんったらぁ!!」
    「え? あ、は、はい? なんでしょう」
    「なんでしょうじゃないわよ! 何でそんなに鯛の切り身作っちゃってるのよ!?」
    「え? うわぁ!?」

     店長に声をかけられて、指差されたほうを見れば今日はたいして数を出す予定のなかった、鯛釜飯の具である鯛の切り身が大量に積み上げられていた。

    「もうー蒐牙くんどうしちゃったのぅ。こんなミスするなんて珍しいわね」
    「すみません……無駄になってしまった切り身の分はバイト代から引いてください」
    「そんなことしないわよ」

     店長は腕を組んではぁっと大きなため息をついた。

    「っていうか、蒐牙くん。給料から材料の費用引けば解決すると思ってるところはよくないわね」
    「え?」
    「具材を無駄にしてしまったということは、その鯛の命を無駄に奪ってしまってってことよ? それはあまりにも鯛に失礼だわね。その鯛が何のために命を失ったか、それじゃわからないじゃない。無駄死よ無駄死、鯛も浮かばれなくて化けて出るわよ!?」
    「は……はぁ」
    「ミスをしたなら挽回なさい! 今日は鯛釜飯はあまり目玉商品じゃないから、サービスの品としてこの切り身をつかった料理作って頂戴」
    「え……えぇ!?」

     店長はそれだけ言うと接客に戻ってしまった。
     参った、今日の鯛はあまり身が大降りじゃないし、これといって飛びぬけて美味しいものでもない。

    「ふむ……」

     僕が大量の切り身をどうしようか考えあぐねいていると、向こうのほうで大きな音が響いた。

    「おらぁ! 螢一郎おるんやろ! 出せやぁ!!」
    「!」

     聞き覚えのある声だ。
     あれは、御木本家の分家で、今回当主候補にあげられている御木本森太郎……?

    「ちょっとぉ! どちら様かしらないけど、うちの店の備品壊すのはやめなさいよ! 他のお客様にも迷惑でしょう!!」
    「はん! 知ったことか! 俺はここのバイトの御木本螢一郎に用があるんよ」
    「螢一郎ちゃんは今いないわよ! 配達にいってるわ!」

     店長、一応御木本先輩をかばうつもりなんだろう。
     今御木本先輩は休憩中で、奥の座敷にいる。

    「ほう? ここに入ってくのを見たから来たんにおかしい話やなぁ」
    「ぐっ……」

     やれやれ……店長、詰が甘すぎますよ。
     そう思った瞬間だった。

    「あ、あの森太郎さん!」
    「あん? おー螢一郎やないか!」
    「僕はここです。だからお店に迷惑をかけるのやめてください」
    「おうおう、そないかそないか。悪かったなぁお詫びや!」

     森太郎はそういうと、隣で釜飯を食べていた人の食器……鉄の釜を突然掴み御木本先輩に投げつけた。

    「!!?」

     あまりにとっさのことと、厨房にいたために、僕はその釜が御木本先輩に届くまでには間に合いそうになかった。
     けれど、僕が彼を助けるまでもなく、鉄の釜はすごい勢いで地面に叩き伏せられた。

     ……釜がすごい形に歪んでる。
     さすがですね。

     見れば御木本先輩をかばうように、店長が立っていた。

    「お客様。冷やかしならお引取りください。他のお客様にもご迷惑です」
    「ああ!? 俺は客やぞ!! そないな態度とってええんかコラ!」
    「じゃかあしいわワレェ!!!!!」

     普段の店長からは想像もできない野太い声。
     僕も滅多に聞くことができない男の声だ。

    「うちのもんが何かあんたにしたなら侘び入れさせるくらいのことはするけどなぁ、あんた私情で嫌がらせしてるんやろ? 姑息なことしおってからに、一昨日こんかい!!」
    「知ったことか! こいつに関わるとろくなことがないんやで!? 思い知らせてやるわ!」

     その瞬間、店長が森太郎の頭を掴んで外に投げつけた。
     でたらめなパワーですね……あれで心は乙女なんですから、頼もしいというかなんと言うか。

     豪快な音を立てて店の入り口のドアが破れて、森太郎は道路に転がった。

    「相手になったるさかい、かかってきぃや? 店の外でながらなんぼでも相手したるわ」
    「ぐっ! 以津真天(いつまで)!!」

     森太郎の符から、巨大な怪鳥が現れた。
     あれは妖怪「以津真天」だ……
     まぁ、一般人相手にあれを使ったなら僕も仲裁に入るべきなのかもしれない。
     でも相手は店長だ、心配もいらないだろう。
     何せあの人は……

    「ええ度胸やないかい」

     見ればポケットから符を出すと、豪快に印を切ると店長もまた符を投げて自分の式神を呼び出していた。

    「天狗、やれぃ」
    「は!」

     店長は正直陰陽師を本業にしてもいいくらいすばらしい霊力を持ってる。天狗や河童の類を操れる陰陽師は稀だ。
     それでも陰陽師より小さな店を持って接客したい夢のほうが大きかったから、陰陽師は副業程度にやってるっていうんだからもったいない話だ。
     才能がほしくても、手に入らない人間もいるっていうのに。

     そんなことを考え込む僕の目の前で、以津真天と天狗が壮絶な戦いを繰り広げている。
     店の客にはただの店長と森太郎の喧嘩にしか見えないだろうけど、その頭上で起きているものを見たら卒倒するのだろうなと、少しだけため息が出てしまった。

    「どうした、そんだけ図体のでかい妖怪たずさえて、そんなもんかい!!」
    「くそ! くそぉ!!」

     でも、所詮御木本家の当主候補とはいえ、格が違う。店長は正直陰陽師協会でも相当評価の高い霊力の持ち主だ。
     相手を間違えたな、森太郎。

    「鎌田、それくらいにしておけ」
    「!」

     ふと声がかかった方向を見ると、スーツ姿のおかっぱ頭が呆れたように立っていた。

    「雅音様……?」
    「蒐牙も、何故止めんのだ?」
    「え?」

     雅音様は二人に式神をしまうように即した。
     二人は雅音様が放つ威圧するような空気に息を呑んで式神をしまった。

    「森太郎……」
    「……なんだ貴様は」
    「なに、通りすがりの教師だ。しかし今回は俺に免じてさっさと帰ってくれんかのう」
    「なんだと!?」
    「帰っては、くれんかのう?」

     背中がぞくりとした。
     雅音様の声が、全てを切り裂く刃のように体に突き刺さってくる。

    「くっ……このままでは済まさんぞ!!」

     森太郎も流石にその空気を感じ取ったのか、走って逃げていった。

    「まったく、あんな姑息な手段に乗せられおって。このうつけが」
    「姑息な手?」
    「ここで騒ぎを起こして、螢一郎のせいにする魂胆じゃろう。あいつが怪我をして帰れば、御木本家次期当主候補が事件に巻き込まれたことになり問題になる。そうして螢一郎の立場を不利にするつもりだったのだろう」
    「なっ!?」

     店長はそれを知った途端顔を青くした。
     雅音様は僕のほうを向いて冷ややかに言った。

    「何故見てみぬふりをした?」
    「僕も気がつかなかったからですよ……それに、僕が助ける必要もないと思っていましたから」
    「ふん」

     チクリと胸が痛んだ。
     憧れの雅音様が僕に対して、心底軽蔑したような目を向けてきたのだから無理もない。
     でも、それでも僕は……

    「螢一郎ちゃん! ごめんね!」
    「い、いえ! 店長は僕をかばってくれたわけですし……」
    「でもでも! これで当主になれなかったら私のせ……」
    「いいんです」

     きっぱりとした御木本先輩の声に、僕は思わず驚いてそちらを見た。
     御木本先輩の顔はどこか寂しげで、でも何かを覚悟した、諦めにも似た表情だった。

    「僕は……当主候補を降りようと思ってます」
    「なっ!?」
    「僕は御木本家が内紛でばらばらになるのが嫌なんです。それこそ僕が理由でなんて耐えられない……」
    「御木本先輩……」

     駄目だ……あなたは絶対絶対当主にならなきゃ……
     森太郎では御木本家は……!!

     喉まで言葉が出かけた。
     でも、その言葉を僕は発することができなかった。

    「御木本よ」
    「え? あ、はい……」
    「それは俺が許さぬ」
    「え!?」

     雅音様は真顔ですごいことを言い始めた。

    「森太郎が当主になったんでは御木本家が扱いにくくてしょうがないわ。螢一郎、お前が当主になってくれれば、俺は何かと御木本家に仕事が頼みやすい。だからお前が当主になれ、なんとしてもだ」
    「で、でも!」
    「まさか、俺直々の命令を無視するつもりはないだろうな?」

     御木本先輩はびくっと肩を跳ね上げ、涙目になりながらうなづいた。

    「ならばよい。期待しておるぞ」
    「………」

     雅音様は一体何を御考えなんだ……
     何故御木本家のお家騒動にこの方が口を出す必要があるんだ。
     それに、もし御木本先輩に本当に当主になってほしいのなら、何故彼がそれを御木本家に通達しない……?
     なぜこんな回りくどいことを……

    「蒐牙、ちと来い」
    「え……? でもバイトが」
    「こんな状況の店でどうやって商売するのだ。今日は臨時休業であろう、いいから来い」
    「あっ! ちょ、ちょっとぉ!!」

     引きずられる僕を見て店長が声を上げる。

    「なんなのよあの子……っていうかなんで私の名前知ってたのかしら?」
    「て、店長あの方は……」

     御木本先輩が小さく耳打ちをすると、店長は目を見開いて深々と雅音様に頭を下げた。
     多分、挨拶もろくにしなかった自分の態度が無礼だと思ったからだろう。もちろん、僕を引きずっている雅音様がそれを見ることはなかったけれど。

     僕は雅音様に連れられてある場所へ行くことになる。
     僕にとっては辛い思い出がたくさん詰まった、足を踏み入れるのも辛い場所に……
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