第1話 打ち崩される平穏
季節は巡った。 蒐牙くんの鵺の事件が起きて以来、めまぐるしく事件に巻き込まれていた私たちの周囲は静まり返ったように静かになった。 おかげで私は、大切な親友たちに囲まれて、愛する人の傍、毎日を楽しく過ごすことができていた。 「んー!! 受験も終わって最高な気分ですわね!」 すっかり肌寒くなった冬の日、私と深散、アッシーは3人並んで帰路についていた。 「にしても二人ともほんとによかったの?」 「何がですの?」 すっかり髪の長さが元の長い人形のような髪に戻った深散は、かわいらしく首を傾げる。 まったく、「何がですの?」じゃないわよ。 「深散もアッシーもそうだけどさ。二人ならもっと上の大学目指せたのに、何だってこの高校の付属大学に決めちゃったわけ?」 「それは……」 「そりゃなぁ」 深散もアッシーも顔を見合わせて、私のほうを見た。 「まだまだ椿ちゃんと一緒におりたいからや」 「私たち椿が大好きですもの」 「二人とも……そんなことで自分の大事な将来決めちゃっていいわけ!?」 私の言葉に二人は笑って頷いた。 「別にいいじゃありませんの。私たちは将来陰陽師として食べていくわけですもの。ここの付属大学なら、間違いなく教養も深まりますもの」 「そりゃそうだけど……」 「ま、俺は別にどこの大学でもよかったんやけどな。どうせなら楽しいほうがええもん」 この二人はこういうときだけはものすごいシンクロ率を発揮する。 私がこの高校の付属大学に行くと決めたその瞬間、今まで志望校をずっと保留状態にしていた二人が志望校を私と同じ場所に決めた。 そして晴れて私と一緒に同じ学校同じ学部に進むことに決まったのだ。 「はー……なんか1年、長いようであっという間だったわね」 「せやなぁ。何か4月までは偉いめまぐるしかったけど、それ以降は平和すぎるほど普通の高校生活やったしな」 「ですわね。春は花見、夏は海、秋は秋で旅行へ行って、冬もクリスマスにお正月は初詣。各自のお誕生会まで椿が気合入れてお祝いするもんだから、普通に1年をめいいっぱい堪能してしまいましたわ」 「ま、大学に入っても一緒なら、また楽しい4年間が続きそうだけどね」 「大学といわず一生そういう付き合いがしたいですわね」 深散の笑みを見ていると、なんだか心が温かくなった。 まさか、1年前まで私に嫌がらせをしていた彼女が、今では私の親友になるなんてね。 世の中って分からないわ。 「でもなぁ、最近そんな遊んでられんほど忙しゅうなって参るわぁ」 「あら、アッシーもですの?」 「あー……最近どうにも土御門絡みの仕事が増えてかなわんわ……」 「うちもですのよ。嫌がらせのごとく、雑務をまわしてくるものだから、家族総出で対処に回ってるんですけれども追いつかないんですの」 二人はほぼ同時に同じポーズを取った。 「おかげでバイトもままならんし、店長に泣かれて困るんよ」 「おかげで星弥くんとデートできなくて、正直家出したくなりますわ」 おお、見事なシンクロため息。 それにしたって最近みんな忙しそうだなぁ。 休日もほとんどないみたいだし、ここのところ一緒に遊べてない。 「ねね二人とも、忙しいと思うんだけど一応確認。来週の日曜日って時間ある?」 「来週は……ごめんなさい私やっと時間が作れて、星弥くんとデートの約束してるんですの」 「あ……そなんだ。アッシーは?」 「あー俺もその日はあかん。ていうかその日は釜飯屋メンバー全員、バイトラストまで入ってるから遊べんわ。このままだと店長が過労死してしまうからなぁ」 「そっか」 残念。でも、みんな各々に忙しいからしょうがないよね。 まぁ、いっか。 「何か用事でした? ごめんなさいね。最近日曜日は色々入用で……よければ星弥くんに言って別の日にしますけれど」 「俺もやわー……せっかくと椿ちゃんのお誘いなら、俺もその日無理矢理あけよか?」 「ううん! 大丈夫大丈夫!!」 「ごめんなさい、また予定を調整しますから別の日に遊びましょう」 「う、うん。そうしよ!」 しょうがない、しょうがない。来週の日曜日は雅音さんの誕生日だから、みんなでお祝いしようとしたんだけど……まぁ、私がみんなの分もお祝いすればいいよね。 御三家が忙しいのが影響してるのか、雅音さん自身も最近はすごく忙しそうだし。 あーあ。私ばっかり受験終えてこんな暇してて、本当にいいのかしら。 私はみんなにバレないように、小さくため息をついた。 「それじゃ、私はこれで。学校が終わったらすぐ戻るようにお兄様に言われていますし」 「俺もやわー……ったく、いつか絶対あのお高く留まった土御門には文句言わんと気が済まんわ」 「無理無理。土御門は御三家の中でも飛びぬけて権力強いんですから。反抗したっていいことありませんわよ。それじゃ、椿、アッシーまたね」 「またねー」 「俺も行くわ、また明日学校でな」 「うん」 二人に手を振って、私は自分の家の方向に向き直った。 最近はいつもこんな感じで。 土御門って一体何なんだろう。 どうして突然、二人は……ううん、雅音さんまであんなにも忙しくなっちゃったのかなぁ。 私は空を見上げた。 「嫌な……空」 曇天。 まさに嫌な事が起こりますよって象徴してるようなその厚い雲を見て私は大きなため息をついてしまった。 「椿様、どうなされたんですの? 大きなため息をつかれて」 「ああ、小鳩ちゃん」 鞄からひょっこり顔を出した小鳩ちゃんを手に乗せて私は言った。 「なんかみんな忙しそうじゃない? 私だけ暇だからさ……なーんか置いてけぼりっていうかなんていうか」 「皆様それなりに名のある陰陽師の家系なのが仇になっているようですわね……しかしなぜ今頃土御門が……」 「小鳩ちゃん?」 「あ、いえ何でもございませんのよ。それより椿様、今日のお夕飯はなんですの?」 小鳩ちゃんがかわいらしく首をかしげて聞くから、私は胸を張って小鳩ちゃんを突く。 「今日はエビフライ! おっきい海老買って帰ろうか」 「わーい! エビフライですのー!!」 私の手の上で小鳩ちゃんはぴょこぴょこ嬉しそうに跳ねた。 しばらく歩いていると、私は背後に妙な視線を感じた。 でも、振り向くとそこには誰もいない。 「いやねぇ……気配がして、振り向いても誰もないとか、ホラー映画じゃあるまいし」 なにより、私には小鳩ちゃんがいる。 下手な妖怪なら叩き斬るくらいわけないし、大丈夫大丈夫。 そう自分に言い聞かせて一歩を踏み出したときだった。 「!!」 私はその一歩を踏み出せなかった。 全身に激しい痛みが走って、立っていることすらできなくなってしまった。 「いった……何……これ!?」 「椿様!?」 小鳩ちゃんは私に触れた瞬間、驚いたように目を見開いた。 「呪詛!?」 「じゅ……そ?」 呪詛って昔……深散が私にかけてた……あれ? 「うっ……うう!! 痛い! 痛い!!」 「くっ! 私では呪詛を解くことはできない……どうすれば!!」 小鳩ちゃんが困惑していると、ふとバイクが近づいてくる音が聞こえた。そのバイクは私のすぐ横で止まった。 「椿ちゃん!?」 「け……螢ちゃん……あぐっ!!」 そこに現れたのは、バイトの途中だったのか、釜飯屋さんの配達のバイクを走らせていた御木本くん……今はすっかり仲良くなって螢ちゃんって呼ぶようになったんだけど、とにかくその御木本くんだった。 「螢一郎様! お願いです身固めを!! 呪詛です!!」 「!」 螢ちゃんは驚いた表情を一瞬だけ見せたけど、すぐに頷いた。 「椿ちゃん、ちょっとだけごめんね」 そういうと、螢ちゃんは私を後ろからぐっと抱きしめて呪文を唱えた。 「オンコロコロセンダリ、マトウギソワカ……オンコロコロセンダリ、マトウギソワカ……」 すーっと体が軽くなって、私は思わず地面に手をついてしまった。 「はぁ……はぁ……ありがと……螢ちゃん」 「ううん。でも一体呪詛なんて……誰が」 「わかんない……」 「とりあえず、家まで送るからつかまって」 「大丈夫……螢ちゃん配達あるんでしょ?」 「配達終わって帰るところだから。遠慮しないで」 「ありがと」 私はまだフラフラと立ち上がって、螢ちゃんに支えられながら家に戻った。 「今日は雅音様の家でいいの?」 「うん。呪詛のことも相談したいから」 「そっか。また何かあったら連絡して、僕でよければいつでも助けになるから」 「ありがと、螢ちゃん」 「いえいえ、じゃ、またね」 螢ちゃんは私を玄関前まで送ってくれた。 まったく一体なんだったのかしら…… 呪詛を受けるなんて久しぶりだけど、正直やっぱりいいものじゃない。 私はもやもやと考えをめぐらせていた。 でも、結局一人で考えたところで呪詛をかけた相手が分かるわけもない。 「はぁ……」 「椿様……もうすぐ雅音様もお帰りになりますから、元気を出して欲しいですの」 「ありがとう小鳩ちゃん」 私は小鳩ちゃんの頭を撫でて、ほんの少しだけ元気を振り絞った。 そして程なくして雅音さんは帰ってきた。 「あ、雅音さんおかえりなさい! あのね……」 「すまん、すぐに出なくてはならん」 「え? あ、う、うん」 「先に寝ていろ。多分遅くなる」 「そっか……」 私は出かけた言葉を飲み込んだ。 でも、小鳩ちゃんはそれでは納得しなかったみたいだ。 「雅音様!!」 「何だ小鳩、下らん話なら後にしろ」 「くだらない……!? なんてこと言うんですの!!」 「や、やめて小鳩ちゃん!! 雅音さん忙しいんだから呼び止めたらダメ!!」 「椿!! いいのかよ!? お前あんな目にあったのに……!!」 「あんな目……?」 雅音さんは眉を潜めて私の顔を覗き込んだ。 「何があった?」 「……呪詛」 「何?」 雅音さんの眉がピクリと動いた。 「わかんないけど呪詛にかかった」 「祓いは?」 「たまたま螢ちゃんが通りかかって身固めしてくれた。でも、そうじゃなかったら……」 そうじゃなかったら、死んでたかもしれない。 考えたら少しだけ怖くなった。 「すまん……気がついてやれなかったか」 「ううん……何とかなったし、大丈夫」 私は無理矢理笑って、雅音さんの胸を軽く押した。 「ほら、お仕事でしょ? 早く行かないと!」 「椿……」 雅音さんは私を抱きしめてくれた。 「必ずお前を守ってみせる……もうしばらく辛抱してくれ」 「え?」 「いってくる」 雅音さんはスーツの上着を羽織ると小鳩ちゃんに言った。 「小鳩、椿を頼むぞ。何かがあったら賀茂に連絡しろ。陵牙では連絡がつかんだろうからな」 「お前に言われなくてもわかってるっつーんだよ。さっさと行っちまえ」 小鳩ちゃん、機嫌悪いな。 口調が完全に酒呑童子になってるよ…… でも、私は知らなかった。曇天の空が告げていたように、平和ボケした私の隙を突いて危機は差し迫っていた。 しかも、今回は私にとって最悪の事件になることも知らず、雅音さんの背中を見送っていた私は暢気だったのだと、後悔するのだった。 |