第4話 迷いの中の決断


     僕は雅音様に連れてこられた場所を見て目を見開いた。
     人生を大きく変えられた場所。

     ―――鵺塚。

     ここは4年前の今頃、僕が最悪の経験をした場所……
     そう、志織さんが死んだ場所だ。

    「どうしてこんな場所へ……?」

     僕は声が震えそうになるのを必死に堪えながら言った。
     駄目だ、冷静を保たなくては……平静を装わなくては……

    「ここで何があった?」
    「!!」

     雅音様はじっと僕を見据える。
     僕は首を横に振る。

    「調査はもうお済のはずですよ? 僕と志織さんはここで鵺に襲われた。そして志織さんは僕をかばって死んだんです」
    「それは分かっておる。だがことの詳細はまだ分かっておらんのが事実。大体、鵺はその後どこへ行った?」

     やめてくれ、それ以上聞かないでくれ……

    「ずっと協会のほうでも鵺のその後の行方を捜索しておるが、一向に見つからん。何故だ?」
    「そ……それは……僕にもわかりません。志織さんが死んだ後、ショックで気を失いましたから」

     雅音様の目は僕を逃がしてくれるような目じゃない。
     でも、言えないんだ……言ってしまったら……

    「何か、言いたくない理由があるようだの」

     そうだ。僕には鵺のその後の行方を言えない確固たる理由がある。
     それは例え兄上であろうが、生涯憧れの存在であろう雅音様であっても同じこと。

    「だが蒐牙。このままでは御木本は確実に当主にはなれんぞ」
    「……!」
    「奇しくも当主選抜の日取りは志織の命日だ。お前、一度も志織命日には墓参りをしておらんそうだな? 一体その日に何があるのだ?」
    「……駄目です。言えません」
    「それが協会の意思に反することでも、か?」
    「ええ。僕は例え協会に陰陽師としての道を断たれても、これだけは言えません」

     その瞬間、雅音様の目がすーっと細くなった。
     それこそ面白いものでも見るような目だ。

    「ならば勝手にするがよい」
    「え?」
    「お前が頑固で融通の利かん奴なのは昔から知っておる」
    「………」
    「そうやって意固地になったら、もう天地がひっくり返っても口を割らんこともな」

     そうだ、これは天地がひっくり返っても言えないことだ。
     言えば僕は……もう二度と……

     雅音様は車のドアに手をかけた。そして一度はドアを開けかけたけれど、その動作をやめて口を開いた。

    「だが蒐牙。一つ言っておく」
    「……?」
    「本来生者は死者との関わりを持ってはならん。あまり続けておると、お前の命も危ないかもしれんぞ。言い知れぬものの怒りを買うことになる」
    「!!!!!」

     まさか……全部気づいて……

    「蒐牙。俺を味方につけるか敵に回すか、どっちが賢明か、頑固でも賢いお前なら分かるな?」

     ポツリ、ポツリと雨が降り出した。
     そしてまるで堰を切ったような大雨に変わって、声を聞き取るのも厳しいほどの激しい雨に変わった。

    「……めだ」
    「蒐牙?」
    「これだけは絶対言えないんだ!!」

     僕は冷静さを失っていた。
     思わず雅音様に殴りかかっていたのだ。こんなこと許される行動じゃないのは分かってる。
     でも、あの秘密を知られるわけにはいかない……絶対に!!

    「うわあああああああああ!!!!!」
    「くっ! この!」

     さすが雅音様だ。
     僕の一撃を軽くかわしてカウンターを見舞いにかかってきた。
     でも、その程度で僕はしとめられない!

    「流石だのう蒐牙」
    「これでも、腕に覚えはあるつもりです」
    「くくく。陵牙より武術の才には長けておるからのうお前は」

     僕は強く地面を蹴り、雅音様の背後に回る。
     雅音様はすばやく振り返り僕の手をガードした。

    「迷いがあるのう蒐牙」
    「!」
    「これでよいとはお前も思っておらんのではないか」
    「そんなこと……!!」
    「迷いのないやつは、拳に迷いも帯びぬもの。今のお前では俺に一撃入れるのは厳しいかもしれんぞ」
    「くっ」

     僕は馬鹿にされたようで、少し頭に血が上った。
     冷静さを欠いた時点で勝負は決まっているというのに。

     僕の拳は簡単に雅音様に止められてしまった。
     そして腕をひねり上げられて、耳元で雅音様に言われた。

    「蒐牙。俺はお前の敵にはならんと思うが?」
    「でも……あなたはっ!!」
    「言ったであろう? 俺は影井雅音だ。分かるな?」
    「……雅音様、あなたは本気で自分の立場を捨てたのですか?」
    「今の俺の現状を見れば分かると思うがのう」
    「それでも権力は行使してます」
    「それは自分で手に入れた立場での権力だ。生まれつき持った権力になど興味ないわ」
    「………」

     僕は手に入れていた力を抜いた。
     この人は、時々何を考えているか分からないけど、でも今までだって僕らの悪いようにはしなかった。
     椿先輩や藤原星弥の件、あの大問題に発展してもおかしくなかった蘆屋家の騒動、そして清姫の件。
     この人を……信じれば何かが変わるかもしれない。

    「少し……時間をください」
    「……命日までいくばくも時間はないぞ」
    「分かっています、ほんの少しだけでいいんです」

     その言葉に雅音様は静かに僕の手を話してくれた。
     そして車のドアを開けて乗るよう即した。
     多分、逃げられない。適当なことを言ってはぐらかしても、決して納得してくれないだろう。

    「悪いが事情を話すか俺を敵に回すか決めるまでは家には帰せんぞ」
    「分かっています」

     結局僕はずぶぬれのまま雅音様の家に連れてこられてしまった。ある意味拉致に近いけれど、逃げられないなら無理に騒いでもしょうがない。
     僕たちが玄関をくぐった途端、置くからパタパタという足音と共に声が聞こえた。

    「雅音さん? 遅かったね! どうし……」

     白い髪、左右色違いの赤と青の目。
     椿先輩はハッとしたけど、横に首を振って声を上げた。

    「どうしたのよ二人とも! ずぶぬれじゃない!!」
    「雨に降られてのう。悪いが風呂を入れてくれぬか?」
    「う、うん! その前にタオルタオル!! それに着替え!!」

     椿先輩はいそいそと奥に引っ込んでいった。

    「驚くこともなかろう」
    「え?」
    「ここは椿の家も同然だ。いつも髪を染めてコンタクトなど入れておったら疲れるだろう?」
    「そう……ですね」

     僕は雅音様の家のリビングに通され、タオルで体をふき取っていた。
     ひどいぬれ方だ。明日は学校にこの制服は着て行けないな……

    「蒐牙くーん、着替え、雅音さんのだけどここに置いて……きゃあ!!」

     椿先輩は思わず顔を覆って後ろを向いた。
     それはそうだ、僕は上半身裸の状態だったわけだし。

    「ご、ごごごめん! ノックすればよかったね」
    「いえ、女性じゃないんですからそこまで気にしてません」
    「そ、そっか。えっと下着は新しいのだから安心してね。着替え終わったら雅音さんがお風呂は入っちゃえって」
    「ありがとうございます」

     椿先輩は背中を向けたまま言った。

    「蒐牙くんって結構着やせするタイプなんだね」
    「え?」
    「いやぁ、意外といい体してるなーって」
    「何ばっちり見てるんですか……」
    「へ!? あ、ご、ごごごめん!! いやぁ蒐牙くんてもっとひょろひょろなイメージあったからさ、実は結構細マッチョでびっくりした」
    「まぁ、それなりに鍛えてはいますからね」
    「んーそれなりかなぁ。一応武道の心得があるから分かるけど、かなり鍛錬してるよね?」
    「……あんな一瞬でそこまで見抜いたんですか? 適いませんね、椿先輩には」
    「ふっふっふ、お姉さんを甘く見ないでくださいよー!」

     僕は何となく自分の毎日の日課を口にした。

    「そうですね。毎朝4時におきて1時間ランニング、その後は筋トレしてます」
    「よ、4時!?」
    「ええ、4時です」
    「通りでアッシーとは腹のつくりが違うわけね」
    「兄上のはたるんでますからね」
    「いや……決してアッシーもたるんではいないけど蒐牙くんは引き締まりすぎね。まぁそれだけ引き締まってれば見せても恥ずかしいものじゃないわね」

     そう言えば兄上はよく椿先輩に腹を見せては怒られていたな。

    『つっばきちゃあーん! チョリーッス!!』
    『!?』
    『んえ? なんやねん俺のセクシィーな服装にめろめろか?』
    『だらしない』
    『へ?』
    『だらしない!!』
    『おわぁあああ!? 椿ちゃん!? これわざと! わざと前あけてるんよ!? 閉めんといてー!!』
    『うっさい!! 腹を出すな!』

     僕は思わず笑ってしまった。

    「椿先輩は母上以上に母親のようですね」
    「え!?」
    「だらしない格好の兄上をとがめるなんて、うちの母上しませんからね」
    「あはは……アッシーママ……じゃない、十六夜さんはその手のことしなさそうだね」
    「本当はもうちょっと注意してほしいんですが……母上もまだ心が若いもので」
    「くすくす、いいじゃないの。素敵なお母さんがいて」

     そこで僕はハッとした。そういえば椿先輩のご両親は茨木に殺されて他界している。
     こんな安易に親の話などすべきではなかった……

    「すみません。軽率でした」
    「え?」
    「い……いえ」

     僕の言葉に、椿先輩はくすりと笑った。

    「ねぇ蒐牙くん」
    「はい?」
    「その母親のような椿先輩から一つお説教」

     椿先輩は背中を向けたままだけど、なんだか少しだけ本当に空気が変わった気がした。
     まるで、母親が子供を諭すような、そんな空気だ。

    「前に私蒐牙くんに言わなかったっけ?」
    「何をですか?」
    「一人で抱えるな、って」
    「……!!」

     それは蘆屋家の騒動が起きたときだ。
     椿先輩は、僕の手を握って一生懸命話を聞いてくれた。
     あの時、僕は椿先輩の優しさに不覚にも涙を流してしまった。

    「どうにも蘆屋兄弟は自分ひとりで抱えて悩む体質なのかしら? アッシーにしても冥牙さんにしても、そして蒐牙くんにしても一人で悩みすぎよ……っていうか私の周囲が、私を含めてひとりで抱え込むことをしすぎているのかもね」
    「それは……」
    「私たちじゃ、蒐牙くんの力には……なれないのかな?」

     椿先輩は少し間をおいて再び口を開く。

    「もちろん、言いたくないことにズケズケ踏み込んでいったらいけないっていうのは分かるんだよ? でもね、もし蒐牙くんがどうしようもなく苦しんでるなら、私は多分嫌がられても踏み込んでいくから」
    「椿先輩……」
    「私だけじゃない。きっと雅音さんも同じ気持ちだと思うよ。雅音さん、蒐牙くんのことは買ってるから、本当の弟みたいに可愛いんじゃないじゃないかな?」

     複雑な気持ちになってしまう。
     椿先輩が雅音様の真意をどこまで知っているかは知らない。でも、なぜか椿先輩のいうことは決して嘘のようには聞こえない……なぜだろうか。

    「ま、とりあえずさ」

     椿先輩は息を付いていつもどおりの椿先輩の空気に戻って言った。

    「お風呂はいってゆっくり考えて? ご飯作って待ってるから。雅音さんも直にお風呂上がるし、ぱぱっと着替えちゃってよ」

     そういって去っていく足音を聞いて、僕は少しだけ兄上の気持ちが理解できた気がした。
     あの人は、雅音様と椿先輩の間柄を祝福しつつも、時々複雑そうな顔をする。
     兄上は椿先輩が好きなのだろう。でも、好きだからこそ椿先輩の幸せを願っている。
     本当、適いませんよ。大切だから自分の気持ちは押し殺して幸せを願うとか、どこまでお人よしで心が広いんだか。
     まぁそれが兄上の最大の長所でもあるわけですが……

     雅音様は、そんな誰もを惹きつけるあの人を手に入れたわけ、か。
     正直人を見る目はやっぱり確かだ。

     僕は、私事で椿先輩を巻き込むようなことは……絶対にしたくない。

     僕は小さくため息をついた。
     そしてようやく自分の迷いを断ち切れた気がした。

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