第7話 兄・和葉


     私たちは深散の案内で、蘆屋家に勝とも劣らない大豪邸に招き入れられた。
     和と洋が対立せずに、なんとも心地いい造りの深散の実家は、彼女がお嬢様だっていうことをよく表現していた。

    「アッシーの実家といい深散の実家といい……陰陽師の家ってのはみんなこうなの?」
    「いえ、これだけの造りの家を所有するのは御三家くらいなものですよ」
    「へぇ……その御三家の家系がここには三人もいらっしゃると」

     蒐牙くんの説明に私は改めて自分の周囲の友人たちがすごい家の人なのだと痛感する。

    「まぁ深散お嬢様! おかえりなさいませ」
    「ただいま。お母様にお目通りは願えるかしら?」
    「あ……申し訳ございません。奥様は今急なお仕事でお出になられています。お待ちになりますか?」
    「え……そ、そう……困ったわね」

     どうしてだろう。深散はお母さんがいないとわかると、顔色を変えて表情を暗くした。

    「何をそんなに困っている。ここはお前の家なんだ、あがればいいだろう」
    「!!!!!!」

     その声に、深散は顔を上げて目を見開いた。
     見れば階段の手摺に手をかけて、黒い着物に茜色や藤黄なんかの、日本独自の色を使った、鮮やかな柄の羽織りを肩にかけた、女の人が立っていた。

    「お……お兄様……」

     え……?
     え………?
     えぇええええええ!!!?

     お、お兄様!?
     あの綺麗な顔のひょろっとした人が!?
     そ、そういえば声は妙に低かった気がするけど……

    「久しいな和葉」
    「お前は……?」
    「子供のときに会って以来だからのう。覚えていないのも無理はない」

     雅音さんは、どうやら深散のお兄さん……和葉さんを知っているようだった。

    「しかしまぁ、ずいぶんとぞろぞろ来たもんだね。そっちのおかっぱは覚えてないけど、後ろにいる二人は知ってる。蘆屋家の当主とその弟。たいそうな二人が来たもんけど、流石に何か用事があってきたわけだろう?」
    「俺たちではなくお前の妹が、な」
    「か、影井様!?」

     その言葉に深散は困ったように叫んだ。

    「なんだ、俺に用事があったの? お前が俺に用事なんて、ないと思ってたけど」
    「少し、話がしたかっただけですわ」
    「ふぅん? またいつものくだらない話なら帰ってもらうけど?」
    「ち、違いますわ!」

     いつものくだらない話?
     なんか、深散とお兄さんはあまり仲がよくないのかな。
     深散は観念したように言った。

    「私は別にここでもいいですけれど、他の皆様は少なくともお客様ですの。玄関では失礼ではなくて?」
    「……そうだね。鴇庭、お客人たちを応接間へ」
    「かしこまりました」

     なんか、執事みたいなおじさんに案内されて私たちは応接間へ通された。
     そこは、蘆屋家みたいな純和風! って感じの応接間じゃなくて、洋室でソファが並べてあった。
     私たちはそのすわり心地のいいソファに座って、深散のお兄さんが来るのを待った。
     その間の深散の表情は何か決意に満ちていて、いつもとは違うように見えた。

    「待たせたね」

     程なくして深散のお兄さんは応接間にやってきた。
     ホント線が細くて女の人みたいに綺麗なお兄さんね。深散とは違った意味の美を持った人のように感じる。
     兄妹揃って美形なんだから羨ましいわ。

    「で、俺に話っていうのは何?」

     深散はすぐには答えなかった。
     口を開くことに、何か怯えを感じているようにすら感じる。

    「どうしたの? 深散?」
    「い……いえ。何でも」

     でも、明らかに深散の顔色は悪かった。
     流石にこれが大丈夫なんて嘘だと一発で分かる。

    「深散、無理しなくていいんだよ?」

     私が深散の手を握ると、深散は目を見開いて私の顔を見た。

    「私、深散の心に何があるか分からないけど……話すのが怖いなら今すぐ無理をする必要はないんじゃない? お兄さんにはごめんなさいをして、帰ったっていいじゃない」
    「椿……」

     私の言葉に深散は驚いたような表情をしたけど、ふいに笑顔を浮かべて私をぎゅっと抱きしめてきた。

    「み、深散!?」
    「ありがとう椿」

     深散は私から身体を離し、まっすぐに和葉さんに向き合った。
     和葉さんもまたまっすぐに深散を見つめ返す。

    「お兄様、私どうしても今日はお兄様にご報告したいことがありましたの」
    「ふぅん。で、何を俺に報告するんだい?」

     深散は、小さく息を吸い込んだ。
     そして笑顔で言った。

    「私、友だちができましたの。しかも一生付き合っていきたいと思えるほど大切な大親友たちですわ」
    「………」

     何故だろうか、和葉さんは軽く驚いたように目を見開いた。

    「横にいるのが椿。彼女がいなかったら私は一生友だちってものを作れなかったと思いますわ」
    「深散……」
    「それからこっちのチャラ男がアッシー。お調子者でうるさいですけれど、仲間思いのいい奴だとは思ってますの」
    「ミッチー……それ褒めてるんか?」
    「褒めてますわよ。ちゃーんといい奴って言ったじゃありませんこと?」

     そう話す深散の顔はすごく堂々としていて、さっきまでの迷いみたいな恐怖みたいなものは吹き飛んでいるようだった。

    「それから彼は蒐くん。アッシーがダメダメだからその分しっかりしていて頼りになりますの。お料理の腕前は天下一品ですのよ」
    「褒めても何も出ませよ」
    「あら、本音ですもの」
    「なんや俺とえらい扱い違うやんか……」

     不貞腐れるアッシーを尻目に、深散は雅音さんの方を向いた。
     少しだけ雅音さんの表情が厳しいものになったけれど、深散はにこりと笑ってもう一度和葉さんのほうに向き直る。

    「彼は影井様。椿の婚約者ですの。まぁ、やきもち妬きで、独占欲が強くてヘタレですけれど、素敵な殿方ですわよ」
    「お前……馬鹿にしておるだろう」
    「くすくす、そのままのことを言ったつもりですけれど? ね、椿」
    「え?! あ、う、うううう……う……ん」

     突然話を振られて私はテンパって思わず返事をしてしまう。
     そのときの雅音さんの表情が"後で覚えておれよ"って言ってるみたいで、私は正直怖かった。

    「そして最後」

     深散はほんのり頬を赤く染めたような気がした。

    「彼は星弥くん。その……私の大切な方……ですわ」
    「み、深散先輩!?」
    「ごめんなさい星弥くん。でも、そうとしか言いようがないんですの」
    「……先輩」

     深散は穏やかな表情で和葉さんに言った。

    「私の大好きな大好きな方たちですの。だからぜひ、お兄様に紹介しておきたかったんですのよ」

     和葉さんは無言で深散の話を聞いていた。
     私はきっとさぞや和葉さんは喜んでくれるのだろう、そんな風に思っていた。
     でも。
     薄く目を開いて、口を開いた和葉さんの言葉はあまりにも信じられないものだった。

    「だから?」

     その瞬間、深散の表情が凍りついた。
     カタカタと肩を震わせて、大きくてかわいらしい目を潤ませている。

    「お……お兄様……?」
    「だからなんだって言うんだ? そんなくだらない話のために俺の時間を割いたっていうのか?」

     その言葉に、私はカチンと来てしまった。
     許せなくて、思わずテーブルを叩いて立ち上がった。

    「何なんだよあんた!!」
    「何なのよあんた!!」
    「!?」

     私は自分の叫びとほぼ同時に響き渡った声に驚いてしまった。
     見れば私とシンクロするように、テーブルを叩いて叫んでいたのは星弥だった。
     私が驚いてきょとんとしている間に、星弥は畳み掛けるように和葉さんを責め立てる。

    「深散先輩、一生懸命話してるじゃないっすか!! なのにその態度、何なんだって聞いてんだよ!!」
    「まぁ椿ちゃんとせいやんの怒鳴りのタイミングが超シンクロだったことは置いといたとしても……せやなぁ。俺もちょっとばっかし今の態度はいけ好かんわ」

     ソファに座って腕と足を組んでいたアッシーも、かなり不機嫌な表情で口を開いた。

    「ミッチー震えとるやん。あんた何が気に食わんでそないな態度とりはるん?」
    「そんなことは逐一報告されなくても分かっていることだ。くだらない報告などいらない」
    「だからって……」

     そのやり取りに、大きなため息が聞こえた。
     見れば私の隣に座っていた雅音さんだった。

    「雅音さん……?」
    「和葉、相変わらずじゃのう」
    「……?」
    「無駄の嫌いな性格であるのは分かるが、そこまで過程を省きすぎるのも問題じゃの。お前が参加する会議はやりにくいと評判じゃぞ」
    「お前……何を言って……何者だ?」
    「まぁ、今は一切関わっておらんが、会議の資料や文書、その録音内容は全て耳に入っておる。お前とも子供の頃は何度か会っておるのだがのう」

     そこで和葉さんはびくっと身体を跳ね上げて少しだけ改まった様子で雅音さんを見た。

    「深散の紹介ではそちらの椿さんの婚約者だということだけど……」

     少し考え込んだ様子で、和葉さんは何かをぶつぶつとつぶやいている。

    「その独特の口調。おかっぱ頭……そして参加しない会議の内容まで把握……? まさか……あなたは土御門……」
    「おっと、そこまでだ。俺はその名は捨てた。だが、少し妹の話に耳を傾けてはどうかのう」
    「……ですが俺は無駄が嫌いです。友人が出来た、これだけの功績を得た、そんな報告は時間の無駄でしょう」
    「無駄が嫌いな上にお前はせっかちでいかんのう」

     雅音さんはテーブルにおいてあった、私と星弥が叩いた影響で半分中身がこぼれてしまった紅茶を気にもせずにすすった。

    「今回はそこから先に、お前に伝えたいことがあるんじゃないのか? お前がそう頭ごなしに突っぱねてしまっては言えることも言えんではないか」
    「……なるほど。では聞こうか、深散」

     深散は泣きそうになっていた。
     それでも震えるのを堪えて、もう一度顔を上げた。

    「私……分かりましたの。彼らと出会って、自分がずっと一人だったことに。そして、人を思いやる気持ちに欠けていたってことに……」

     そこで星弥は深散の手をぎゅっと握った。
     星弥を見つめる深散に対して星弥は小さくうなづいた。

    「私、今幸せです。この大切で大好きな人たちとずっとずっと一緒に生きていきたい!」

     深散はそこで星弥を見て、悲しそうに表情を歪めた。

    「けれど、今その大切な人の一人が道成寺の清姫の呪いで危険な状態にあるんですの……私の力ではどうしようもなくて……だからどうかお兄様に御力添えを……友だちを守る知恵を貸してほしいんですの!」

     和葉さんはそこに来てやっと「ふむ」っと小さく言った。

    「別にいいよ」
    「……え!?」

     驚いたことに、和葉さんはあっさり深散の申し出を了承した。

    「ただし、相手が清姫と聞いたからには今のお前じゃどうしようもないね」
    「どうにかなりませんの!?」
    「軽く、テストをさせてもらおうか」
    「テスト?」
    「そう。お前が清姫に戦うに足りる力を持っているか見せてもらう。もし、その気持ちが半端でないならクリアできるはずだ。なんてことない、陰陽師としての資質をきちんと見極めるだけさ」

     私は不安になった。
     紅葉さんを失っている深散に対してどんな試験を行うんだろう……
     でも、私の不安をよそに、深散は全く迷いもせずに言った。

    「分かりましたわ! なんとしてでもパスして見せます」
    「ふぅん。後悔しないことだね」

     私はこの和葉さんの不敵な笑みの意図が理解できずにいた。
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