第7話 椿という名の太陽
「くそ……!」 やっと土御門の家から開放されたのは、もう日付が変わってからの時間だった。 携帯を見れば、椿から何度か電話がかかってきている。 「杏子の奴、携帯すら使わせんとは」 「ヘタレ全開ですねぇ」 「誰だ!?」 見れば車のボンネットの上に、男が座っていた。 以前椿を救ったとか言っていた、人ならざるもの。 確かスイとか言ったか? その男はキセルを吹かしながら俺のほうを見ていた。 「あなた、今日は大切な彼女との約束があったのでは?」 「……仕方なかろう。帰れなかったのだから」 「……馬鹿な男です」 心底あきれた様にスイとか言う男は言った。 馬鹿なことくらい、お前に言われなくても自分が一番理解している。 「どこかで彼女なら許してくれると思っているんでしょう?」 「……!!」 自分の気持ちを言い当てられて、俺はドキリとした。 そうだ、俺は少なからずそう思っていた。 物分りのいい椿なら、きっと察してくれるだろうと。 「本当に、あなたを見ているとイライラしますよ」 「なに?」 「その甘ったれた考えが、彼女を壊し、傷つける……」 スイはキセルの火種を落とし、立ち上がった。 「後悔したくなかったら、自分の考えを改めることです。彼女は誰よりも傷つきやすい、脆いガラスの細工のようなものだ。気がついたときには形を失い、あなたの目の前から消えて……」 「うるさい!」 俺は思わず叫び声を上げていた。 聞きたくなかった。図星を突かれたからかもしれない。 「お前に何がわかる!」 スイは俺の顔を突然手で掴んだ。 避ける暇がなかっただと……!? 「私だから、わかるんですよ」 ―――ドクン。 なんだ……これは? ビジョン……これはこいつの記憶か……? 「やめろ……こんなものを見せてなんになる!!」 「目を背けるんじゃありません。あなたなら、この記憶が何を意味するか分かるはずですよ?」 「ふざけるな! 俺をお前と一緒にするな!」 何故だか俺はこいつが流し込んでくる記憶を見たくなかった。 まるでこの光景はあのときの俺だ。 悪鬼を自らの命と引き換えに滅っし、息を引き取った椿の姿が俺の脳裏にはっきりと浮かぶ。 「やめてくれ……!!」 その言葉に、スイは俺の顔から手を離した。 「椿といいましたか? 彼女……早くしないと、手遅れになりますよ」 「どういうことだ……」 スイは車の陰にチラリと視線を移した。 「雅音様……」 「お前……小鷺!? 何故ここに!!」 力なく小鷺はスイの視線の先から、現れた。 「椿様が符をやぶって何処かへ……」 「何だと!? 一人でか!?」 小鷺は力なく頷いた。 「土御門の家へ入ってすぐにお知らせしたかったのですが。結界があって入れませんでした」 「椿がどこへ行ったかは分かるか!?」 小鷺はただ首を横に振ってその場にへたり込んだ。 「あんなお体でこの雪の中どこへ行かれたのか……椿様の身に何かあったら……申し訳ございません!!」 「もうよい!!」 俺は椿の携帯に電話をかけた。 そして、拍子抜けするほどにすぐに呼び出し音は途切れた。 「椿か!! 今どこに……」 『まっちゃんか?』 「お前……陵牙か?」 『椿ちゃんなら俺んちにおるで』 「お前の家に……?」 『バイトから戻ったらおかんが青い顔して医者呼んどるから何事かと思ったら、椿ちゃんがうちにおった』 「医者……!? どういうことだ!?」 『詳しいことは俺にも分からん。でも、だいぶ椿ちゃん衰弱しとるから、はよ迎えにきたり』 「わかった」 俺は一部始終を見ていたスイの方に目をやった。 「早くお行きなさい」 「言われなくともそうする」 俺は急いで車を蘆屋家に向かって走らせた。 玄関では既に陵牙が俺を待ちわびたように立っていた。 「こっちや」 「すまんな……」 「おかんがな、椿ちゃんに会わせる前にいったん話し聞きたいて」 「十六夜様が?」 俺は応接間に通されたが、椿の様子が気になって落ち着かなかった。 俺の目の前では十六夜様が神妙な顔をして座っていた。 しかしすぐに俺の姿を確認すると、俺の横っ面を思い切りひっぱたいた。それは、以前十六夜様が蒐牙を叩いたときのような、愛情故の行動ではなく、軽蔑と侮蔑の意がこもったものに感じた。 「うぇっ……いったぁ……」 叩かれたのは俺だというのに、陵牙は自分の頬を押さえて痛々しい表情を浮かべていた。 俺は十六夜様から視線を逸らさずにじっと彼女を見ていた。 「何をしていたの?」 「はい?」 「こんな時間まで、どこで何をしていたの?」 俺は自分がどこで何をしていたか、素直に答えた。 「土御門の家に行っておりました。現当主霙殿の呼び出しに応じ、話し合いをするために」 その言葉に、十六夜様はため息をついた。 「まっちゃん。ちょっと聞きたいことがあるの」 「はい」 「椿ちゃんとどれくらいちゃんと話してない?」 「それは……」 「最近椿ちゃんが、ご飯をきちんと食べてないのは気がついてた?」 「食事を……取っていない?」 十六夜様の声は怒りが混じっているようにも感じた。 「毎日会っていてあんなに痩せ細った椿ちゃんに気がつかなかったのかしら? あの子、過度のストレスで体重が急激に落ちてるそうよ。お医者様もこんな生活を続けていたら身が持たないと言っていらしたわ」 「そこまで……ひどかったのですか?」 「ええ。そんなボロボロの状態で、あの子はご両親のお墓の前で倒れていたそうよ」 「両親の墓の前で……?」 十六夜様は一瞬目を伏せた。しかし、すぐに口を開いた。 「椿ちゃんをある人が見つけてね。ここまで運んできてくれたの。その人は、前に椿ちゃんを一度抱き上げたことがあるって言ってたけど、そのときより怖いくらいに軽くなってた、ってそう言ってたわ」 「おかん……誰やそれ?」 「今は、そんなことどうでもいいの」 陵牙の疑問を十六夜様は冷たく一蹴してしまった。 「まっちゃん。私は今のままではあなたを椿ちゃんに会わせることはできないわ」 「何故です……?」 「これ以上椿ちゃんが傷ついたら、壊れてしまうからよ」 「!」 十六夜様の目は、とても哀れなものを見る目だった。 それほどまでに今の椿はひどい状況だというのか…… 「頼みます、椿にあわせてください!」 「……あなたに今の椿ちゃんと向き合う勇気はあるの?」 「……?」 「今の椿ちゃんは……見るのも辛いわよ?」 俺は深く頭を下げた。 「お願いします十六夜様……俺は椿に会わなくてはならない……!!」 「……わかった。ただし、ショックを受けない保障は……ないわよ。陵牙ちゃん、案内してあげて」 「ああ……」 俺は陵牙の案内で、蘆屋家の一室に通された。 暗い部屋の隅に、白い何かがぼんやりと見える。 「椿ちゃん、電気つけるで」 カチリと陵牙が電気をつけると、俺は思わず目を見開いてしまった。 部屋の片隅で、真っ白な着物を着せられた椿が膝を抱えている。 「椿……!」 「あかんよ……あんまり刺激したらあかんねん」 陵牙は俺の肩を掴んで、駆け寄ろうとする俺を止めた。 「どういうことだ?」 「これでもやっと落ち着いたほうなんよ……」 よく見れば、椿は膝を抱えた状態で何かにおびえるようにずっと震えていた。 「さっきまで、ずっとお父さんとお母さんに会いたいゆーて、えらい泣いてたんよ……」 「……っ!」 「誰も寄せ付けんほど泣いて泣いて、正直見てられんかったわ……まぁ俺、一応外おるけど……なんかあったら呼んでや。あんまり刺激せんでやってや」 「ああ」 俺は椿に筋かに歩み寄って、片方の膝を付いた。 「椿」 「……雅音さん……?」 椿は静かにこちらを向いた。 酷く泣いた後なのか、目が腫れている。 「夜も遅い。うちに帰ろう」 「嫌……」 泣きそうな顔で椿は首を横に振った。 「雅音さんは……もう私なんかいらないんでしょ?」 「何を言っておる……馬鹿なことを言うでない」 椿は俺が体を寄せると拒絶するように後ろに倒れた。 「嫌……またあの臭い!! やっぱり雅音さん、また杏子さんに会ってたんでしょ?」 「それは……」 「私お願いしたのに……早く帰って来てって……」 「すまん椿……だがこれには……」 「嫌!! 嫌……!! 言い訳なんて聞きたくない!!」 椿は耳を塞ぐと頭を激しく左右に降り始めた。 「どうして何も話してくれないの!? 忙しい理由を教えてくれれば私はダメなんて言わないのに!! 話せないほど私は雅音さんにとってどうでもいい存在!? 信用できない!?」 「椿!!」 「もう嫌……お父さん!! お母さん!! 助けて!!寂しい! 寂しいよ!!」 「椿ちゃん!!」 部屋のドアが勢いよく開き、十六夜様が飛び込んできた。 そして十六夜様は椿を強く抱きしめて叫ぶように言った。 「椿ちゃん! 大丈夫、大丈夫よ……ほら、私があなたのお母さんになってあげる……本当のお母さんだと思って甘えていいのよ」 「ひっ……お父さん、お母さん!! 会いたいよ、迎えにきてよ……寂しいよ!! お父さん……お母さん!!」 言葉が……かけられなかった…… 激しい拒絶に、俺はショックを受けたのかもしれない。 「まっちゃん、あとはおかんに任せたほうがええから……」 「………」 俺は応接室でうなだれることしかできなかった。 陵牙は俺に消臭用のミストを吹きかけながら言った。 「つーかまっちゃんえらい臭いやで? 香水やらコロンに抵抗ない俺でもその臭いは流石に引くわ……着替えたほうがええんちゃう?」 「そんなに臭うか?」 「正直鼻曲がる。風呂と着替え貸したるから何とかしぃや」 「すまんな……」 俺は陵牙の案内で風呂を借りた。 正直、最初は俺も杏子の香水の臭いには参っていた。 だが次第に鼻も麻痺したのかあまり感じなくなっていた。 その気遣いのなさがどれだけ椿を傷つけていたかも知らないで。 「雅音様、着替えは僕のものを使ってください。兄さんのでは少し大きいと思いますから」 「蒐牙か。すまんな」 「いえ」 風呂から上がって応接室に戻ると、陵牙は落ち着かない様子で椿のいる部屋のほうを見ていたが、ため息をついて俺を見た。 「痛々しいなぁ」 「………」 「……あんな椿ちゃんの姿、1年前にも見たよな?」 陵牙の言葉に、俺は一年前、茨木の事件のときに椿から距離を置いたときのことを思い出した。 あいつは、必要以上に傷ついた。 そしてまた、俺が自分のことで手一杯になっている間に、椿は深く傷ついてしまった。 「悔しいけどな、椿ちゃんにはまっちゃんが必要なんやで?」 「………」 「俺や蒐牙じゃダメやねん」 「陵牙……」 陵牙は悔しそうに頭を掻きながら言う。 「どんなに俺らが椿ちゃんを好いて、支えになってやりとうてもな……俺らはあの子にとってダチにしかなれん。この世でたった一人の愛する男はまっちゃんやねんで?」 「この世でたった……一人?」 「せや。まっちゃんの代わりは、おらん」 まさか、陵牙にそんなことを教えられるとは思いもしなかった。 ただのうつけかと思っていたが……うつけは俺のほうだ。 俺は愛用のコロンを取り出して、首と手首に少しだけ塗った。 いつもの俺ならば、椿は俺を拒絶しないだろうか…… 「そうそう、その甘ったるいコロンのにおいさせてこそのまっちゃんや」 陵牙は俺の肩を軽く叩いて言った。 「兄さん、深散先輩と星弥くんが来てますよ」 「なんやこんな時間に空気の読めない奴らやなぁ」 陵牙はそう文句を言いながらも二人を出迎えたようだった。 しかし、対応を終えたと思うと、すぐに血相を変えて戻ってきた。 「まっちゃん!」 「なんだ……」 「これ! これ!!」 陵牙の手には、ピンク色をしたずいぶんとかわいらしい封筒が握られていた。その宛名には俺の名前が書かれていた。 それを開いてみるとそこには見慣れた椿の字が綴ってあった。 『雅音さんへ こんな形でお手紙書くのって、2回目だよね。何か恥ずかしいけど、また今年も書きます。 この先ずっと、このお手紙を1年に1度贈れたらいいな。 誕生日おめでとうございます。 私が雅音さんに助けられて、もう一年以上が経つんだね。去年の体験はすごく辛いものだったけど、雅音さんがそばにずっといてくれたから寂しい思いをすることはすごく少なかった。 そりゃちょっとは寂しかったこともあったけど、雅音さんはその分いっぱいいっぱい私を大切にしてくれたから。 本当にありがとう。 私はすごく幸せ者です。雅音さんに出会えて、愛してもらって。 だから、私の大切な雅音さんの誕生日にこの言葉を贈ります。 雅音さん、生まれてきてくれてありがとう。 椿より』 俺は……馬鹿か? 椿のこんな想いに、気がついていなかったというのか? 「あっ!? まっちゃん!?」 俺はそう思った瞬間には走り出して椿のところに戻っていた。 十六夜様の横にいる椿を俺は有無を言わせず、きつく抱きしめていた。 「……椿っ!!」 椿は俺の胸の中でにわかに抵抗をしていた。 にわかに感じただけで、椿の中では全力の抵抗だったのかもしれない。 こんなにも椿はやせ細っていたか? 元々細身ではあったが、こんな骨のような体はしていなかったはずだ。 気がついていなかった……気がついてやれなかった。 こんなにも弱って消え入りそうな椿に、俺は何もしてやれなかった。 たった一つの願いさえ、聞いてやれなかったのだ。 「すまなかった……!」 椿がこの腕から逃げてしまわぬよう、強く強く腕に抱きとめた。 先ほどスイに、妙なビジョンを見せられたせいだろうか。椿の死に顔が再び俺の脳裏をよぎる。 ぐったりと色を失った、呼びかけに答えない人形のように青白い椿の顔がやけに鮮明に蘇って、まるで俺を責めているようだった。 あんな思いは二度としたくない…… 俺は椿を失いたくない…… だが、結局俺は守りたいが故に椿を壊してしまいそうになった。 本当に未熟な男だ。 あのときから俺は何一つ変わっていなかった。 「俺にはお前しかおらぬのに……また俺は同じ過ちを……すまぬ……!」 「まっちゃん……」 十六夜様は何かを感じたのか部屋からそのまま出て行った。 「雅音さん……」 弱々しく名前を呼ばれて、俺は怖くなった。 椿がこのままではどこかへ行ってしまいそうだった。 あんなにも椿は俺を思っていてくれたはずなのに…… なぜ俺はいつも傷つけてしまうのだ!! 「椿……愛しておる!! 誰よりも何よりも……だから、俺の前からいなくならないでくれ」 「雅音さん……私はここにいるよ?」 「ダメだ……お前の心がこのままではどこかに行ってしまいそうだ……手を離したらお前は俺の前からいなくなってしまうのだろう……? 俺はそんなのは嫌だ」 情けない言葉だ。俺はこんなにも椿に依存し、すがっていたのだな…… 守りたいと思う反面、俺は椿に守られていたのだ。 日の下に連れ出したいなんていうのはおこがましい傲慢。俺は椿という太陽に照らされ、支えられていただだの未熟者だったのだ。 「椿……!!」 俺は椿を失いたくないがために必死に椿の名を何度も呼んだ。 そのたびに抱きしめる手に力をこめる。 「雅音さん……いいにおい」 「椿……?」 「私の大好きな雅音さんの匂いがする」 椿は俺に甘えるように体重を預けてくる。 俺が椿に思わず口付けようとしたそのときだった。 ―――ドカン!! けたたましい破壊音が向こうから聞こえた。 それと共に蒐牙が走ってこちらへやってきた。 「雅音様!! 椿先輩を連れて早く逃げてください!!」 「どうしたのだ!!」 「椿先輩を狙っている奴らです!!」 「!!」 俺は、そいつらの正体を知っていた。 だからこそ、椿は俺が守らねばならないと思った。 しかし、想像以上の相手の存在に俺は、どうしていいか考えあぐねいていたのだった。 |