第27話 海松橿姫の思い
速来津姫は、ある日私を呼んでこういった。 「ねぇ海松橿姫。私はスサノオの力を封じようと思う」 スサノオは、我らの集落で代々、最も力の強い巫女が受け継いできた土蜘蛛一族の宝剣だ。 我らの祖先が神より授かりし、すさまじい力を持った剣で、所有者の力量次第では、斬った相手をいかようにすることにもできる剣。 「スサノオを封じる!? 一体なぜ!」 速来津姫は、我らの集落でも歴代稀に見る力の強い巫女だった。 集落の中に何人もいる巫女の中でも、スサノオを扱えたのは速来津姫だけだ。 しかし、彼女は優しすぎるが故に戦となるとどうしても躊躇する傾向があった。 だからこそ、巫女としての能力に関しては速来津姫に劣るものの、戦に関しては彼女より格段に指導力のある私が彼女と並んで我らの集落の八十女のトップに立つことになった。 「この剣は力が強すぎる……私は不安なのです」 「不安?」 「もし、もし仮にこの剣を将来扱う巫女が、この剣を正しく使わなかったときのことを考えると私は恐ろしくて夜も眠れません」 「正しく使わない……? どういうことだ」 速来津姫はスサノオをじっと見つめていた。 「人の心は、生きれば生きるほど磨かれていきます。ですが、磨かれる過程で大きく傷つき歪んでしまうこともある。そんな歪んだ心でスサノオを振るえば、世界を滅ぼしかねません」 「なるほど……お前は来るかも分からない未来を恐れてスサノオを封じると?」 「来るかは分かりません。でも来ないとも限りません」 こういうときの速来津姫は異様に頑固だった。 元来彼女には不思議な力が宿っていた。だから、もしかしたらそんな恐ろしい未来を本能的に感じていたのかもしれない。 このままスサノオが我らの間に伝承されれば、近い未来人が滅ぶという未来。 そんなものがもし彼女に見えてしまっていたのかもしれないと考えると、私は速来津姫が妙に哀れに思えてきた。 「お前は言い出したら聞かないからな。お前も考えなしに、ただ将来を憂いてそのようなことを言っているわけではないのだろう? ならば好きにするがいい」 「海松橿姫……ありがとう。あなたは優しいから、きっといいと言ってくれると思っていたわ」 「なっ!? なにを馬鹿なことを!」 「この剣の封印が解かれることがあるとしたら、私たちの一族が本当の危機に見舞われるとき。そんな未来は来てほしくない。でも、きっと来てしまう」 「速来津姫……?」 「そのときは……」 速来津姫は私の手を握って、真っ直ぐな目で私に言った。 「そのときは、どうか私たちの子孫を助けてあげて」 「速来津姫……?」 速来津姫のあまりに真っ直ぐな目に、一瞬頷いてしまいそうになったが、よく考えたら私はおかしくなって噴出してしまった。 「ははっ! 速来津姫、そんないつの未来か分からない時代に私は生きていないだろう」 「え? あ、ああ……そうね。そうだったわ」 「まったく、しっかりしてくれよ。だがまぁ、うん。一族を大事に思う気持ちは私もお前も一緒だ。もし私が私でいられるときにそんなことがあれば、全力で協力しよう」 ときどき速来津姫は良く分からないとぼけた一面を出すが、それは同胞を思っての気持ちが強すぎてのことだろうと思った。 速来津姫は私の言葉に満足したように笑ったのだった。 「海松橿姫様ー!!」 「うん?」 ふと声のするほうを見ると、集落の子供が私のほうへ走ってきた。 「八田、こんなところに男が入ってきてはいけない。どうしたのだ?」 「みんなが大きなイノシシを見つけたって! 海松橿姫様に指揮して欲しいんだって」 「それでお前が呼びに来てくれたのか。ありがとう」 八田は、集落の子供の中でも特に私を慕ってくれていた子だった。 子供たちは皆速来津姫になつくのに、そういえば珍しい子供だった。 「八田、海松橿姫の言うことを聞いて怪我をしないようにするのですよ」 「はーい速来津姫様」 そうだ、私たちは一族を率いる八十女のトップという立場以前に、誰よりも仲の良い友人同士だった。 幼い頃から共に育ち、一族を見守り導いてきた。 そのはずだったのに…… 『私はもう、あなた方の声は聞かない』 『速来津姫ぇぇぇぇぇえぇ!!!!!!』 *********************************** 椿と対峙する海松橿姫の目が、何かを思い出して更に怒りに燃えたのが遠目にも分かった。 椿自身は、そんな海松橿姫の変化など意にも介していない。 「なぜ裏切った……何故だ速来津姫!」 「……私は速来津姫じゃない。だから分かんない」 「スサノオの封印が解かれるのは我ら同胞が脅威に晒されたときだけだとお前は言った!! なのに、ふたを開けてみれば私に対してスサノオを向けている!! どういうことだ!! 答えろ!!」 「分かんないっつってんでしょ!!」 海松橿姫の様子は明らかにおかしかった。 椿ではない誰か……そう、まるで速来津姫に対してわめき散らしているようだ。 同じ鬼斬である椿と速来津姫を重ねているのかもしれない。 「許さない……お前と私は、同じ志を持った同志だと……親友だと! 家族だと思っていたのに!!」 突如、海松橿姫の縄が椿を襲う。 「くっ!」 椿はすばやくそれを避けて、襲いくる縄をスサノオで切り裂いた。 恐ろしい霊力を帯びたスサノオは、一振りで縄を切るのではなく滅した。その存在自体が焼き払われてしまったという感じだ。 「何故だ! 何故だ何故だ!! 答えろ速来津姫―――――――!!!」 海松橿姫…… お前もまた同胞を愛し、大切に思っていたのだろう。 ただ、速来津姫とは守り方が異なってしまった。 そんな些細な意見の食い違いが、こんな悲しい未来を生むとは誰も予想していなかっただろう。 そう、速来津姫に力を与えた神以外は。 縄が椿を襲うたび、俺たちに突き刺さる縄が動いて傷口を刺激する。 その度に痛みが増して歯を食いしばらざるを得ない。 俺や蒐牙ですらこんなに辛いのだ、賀茂や陵牙では耐えられないかもしれない。 しかし、意外にも俺が心配した二人は痛みに耐えて必死に椿の名を呼んでいた。 まったく、妬けるほどに椿への想いが強いな…… 「お前は自分かわいさに私たちの全てを奪った!! 絶対に許さぬ!」 「あんた、誰と戦ってるの?」 「何!?」 縄を避けた椿はそのまま宙をひらりと舞って、海松橿姫の背後を取った。ハッとした海松橿姫も咄嗟にそこから距離を取るが、とてつもなく焦った表情をしていた。 「私は清村椿。さっきから速来津姫速来津姫って、相手間違ってるんじゃないの?」 「くっ!」 見れば見るほど嫌な光景だ。 昔愛した女である牡丹と、今の最愛の女である椿が刃を交えている姿を見ることは、正直気が気ではない。 どちらが倒れるのも、俺には辛いことだ。 「お前は何のために戦うのだ」 「?」 「お前は何のためにスサノオを私に向ける、清村椿!!」 海松橿姫のその問いに椿はあっさり答えた。 「そんなの簡単よ。大好きな人たちを守るため。だって、その人たちがいなきゃ、生きててもつまらないもの」 「お前の祖先は、そう思って戦いにいどもうとした私たちを斬った……私たちから全てを奪った……!!」 違和感を感じた。 縄に、妙な霊力を感じる。 「ならばお前の守りたい者を、私が奪ってやろう!」 「!!?」 俺を貫いていた縄がぐっと引き寄せられて、海松橿姫の目の前まで俺は手繰り寄せられた。 そのせいで再び傷がひどい痛み方をし始めた。 「雅音さん!!」 「動くな!」 椿は俺のすぐ目の前まで来たが、海松橿姫にそれ以上近寄ることを阻まれた。 海松橿姫は腰にさしていた剣を俺に突きつけ言った。 「さぁその綺麗ごとばかり並べる鼻につく顔が、悲しみと絶望に歪むさまを見せてもらおうか」 「やめて!! 雅音さんには手を出さないで!!」 「くくく……そうだ、泣くがいい。もっと苦しめばいい!! この男の死に顔を見てな!!」 椿の涙が、一滴地面に滴った。 それと同時に、海松橿姫の剣が何者かによってはじかれて、海松橿姫自身もずいぶんと遠くに吹き飛ばされた。 「ふぅー間一髪。ここには水場がないから、なかなか来られなくて参りましたよ」 「あ……あなたはスイさん!?」 「おや、水場が急にできたと思ったらあなたの涙でしたか。いけませんねぇ、かわいい顔が台無しだ」 突如現れたスイは、こんな状況にも関わらず、相変わらずの飄々とした態度で椿の涙をぬぐう。 しかし、椿に触れた瞬間、スイは目を眇めて俺のほうを見た。 そのときには既に、表情はいつものものに戻っていたが…… 「それにしてもだっさいですねぇ、雅音」 「!」 「男なら縄引き抜いて彼女を守るくらいしてみなさい」 スイは俺に突き刺さった縄を、持っていた大きな鎌で斬ると、手と足に刺さっていたそれらを躊躇なく引き抜いた。 「とはいえ、全部腱が斬ってありますね。これは動けませんねぇ」 そういうとスイは俺の襟首を掴んで椿から離れた。 そして、周囲にいた蒐牙や陵牙、賀茂に刺さった縄も全て斬って引き抜いた。 「さぁ椿。思う存分戦いなさい。人質なんて卑怯な真似はもうできませんから」 「スイさん……ありがとう」 椿は改めて海松橿姫と対峙した。 「おのれ……鬼斬の娘……何故お前だけにいつも奇跡が起こる」 「?」 「私たちはただ生きたかっただけなのに……皆で笑って……ただいつものように笑って生きていきたかっただけなのに!」 椿はその言葉に目を見開いた。 「求めていたものはお前となんら変わりなかった!! 大切なものを守りたくて、愛するものを守りたくて私たちは戦うことを決意したのだ!! お前と同じだよ! 愛する同胞や家族がいなければ、生きていても楽しくないからだ!!」 「………」 椿の表情が複雑なものに塗り替えられていく。 やめろ、耳を貸すな椿……! 優しすぎるお前は、それを聞いてしまったら……!! 「なのに……なのにお前は……!!」 次の瞬間、椿の表情が歪んだ。 見れば黒い人魂が4つ、椿の体にまとわりついていた。 目を細めてよく見れば、それは先ほど椿が切り捨てた土蜘蛛4人のものだった。 『海松橿姫様! 今のうちに!』 『長くは持ちませぬ!!』 「お前たち……」 あちらも、仲間を思いやる気持ちは同じということか。 海松橿姫の縄が再び椿に伸びていった。 ―――タタタッ!! もう駄目だと思った瞬間、海松橿姫の縄は椿まで伸びずに止まることになる。 その正体はあまりにも意外な存在で、俺たちはその後の光景に息を呑まずにはいられなくなる。 そのものの口から、海松橿姫たちは事の真相を聞くことになるのだから。 |