第8話 冥牙の見せた一面


     結局アッシーの部屋を出た私たちは、応接間でテンションがMAXまで上がったアッシーママに引き止められて、お夕飯までご馳走になってしまった。
     なんでもアッシーママが腕によりをかけて作った夕食だったそうだ。

     アッシーママがキッチンへ引っ込んでしばらくして、爆発音とか聞こえてきたけど、きっと気のせいよね。
     お手伝いさんの悲鳴とか聞こえてきたけど、きっとそれも気のせい。
     だって盛り付けられた料理はどれも見栄えがよくて、とても素敵にできあがってたもの。

     アッシーはなんかさりげなくお手伝いさんに言って塩とかこしょうとか持ってきてもらってたみたいだし、蒐牙くんやアッシーパパは汗だくだくになって食べてたんだけどね……

     関西は薄味って言うからきっと私の舌がおかしいのかなって思った。
     これは個性的というか、食材の味そのものを楽しめってことよね……?

     ごめん、ホントのこと言うと、全く味がなかった。

     でも、アッシーママはすごく嬉しそうに色々勧めてくれて、そんな彼女を見るだけで私はなんだか夕飯をご馳走になってよかったなという気持ちになった。

     帰り、蘆屋家を出て、深散と別れた後私は軽く雅音さんを睨んで言った。

    「もう、雅音さんの嘘つき」
    「どうした、突然」
    「アッシーは私を襲ったりしないって言ってたのに、私押し倒されたよ?」
    「くくく、なんとなく分かっておったわ」
    「えぇ!? 襲われるって分かってて私をアッシーの部屋に一人でやったの……?」
    「まぁな。とはいえ、間違いを起こすこともないと確信しておった」
    「どういうこと?」

     私の問いに雅音さんは可笑しそうに笑った。

    「あいつがお前を好いておるのは本音じゃろうな。だがあいつが俺を裏切ってまでお前に手を出すとは思えん」
    「友だち、だから?」
    「まぁそれもあるが……あいつはそういうことで人を傷つけられるような奴じゃないってことじゃのう」
    「それって、アッシーが私に何かすれば、私も雅音さんも傷つくって分かってるから何もしないってことよね?」
    「そういうことじゃ」

     でもそれって、アッシーが私を好きって言ったのは冗談じゃないってことじゃない……
     そんなの聞いたら次にアッシーにどんな顔して会えばいいか分からないわ。

    「複雑……私はアッシーを友だちって思っててもアッシーはそうじゃないってことじゃない。これじゃ星弥のときと一緒だわ」
    「気にすることはない。あいつは大切な者の幸せを願える奴だ。お前が笑ってさえおれば、あいつはお前を奪おうとは思わんだろうさ。陵牙はこの時代が生んだ最強のうつけではあるが、その心の広さを俺は買っておる……いや、甘えておるのかもしれんのう」

     雅音さんから、アッシーをほめる言葉を聞くことはすごく珍しい。
     でも、その珍しい言葉から、どれだけアッシーを信頼してるか伝わってくる。
     それにしたって、雅音さんは私が押し倒されたことに対して全く動揺すらしないのね。
     アッシーを信頼してるって分かってても、何かちょっと寂しいような気がする。

    「なんだ、頬が膨れておるぞ」
    「なんでもない!」

     ぷいっとそっぽを向くと、やっぱり向こうでは「くくくっ」って笑い声が聞こえる。
     雅音さん、本当に私が誰かにとられてもいいとすら思ってるんじゃないかしら……? ちょっと不安になるなぁ……

     結局私はその日、なんとなく雅音さんの家に一緒に向かった。
     家に着くまで、私がへそを曲げてしまったから無言で歩いて。

     マンションのドアを開けて部屋に入ったとたん、私は手を強く引っ張られた。

    「きゃっ!?」

     その瞬間に雅音さんにキスされて、驚きのあまり目を見開いたままになってしまった。
     何度も、何度も強引に繰り返されるキスは、何かいつもと違った。

    「ま、雅音さん……?」
    「来い」
    「え!?」

     私は腕を引っ張られて寝室へと引っ張り込まれた。
     そして少し乱暴に、押し倒された。

    「ま、雅音さん!?」
    「どこを触れられた?」
    「え?」

     雅音さん、顔がちょっと怖い。
     さっきまで可笑しそうに笑ってたのに、なんで?

    「陵牙にどこを触れられた」
    「今の雅音さんみたいな状態」
    「ふん」

     雅音さんは私の両手首に口付けをしてきた。
     雅音さんの暖かい唇の感覚が、まるで電気のように私の身体を走ってく。

    「ま、雅音さん……」
    「実際そうなってみると、気に入らんもんだのう」
    「え?」
    「間違いに至らねば別にいいと思っておったが……お前に他人が触れたと思うと、例え陵牙であってもやはり不愉快だ」
    「だ、だったら一人で行かせないでよ!」
    「そうだな、それは俺の失態だ」

     雅音さんはそう言って私に唇を重ねてくる。
     もう慣れたけど、でもやっぱり香ってくる甘いコロンの匂いと、この溶けるようなキスは私の中で格別に好きな感覚だ。

    「次からは気をつけんといかんな。こんなことをしていいのは、俺だけでなくては困る」
    「雅音さん……」

     そっか。さりげなく外では自分を抑えててくれたんだ。
     こんな顔、他の人に見せたくないのね。
     ちょっとだけ、雅音さんが可愛く思えてしまった。

    「そういえばさりげなく、今日2回も蒐牙の手を握っておったな」
    「んっ……!」

     雅音さんはそう言って私の手に今度は口付ける。
     くすぐったいような、変な感覚に私はだんだんぼんやりしてきてしまった。

    「よいか椿。お前の性格から言って、たぶんこれからもお前は陵牙や蒐牙がへこんでおったら手を握るだろう。それを咎めることはせん。ただ、その後必ずこうするから、そのつもりでおれよ」
    「……はい」

     その日の雅音さんは、ほんの一瞬も私を放してはくれなかった。
     でも、何だかそれが嬉しくて、可愛くて、私は雅音さんの胸に顔をしっかり埋めて眠った。


    *******************************


     次の日、やけに早く雅音さんは私を起こした。

    「椿、起きろ。学校へ行くぞ」
    「う、うーん……まだ6時だよ?」
    「陵牙を迎えてから行くから、早めに出るぞ」

     そうは言われたけど、何だか今朝はすごく身体がだるくて、思った以上に自由が利かなかった。
     起き上がろうとすると、軽い眩暈すら覚えた。

    「どうした、顔色がよくないの」
    「う、うん……なんか具合悪くて……」
    「今日は学校、休むか?」
    「少し様子見る。無理なようなら携帯に連絡入れるから」
    「わかった。無理はするなよ?」
    「うん」

     雅音さんは心配そうに私を覗き込んだ後、額に軽くキスをしてくれた。
     私はいつもの登校時間になってようやく制服に着替えて準備を整えることができた。

    「椿様、大丈夫ですの? 本当にお顔の色がすぐれませんわよ?」
    「うん……どうしたんだろう? 鬼とか、憑いてないよね?」
    「ええ、今は椿様に鬼は憑いておりませんわ」

     心配した小鳩ちゃんは、私に学校を休むように言ってきたけど、やっぱりアッシーのことが気がかりで休む気にはなれなかった。
     ふらふらな状態だから、いつもより歩く速度も遅い。
     しかし、何で今日はこんなに具合が悪いのかしら……

     ひどい眩暈と寒気、関節痛みたいな痛み……
     参ったなぁ……歩くたびに動悸が酷い。

     目が……かすむ……

     とうとう私は歩くことができなくなり、足の力も入らずにその場に倒れこんでしまった。

    「君!? 大丈夫か!!」

     遠のく意識の中、誰かが私を抱きとめてくれたのは分かったけれど、目の前が真っ暗でそれ以上状況を判断することはできなかった。


    ********************************


    「う、うん……」

     ふと目を覚ますと見慣れない天井が広がっていた。
     多分、ちょっと……いやかなり古めの建物の天井だ。
     板張りで、木目が広がってて。

    「ここどこ!?」

     私が起き上がると、体の上には布団がかけてあった。

    「目が覚めたか?」
    「え……!?」

     声の主を見て私は目を見開いてしまった。
     座敷の部屋に、ちゃぶ台が一つあって、その横に座った男の人。
     その人には見覚えがあった。

    「冥牙……さん?」
    「ほう、俺の名を知ってるか」
    「え、ええ……」

     冥牙さんは、読んでいた新聞からちらりと目を逸らして私のほうを一瞥したけど、すぐに新聞に目を戻してしまった。
     へぇ、ものを読むときは眼鏡するのね。

     それにしても蘆屋兄弟は3人揃って美形よね。アッシーはあのキャラで色々ぶち壊してるけど、黙ってれば普通にかっこいいと思うし。
     冥牙さんは整った美形で、無駄にキラキラしたものが背後に見えるわ。
     まぁ、雅音さんには敵わないけど。

     って、この状況で何考えてるのよ……
     敵かもしれない人が目の前にいるっていうのに!!

    「君は陵牙のなんだ?」
    「え?」
    「関係だ」
    「以前にも言いませんでしたか? 友人です」
    「ほう、恋仲ではないと?」
    「はい」

     冥牙さんは私をじっと見据えると、納得したように頷いてくれた。

    「ふむ、嘘をついているような目でもないな」
    「当たり前です。私は雅音さんの婚約者ですもん」
    「雅音の……婚約者?」

     どうしてだろう、冥牙さんはその話を聞いて怪訝な顔をする。
     まるで、ありえないだろうという表情だ。

    「なんですか……?」
    「あまり、雅音とは深く関わらんほうが得策だと思うがな」
    「え?」
    「君は陰陽師なのか? 先日見せた刀の力は陰陽師のものではないと見受けるが」

     唐突に聞かれて私は困ってしまう。
     確かに鬼や物の怪はコンタクトを外せば見えるし、最近は扱えるようになってきた鬼斬の刃で退治もできる。
     でも、陰陽師かと聞かれれば答えたノーだ。

    「いえ……違います」
    「ならば、雅音との婚約は考え直すべきだな」
    「どうして……?」
    「母上と同じ思いをしてほしくないからだ」

     どういうこと?
     雅音さんと結婚したら、私が冥牙さんのお母さんと同じ思いをする?

     そういえば、私は雅音さんの家族のこととか、ぜんぜん知らない。
     茨木を封印する家系って言うことしか聞いてないし、今は実家とも縁を切った、としか聞いてない。
     私、意外と雅音さんのこと……知らないのね。

     私がそんな考えをめぐらせて押し黙っていると、冥牙さんは小さく首を左右に振って言った。

    「まぁ、雅音が考えなしに婚約などするわけもないか……それより君、名前は?」

     なんでだろう、一瞬すごく冥牙さんの表情が気になったのだけれど、話題を変えられてしまってはそれに答えるしかない。

    「椿です。清村椿」
    「ほう、美しい名だな。ふむ……わが門の片山椿まこと汝わが手触れなな土に落ちもかも」
    「え?」
    「物部広足の詠んだ歌だ。まるで陵牙の気持ちのようだろう?」

     えーっと、歌の意味がよくわかんない。
     片山椿ってことは、私の名前を引用してるんだろうけど……
     あんまり古典得意じゃないのよね……

    「なんだ、歌の意味がわからんか。現役の高校生がそれでは、先が思いやられるな」

     私の表情から意味がわかっていないと冥牙さんは察したのだろう。
     ちょっと呆れ顔なのが悔しいけど、本当にわかんないんだからしょうがない。

    「私の家の門口の片山椿。その椿ではないが、君は私の手に触れずに土に落ちてしまうのであろうか……ようは実らぬ想いの歌だ。自分の手に触れることなく、他者の手によって地面に落とされてしまうのだろうか、というな」
    「……それは、違いますよ」

     私は冥牙さんの言ってることにムッとした。
     だって、これがアッシーの気持ちだって言うなら、アッシーは私が雅音さんの手に渡って、悔しいって思ってるってことだよね?
     そこまでならまだいい。
     でも、私が雅音さんと一緒にいて地面に落ちる……たぶん不幸になるとでもいいたいんだろうけど、そんな考えをしないアッシーのことを雅音さんは彼を買ってる。
     なら、私だってアッシーがそうじゃないって信じたい。

    「アッシーはそんな女々しいこと考えません」
    「……君はずいぶん陵牙を買っているのだな?」
    「アッシーは私の愛する人が信頼してる人だから。それに、私の大事な友だちだから、信じてます」
    「ふん」

     冥牙さんは小さく息をつくと、少しどこか寂しそうな表情で言った。

    「これから蘆屋家の周囲は戦になるだろう。君は巻き込まれないように近づかないことだ」
    「なに言ってるんですか……?」
    「君は蘆屋家の人間でもなければ陰陽師でもないだろう? 今回の戦いに無関係の人間を巻き込む気は、俺にはさらさらない。できれば陵牙に関わるな」
    「冥牙さん……あなたは一体何を考えてるんですか?」
    「君には関係のないことだ。これはあくまで蘆屋家の問題。俺は内側から腐っていく蘆屋家を必ず滅ぼす」

     その言葉に、私はお節介とわかっていても、溢れてくる言葉をとめることができなかった。

    「どうして……アッシーは冥牙さんのことすごく尊敬してるのに! ずっと冥牙さんを待ってたのに!」

     私の言葉に冥牙さんは冷ややかに笑った。
     それは人を見下したようなものじゃなくて、まるですべてを諦めたような疲れた笑み。

    「ふん。愚弟の考えることなどどうでもいい。雅音にも伝えておくといい、蘆屋家の問題にこれ以上口を突っ込むなと」

     そう言って冥牙さんは私のほうに何かを投げてよこした。
     見ればそれは目を回した小鳩ちゃんだった。

    「こ、小鳩ちゃん!?」
    「不意打ちで気絶させたのはいささか卑怯だったかもしれんが、君と話がしたかったからな。直に目を覚ますだろう。それを連れてさっさと出て行け」
    「冥牙さん……」

     それ以降、冥牙さんが私を見ることはなかった。
     ただ深くものを考えるような目で、じっと読んでいるかもわからない新聞に目を落としていた。

    「アッシーは今でも、冥牙さんのことを大切に思ってます。ううん、アッシーだけじゃない、蒐牙くんも、ご両親も、冥牙さんを待っていますよ」
    「………」

     私はそれだけ言い残すと玄関のドアを開けようとした。

    「君、清村くん」
    「はい?」

     冥牙さんは振り返ってはいなかったけど、今までで一番優しい声で言った。

    「風邪をひいているようだから、学校は休むといい。今は気を失っている間に俺が飲ませた市販の薬が効いているだけにすぎない。きちんと治すべきだ……暖かくして、栄養のあるものを食べるようにな」

     なんだ。この人、すごく優しいじゃない。
     普通の人以上に、倒れた私を気遣ってくれてるじゃない。

    「ありがとう、冥牙さん」
    「ああ」

     私はそう言って冥牙さんの家を出た。
     外に出てみれば、そこは学校からそれほど遠くない少し古めのアパートの一室だった。

     やっぱり、冥牙さんは私が少し前まで思ってたような人ではないみたいだ。
     だって私は見てしまった。
     玄関先に、大切そうに飾ってある写真を。
     アッシーの部屋にあったものと同じ兄弟が3人仲良く写ってる写真。

     きっと冥牙さんの中には、何か言い知れぬものがあるに違いない。
     アッシーを襲ってでも、がしゃどくろの封印を解いてでもしたいこと。

     きっとそれは恨みつらみのようなものではなくて、もっと何が違うもののような気がして、私はならなかった。

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